2018年6月 9日 (土)

大山登山(7)  下山途中のアラカシ原生林

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数百年先輩の樹木である。私は生年わずか67歳である。しかしこの樹木はこれからもずーっと長生きされる樹木先輩である。すごいなあとつくづく思う。

この木はアラカシだろうか。以下の記事からそう推理した。

「大山の原生林」より抜粋する。
http://www.city.isehara.kanagawa.jp/bunkazai/docs/2012100400138/

県指定重要文化財
天然記念物
面積 164,413平方メートル
所有者 大山阿夫利神社
指定日 昭和41年10月15日指定
 
解説
大山の南東斜面一帯にはモミを中心とした原生林があり、二つの地区に分かれて指定されています。

一つは、標高340メートル付近にはアラカシ、ウロジロガシ、アカガシなどカシ林上限の構成種を含むモミ林部分です。

もう一つは、標高800メートル付近にはツガやブナなどブナ林下限の構成種を伴うモミ林部分となります。

かつてモミは県内の山岳地帯に見られましたが、減少の一途をたどり、現在では大山付近にしか残されていません。大山のモミの原生林は学術的価値が高く、県内はもとより全国でもきわめて貴重な存在となっています。」(抜粋終わり)

アラカシ-wikipediaによれば特徴が似ているようだ。

「アラカシ-wikipedia
公園や学校にもよく植栽されている。木は建築材として利用される。

大きな木になると、樹皮の傷口から虫が入り、これにカブトムシやクワガタムシが集まることがあり、クヌギほどではないが、そのような昆虫を見るのによい木である。以下略。」

なぜここで私がガラケーのカメラシャッターを押しているのか、その姿が気になっている若者が、私を追い越しながらこの木の周囲を振り返り見ては、首をひねっている。

私も、若いころにはこういうシーンに気を留めなかった。

たかが木であるからだ。

しかし、今頃は「されど木なればこそ」、の思いが強くなる。

君らも人生の終盤に至れば、この樹木を見て畏敬の念が湧く老人の心がわかるようになるだろう。若いうちの今は、目の前のことに必死で生きればいい。そのうち・・・わかるようになるだろう。

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この木に私は何を感じているんだろうか。

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奥の木は恐らく落雷により枯れたものと思う。

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その奥の木の全貌だ。

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これも面白い。

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ますます壮健なり!

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たたずまいがごりっぱ。良くねじっているねえ。

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見事な枝ぶり・・・。ん?この鑑賞眼は、盆栽の木を眺めるときの感受性によく似ている。ふとそう気づいた。

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元気でね。

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誰かの棲家かな?

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だいぶ、下へ降りてきたようだ。

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団体さんがケーブルカー駅方面から下車して降りてきた。つまり、私は下社駅へ着いたということだ。

服装の様子から頂上への登山ではないらしい。見晴らし台までのトレッキングならこういう軽装でもよいだろう。

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ケーブルカー あぶり神社下社駅。片道800円台は結構高い。いやなら歩いて下山せよか。伊勢原市とは違う経営センスである。小田急電鉄かな?300円にすればいい。電車で稼いでいるんだから、社会還元すればいい。小田急の社長さんへ伝われば幸いだ。

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ケーブルカー駅からの小田原方面への眺め。ペリーがやってきた太平洋が見える。

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山へ登る人々をいたわる1日200円の伊勢原市営(第2)バイク駐輪場に着いた。さあ、中川温泉で汗を流してから帰宅するとしよう。

伊勢原市は日本人にやさしい市である。東京とは違う。

2018年6月 7日 (木)

大山登山(6) 見晴らし台でヘリに足止め

熊が撃たれたのだろうか?熊が出たのだろうか?
救急隊がオレンジ色の制服を着て4~5名見晴らし台にいる。
 
私の前を行く下山中の人々は、見晴台の広場に入れずに、手前で足止めされている。

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バリバリッバリとヘリコプターの音だけが山に響き渡る。ヘリの姿は見えない。

一人の救急隊員が無線でヘリを呼んでいるようだ。けがをした中高年の女性だろうか?白髪頭だけわかった。左足の膝に包帯をぐるぐる巻いているから、足の骨折だと思われる。

仰向けに寝て、吊り具のセットも終わっている。

熊は関係なかったようだ。熊に膝を噛まれるという可能施も排除はできないが・・・。

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右下のヘルメットだけ映っている警官が私に向かって危ないから下がってくださいと指示をした。音がうるさくて言葉が聞き取れない。患者の様子は写さないでとかなんとか。バリバリ。

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一人の救急隊員が腕を真っすぐに上げてヘリを誘導している。

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あっ、ヘリコプターが見えた!バリバリバリバリ。

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上の写真を拡大してみる。確かにヘリコプターだ。

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どんどん近づいてくる。小石や砂やごみが全部私の顔や頭をめがけてすっ飛んでくる。

めげずにシャッターを切る。警官はヘリに背を向けている。私はヘリに向き合ってシャキーンとガラケーを押している。

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F1000765bb 同上の拡大

もう目のまえ。

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わっ、真上でホバリングしている。よく枝に羽根が当たらないものだ。結構風速もあるから技術力を必要とするだろう。

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たぶんこれが機体だろう・・・という感じ。あらゆる埃と砂が超高速でぶっ飛んでくる。痛い。

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患者の乗った担架がワイヤーでするすると上がっていく。

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ヘリの音が段々遠ざかった・・・・。パラパラパラ、タタタ。

うまく患者を回収できたのだろう。よかった。

足元を注意していれば骨折もしなかったのだろうが・・・。

さあ、気を取り直して下社まで下山しよう。

臨時ヘリ基地となっていた見晴らし台を通過したところだ。

 

2018年6月 6日 (水)

大山登山(5) 下山は「熊を見た」という見晴台経由

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頂上から右へ下って見晴台を経由してケーブルカー下社駅へ出る周回ルートで帰ることにした。前回もこのコースを歩いた。

上る途中で下って来るおじさんが大きな声でこう警告していた。

「見晴台から上って来る時に熊を今朝見た人がいるそうです。気を付けてください。」

私は熊は大変苦手なのだが、この時は怖くなかった。

街道歩きで山中を一人で歩いているとき、熊出没注意の看板を見た時ほど怖いことはない。なぜなら熊と万一遭遇すれば、餌となる人間は私一人しかいないからだ。100%の確率で私は食われる。

しかし、土曜日の大山登山は人数が大変多い。周囲を見渡しただけでも50人くらいは目に入る。熊が出て来ても、私が食われる確率は1/50となる。

しかも、脂がのって旨そうな若くて太った人間の方を熊は好むはずだ。

この痩せた死にそうな老人を食う可能性は低い。

だから、私は大山では熊出没情報に驚かなかった。

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さあ頂上からの景色も見納めだ。国道246や東名高速から大山方面へ接近する道路がうっすらと見える。

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谷のようになって大山へ接近する道は、大山街道だろう。先の方は石段の土産物街となって、ケーブル駅へとつながる。

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小田原の海岸方面

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下る途中で

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見晴台へのコースは土と木材の階段だ。歩きやすい。

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ところどころで、崖が険しい場所を通過する。熊野古道もこういう場所が多かった。

空海の好む修行道場なのだろう。勇気を試される。

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土だけの道もある。

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なぜこの写真を撮ったのかわからない。拡大して見たが、おそらく年季の入った樹皮の変形度合いに興味をもってシャッターを切ったのだろう。

年寄りの視線は面白いところへ向かう。

数百年間生きてきた樹木に無言で敬意を表したものと思われる。たかだか80年ちょっとで消えてしまう人間として、素直に樹木の偉大さを感じていたのだろう。私は・・・。

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私の少し前を30歳代の若い夫婦らしい男女が下山している。

石のところでご主人は比較的すんなりと降りたが、奥さんが座りながら恐々と石段を下りている。私は少し歩調を緩めて、奥さんがゆっくりとそこを通過するのを待つようにした。

二人が通過したあとで、私も同じ場所を通る。

奥さんはここの何が怖かったのだろうか?

左手に鎖が張ってある。鎖があるということで精神的に怖くなることもあるかも知れない。

石の段差はさほどではないが、踏み外すとケガをするかも知れない。運が悪ければ、右下崖へ落ちるかも知れない。しかし、その危険度はかなり小さい。

おそらく鎖の存在が、お化け屋敷に入るときくらいの心理的な恐怖を呼び起こしたものだろう。

私は鎖も持たず、杖もつかず、軽やかに石を踏んで、難なく降りた。

これは、我が家の裏山であった九州の万年山などで小学校の頃から友達と数人で遊びに行ってはかえって鍛えた運動神経のお陰だろうと思う。

この年齢になっても下山だけは全く苦にならない。

心臓がやや小さい?だけに登りはしんどいのだが・・・。

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上空でバタバタバタと騒音が鳴り響いている。前方に下山中の人々が通せんぼにあっている。砂埃が舞い上がっている。ヘリコプターの音だ!

「熊が出たのではないだろうか?」と直感が働いた。

前の男性陣が「熊が撃たれたのでは」と話していた。

もう少し群衆に接近してみてみよう。(次回に続く)

大山登山(4)~1252mの頂上へ 二人同行

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煩悩を払うように煙を浴びましょう。

ここでも200円。商売がお上手。釈迦も苦笑い。

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登山口にも賽銭箱、いささかうんざりしてくる。

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しばらくは賽銭箱から遠ざかることができそうだ。

最初の坂道はかなり急だ。ケーブルカーに乗ってきてここから登山をする人はちょっと度肝を抜かれるほどの一気坂。下から歩いてここまで登ってきた私たちにとっては、なんでもない坂。同じ坂なのに去年(ケーブルカーあり)と今年(ケーブルカー無し)では感じ方が異なる。

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白山信仰が元もとあるようだ。私は白い山と聞くと朝鮮半島の山々を想起してしまうが、白山信仰は我が国でももっとも朝鮮半島に近い山で生まれたものだ。

民族的なつながりを感じさせる信仰に思われる。

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阿夫利大神、雨を降らせる神、雨降神(あぶりかみ)である。これが大山自身の別名である。

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年を取るとこういう枯れた姿に気が惹かれるようになる。若い人は見落とすシーンだ。

この樹木の名は知らないが、枯れようとしている、或いは枯れてしまった団塊の世代の私たちの足元で、その孫たちの若葉が元気一杯に伸びようとしているのだ。

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幹を見上げると、すべての枝が枯れ切っている。樹木の「死」である。

死因はおそらく落雷による焼損であろう。あるいは虫の害かも知れない。

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暫く坂道を我慢して上る。あちこちで、あと何百メートルで頂上だとか、2時間登ってきたからあと何分だとか、ゴールを意図してどれくらいで頂上に着くのかというやり取りが耳に届いてくる。私はその情報は信じない。

脚の早い人と遅い人では到達時間は倍も異なることがある。

直感による距離測定も誤差が大きい。ときどき歩行距離と高度差距離を混同している会話もある。

だから私は残りいくらかを考えずに上る。

昨日小田急線の駅前で出会ったおばあさんが教えてくれたのだ。

少しずつ歩いていけば、必ず辿りつけるよ!・・・って。

その80歳を優に超える痩せて小柄な老婆は腰がまがっている。

やっと緩やかな坂を越えてこれから駅前へと緩やかな傾斜を降りている途中だった。

暮れてしまった歩道を手押し車を押して歩いているが、実は立ち止まってバッグを眺めているような姿勢でいる。

どうかしたのか、と思ってみていると、転がらない手押し車の車輪の片側を少し持ち上げては斜めに動かすことでほんのちょっとだけ荷車は斜めに進む。今度は逆の車輪をちょっとだけ持ち上げて斜めに前に進める。

見ていてもどかしい運動だが、毎日このおばあさんはこうやってどこかから駅へ通っている。一分間立ち止まってみていても1mも進んでいないだろうが、しかし前進はしている。

そこから駅までは私の足で10分だが、おそらく2時間後にはこの老婆も駅に着いていることだろう。時間は問題ない。要は駅へ行けるかどうかだ。

それまで私は今の体力で大山に登れるか不安があった。昨年はケーブルカーを使用して死にそうに苦しい思いをして頂上へ至ったのだから、今年は到達できないかも知れない。

そういう甘えた不安定な心は、この老婆の姿を見てから吹っ飛んだ。

老婆の姿をした釈迦に教えられたような気がした。

病は気から。確かにそういうところはある。

今年はおかげさまでケーブルカーも使わずに、案外元気で頂上に接近している。

私は遅いかも知れないが着実な足取りの私が、間違いなく頂上へ至ることを確信しつつ歩いている。

だから周囲のあと何分だとかあと何百メートルだとかいう声に無反応である。昨年はそういう声に一喜一憂していた。雑音に左右される登山だった。

おばあさん、「正しい登山道」を教えてくれてありがとう。

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うっすらと大山の商店の列らしき道が見える。

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空があかるくなってきた。樹木の背が低くなってきたから頂上は近い。

街道歩きでは峠に至る直前にこういう光景に巡りあう。

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富士見台だったか、富士山の絶景が見えるはずの場所に「札」が立ててあるが、あいにく今日の富士山は雲の中だ。

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年寄りになるとこういう景色にも目が留まる。感性は若いころより豊かになる。損するばかりではない。

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緑の中の野生の山つつじの花、橙の可憐な花は私の街道歩きでも癒しの花だった。

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登山道を左へ奥へ入る小道がある。

こういう道の有無を確かめておくことは街道歩きで必要な業だ。トイレのない旧街道では用を足すエリアを素早く発見する能力も必要である。さもなければ結構みっともない姿を世間様へ露呈するはめに陥ってしまう。

私はこういう努力をして奥州街道735㎞を歩いて津軽まで着いた。その日に竜飛岬の食堂で「東京から40歳の独身女性が昨日同じようにして着いたよ」と聞いたときに飛び上がるほど驚いた。

そういう難関を彼女も乗り越えてきたということに、見知らぬ女性ではあるが尊敬の念が湧いてきた。

仙台あたりで学生の男子のバックパッカーとすれ違った。

私が「テント泊で津軽まで」と答えると、坊主頭の彼は気を付けの敬礼をしてから深々と頭を下げてくれた。無言の敬意の表明であった。私はとてもうれしい気分で仙台を通過した。

独身女性が同じようにして東京から津軽まで歩いてきた。その話を聞いただけで私は敬礼し頭を下げる想いだった。

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阿夫利神社上社に着いたようだ。そこに賽銭を入れてから気づいたが、上社はその少し先にあった。そこでも賽銭をいれた。この写真にある建物が何か知らないままに賽銭を投げ込んだ。弘法大師のビジネスの罠にまんまとひっかかってしまった。

この調子だと四国御遍路の賽銭は88円×5倍は持参しておかないと済まないようだ。

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上社、縄文時代からあった石への信仰の場だ。

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上社の本堂の奥の院。本堂前はごった返していたので、そこを避けて撮影。

神様は実はここにお座りになっているのだ。

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あいにく我が家の方向(川崎市)は霞んでいる。しかし上空は雲が切れるとかーっと日差しが照って来るが、すぐに曇ってしまう。曇りときどき晴れ。案外疲労感は残っていない。

今年の夏の富士山登山はできるかも知れない。

意外と1年間の1日2万歩ウォーキングは効果があったのかも知れない。

あの老婆の教えに従えば、富士山もきっとたやすいことだろう。エベレストだって・・・。

 

 

2018年6月 4日 (月)

大山登山(3)~弘法大師の影

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少し上の景色が開けてきた。光が差し込んでくる。

まぶしいと思ったら緑の中に神の好む金がある。

イスラエルの神は光を好む。(確か旧約聖書)・・・調べました。

「神は言われた。「光あれ。」こうして、光があった。

神は光を見て、良しとされた。神は光と闇を分け、光を昼と呼び、闇を夜と呼ばれた。」
(旧約聖書「創世記」1章3~5節)

http://information-station.xyz/7865.html より抜粋した。

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八大坊 上屋敷跡 大山を治めていた長官が住む屋敷だそうだ。

住職の空海はこの上にある下社のところに住んでいたようだから、ここは事務方のリーダが執務を取ったオフィスなのだろう。

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神は金をも好む。光を好むから光を反射する金をも好むのである。

一見、16葉の菊文様に見えた。しかし、上半分しか紋章がない。

16葉は天皇家の御家紋である。

数えてみると9葉の菊文様のようだ。2倍すると18葉になる。

しかしじっくりと見てみると0.5枚+7枚+0.5枚=8枚にも見える。

8枚なら下半分を加えると天皇家の家紋と同じになる。

また16葉菊文様はツタンカーメンの棺の蓋にあることは有名な話でもある。

このとき、私は直感でこの屋敷は紅葉で包まれているはずだと咄嗟に思った。

それは名古屋の清州城跡傍にある織田信長の廟の景色と同じだと直感したのである。

その直感は、那古野城(現名古屋城二の丸跡)の高麗瓦屋根の下で生まれた、或いは育った信長のイメージである。・・・そう高麗神社の境内にそびえる楓の巨木や紅葉の光景を映像として私の脳は再現してみせたのだった。

果たして、この菊の紋章はおびただしい紅葉の葉に囲まれていた。

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この景色は信長廟の景観そのものである。

そして空海も同じ人脈の中にあるのではないか・・・。

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上から降りてきた男性が男坂はきつかったと騒いでいる。それほどいやなら、女坂を登ればいいのだ。

煮えない男がいるものだ・・・。私はも男坂でいいと観念し始めている。

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女坂に七不思議か、弘法水・・・

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下社についたようだ。ケーブルカーの終着駅だ。

左へ行けばチップ式のトイレがある。

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大山阿夫利神社 下社、本殿、ここに大山寺があったとき、ここの庫裏に空海は住んでいたはずだ。

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小田原が霞んで見える。

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太平洋も見える。秀吉の水軍が小田原城へと押し寄せてきた浜辺だ。

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おや、本殿の右横、おみくじとの間に名水の看板がある。いってみよう。

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このトンネルを奥へ進む。無料だそうだ。

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龍の口から流れる名水で口を濡らす。

ふとみると賽銭箱が置いてある。無料だけど賽銭は欲しい。

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水に沈んだ金色の井桁に賽銭を投げ込んだ。10円である。この仕掛けは空海らしい・・気がする。

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上を見上げると神の喜ぶ光がうまい塩梅に注いで落ちる。

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いたるところでビジネスを仕掛けるところも空海の智慧のように思える。釈迦がこれを見たら笑うことだろう。

「大山名水 神泉」より抜粋する。

http://www.ooooyama.com/water.html
「大山阿夫利神社、本殿の下にある巡拝道には大山の名水である神泉があります。
この神泉に気づかない参拝者の方は多いようで、わです。(原文ママ)
 
以下、案内板より。
浄き明き直き象徴する神の恵の泉で湧き出るお水は、山内只一ヶ所の貴重な水源より引水いたしました。
最も清らかな尊いお水です。水は萬物の生々発展の原動力であります。
殖産の泉、長命延寿の泉としてご愛用ください。」(抜粋終わり)
 
「寺伝では空海(弘法大師)を3世住持と伝承する[1]」と大山-wikipediaであるので、その[1]を少し抜粋してみよう。
 
「紀要 第6号(8)古記録からみた大山信仰の諸相」より抜粋。
http://www.pref.kanagawa.jp/docs/kt7/cnt/f100108/p10531.html
 
「大山略史
丹沢表尾根の東端に位置する大山の山名は、山頂に大山祇神を祀るところに由来するといわれている。古くは「石尊大権現」と呼ばれて、山頂には巨大な自然石(磐座=神が宿る岩)をご神体として祀った阿夫利神社(上社)がある。
 
大山信仰がいつ頃形成されたかは特定できないが、過去に行われた山頂周辺の発掘調査(註3)では、縄文時代後期中葉の加曽利B式土器片や古墳時代の土師器片・須恵器片のほか、平安時代の経塚壺・経筒などが発見されたことから、かなり古い時代から大山に分け入る人々が存在し、そのような人々の間で大山の山岳信仰が徐々に形成されていったと考えられる。(注:この人々の中に空海がいたと言い伝えたのだろうか)
 
とくに縄文時代の土器片の遺物については、その当時の人々の信仰の遺物であるとする説と後世の修験者が持ち込んだものであるという説とに見解が分かれ、未だに決着をみていない。
 
古文献上では、8世紀中頃に成立した『万葉集』の東歌に「相模峰の雄峰見過ぐし忘れ来る妹が名呼びて吾を哭し泣くな」と謳われていることから、相模峰の雄峰として、その山容を誇っていたことがうかがわれる。
 
また10世紀前期に作成された『延喜式』神名帳(註4)には、相模国十三座の一つとして大住郡の項に「阿夫利神社」が名を列ねており、神名帳の原本である神祇官の台帳はすでに天平年間(724~748年)にはできていたとされるので、阿夫利神社の草創は8世紀前半にさかのぼることができる。
 
ちょうどこの頃から、日本固有の神道信仰と異国からもたらされた仏教信仰が融合調和した神仏習合がはじまり、さらにその後、山岳信仰をもととした修験道が盛んになると、山の中腹に不動明王像を本尊とする大山寺が建立されて阿夫利神社を管理する別当寺となって、「石尊大権現」と一体化した大山信仰が形成されるようになったと考えられる。
 
大山寺の開創の由来は、『續群書類從』第27輯下釋家部に収められている『大山寺縁起』(真名本)に次のように記されている。
 
天平勝宝7年(755年)、東大寺初代別当の良弁僧正(相模国出身、一説に近江国出身)が大山寺を開創し、聖武天皇は当寺を国家安穏を祈願する勅願寺とし、相模・安房・上総三国の租税の一部を充てて寺院経営を行わせた。
 
その後、天平宝字5年(762年)には行基の遺命により、弟子光増が不動明王像を彫刻して本堂に安置したと記されている。
 
その後の大山寺は元慶2年(878年)の大地震とそれにともなう大火により倒壊・焼失したが、元慶8年(884年)に安然(最澄の同族で円仁の弟子)によって再興され、天台宗系の僧侶たちの山林修行の場として命脈を保ったようである。
 
平安後末期には、大山は高部屋神社の地域(丸山城)を本拠地とする在地武士糟屋氏が支配する糟屋荘内に組み込まれ、その糟屋荘は久寿元年(1154年)12月に安楽寿院(京都市伏見区竹田内畑町)に寄進(註5)され、ついで鳥羽法皇の皇后美福門院得子、さらにその子八条院しょう子へと伝領(八条院領約220か所)されていった。以下略。」(抜粋終わり)
 
意外や意外、実は天台宗の修行の場であったのだ。
 
それを空海の寺と後の世にひっくり返してしまったのではないか?!
どうもまじめな最澄のほうに私はひかれつつある。
 
遣唐使国立僧侶の最澄は旧約聖書の漢文を持ち帰って、それが密教だと信じていた。
あとで帰国した私度僧空海が、新約聖書の漢訳を持ち帰ってきた。
 
最澄は自分が新約聖書を知らずに帰国したミスを悔いた。
司馬遼太郎著「空海の風景」に登場してくる話である。
 
中国で東方キリスト教は唐の都で仏教と集合し、お経の中に漢訳聖書として混じり入ったのである。
 
空海はそれを正しく理解し、日本へ持ち帰り、朝廷に報告した。
 
その成果がいまの高野山の全盛にあるのではないか、と私は思っている。

2018年6月 3日 (日)

大山登山(2)~弘法大師の影と遭遇

二つ前の記事で四国御遍路企画を述べた。
四国一周の図を見て正直にこう感じた。
 
佐伯の真魚(まお)、空海は、四国の金山・銀山を探しさまよっていたように思われる。
 

Photo 再掲移載

全国の街道にも弘法大師の足跡があるが、全国で金山銀山の鉱脈を掘って歩き回っていたのではないか、などとすんなりと思いが浮かんだ。
 
その仮の寓居を寺として遍路ビジネスへと発展させたという推理である。
 
88か所のお賽銭、合計88円を持参すると記事に書いた。
 
このとき空海の怒りを少し背中に感じていたが、本心そう思うのだから仕方がない。
 
大山を登り始めて、いきなりケーブルカーの営業開始前となった。
徒歩での大山登山初挑戦である。
このとき、ふと空海の責めを感じた。
 
そして歩き始めると、左女坂、右男坂である。
よせばいいのに男気を出して男坂を当然のように選んだ私は、そのことを後悔しながらいま男坂を上っている。
 
この選択ミスにも空海の影を感じている。
 
ああ、私は大山に弘法大師と二人行脚をしているのだろうか・・・。

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右手に水の流れる落ちる音が聞こえ始めた。

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右手を見ると、はるか遠くに木製の堰のような構築物が新緑の中に小さく見える。

あそこから水の流れが下へ落ちて、その沢の音が私の右の耳に入ってきたのだ。

空海が錫杖をついて水を出したというのもあそこだろうか?

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男坂に33祠ある中の其の31番目であるという。

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うへえ。お許し下され、弘法大師様・・・。

帰宅して登山の翌日の夜、自宅のパソコンで大山寺の歴史を調べてみた。

そして弘法大師がこの寺の住職として住んでいたという事実に接したのである。

ああ、やはり弘法大師は私の後ろからケーブルカーの選択を誤らせ、坂の選択を間違わせていたのである。

「大山寺の開基」より抜粋します。
http://www.oyamadera.jp/

「大山寺は、奈良の東大寺を開いた良弁僧正が天平勝宝七年(七五五)に開山したのに始まります。

行基菩薩の高弟である光増和尚は開山良弁僧正を継いで、大山寺二世となり、大山全域を開き、山の中腹に諸堂を建立。

その後、徳一菩薩の招きにより、大山寺第三世として弘法大師が当山に入り、数々の霊所が開かれました。

大師が錫杖を立てると泉が湧いて井戸となり、また自らの爪で一夜にして岩塊に地蔵尊を謹刻して鎮魂となすなど、現在は大山七不思議と称される霊地信仰を確立しました。

また日本古来の信仰を大切にし、尊重すべきとのお大師様のおことばにより、山上の石尊権現を整備し、伽藍内に社殿を設けるなど神仏共存を心掛け手厚く神社を保護してきました。

元慶八年には天台宗の慈覚大師の高弟・安然が大山寺第五世として入山。伽藍を再興し、華厳・真言・天台の八宗兼学の道場としました。

これより大山は相模国の国御岳たる丹沢山系の中心道場として各地に知られ、別当八大坊をはじめとする僧坊十八ケ院末寺三、御師三百坊の霊山として栄えました。

しかし明治初年の廃仏毀釈により、現阿夫利神社下社のある場所から現在の場所に移りました。

関東一円を初め日本中の強い信仰に支えられ、幸いにもご本尊を初めとする,数々の寺宝は破壊を免れました。

明治期に数多くの信者たちの寄進によって現在の位置に本堂をはじめ数々の伽藍が再興され現在に至っています。大山寺はまさに多くの信者に支えられた一大霊地といえます。 」(抜粋終わり)

明治維新によって大山寺は廃仏毀釈に会ったことは何かの記事で知っていた。

現阿夫利神社下社に大山寺はあって、そこに弘法大師は住んでいたのである。

山頂の阿夫利神社上社は古く縄文時代からあった石を祀る大陸のシャーマニズム信仰であったのではないだろうか。

それを敬えと弘法大師は言ったそうな。

「 阿夫利神社 上社 - 関東三十六不動霊場」より抜粋する。
http://kanto36fudo.fudasyo.net/top/1/fudo-1-3-newpage1.html

「中略。

 本社に大山祇大神(オオヤマツミ)、摂社奥社に大雷神(オオイカツチ)、前社に高龗神(タカオカミ)を祀る。


 ただし、これらは明治になってから神仏分離の際に祀られるようになったものであり、江戸期以前の神仏習合時代には、本社には本来の祭神である石尊大権現(山頂で霊石が祀られていたことからこう呼ばれた)が祀られていた。

 摂社には、奥社に大天狗、前社に小天狗が祀られていた。

 これが全国八大天狗に数えられた大山伯耆坊である。

 元々は伯耆大山の天狗であり、相模大山の相模坊が崇徳上皇の霊を慰めるために四国の白峰に行ってしまったために、誰も居ない富士講の人々に信仰されたという。」(抜粋終わり)

崇徳上皇が怨霊を抱えて死なざるを得なかった場合、その霊を鎮めることで怨霊がたたらずに済むというわけだ。

崇徳という高貴なおくり名も、怨霊信仰のなせる業のように見える

ほめちぎることで、亡くなった人の怒りは静まると言う迷信をまじめに信じていたのである。

その影響を受けて大山信仰も生まれたのだろう。

聖徳太子の聖徳も同じおくり名である。夫婦親族を虐殺したあとで怨霊に怯えたための命名であるとの説もあるようだ。

崇徳のことは別途触れることとしよう。

2018年6月 2日 (土)

大山登山(1)~四国御遍路に向けてトレーニング

今日大山に登った。(標高1,252m)
我が家のベランダからよく見える山だが、あいにく今日は霞んでいるし、雲が多い。
 
小学生時代九州の久住山に登ったことがある。
 
住んでいた町の近くの万年山(はねやま、まんねんざん)は、確か標高1300mくらいだった。
子供2名だけで登っていたから、今の子供に比べれば団塊世代のガキ時代は逞しい。
 
調べたら万年山標高は違っていた。
 
『万年山(はねやま)は、大分県玖珠町にある山。
標高は、1140m。』(下記より抜粋)
http://www.great-experience.jp/kyushu/haneyama.html
 
大山はほぼ万年山クラスの山だという認識をもっている。
しかし、昨年は坂がきつくて死にかけた。
 
昨年はケーブルカーで阿夫利神社下社まで行き、そこから歩いて登ったが、それでも死にそうに苦しかった。体力が激減しているのを確認できた。
 
それから1年間ウォーキング1万歩以上を毎日継続したが、体力が回復しているかどうか、その小手調べとなる。
 
楽に登れたとしたら、次は夏の富士山登山で最終チェックとする。

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伊勢原市営駐車場のそばに駐輪場もある。
200円で1日駐輪できる。
そこからケーブルカーまで歩くが、階段がかなり続くので、登山のつもりで駅まで歩く必要がある。

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今日は前回同様左から山頂へ右へ見晴台経由でケーブルカー下社駅へ戻ってくるコースだ。上社は山頂にある。

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駅のそばにあった花

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あれ?ケーブルカー駅は立入禁止?!

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自分の時計を見ると8時03分、まだ営業運転していないということか。

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さっきの花を見ながら徒歩で登ることに決める。弘法大師様と二人行脚になったような気分でスタート。

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いきなりがつーんとこの石段。左手にある女坂(写真には写っていない)を歩きたいのが正直だが、負けん気を起こして男坂を登っていく自分に腹が立つ。

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さすがに男坂は急だ。しかし、山頂までの位置ポテンシャルは男坂も女坂も同じはずだから、損得はないはず。筋肉を使う石段が多いということか。

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石段を一つ一つ眺めながら歩く。この石一つをここに設置した先人の苦労に頭が下がる。

もったいない、もったいない。

F1000703

考え方を変えると、男坂もなんだかありがたい気分になってきた。

(その2に続く)

大山(神奈川県)-wikipediaより山の概要を抜粋する。

『「大山」の名称は、山頂に大山祇神を祀ったためとされるが、大山祇神はかつては「石尊大権現」と呼ばれていた[1]。

大山の山頂には巨大な岩石を御神体(磐座)として祀った阿夫利神社の本社(上社)があり、中腹に阿夫利神社下社、大山寺が建っている。

また、大山は別名を「阿夫利(あふり)山」、「雨降(あふ)り山」ともいい、大山および阿夫利神社は雨乞いの神ともされ、農民の信仰を集めた。

中略。

大山阿夫利神社 山頂奥の院

江戸時代の中ごろ(18世紀後半)から、大山御師(明治以降は先導師)の布教活動により「大山講」が組織化され、庶民は盛んに「大山参り」を行った[1]。

各地から大山に通じる大山道や大山道標が開かれ、大山の麓には宿坊等を擁する門前町が栄えることとなった[1]。』(抜粋終わり)

2018年5月28日 (月)

さあ、準備しましょう。まずは貯金から・・・

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例の旅の企画です。そう、大涌谷で決心した四国お遍路の旅。

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「四国八十八ヶ所霊場会公式ホームページ」より引用
www.88shikokuhenro.jp/
えっと!山の中まで入っていくのですか。街道歩きよりも大変ですねえ。
サイト「お遍路の基礎知識 お遍路 巡るめく四国」にはいろいろ基礎知識が書いてあります。サイト掲載は高野山金剛峯寺のお仕事です。
 
四国は空海、弘法大師の生まれ故郷ですので、その地の観光振興に貢献しているようです。
https://www.shikoku.gr.jp/pilgrimage/readme/index
 
空海は、もともとは佐伯真魚(まお)という学僧ですが、佐伯氏は確か四国讃岐の豪族であったと記憶しています。88か所のお賽銭は当初は親戚一同の佐伯氏が回収していたはずです。私も88円を用意いたします。
 
詳細は省略しますが、以下の項目が列記されています。
 
1)平成26年に霊場開創1200年。 そもそもお遍路って?
2)お遍路とは
「順打ち」「逆打ち」? 巡礼の順番は?
どこから始めてもよいお遍路ですが、一番札所から番号順に巡る「順打ち」が一般的な巡礼方法。八十八番から巡礼することを「逆打ち」といい、順打ち3回分のご利益があると言われています。その他、「通し打ち(すべての霊場を一遍にめぐりきること)」「区切り打ち(適当に区間を区切って巡る)」「一国参り(一つの県を国として巡ること)」などがあり、自分の体力やペースにあわせ、巡り方を選びましょう。
 
3)移動手段は?
4)四国遍路と高野山の関係
以下略。」(一部を抜粋しました)
 
肝心なものは、生きている限りお金です。
いくら意思があってもお金がなければ実行できません。
 
一体いくら貯金せねばならないのでしょうか・・・?
 
「四国八十八箇所の意味とは?お遍路って何?順番や距離、費用は?(日本文化研究ブログ)」という丁度良いサイトが見つかりました。
コピペ禁止なので、ポイントだけ抜粋します。
http://jpnculture.net/shikoku88/
 
①順打ち、逆打ちの移動距離は1400㎞
②総費用は、401,788円+土産代α=50万円というところでしょうか。
八十八か所の札所(寺)に払う納経帳への捺印代 300円×88=26,400円
歩き遍路49泊(50日)×5000円/泊=245,000円
食費2000円/日×50日=100,000円
バイク駐輪場代 500円/日×50日25,000円
ロープウエイ往復賃(#21、#66、#85)=2,400+2,000+900=5,300円
お賽銭 1円×88か所=88円
 
神奈川県からの交通費は高速道路代とバイクガソリン代が別途必要となりますが、運転手は自分なので労賃は無料です。ざっと10万円として、総計60万円貯金をしましょう。
 
歩くのに「適した季節は春と秋」と書いてありますが、街道歩きでもそうです。
夏と冬はそれなりに体力面でリスクは増えます。
さあ、これから、まずは貯金です。
10回お遍路するなら、600万円貯めましょう・・・。
 
長生きしなければできない技です。

2018年4月11日 (水)

箱根大涌谷の湯で思考(その2)

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厳密には箱根強羅温泉の大涌谷からの源泉を引いた温泉(ph2.5)に浸かりながら、四国お遍路のことを考えています。
 
湯は白濁しています。鶯色です。
透明度は深さ約300mmです。かすかに硫黄の臭いがします。
 
日帰り入浴で、月に1~2回浸かります。

Goura1s

上の表は強羅温泉駅の観光案内でもらったもので、赤い線を引いているのが酸性硫酸塩泉で、白濁しているものが多いです。
 
日帰り入浴できるかどうかは電話して聞いてみる必要があるそうですが、いくつかは旅館の前に日帰り可能と看板表示しています。
表にも小さく日帰りのマークがありますが、値段、時間など条件は確認しておいて行く方がよいでしょう。
「食事つき、5000円」などは私は敬遠しています。いくら箱根でも日帰りは1600円以下で、できれば1200円以下を狙います。
 
実はいま入っているのはこの表にはない650円の酸性硫酸塩泉(強羅駅最寄)ですが、特殊条件なので記載はしません。努力すれば高齢者には向いているかも・・・。
 
願望だった旅が決行決意により「具体的目標」になりました。
 
しかし、働くのを完全にやめる頃、あと3~4年後の実行になるはずです。
当面は働ける限り何かのお役に立ちたいと思っています。
 
さて、それまでに何か準備はできないものか・・・と考えています。
 
昨年同期生の親友が富士山に登りました。
団塊の世代ですが、見事なものです。
 
私も登りたいとは思いますが、今は登れそうにありません。
 
昨年は大山に登山して倒れそうなくらい疲れてやっと頂上に至りました。
まず今年大山に再度登って脚力が増していることの確認をしたい。
 
増しているという実感はあるのですが、その実証をしてみたい。
 
前回死にそうな気分で登ったのに比べて、余裕をもって今年登れるかどうか確かめたい。
 
もしそれができたなら、今年中、或いは来年に富士山再登頂を試みたい。
初めて上ったのは山口県居住時代に自動車で往復して上ったときで、30年ほど前のことでした。
 
大山と富士山への挑戦が今の労働環境の中では精一杯の挑戦になります。
 
引退してからは、四国お遍路だけに的を絞り、目標の達成に邁進します。
生き生きしている高齢者となろうとして、それを頑張ります。

2018年4月 4日 (水)

大涌谷ロープーウエイ

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大涌谷を眺めながら日光浴をしています。
我が家から120km西南です。
朝6時出発し、国道246⇒国道1号線で来ました。
 
帰りはほぼ逆走です。高速道路は贅沢なので賢い団塊世代はあまり使いません。
朝の国道では、水曜日なら空いています。
 
硫黄の蒸気を吹き上げる音がジェット機の音のようにシューッと断続的に鳴っています。
4月4日は晴天、やや風強し。
 
富士山は下の方は霞みがかって見えず、7合目から上がくっきり見えて、右手は金時山まで見えます。
 
日光浴をするにはもってこいの休憩椅子が大涌谷ロープーウエイ駅の右端にありました。
そこに座って太陽を仰ぎ見て目を閉じています。
 
強羅温泉の日帰り入浴のできる時間まで、ここでこうして時を過ごすほかはないからです。
 
バイク駐輪スペースも10台くらい駐車場の端っこにあり、110円で停められます。
自動車と同じに入って行けばおじさんが寄ってきて110円と言います。
自動精算ではなく、完全人間請求です。
 
今日は携帯電話を忘れて出てきたので、写真はありません。
そういうブログもいいかなあと思っています。
 
観光客は8割がた外人です。今日は水曜日なので日本人は働いています。
私は日本人ですが、たまたま休日です・・・。
欧米人あり、インド人、中国人あり、東南アジアあり。
 
こういう時代が来ることを武田信玄も、信長も家康も想像できなかったでしょう。
いや、家康だけはヤンヨ―ステン船長とウィリアムアダムズを海難救助し、後者は三浦按針(あんじん)として徳川幕府家臣とし、日本人妻をめとらせて日本橋按針町に住まわせました。
 
ヤン・ヨーステンは確かオランダ人、按針はイギリス人、二人ともプロテスタント系キリスト教徒でした。
ヤンヨ―ステンの住んだ町はヤンヨーステン町となりますが、やがてヤエス町(東京・八重洲駅前の八重洲エリア)となっていきます。当時は波うち際に建てた江戸城のそばの、ただの砂浜だけしかない場所でした。
 
家康は箱根の大涌谷が外国人で満ち満ちている光景をうっすらと脳裏に抱いていた可能性はかなりあると思います。
 
信長はいまの戦いに必死て、将来の夢を描く余裕はなかったことでしょう。
「世が日本人、世界人の神になるのだ!」というような精神面での夢を信長は布団の中で夢見てはいたようです。
 
硫黄の蒸気の音の中に中年男性と中年女性の会話が混じってきました。
 
目を開けると、人気(ひとけ)の少ない大涌谷駅東寄りの隅ですが、団塊の夫婦と警備員の会話でした。
 
話しているのは団塊の世代の警備員と団塊夫婦の妻の方です。
夫は、とみると、妻と並んで座っているのですが、斜め下を向いて黙っています。
立ったままの太り気味の愛想よい警備員は婦人を見下ろしながら何か世間話をしています。
 
団塊の世代・・・私もそうです。
 
何もすることのない燃え尽きた奴ら。
 
私はお大涌谷で朝寝をしながら、ふと四国お遍路10週を決行しよう!と思いました。
 
前々から考えて口にも出していたのですが、今神からの啓示があったかのごとく、はっきりと決行を意識しました。
1周は約1500㎞です。
私が歩いた五街道の中で最長は奥州街道の(日本橋から三厩宿)735㎞です。
その倍です。
 
参考)昔の拙著ブログです。
https://ameblo.jp/yachtman/entry-10250932283.html
 
10周は目標ですが、たとえ1.5周で人生が終わってもいい。
回数は問題ではなく、挑戦する気持ちが大事だと思う次第です。
 
ようやく10時25分を過ぎて、そろそろお風呂の営業許可もでそうな時間帯です。
ph2.0の酸性の硫化物入りの湯だと思います。白い濁り湯です。
 
アルカリでも酸でも美肌湯と言って宣伝しているのは少し違うかなという気もします。
しかし、アルカリの美肌湯から上がったときのようなつるつる肌に酸性の湯でもなるから不思議です。
 
四国お遍路が私に天が科した課題でした。
 
黒卵5個500円を買って帰りました。
老いた夫婦で5個を2日間で食べつくす必要があります。
腐るからです。
 
おまけ知識
ロープーウエイの駅での静止の方法がよく観察していてわかりました。
たぶん鉄のロープは連続周回し、ゴンドラがアタッチメントのようなものでグリップするとロープに引っ張られていくが、グリップを広げるとロープとの摩擦がなくなり駅のホームでゴンドラは停止できる。
 
次のゴンドラが来るまでに乗車し再びグリップして出発する。そうしないとぶっつかる。
終り。

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