2018年6月20日 (水)

お詫び&祝勝利 「コテンパンに負ける」と手帳に書いていました。

おめでとう日本男子代表 対コロンビア勝利
私の手帳には6月19日の欄に、3か月前に「KOTENPAN」と大きく書き込んでいました。
男子はコロンビアに大負けするとの予想をしていました。
見事に予想は外れました。
やっとなでしこの立ち位置、つまり世界トップテン内と同じ位置に日本男子も片足を踏み入れた試合でした。
私の昨日の予想は以下に白状しますが、それも見事に外れました。
失礼いたしました。マロ軍団もやればできる、んですね。
「FIFAランキング」によれば、
http://fifaranking.net/ranking/
H組の世界ランクは以下の通りでした。
ポーランド  8位
コロンビア 16位
セネガル   27位
日本      61位
誰もがコロンビアの勝ちを想像していました・・・。
那須動物園のインコも、コロンビア勝利の札を摘み上げました。
しかし、西野監督の「西野マジック」がまた炸裂しました。マイアミの軌跡でブラジルを破ったときのマジックでした。
日本の中小企業戦略そのものです。
一つ一つの企業は弱小なのですが、工業団地に集まって協力しあうと世界一の製品を生み出す・・・。例えば松下電器のウオークマンを造りあげた力みたいなものをサッカーで実現してしまいました。
昨夕の会社での私の予想です。
3人の現場の人たちを相手に、こう聞きました。
「皆さんは日本男子がコロンビアに勝つと思いますか?」
「・・・・」
3人とも無言のままに首を横に振っています。
そこで直近の試合結果も踏まえて、私の予想を披露しました。
「4年前のワールドカップで見たことのある年寄りのおじさんサッカー選手の顔が先発に出ていれば、0-4か0-5でコテンパンに負けるでしょう。
 しかし、直近のパラグアイ戦のように若者主軸の先発であれば、0-0か1-1の引き分けに持ちこめる可能性があります。」と・・・。
帰宅して遅い夕食を食べながらテレビを見ていると、川島、香川、吉田、長谷部、長友の顔が映っています。
・・・おじさんばかりです。
本田、岡崎がベンチ。
その本田も2点目のアシストになるコーナーキックで勝利へ貢献しました。
岡崎も終盤の前線でのディフェンスはレスター時代の全盛時の追いかけっこを展開していました。
長友の攻撃と守備への参加はまだまだ現役トップクラスであることを証明していました。金髪にした意味がようやくわかりました。
意気消沈する日本男子たちへの「喝!」のつもりで染めたのでしょう。
長谷部だけは・・・。
勝ったのだだからのそれも愛嬌ということにしましょう。
おじさんマロ軍団は強い。
香川の自信復活はこれから先の戦いにカンフル剤になります。
さあ、たかだか予選での1試合勝利の余韻はこれまで。
澤さんたちは全試合勝ったのですから。
次はセネガルです。
FIFAランキングは、もうどうでもいいですね。
セネガルは、昨夜の試合で「主審のアシスト」で勝利を手にしています。
当然その試合も私は中継で見ました。
怪我でピッチ外に出て治療していた選手に主審が戦いに復帰を許可した瞬間、相手チームから大きな山なりのボールが味方ゴールキーパーへ向けて飛んできました。
そこへ横から全力で砂煙をあげてゴールへ向かう馬がいると思ったら、それがセネガルの19番でした。
相手の蹴ったボールなのでオフサイドでもなく、途中参加で楽々とゴールへ蹴り込みポーランドを破りました。
【動画】ポーランド戦でセネガルのニアンが強烈なスピードからゴール ...
https://football-action.info/?p=4442
「ロシアW杯のポーランド戦でセネガルのニアンが強烈なスピードから追加点となるゴールを奪う!ポーランドは不用意なミスで失点!」(一部抜粋)
コロンビアの開始三分の慌てたハンドにより、相手は退場10名に、そして香川はペナルティゴールを決めたという「日本男子のラッキーさ」を上回る神がかりラッキーのセネガルです。
「ラッキー同士の戦い」も面白い展開になりそうです。
久々に楽しく見れそうな男子のワールドカップになりそうです。
なでしこと同様、『試合中に萎えてしまわない立派な戦い』を期待したいと思います。
頑張れ日本男子!

2018年5月16日 (水)

ロシアの南下癖 再開

今朝のNHK-BSニュースででプーチンが自ら運転してダンプカーをロシアからクリミア半島へ走らせたシーンを見た。
 
クリミア橋の開通式のニュースである。

Photo

GOOGLE MAPより引用。
ロシアからウクライナを通らずに赤いマークのクリミア半島へ南下するために、プーチンは長大な橋を架けた。(おそらく東西にかけたのだろう)
プーチンが企画する以上、装甲車や戦車も走行可能な仕様にしたのは明らかだろう。
 
そして、樺太と北海道はわずか40㎞ほどしか離隔していないのである。

Bridge

「クリミア半島とロシア南部を結ぶ橋が完成  NHKニュース - NHKオンライン」より引用。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20180516/k10011439891000.html
 
この長大な橋を設計、建設したゼネコンがどこの国の会社か。私は気になった。
2年未満でこの橋を建設できる技術力を有する企業は、ロシアにはないのではなかったか?!
 
プーチン、安倍の親し気な温泉懇談会のシーンが記憶の中から浮かび上がってきた。
 
ロシアは南下する。
これは性癖であり、生きるための智慧でもある。
 
生きるための食物はシベリアには少なく、南に多い。
樺太から北海道へと南下する性癖もまた鳴動し始めることは自明であろう。
 
吉田松陰は江戸末期にシベリア支配を主張して渡海を試みようとした形跡がある。
ロシア戦艦プチャーチン号が長崎に寄港し、徳川幕府に開国を迫った時、江戸にいた松陰は東海道から山陽道を西下し、ナガサキへ急いだ。
 
新幹線はない。当然徒歩である。
 
熊本の肥後藩士らに足止めされた。
 
私は結果論であるが、この国を米国の手にゆだねるというシナリオを描くある宗教集団による松陰とロシア接近の妨害行為であったのではないか、と思っている。
 
1週間ばかり熊本で足止めされた松陰は、ロシア艦への密航に失敗した。
 
その後ペリー艦隊の旗艦へと密航しようとして捕縛され、のちに安政の大獄で斬首されたことは周知の事実である。
 
その日本へ向かって、プーチンが南下しないと誰が保証してくれるだろうか?
 
松陰の北上を阻止したことこそ、悔やまれる。

2018年5月 9日 (水)

作為をもって変更された世良修蔵の運命

いぜん下記ブログの作者としぼーさんと私の奥州街道を歩くブログで意見交換をしたことがある。
 
私が福島を通過する前後で、東京から津軽を目指して歩いている私のブログにコメント意見をくれたことがきっかけだった。
 
たまたま奥州鎮撫のキーワードでGOOGLE検索すると一番上にとしぼーさんのブログが検出された。
 
つまり、心ある歴史学者はこの件を取り扱わないように心掛けているということだろう。
秘密にしたたま闇に葬りたい現実なのだろう。
 
としぼーさんが今でも御元気に世良を正しく理解してくれていることを大変うれしく思う。
 
私は豊後の国生まれだが、会社勤務の関係で長州に20年間居住した。
いまは江戸勤務四半世紀となった。
 
世良の人事異動の事実が「としぼーのブログ!!」でわかる。
 
偶然だがいま私は彼が読んでいるこの本を電車で読んでいる最中だ。
5月3日に奥羽列藩同盟が成立した下りを読んでいる。
 
その前は米沢藩雲井龍雄を主人公にした「雲奔る」を読み終わっている。
雲井も実におしい人材だった・・・。
 
「だれが、どのようないきさつで世良を差し向けたのか。このことについて私は知らないでいた。
 
品川弥次郎と黒田清隆が辞退した。だから変わって世良と大山が任命されたという断片しか知り得なかった。
 
会津戊辰戦史 巻五 東方の戦 上  に、そのいきさつが書いてあった。
 
『三月二日奥羽鎮撫総督府左大臣九條道考公、参謀少将醍醐忠敬、下参謀大山格之助、世良修蔵以下兵若干を率いて京師を発す。
 
これより先(略)其の参謀には薩州藩黒田了介、長州藩品川弥次郎命を拝したるが、奥州鎮撫の方針を定むるに當り鎮撫を主とするか、討伐を主とするかに関して議整わず、鎮撫を主とする黒田、品川は参謀を辞し更に組織を一変し上記の如く任命せられたり。
 
薩長の巨頭中会津を絶滅せざれば飽き足らざるもの多数を占めたるを以ってなり。』
 
つまり、当たり前のことではあるが会津を討伐するという、組織決定がなされ、それにふさわしい人事があり、その結果として世良修蔵が奥州鎮撫総督府参謀の要職に就いたということである。
 
以後の世良の振る舞いというものは世良個人の資質もあろうが、新政府の組織決定。
 
つまり会津を殲滅する。このことは世良個人の思いではない。
世良はこのことに愚直なまでに邁進した。それは組織人として忠実に命令を履行したと言える。
 
世良個人に責任があるということではない。
そのように理解しなくてはならないという面があることは胸におかなければならないだろう。「奥州鎮撫総督府の顔ぶれ」(としぼーのブログ!!)より抜粋
2010/2/15(月)
https://blogs.yahoo.co.jp/toshikatu0214/23616843.html
 
世良は周防大島の生まれで勤王の志士であるが、優秀な学生であったという。
 
第2奇兵隊総督になってからは、高杉などの影響もあって戦闘的になっていったのだろう。

2018年5月 7日 (月)

この国の変質について

作家 古川薫さんが亡くなった。
 
「明治維新150年にあたる18年、新年にあたっての朝日新聞への寄稿では、維新や第2次世界大戦で多くの若者が死地に追いやられたと指摘。
 
「またもや大勢の若者が青春を奪われんとする現実が、すぐにも現れそうな日々の情景を前に、ただ賑(にぎ)やかな記念の祭りとするのではあまりにも悔しい」と語りかけた。」(「直木賞作家の古川薫さん死去 「漂泊者のアリア」」より抜粋)
2018年5月5日20時18分
https://www.asahi.com/articles/ASL5556B2L55TIPE00W.html
 
広い視野でこの国の変質を嘆いている。
 
20年前、私が東京に来たときは、街ですれ違ってぶつかりそうになるとお互いに軽く会釈をして「失礼しました」という気持ちを表現していた。
 
今はぶつかっても何も言わない。
 
ある方から「もし、この世に、釈迦やキリストやマホメット様がこの現代にいたなら、昔、彼らが説いたような、“悟り”を開く事ができるだろうか?」という感想を伺った。
 
街中にストレスの多いことに気づいての感想です。
 
そのことを思いながら、夕方帰路の電車内に立っていると、周囲に確かにストレスの塊があった。
 
右側の若い女性は雨に濡れた傘を右腕にかけて、両手でスマホを操作している。
傘の先には雨のしずくがついている。
電車の揺れで座っている男性の膝頭に傘の先が触れそうになる。
私のほうが「あっ」と思う次第。
 
当の本人は気づかないまま。
やがて手を動かしたようで傘の先は女性の右側に立つ青年の左足にはっきりと押し付けられた。少しは濡れるだろうが、彼氏ならば許されるけど、そうかどうは私にはわからない。
 
他方、私の左側には肩にカバンをかけた青年が立っている。
カバンの表面には円錘形の小さな銀色の金属風の突起が沢山ついている。
 
電車に乗るとき私の胸にゴツゴツと当たったのはあの金属だったのだ・・・。
相手の体やカバンを傷つけるけど、自分のカバンは傷つかない。
 
くしゃみや咳をする若者は男女にかかわらず、ほとんどが手を口に当てずに傍若無人にツバキをまき散らす。
 
こういう社会にもし釈迦がいたら、何をするだうか?
 
家内にその話をすると、「現代風にSNSを利用して説法を広めるのでは?」との回答。
 
なるほど、タンタンと今風に布教活動をするのだろう。
キリストとて、マホメットとて、同じことなのだ、と私は思った。
 
非暴力のガンジーは暴力渦巻く世界の中で、たった一人非暴力を貫いた。
やはり賢人は、外部環境の影響を受けないのではないだろうか?
 
普遍的な真実のみを実践する。
ただそれだけなのだろう。
 
普遍性のある主張、それは時や空間の支配を受けないのである。
 
凡人はなかなかそれを見出すことはできない。
だから、様々なものから容易に影響を受けてしまう。
 
『またもや大勢の若者が青春を奪われんとする現実が、すぐにも現れそうな日々の情景』を私も目にしながら、どこかしらよそ事のような気分でいた。
 
古川薫さんは、その情景を見て悔しがることができている。
彼もまた、賢人であったのだろう。
 
彼の著作から私は長州藩士世良修蔵の実像に迫りたいと考えている。
 
この人は長州人(下関出身)であり、多くの明治維新に関する書物を残してくれている。
 
奥州鎮撫使参謀として仙台へ向かった世良は、極悪非道の長州人モデルとされて会津戦争勃発の発火点となった。
 
戦後、長州人木戸孝允は世良の墓を訪ねて謝罪と思われる言葉を残したと記憶している。品川弥次郎が参謀を辞任して世良が派遣された背景に真実が隠されているはずである。外国の介入を私はほのかに感じている。
 
欧米は現代でも他国の不安定にあからさまに介入を続けている。
アルコール中毒と同じで、自力更生、自力回復は望めないのではないか?
 
賢人、古川薫氏のご冥福をお祈りします。

2018年5月 4日 (金)

在韓米軍の撤退に関する記事について

「在韓米軍撤退」のキーワードで検索すると、下記の2つの記事が近い場所で発見されます。
 
私たちは1995年のwindowsパソコン発売以降、米国が米軍の所有物として開発したインターネットを民間利用させてもらって今日を迎えています。
 
米軍の暗号伝送手段である情報通信網は、一方でアラブの春のような政治扇動手段としての効力を顕在化させてきています。
 
したがって、検索で得た関連のある2記事が、ある意図をもって半年の間に公開されている可能性も考えてみる必要があります。
 
誰かの作為によって発表されていると疑う必要があるということです。
その服用注意書き(副作用)を意識した上で、以下の議論をしてみます。
 
(1)韓国 補佐官「在韓米軍撤退」 文大統領、否定に躍起 米誌寄稿
毎日新聞2018年5月3日 東京朝刊
https://mainichi.jp/articles/20180503/ddm/007/030/038000c
 
(2)在韓米軍の撤退はベトナム・モデルの南北統一への道
顧問・元ベトナム・ベルギー国駐箚特命全権大使 坂場三男
http://www.jfss.gr.jp/home/index/article/id/447
2017年11月
 
(1)はおとといの毎日新聞記事です。
 
「休戦状態の朝鮮戦争(1950~53年)が終結し平和協定が締結されたら、在韓米軍を正当化するのが難しくなる--。
韓国の文在寅(ムンジェイン)大統領の外交ブレーンが米外交専門誌に載せた寄稿が2日、韓国メディアに引用報道され、政界で論争に発展している。
米朝首脳会談を控え、米韓の連携に傷をつけたくない青瓦台(大統領府)は「政府見解ではない」と火消しに追われた。 」((1)より抜粋)
 
 
(2)は半年前の日本戦略フォーラム(http://www.jfss.gr.jp/)の記事です。
 
「 18日、ホワイトハウスのバノン首席戦略官が解任された。彼が先週行った米メディア(ニュース・サイトの「アメリカン・プロスペクト」)とのインタビューで北朝鮮情勢に触れ、軍事的解決のオプションを完全否定しただけでなく、在韓米軍の撤退の可能性にまで言及したことが、(トランプ政権の公式見解と相入れないとの理由で)解任の一因になったと伝えられる。
金正恩が核戦争も辞さないという究極の瀬戸際外交・恫喝戦略を展開している中で、「米国はアジア安保から手を引く」と言わんばかりの発言は米国の同盟国である日本や韓国の対米不信を増幅させるだけである。
米国は北朝鮮によるICBMの開発さえ阻止できれば後はどうでもよいとの孤立主義・一国主義的主張は東アジアにおける安全保障状況を根っこから激変させることになる。
先月、WSJ紙とのインタビューでロバート・ゲイツ元国防長官が示した「現状維持による平和条約締結構想」(ICBMはダメだが中距離核ミサイルまでなら認め、その上で北朝鮮の現体制を容認するという考え)などは(本気で提案しているなら)全く論外である。」((2)より抜粋)
 
つまり(いるとすれば)扇動者は、いずれ朝鮮半島から米軍を撤退させて、東アジアに戦争の種を蒔くつもりであるのかも知れません。
 
自衛隊を憲法に明記させて軍事力強化を図りたい政府の思惑も、この扇動者の掌の上での活発な準備に見えてきます。
 
国防上必要であるとの議論は、自衛隊だけではありません。
 
スイスのような自衛組織化する手法であれば、ミサイルは不要で各家庭に銃器を置き、中高で歩兵訓練を施すという安上がりな防衛戦略もあります。
 
その手法、戦術選別が先ず国民目線で行われるべきでしょう。
 
自衛隊しか国を守れないという盲目的信念は、戦前の日本軍にあった盲目的信念と近似しているかのように私には見えます。
 
どこかで誰かが東アジアの混乱を画策しているのであれば、東アジアの人々とと膝を突き合わせて混乱回避策を自分たちで構築する智慧こそ、最も重要な策でしょう。
 
軍事力強化でうまい汁など吸えるはずもありません・・・。
 
戦争が地球の上で継続しないと食えなくなる人々がいることも、また事実です。
 
よく考えて今後の朝鮮半島情勢への対応を国民は考えていく必要があります。
 
『外国に扇動されて、最後に原爆で焼かれて死ぬ。』
 
それだけは再発を防止しましょう!

2018年4月21日 (土)

成長するクレバーなでしこ、アジアカップ優勝おめでとう!

試合の中で考えながら成長するなでしこ、優勝おめでとう。
 
実力は明らかにオーストラリアが上ですが、試合の中で勝つように自分たちを変えていく力を身に着けました。
 
これは沢さんたちがやってきたなでしこのDNAの働きがいま継承されていることを世界に示しました。
 
優勝セレモニーを横目に見ながら、彼女たちに祝福を贈ります。
 
つった両方の脚を引きずりながら、MVPの100万円のボードを引きずりながら苦笑いする岩淵の姿は、おばちゃんです。25歳には見えない老成した姿です。
 
ワールドカップの場ではそういう岩淵ではなく、メッシュのように最後まで輝くフォワードでいてほしい。
 
高倉監督の目指す姿は見えてきました。
 
若手の着実な育成、それが今のなでしこの主題です。
 
清水はかつてのなでしこの輝きをすでにもう体現しています。
市瀬の防衛も世界トップレベルのプレーを見せています。
長谷川はあと一歩で世界クラスです。点を決めるだけ。
堂々の大黒柱は長い間ベンチをあたためて休養たっぷりの横山でした。
 
ベテランの頑張りも立派ですが、失礼ながらすでにかつてのなでしこの選手ではいまの世界では通用しなくなっています。
 
ベテランもあと1年の間に実力を5割増さねば、若手に替えられる可能性があります。
 
かつてアルバイトをしながらなでしこを戦ってきた先輩なでしこのOBたちが各局の解説として懐かしい顔を見せてくれるのはうれしいものです。
 
現役の頑張りによって先輩たちのテレビのお仕事も増えていきます。
 
男子は実業団サラリーマンがJリーグを立ち上げました。
もともとが給料ありきの恵まれた過保護環境から同じ過保護のJリーグですので、なでしこのような瀬戸際の頑張り成長は見られません。
子供育成も同じことです。
 
幼児の頃から金を与え甘やかせて育てて、成人式の日にいきなりハングリー成長せよと言ってもなんのことか子には理解できません。
時給1000円でアルバイトをして自分の御飯代を稼ぎ、あいた時間でなでしこリーグでサッカーを楽しむなでしこたち。
 
日本じゃ食えないとわかるとさっさとアメリカへわたり米国リーグのプロとして飯を食い実力を高めようとする川澄奈穂美さんの姿も逞しい。
 
男子にはその切迫さが欠落しています・・・。
 
どこかで大人が生活を支えてくれるはずという心の甘えが、あのような低いサッカーレベルでも安心を得ているのでしょう。
 
なでしこには支えるものはなにもありません。
 
自らの力だけで世界を取ることしか道はありません。
1か0の勝負の世界です。
 
自力成長以外に飯を食う手段が残されていない中で、試合ごとに成長を見せるなでしこの雑草のたくましさは、輝いて見えて美しい。
 
もっともっと頑張れなでしこ。そして自分の飯と先輩方の飯を稼げ!
 
駄目な大人たちは当てにしないことが大事だ・・・。
 
財務省、新潟県など、駄目な大人がテレビや新聞でその姿の一部を見せてくれている。
 
男子がなぜ世界で通用しないか、財務次官や新潟県知事を見れば一目瞭然です。
 
日本の国は滅びつつあります。
 
その中でもなでしこには財産があります。
強い意思と素直な心です。
 
それだけで世界一を狙えるから彼女たちはすごいです。
壊れつつある国の中で、きらりと輝く日本人たちの姿を見て感動しました。
 
ありがとう。
 
でも、岩淵よ、体を鍛えなければ使えないよ、まだまだ。

2018年3月22日 (木)

生きるために生きる

女優の藤 真利子さん著、「ママを殺した」を読んで考えています・・・
 
「ママを殺した(単行本)」
2017/11/9 藤 真利子 (著) を読みました。
 
amazonには下記の紹介がありました。
 
「最愛のママが、二〇一六年十一月七日、肝硬変、腎機能障害による多臓器不全で亡くなった。
亡くなったと言うよりは、死んでしまった。
死んでしまったと言うより、死なせてしまった。
いや、死なせてしまったと言うよりは………
私が殺した。(「はじめに」より)
 
画面から消えていた11年間。女優 藤真利子の壮絶な記録。」(抜粋終わり)
 
重病化したママの介護に疲れた著者は、ときにはママは死ぬために生きているだけではないかと自問するようになる。
 
昔著者が大学生だったころ、母校の学園のシスターはこう言ったという。
 
中学受験のために小学校を休む、高校受験のために中学校を休む、大学受験のために高校を休む、だったらいずれ死ぬために生きるという人生になるのではないか?
確かそういう感じの主張だった。原本と多少は違うかも知れない。
 
著者のように末期がん患者を家族に持つ人がその介護に臨む場合、どのようにして患者が死を迎えればよいか、という考え方をするのはよくあることだろう。
 
私もそう考えるに違いない。
 
しかし、それではシスターの言う「死ぬために生きる」ということでしかないのではないか。
 
逆説的に言えば、「生徒諸君、生きるために生きよ」と、シスターは教えていたのではあるまいか?
 
それは何を意味するのか・・・、ますます私はわからなくなってきた。
 
今朝、おいしいパンのお店のサイトを見ていたら、私から見れまだ若く見えるシェフが、どう死すべきかと悩んでいた。
 
サイトより一部を抜粋する。
 
「Philosophy シェフの想い
55歳を過ぎた頃からどう死すべきか・・・を考えている
それは時に今日という日が人生最後の日としたらどうなのかということであったり、
目標である85歳までの予定調和であったりする
師故福田元吉氏は65歳を過ぎたある時、あとは自叙伝を書くだけと言っていたが、
寄る年波がそうさせるのか、同じようなことを思う今日この頃
 
最後の晩餐にふさわしいパンは はたして・・・
まだ焼けていない気がする
 
さあ、シニフィアン シニフィエの厨房に立ってまだやることは山ほどある」
(「シニフィアン・シニフィエ」より抜粋終り。)signifiantsignifie
http://www.signifiantsignifie.com/
 
この人も85歳に死ぬだろう時までに、どう生きて過ごそうかと、考えている。
「死ぬために生きようとしている」
 
なぜ「生きるために生きる」ことを人は選べないのだろうか?
 
あるとき、ふとその意味がわかったような気がしたので筆を執っている。
 
西洋哲学であろうが東洋哲学であろうが、人の命は不思議な運命により誕生することでは一致していると思われる。
 
そして必ず細胞の終焉を迎える。
 
おおむね100歳前後で死を迎えることは、確定的なことである。
 
一休さんは、40億年もの長い地球の歴史の中で(と、思ったかどうか知らないが、無限の宇宙の中でと考えたかも知れない。)、たかだか人生50年、ほんのわずかな間を生きているのが私たちだ。地球の歴史の図面に針でつついた程度の穴が私の歴史である。
 
私のうろ覚えの記憶によれば、一休さんはこうそれを詠んだ。
 
「空中 しばし 我あり」
 
宇宙の中の一点という瞬間だけ、私は生きている、という人生観である。
 
そういう「刹那的な生命」を全うするために私たちは生きているのではないだろうか?
死ぬために生きているのでは決してない。
 
重度の介護される患者の人も、その人固有の人生を全うするために「いまを生きている」のであり、運命づけられたその日、その瞬間まで、やはり「生きるために生きる」のである。
 
死ぬために生きるひとなどあるはずがない。
 
シスターが言ったごとく、「死ぬために生きることは、大学受験のために高校を休むことに等しい。」
 
貴重な高校生活3年間を充実して生きてこそ、その人の人生に輝きが生まれるということではないだろうか。
 
介護に疲れて精神が追い込まれてくると、何事も悲観しがちになる。
重度の患者を介護している場合ほど、介護する人は患者の死を考える機会が増えて来るだろう。
 
しかし、そのときに、今一度思い直してみてはどうだろうか。
その人は死ぬために生まれてきたのだろうか?
そして自分もまた同じだろうか?
 
誰もが与えられたほんの短い人生を生きるために、生きているのである・・・。
 
釈迦の言葉「色即是空(しきそくぜーくう)」は人間の体(=色(しき)は即ち空(くう)なるものだ。
生きてるものはいずれ枯れ木となり土に戻ると。
 
しかし釈迦は次の句で、その前言をひっくり返す。
「空即是色(くうそくぜーしき)」
そんな永続性のない、いずれ空っぽになってしまう色(肉体)だからこそ、生きている今を精一杯鮮やかに(色鮮やかに)生きて行こう!
 
釈迦も「生きるために生きよう」と訴えている。
 
例えば『最後の「般若心経」講義』(松原 泰道著)などを読むとそのことが登場してくる。
 
藤 真利子さんは著書の中で、大学時代に教えられた学院のシスターの教えについては紹介はしたけど、彼女自身がそれをどう解釈したか、は書いていなかった。
 
答えのない問いを与えられて、私は暫くそのことを考えてみた次第である。
 
ママが亡くなってしばらく経過した今、藤 真利子さんは「ママは生きるために生きた」ということを、素直に実感しているのではないだろうか。
 
どういう軌跡を人生で辿ろうが、娘がどういう治療方法をママに選択しようが、ママはママらしく、娘とともに生きたのだと、私は思います。
 
自分を振り返って、これから「生きるために生きる」にはどうすればよいか?
 
自分らしく精一杯生きることだけでよいのではないだろうか・・・。
 
さきほどの有名な世田谷のパン屋のシェフは、最後にこう書いていた。
 
『最後の晩餐にふさわしいパンは はたして・・・
まだ焼けていない気がする
さあ、シニフィアン シニフィエの厨房に立ってまだやることは山ほどある』と。
 
彼も実際は「生きるために生きよう」と心に決めていることがわかる。
 
ただ愚痴に似た雰囲気で老いた自分を自嘲気味に「55歳を過ぎた頃からどう死すべきか・・・を考えている」と書いたのだろう。
 
もし死ぬためにパンを焼いて生きるとすれば、それは中学受験のために小学校を休学するに等しい、愚かな行為となるのだから・・・。
 

2018年3月13日 (火)

新幹線亀裂問題に意見

以下は、3/3付の日経春秋記事からの抜粋である。 2018/3/3付
https://www.nikkei.com/article/DGXKZO27666170T00C18A3MM8000/

『「ものづくりニッポン」は本当に大丈夫なのか、改めて心配になる。
JR西日本の新幹線「のぞみ」の台車に破断寸前の亀裂が見つかった問題は、驚くような原因が明らかになった。そもそも製造元の川崎重工業が規定に反して、台車枠を薄く削り込んでいたのである。

▼亀裂を見逃し、運行を続けた鉄道会社もひどいが、台車は最初から強度が足りなかったわけだ。同様の不備がある台車はJR西と東海の計147台に上るから、ただごとではない。
何しろ超特急である。「安全を確認しながら走らせて、順次新しい台車に交換する」という対応に空恐ろしさを感じる人もいるのではないか。』(抜粋終わり)

更に、『責任を現場に押しつけているような印象がある。』

『経営トップの責任のはずだ。』

『工場で働く人たちが「会社に扱われているように製品をつくっている」などとは思いたくない。』
などと問題を指摘していた。

この記者のセンスに私は元鉄鋼技術マンとして同感する・・・。

台車亀裂事故からわずか5日後に小説家の冷泉氏が2カ月もかけて国家が調べた原因に近い推理を確か東洋経済オンラインで公表していた。
 
また事故から10日ほどたったころに、素晴らしい分析をしている作家がいた。
こちらは専門技術者の支援を受けての推理であり、感心できる出来栄えでした。
 
「のぞみの台車亀裂の件について、もうちょっとだけ詳しく調べてみた」
作者:御代出 実葉(みよで みよ)
https://ncode.syosetu.com/n5052el/
 
専門家が今回の事故分析では口を閉じてしまっている。
何かがおかしい。

台車の材料を削った班長がおかしいと言うテレビ謝罪報道は茶番に見える。
ならば、他に削った台車が複数台あって、それらで亀裂が生じていない理由を班長は説明できるのだろうか?
 
現場の班長レベルにこの国家的重要問題を預けて知らん顔をしている鉄鋼業界の重鎮の逃げ腰が見えるようで悲しい。
 
亀裂が生じたら鉄鋼材料の成分を分析し、それがJISの許容規格内にある材料だったのかどうか、延性と剛性は期待値通り存在しているのかを破壊試験で確かめるべきだ。
確かめているが公表できないのでないのか!

とくに資源リサイクル率の向上により、自動車や家電スクラップに含まれる銅(電線)やスズ(半導体の半田の成分)が鉄鋼材料の中に混入して延性や剛性を弱めている可能性は年々高まっているし、それを克服する技術開発も経済産業省や鉄鋼連盟のサイトを見る限り公表されていない。
 
つまり、その日本の鉄の素材の危うさは年々増加していると思うのが自然であろう。

その中で新幹線の台車に亀裂が生じ、しかもわずか2日間で全周に亀裂が走ると言う驚愕すべき現象が生じたのである。

大型トラックのタイヤ固定ボルトが次々と折れてタイヤが高速道路で転がり人間に当たるという事故もボルトの強度は大丈夫なのか、気になる。

国内の鉄鋼材料や鉄道研究の専門家が100人オーダーでこの問題追及に参加したことは容易に想像できる。
彼等からの報告は国民へ開示せずに、現場作業者管理者の班長だけに公開処刑的な演説を強いているのは、見るからにおかしい仕掛けであると思わざるを得ない。

問題ないのなら隠す必要などない。
堂々と成分と延性,剛性試験データを公表すればいい。

隠すのであれば、その理由があるはずだ。
隠したものの責任はまことに重大となる。

いずれ、2000人が即死するという新幹線事故が起きるきっかけを作った罪を国民から問われるだろう。
実際は複数の要因が重なった、想像も絶する亀裂が生じたのではないか?!
本当に班長だけの責任だといって金属の専門家は幕の内側に隠れていてよいのだろうか?
専門家集団の心ある猛省を促したい。

納得のいく新幹線原因考察記事

前の記事に関連が深いので、下記を是非ご覧ください。
台車の亀裂発見から16万㎞走っても大丈夫とする鉄道技術者の考え方が出てきます。
粘りのある鉄を使っているからです。
「のぞみの台車亀裂の件について、もうちょっとだけ詳しく調べてみた」
作者:御代出 実葉
https://ncode.syosetu.com/n5052el/
それに比べて、今回の新幹線亀裂は、いかにも粘りがない。
削って肉が薄くなったからといって、鉄の基本的性質までは変わらないのではないかと思われます。

2018年1月22日 (月)

せごどんと十字架

私は見ていませんが「せごどん」という言葉がNHKの番組のあちこちから聞こえてきます。
 
鹿児島のことを考えていると、ふと以前西郷を訪ねたことを思い出しました。
 
まずはザビエル上陸地の海岸の夥しいナツメヤシの並ぶ小道の光景でした。
坊津でポルトガル船を降りて、和船にて島津家の邸宅の南約2㎞の海岸に上陸したのでした。
 
おそらく島津家の人々も海岸に近づくザビエルを乗せた船を見たことでしょう。
 
私の推理は島津がザビエルを日本政治安定のために読んだというものです。
その視点に立てば、島津邸から身を乗り出して海岸へ到着するポルトガル国旗を翻した和船を見ていたはずです。

西郷さんは鍛冶町で生まれ、いまでも生誕地として銅像(石像かも、記憶あいまい)が立っています。
高さ5m以上もありそうな大きな西郷さんです。
 
何気なく西郷像の周囲を歩いて、西郷さんの背中側に回ってから、その左肩を後ろから見ると、肩の上に十字架が見えました!
 
私は、何気なく「なるほど・・・」と思いました。
明治維新革命はザビエル上陸地薩摩と最初の布教地山口の連合軍によって実現したのですから。
 
西郷さんの背中の肩越しに見た十字架はなんだろうかと近づくと、鍛冶町(南がついていたかも)教会(カトリック)でした。
 
私なりの得心をもって鹿児島を後にした次第です。

そういう意味で、木戸孝允の住居を萩に尋ね、その痕跡を探してみましたが、見当たりませんでした。
木戸は完全に痕跡を抹消して人生を終えているようです。
 
ただ、吉田松陰宅も木戸宅も一本の棕櫚の木が今でも元気に生えておりました。
 
棕櫚、エルサレムではナツメヤシの葉は神を祝うことに使っていたはずです。旧約聖書にそのシーンが登場すると記憶しています。
 
西郷、鹿児島という言葉から、自然にこのような連想が浮かんできました。
年寄りの勝手な想像で失礼しました。

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