2017年9月 6日 (水)

普通より多いアクセスに感謝 サウジに負けた日

どのメディアを見ても、このブログのようにサウジアラビアに日本が負けると騒いでいた、昨年から騒いでいたメディアはなかったことでしょう。
そのおかげで、いつもは4~5人の親しい人しか見に来ないこのブログに多くの人が来てくれました。
とくにサウジに負けたあとで、急にアクセスが増えたことは面白いと思います。
なぜ私が負けると予想できたのか、その考え方を見たかったのでしょう。
私の程度の素人分析は手倉森さんがチームに居るのですから百もご承知のはず。
ただ監督が・・・ではなかったか。
オーストラリア戦は監督の意見を押しのけて、日本人による選抜を行ったのではないかと推理しています。そうではなかったのかもしれませんが。
メディアには底を掘り下げてほしい。
もしそうならば、即刻今の監督は更迭すべきです。
真実は如何に!

Photo

日本代表はサウジアラビアに負けた!やはり・・・

このブログを午前4時過ぎに多くの方が見にきてくれていました。ありがとうございます。
私の意見を見たかったのでしょうが、寝ていました。朝7時前に原稿をあげたところです。
 
「今朝の試合」は「手を抜いたら負けた。」そういう感じでした。
 
私はサウジアラビア戦が天王山だから負けないように注意すべきとの記事を昨年来三回くらい掲載していました。
 
サウジの監督は「相手が疲労した後半の15分くらいに仕掛けてきます。」
「サウジアラビアの要注意人物を若干ご紹介しておきます。10番、19番、12番が要注意です。」
、と警告しておきましたが、
今朝の試合は、後半の17分11秒にやはりサウジが得点していました。
ゴールを決めたのは後半から投入された19番ムアラドでした。
 
「FW19番 ファハド・アル・ムワッラド 
サウジアラビアのアル・イテハド所属、2011年以来69試合に出場し、19得点を挙げている。
元U-20同代表の21歳
途中投入されて、日本代表の浅野拓磨のような働きをするギアチェンジャー。浅野よりも数段切れる。」
とも書いておきました。
 
また、「ファンマルバイク監督は、日本に対しては「 1:0 」でも勝てる、と思っているかも知れません。
であるならば、例えばサウジは全員自陣に下がって完全守備に徹することで失点ゼロをつくる。
80分経過後に19番ファハドを投入してチームのギアチェンジをして、残り10分間で1点をもぎ取りに行く、という日本向けの作戦を私なら思いつきます。」
、とも書きました。
 
「それみたことか・・・」でした。
 
以下、一番新しい過去記事からサウジアラビアに関する下りだけ再掲します。
 
2016年10月12日 (水)
サウジアラビアは、10番、19番、12番が要注意(再掲)
昨日(2016年11月11日)オーストラリアに負けたら終わりだと思っていましたが、勝ちもせずに引き分けるとは、予想を裏切られました。
 
原口は昨日のような「元気」余った守備をゴール前まで戻ってきてやって、ペナルティキックを相手に与えたことが最近の試合でもありました。
またか・・・、という印象でした。

ディフェンシブに戦えという監督の指示が生んだ「元気」オーバーだったと思います。

むしろ原口にはトップに残っていて、守備には帰らないでよいと言ってあげるほうがよいでしょう。彼の元気な攻撃は、「アジアレベル程度の相手」には極めて有効です。

「元気」の弱みを利用して負けるより、強みを伸ばしてあげるべきでしょう。

予想外でしたが、その結果やはり次のサウジ戦が天王山になりました。

9月7日に掲載した記事を再掲しますので、コーチ、監督の皆さんはぜひお読みください。
昨日のサウジ、UAE戦は3;0でサウジ圧勝でしたが、終盤に2点続けて入れています。

日本が初戦ホームゲームで負けたUAEがサウジに負けたのです。
どれだけ日本が弱いかわかります。

オランダ人監督のオランダ流サッカーは花開いています。
サウジにいる「ロッペン」にご注意を!
以下、過去記事再掲。

中略。
 
それに比較して、浅野拓磨のゴールは格好悪かった。
相手のキーパーは一次予選無敗の腕利きだとはいえ、1対1での仕掛けでした。Jリーガーのままでは一流であっても国際試合に通用しないということでしょう。Jリーグでは一流選手ですが・・・。
 
浅野は、最近(2016年8月26日)、ドイツ・ブンデスリーガのシュトゥットガルトへの1年間移籍が発表されましたので、今後は国際試合で恰好いいゴールを決めきれる選手に成長することを期待します。
録画して同じ日にあったイラク対サウジアラビア戦を見ました。
 
これで2敗し戦意喪失したイラクと10月6日に日本は当たりますが、これは楽に勝てるはずですが、これを引き分けるとなるとワールドカップの道は閉じてしまうことでしょう。
 
11月に戦うサウジアラビアはオランダ人監督の戦術が侮れません。
 
ファンマルバイク監督(オランダ)は2010年南アフリカワールドカップ大会でオランダ代表を準優勝へ導いた監督です。
相手が疲労した後半の15分くらいに仕掛けてきます。
 
サウジアラビアは、10番、19番、12番が要注意です。
互角の試合になるものと予想しています。
これに勝った方がワールドカップへ行く最後の1枚の切符を手にする可能性が高いでしょう。
サウジアラビアの要注意人物を若干ご紹介しておきます。
10番、19番、12番が要注意です。
 
DF12番 ハッサン ムアズ・ファッラータ(アル・シャバブ所属)
2006年のウクライナ戦ではFW登録して出場している選手。昨日のイラク戦でも後半30分過ぎに相手ゴール前までドリブルで切り込み、PKを得ている。後半にDFがFWに変身するということだ。
 
MF10番 ナワフ・アラービド (アル・ヒラル所属)
2014年ガルフカップMVP
今大会、いずれもPKで3得点を挙げている。
業師(ワザシ)である。
 
FW19番 ファハド・アル・ムワッラド 
サウジアラビアのアル・イテハド所属、2011年以来69試合に出場し、19得点を挙げている。
元U-20同代表の21歳
途中投入されて、日本代表の浅野拓磨のような働きをするギアチェンジャー。浅野よりも数段切れる。
 
サウジアラビア代表メンバー発表(2016.8.15発表)の中に、
「大会最高得点14ゴール中のアルファ・ファラウィは怪我のため外れている。」と付記がありました。もしこの人物の怪我が快復して代表入りすればかなりやっかいなチームへと変わりそうです。詳細は不明です。
 
最後に、サウジアラビア代表監督の7年前の発言を紹介しておきます。
日本代表の得手不得手もよくご存じのようですので、戦術もすでに決まっていることでしょう。
 
「オランダ代表監督・ファンマルバイク 「我々にとって日本はやりやすい相手だ」 ~南アW杯対戦国研究~」より抜粋します。
http://number.bunshun.jp/articles/-/12445
 
「日本とは9月に対戦したが見た目ほど簡単な試合ではなかった。3-0で勝利したが内容にそれほど差はなかったと思う。日本は得点力に少し問題があるが、危険な相手だ。過小評価してはいけない」
 
 W杯抽選後のファンマルバイク監督の言葉だ。油断してはいけないという意味では多少は本音の部分もあるかもしれないが、こういう場での模範的回答だろう。
 
 実際は日本と同じグループに入り、ほくそ笑んでいるに違いない。日本と親善試合を組んだのもW杯前にオランダにとっては未知なアジアのサッカーを経験しておくためだった。それが幸運にも、わずか数カ月前に戦力を丸裸にし、既に分析が終わっている国と再戦することになったのだ。喜ばないわけがない。」(抜粋終わり)
 
日本は・・・、今でも得点力に大いに問題がある、のである。
ファンマルバイク監督は、日本に対しては「 1:0 」でも勝てる、と思っているかも知れません。
であるならば、例えばサウジは全員自陣に下がって完全守備に徹することで失点ゼロをつくる。80分経過後に19番ファハドを投入してチームのギアチェンジをして、残り10分間で1点をもぎ取りに行く、という日本向けの作戦を私なら思いつきます。
 
「公式FIFAランク(更新日:2016年08月11日)によれば、 
http://soccer-foot.com/fifaranking/
 
2次予選第1節で日本が負けたUAEは世界70位です。
10月6日に日本が第3節で当たるイラクは85位です。
 
「次はイラクに勝って当たり前」との前提でいえば、ロシアW杯行き決定の天王山になるサウジアラビアは93位、世界61位のオーストラリアにも勝たねばならないので、なかなか大変な道でしょう。
 
で~、9月6日のサウジアラビア対イラクは2:1で下位のサウジアラビアの勝利となりました。イラクはFWアブデゥルサハドのゴール前での切り返しによる技ありの1点で、サウジは10番ナワフのPKゴールによる2得点でした。
ところでわが日本代表はというと、世界56位です。
ランキング通りなら全戦全勝してもおかしくはないのですが・・・。
 
リオ五輪で金メダルのブラジルが世界5位というところを見ても、ランキングはさほど当てにならないようです。

2017年8月31日 (木)

予想は外れました。おめでとう、日本男子。

ワールドカップに出るだけで3敗して帰ってこないように成長を期待します。
10人しかいないのによく勝てました。
 
井手口の「打撃力」は日本政府に見習ってほしい。
原口と井手口2名だけで取った2点目でした。
 
(下記の追記にあるように、実は大迫のおとり攻撃姿勢が浅野のオフサイドを救っていたので、原口と大迫と井手口の3名で取った2点目でした。)
 
日本サッカーのレジェンド木村和司さんの解説がすべてを語っていました。
「浅野のゴールが勇気を与えた」、と。
 
つまり、日本代表には「勇気はそれまでなかった」ということです。
 
オフサイドに見えたけど、録画で再確認してみる必要があります。
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(追記)ビデオで5回くらい再生して検証しました。オフサイドではなかったです。見事なゴールです。
ゴール前の真ん中で張っていた大迫を大柄なオーストラリアのディフェンス選手が覆うように守備をしていました。その丸い大きな背中よりも内側に浅野がいるときに長友のキックが出発していました。長友のいぶし銀のキックも世界レベルでした。アモーレで活躍中なのでついつい忘れていました。
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大迫、乾、昌子、山口も成長は見えました。
キーパー川島は安定していました。
 
澤さんたちができたことを日本男子も狙ってほしい。
何名かには、本来の侍魂が見えたようでした。
 
世界へ出て行ってもその魂を忘れないように・・・ネ!オメデト。

直前予想 オーストラリアが日本に勝ってワールドカップ出場を決める!(2017年8月31日19:07)

直前予想 オーストラリアが日本に勝ってワールドカップ出場を決める!(2017年8月31日19:07)
 
サッカーの予想は外れることもある。はずれたときはご容赦ください。
以下は日本は負けるという、必ず負けると言う予想である。
 
第2次世界大戦の前と最中の日本のメディアの報道を君は見たことがあるか!?
大嘘のこんこんチキであった。
それを信じて私たちの父母や祖父母は命を投げ出し、わが子を失ったのだ。
 
そのメディアの狂気はまだ今でも続いていることに気づこう。
 
ワールドカップ予選のオーストラリア戦の直前のNHK-BSを聞きながらこの記事をアップしている。
テレビ朝日でもやっているが、こちらは戦前と同じくもっと日本優位に傾斜していることだろう。
 
期待したい気持ちは私も同じだが、君らはメディアなのだから、一個人の希望など捨てて、客観情報から勇気をもって「可能性の高い予想を国民へ出すべき」だろう。
 
過去のオーストラリアの予選、日本の予選を見ただろうか?
見ていれば、明らかに一枚も二枚もオーストラリアが有利である。
 
もしオーストラリアが得点に苦しんでケーヒルを途中で出して来たら、あせりのサインである。日本は勝つ可能性はあるだろう。
 
しかし、レギュラー選抜が得点して古い英雄ケーヒルの出番がなくなればオーストラリアの圧勝となろう。
 
なでしこで言えば、いまだに澤選手を交代要員に抱えてワールドカップ予選を戦うというシナリオに等しく、時代は終わっているのに澤にすがるなでしことなる。
 
なでしこは今は再生中である・・・。
高倉監督はなかなかさえている。
 
「高倉麻子(たかくら あさこ、1968年4月19日 - )は、福島県福島市出身の元サッカー選手、サッカー指導者。現サッカー日本女子代表、U-23サッカー日本女子代表、U-20サッカー日本女子代表監督。選手時代のポジションはミッドフィールダー。夫はサッカー指導者の竹本一彦。」(高倉麻子-wikipediaより)
 
なでしこリーグの2部の無名の若手を国際試合に投入して実力アップの様子を眺めているところだ。
そういう「勇気」は日本人の男子監督にはない。
 
まずは日本男児が恐れおののいて監督業務をしないから、笑える。
ここでも外人追随主義である・・・。
 
ただ怖れを抱くだけで、怯え続ける日本男子の姿は、今でも健在である。
レギュラーメンバを見てみればわかる。
半数が澤さんが絶頂期の時代の連中ばかりである。
ロートル集団で世界と戦えるわけがない。
 
なぜ日本男児は勇気を持てないのか、を考えてみる。
 
元来日本刀を用いて技を磨いてきた日本男児たちは貴族の支配下に甘んじながらも腕を磨いて1500年を過ごしてきた。
16世紀当時で言えば、おそらく刀の戦では世界一だったのではないか。
 
しかし、種子島鉄砲の到来で一気に刀の自信が喪失した。
怯えるだけの侍たちとなる。
 
やがて、(おそらく朝鮮半島から渡来してきただろう)織田信長が一人勇気をふるって鉄砲と義経以来の集団騎馬戦を組み合わせて、桶狭間で勝利した。
2000人(うち1000人は張り子のトラの百姓行軍)で5万人の今川軍を叩いたのである。
 
これも16世紀の世界では稀有の「鉄砲と騎馬戦の戦上手」に挙げられるはずだ。
 
日本の英雄で生まれ故郷が安定していないのは織田信長だけだ、と私は思っている。
愛知県体育館の敷地の下に、信長の育った、鉄砲訓練を行った、那古野城跡が埋まっていることを、あまり日本民族は知らない。
 
やがて、明治維新となり西洋軍備を整えた日本人はますます自信過剰となる。
連戦連勝の大陸侵略戦争の連続をメディアも嘘をなぞりつつ支えてきた。
国民だけが真実を知らなかった・・・。
 
そして広島、長崎の未曽有の原爆投下である。
ここで日本男児は完全に玉を抜かれた。
あとは米国にへつらいペコペコ外交で今日に至る。
以前として今も玉はついていない・・・。
 
その代表がこれからオーストラリアと戦う。
長谷部などは澤と同じ時代だ。
 
澤の爆発的な活躍と潔い引退は、「侍」そのものの魂である。
それに引き換え怪我を引きずりつつ主将と言う重責を担おうとする無謀さが対照的である。
それは勇気があるとは言えない。諦めが悪いだけである。
 
なぜメデャアは真実を報道しないのか。
 
勇気ある主将なら世界戦で英雄となれ、バロンドールを勝ち取るべき時期に勝ち取るのだ。
 
中田がワールドカップで負けて、グランドにあおむけになってバスタオルを顔にかけて泣いたシーンが今の侍の現状である。
情けない姿だった。潔さなどみじんもない。
 
日本男児が情けないことをなぜメディアは認めないのか、負けてもなお認めようとしない。
それは第二次世界大戦前のメディアの狂った姿勢となんら変わっていないのではないか。
成長が見られない。
 
メッシを擁するバルセロナでも負けることはある。
番狂わせとなれば幸いであるが、99%それはないと私は予想している。
 
一紙でも勇気をもって真実の予想を報じるメディアが日本には生まれてこない。
不思議な単一民族である。
おおいなる渡来人による混血国家でありながら、思想の恐るべき単一化を眺めると、未来が心配になる。
 
洗脳されやすい民族資質があるのかもしれない。
 
ミサイルを襟裳岬へ向けて放つ北の半島の若者おっさんは、座頭市の大五郎カットを思わせる変人ぶりだが、第2次世界大戦前の日本の指導者連中は瓜二つであったように感じるのは私だけではないだろう。
私も昨日「短くして」と言って寝ている間に、大五郎カットをされてしまっていた・・・。
 
そろそろオーストラリア対日本のワールドカップ予選が始まる。
 
NHKは盛んに大迫をほめあげて期待している。
大迫は、いいときと悪いときとある。
相手が弱いと、いいときである。
相手が強いと、全く実力がついていかない。次元が違うのである。
 
大迫もやはり、貴族配された牙を抜かれた侍に過ぎない。海外へ行っても病気が治らないから根は重い。久保も同じだ。
 
なでしこの世界一になったときのメンバーの過半は海外へ行って生まれ変わって帰って来た。女ができることを日本の男はなぜかできない。
 
「サムライブルーっ!」と横断幕が出ていた。
英語を訳すと、「サムライは泣きたいほど悲しいのだっ!」となろう・・・。
 
横断幕デザインをした男だけは、私と同じ結果予想をしていたらしい。
 
もし私の真実を根拠にして予想がはずれたならば、まずはめでたいが、ワールドカップ出場だけを目指して騒ぐ国民は日本人しかいないことも自覚しよう。
出場だけして帰ってくるだけである。
 
澤さんのように「出場するからには世界一を取る」という覚悟で参加するのである。
 
ワールドカップ出場が目標であってはならないし、そうであれば予選全敗となろう。
 
世界に通用するかどうかは不明だが、密かにそうなってほしいと願う選手は二人いる。
山口蛍と川島である。昌子(しょうじ)も成長してほしい人材だ。

2017年8月30日 (水)

なぜ迎撃できないのか・・・ひとりごと

私はかつて計測と制御を主な仕事にしていました。
制御の難しさはよくわかっているつもりです。
 
ミサイル迎撃はもっとも困難な制御システムでしょう。
 
だから何兆円もの予算を使って買うのでしょう。
老人医療、介護、若者の未来の年金さえ削って買うのでしょう。
 
首相は「打撃力だ!」と威勢がいいのを記憶しています。
 
つまり北の脅威に対してはアメリカにへりくだってでも米軍の攻撃力の保護を受けることで北へ打撃力を与えることができるという風に私には聞こえました。
 
いつまで対米追随外交をするのだろうか・・・。ドイツのメルケルはそれをやめました。
 
日本はまだ当面続ける模様です。
歴史上珍しい独立国となるのではないでしょうか。植民地ならわかりやすいのですが。
 
さて、なぜ迎撃しなかったかと、ネットでは議論が湧いていることでしょう。
私の意見は『失敗するから迎撃しなかったのだろう』と思ってます。
 
今は来年度防衛予算審議の真っ最中、役立たずのイージスアショアが必要であるとの論理展開は実にまずい。
打たないで非難される方がまだまし。
 
私ならそう思うことでしょう。
 
動いている目標を落とすことの難しさは素人にもわかります。
制御システムも基本は同じはずです。
 
空中を蚊が飛んでいます。
蚊に両手で打撃力を加えようとしますが、なかなか当たりません。
相手は逃げ回っているからです。
 
もし訓練用の真っすぐ素直に飛ぶ蚊ロボットを飛ばしたとします。
迎撃ミサイルも私の両手も、目標の飛行ルートは簡単なので先を予測できます。
そこへ向けてミサイルや両手を打てば、見事に命中します。
 
ニュース写真で訓練でミサイル迎撃100%命中!と見出しがあるのはこのせいです。
 
しかし、実際はまず蚊がどこにいるのかがわかりません。
頭の後ろを飛んで首をチクリと刺すまでは背後にいることに気づきません。
僅かに羽音で気づくことはたまにはあります。
 
すなわちミサイルの発射がどこで行われたか、どちらへ向かって発射したかをまず計測することが必要になります。
 
それがわかったとしてもまだ難問は続きます。
 
風や気流でわずかに変化するミサイル軌道を追尾する必要があります。
これはあらかたの位置が分かればレーダーで難なくやれるでしょう。
 
しかし敵も馬鹿ではありません。
同じレベルの計測と制御の専門家がついていますので、迎撃ミサイルの飛行を攪乱するための金属粒子の飛散や妨害電波発生などで追撃を逃れる努力をすることでしょう。
 
迎撃できない理由として、相手に迎撃ミサイルの実力や攻め方を披歴することにより、相手側にそれへのさらなる対策のヒントを献上してしまうことを恐れて使わないというものがあります。
 
しかし、その程度で見破られるような脆弱な制御手法であれば、もっていても意味がないとも言えます。1回しか使えない代物・・・。
 
あなたならそういう高級自動車を買いますか?
 
威勢のいい首相の「打撃力だ!」ということばと、頭の上を飛翔するミサイルをただ見上げるだけの国民諸氏の姿に、漫画的な趣を感じるのは私だけなのでしょうか。
 
いつまでこのような脆弱な国防力のまま、独立国を続けていくつもりなのでしょうか。
何発打ってきても、結論はこうなるでしょう。
 
「北に対しては打撃力だ!」
「迎撃は毎回控える」
「何兆円使ってもイージスアショは必要だ。老人医療、介護、若者の未来の年金削ってでも買う!」
 
この繰り返しの果てに見える我が国の未来とは、どういうものになるのでしょう。
 
ドイツのメルケルさんの描いている、ドイツの未来を聞いてみたいと思いました。
 
日独、どちらも第二次世界大戦で完全に打ちのめされた国家です・・・。72年を経て随分違ってきているようです。
政治家リーダーの資質の差であるとも言えそうです。

2017年8月 6日 (日)

まどうてくれ、ひろしま!

まどうてくれ ひろしま
 
この言葉は福島原発事故のあとで福島県民の言葉として私はブログで用いた。
 
「まどうてくれ フクシマ!」
 
余計な世話はいらないから、元の福島の田舎に戻してほしいという切実な福島の被爆者願いとして使った。
 
もともとは広島の被爆者の高齢者が広島市長に訴えた言葉である。
「まどうてくれ、ひろしまを!」
 
市長さんよ、元の広島の町に戻してくれよ~!
 
90歳前後の被爆者に市長が何か言いたいことはないかと質問して帰って来た言葉である。
とても重い。
 
取り返しのつかないことをアメリカはしたのである。
 
核禁止条約、当たり前のことである。
日本政府の臆病ぶりを笑わざるを得ない・・・。
唾棄すべき姿勢と言っていい。
 
今朝8月6日、午前8時13分頃、私は首都高の下を走る国道の歩道を歩いていた。
あたりはオフィスや商業ビルが立ち並ぶ都心繁華街である。
多くの日本人たちが歩道を行き来している。
あと2分で、広島原爆投下である・・・。
 
誰も立ち止まらない。
そしていよいよ原爆投下の10秒前になる。
 
まだ誰も立ち止まらない。
私はホテルの玄関脇の植え込みの前に行き、そこで壁に向かって立ち止まった。
3・2・1秒、0!
 
私は私だけで静かに黙とうを被爆者たちに捧げた。
 
1分間過ぎた。
 
目を開けたが、相変わらず歩道は行き来で忙しい。
 
日本政府は何かを間違えている。
 
広島の悲劇をよそ事ととして東京都民は見ている。
 
今度東京都民が被ばくするまでは広島で起きた恐ろしい出来事を知らないのである。
 
知っていて知らないふりをしているのである。
 
無関心であり、そして知らないのだ。
 
私は会社に着いて、知人にこう言った。
 
「さきほど、(70年ほど前の)広島で原爆が投下されました。
これから朝日が照り返します。
皮膚は焼けただれて、皮がむけています。
そこへこの日差しがさんさんと差し込んできます。
当たりに樹木も建物もほとんど日陰をつくるものはない。
厳しく苦しい1日が始まります。」
 
東京人は広島の被爆者へ黙とうをしない。
そういう国になってしまったことを日本政府は何とも感じていない。
 
何か、おかしいのではないのか。
総理大臣は一体どちらを向いて仕事をしているのか?!
注)私は5年間広島市に住んだことがある。

2017年8月 5日 (土)

8月2日未明の地震と川崎の放射能

82 8月2日未明の震度4

震度速報
http://www.jma.go.jp/jp/quake/3/20170802020341353-020202.html より引用します。
 
まだ記憶に新しい東北関東での未明の地震です。

Fukusima_souma モニタリングポストより引用。今の福島
http://radioactivity.nsr.go.jp/map/ja/area.html

3日ほど経過したので、その影響が私の住む町へやってきたのかどうか、不安になったので調べました。*最下段で記載妨害にあったので、この場所に挿入しますが、最下段コメントの図です。記事掲載を妨害している人の心が心配です。
 
以前は下記の最寄りの測定値を使っていましたが、いまは見られないようになっています。
感度がよく福島との連関性を見るのに優れている計測器でした。
 
ちなみに私は一般計量士です。放射線は専門ではありませんが、計測器の全般についてはある程度経験・知識があります。
 
(下記は今は開けません。理由は不明です)そこで公開されている下段サイトを見ました。
Sample
 
サンプル画像 http://www.atmp-awasaki.jp/ 
「神奈川環境モニタリングポストの値」より3か所のデータを並べました。
http://www.pref.kanagawa.jp/sys/atom/now/1_1.html

Kawasaki

最近の川崎市内の放射線量

これを見ると2日の地震直後のわずかな測定値変化(地震振動による誤差の疑いも含む)以外はまだ到達しているような影響は見当たりません。

ただ、前記のサイトに比べると感度が鈍いように私は感じています。

平均値もしくは移動平均値を用いて、なるべく福島の影響がダイレクトに表示されないようにしているような気がします。

前記の計測は日単位でフクシマの出来事と敏感に連動して見れていたのですが・・・・

国民の生命と財産を守る・・・なんだか最近は反対に向いているかのような雰囲気を感じます。

この5年間で過去最高益を出したのは福島で汚染土搬出をしたゼネコンだけ。その金が被災者に配分されていれば、今頃は焼け太りのような幸福な快適生活を別の土地でおくれたのではないかとさえ思われます。

チェルノブイリの被災者は豊な生活かどうかは存じませんが、汚染土地から退去し別の土地に住みました。無駄な汚染土搬出はしなかったという印象です。

もしすぐに退去していれば、どれだけの補償金を汚染土搬出予算でもらえたはずなのか?

試算すればすぐにわかることですが、手元に材料がありません。

5年間の全ゼネコンの利益総額÷広域避難被災者も含む全被災者人数=補償額/人・5年間です。

とてつもなく大きなお金になるのではないのかなあ・・。

追記)

福島の今日現在はどうなのでしょうか。

下記サイトより一部抜粋します。(上に挿入しました。)

 

 

 

2017年8月 1日 (火)

関東住民の内部被ばく救済を!

楽しい川遊びの記事のあとでも悲しい記事を書かねばなりません。
 
「ショック報告!!福島原発事故の5年後からはじまる日本人の悲劇」より抜粋します。
http://shinhakken-blog.seesaa.net/article/430044617.html
 
私は5年前にチェルノブイリ事故の5年後の発がん状況を調べていましたので、この驚きはありませんが、最近驚きが始まったようです・・・。
 
「2011年に起きた原発事故直後に政府(当時官房長官 枝野氏)が国民に向けた発言をもう一度思い出す必要があります。当時、彼は全国民にこのように説明しました。
 
「ただちに人体や健康に影響をおよぼすことはない」
 
恐らく今これから起こる事態もある程度は把握の上、周到に選ばれた表現だったことが今はっきり分かります。しかしここまで最悪の数値予測になることは予想していなかったでしょう。
 
 
これは福島に限った話ではなく、事故1週間後に風向きが変わり大量の放射線が関東に向かって埋め尽くされ、水道水にまで放射性物質が流れ込み多くの人が被爆をし続けたという事実もあまり多くの人には知られていません。
 
このような調査結果や現実に始まっているがん発症の事実などは、大手メディアでは報道されることはありません。影の部分は一切大きくは報道せず、復興や応援、支援などの美談ばかりを伝えることで多くの人は政治問題となる本質の部分を直視しない(できない)のです。」(抜粋終わり)

315

2011年3月15日の放射能雲(関東周辺まで到達予測)
「【SPEEDI】政府が隠蔽したのは飯舘村ではなく3月15日朝の東京への放射性プルーム襲来情報のはずだ」より図を引用します。
http://blog.goo.ne.jp/kuba_clinic/e/1e2e49fd46835b92bfb1b44ed38eb7cc
 
 この2011年の3月15日の午後は東京・神奈川・埼玉は小雨でしたが、その雲は福島からのプルーム(放射能)を含んでいました。国はこれを隠しましたが、私は予想していました。
だから3月15日は1日中家の中にいました。
 
しかし、飲料水中に流れ込んできていますので、誰もが体内に吸収し内臓に物質を蓄積してしまっただろうと思います。
 
微量であっても内部被爆はがんを発生させますので恐いのです。外部被ばくの事しか公は宣伝しませんが、内部被ばくのことを言い出すと被害補償無限大で国家が成り立たなくなるからではないでしょうか。それは憲法違反、国民の生命と財産を守るという小学生でも知っている憲法の基本に違背しているのではないかと思われます。
 
今からでも態度を改めて、まじめに内部ヒバクシャの救済に国民全体で国民ファーストで臨めば、まだ間に合います。
 
政治家に任せきりだとゼネコンが儲かるだけの5年間になってしまっています。もう既成政党の彼等には期待はできないでしょう。
 
私が前日の爆発の雲が関東まで翌日やってきて黒い雨を降らせるという予想をしていたのは次の体験によります。
 
広島原爆をあつかった「黒い雨」という映画を見ていた。
 
日本橋から津軽まで奥州街道を自分の足で歩き通した。
 
だから中途の福島から自転車くらいの風速で夜通し雲が駆けると、翌日私の住む神奈川まで到達することがわかっていたのです。私の移動速度は時速4㎞でした。
 
上空の雲は時速20~40㎞くらいの速度で移動できます。
体験から直感で来ることが分かっていたのです。
 
かわいい子には旅をさせろ・・・です。

2017年6月12日 (月)

新井白石とシドッチ(その1)

確か6月初旬の日経新聞記事だったと記憶している。
 
茗荷谷駅前のマンション工事現場で、イタリア・トスカーナ地方出身者のDNAを持つ白骨が発掘され、禁制下の江戸中期に日本へ潜入した宣教師シドッチの骨であることが確認されたという。
膝を抱えて土葬する日本人の白骨と異なり、両足を伸ばしてあおむけに眠る形の白骨姿勢だったと記事にあった。
 
戦国時代にこの国にザビエルが撒いた種の実りを収穫にやってこようとしたのだろうか。
シドッチは江戸に送られ、新井白石の尋問を受けている。
 
その切支丹屋敷跡を訪ねた・・・。
 
(あとで道順などを報告するが、自家用車での現場接近は大変難しいので電車で茗荷谷駅下車し徒歩で切支丹坂を目指すと坂上の右手にその石碑がある。私はバイクなので一発で幸運にもたどり着いたがバイクでもおそらく苦労するだろう。電車が賢明だとお断りしておきます。)

Photo

茗荷谷の切支丹屋敷跡碑(2017年6月10日筆者撮影)

解体新書で有名な新井白石であるが、幕府役人(寄合)引退後は渋谷区千駄ヶ谷6-1-1に隠棲して執筆活動に専念したそうだ。

Hakuseki

白石終焉地の碑(GOOGLE MAPを引用)

ここに渋谷区設置の記念案内板があるそうである。
一度行ってみようか、と思う。

カトリックの宣教師の来日はザビエルを始まりとする。
 
ザビエルが1549年8月15日に鹿児島市祇園之洲町に上陸してから160年目のカトリック宣教師のシドッチの屋久島潜入であった。
 
「ザビエル上陸記念碑」には背の高い棕櫚の木が2本だけ映る写真が掲載されている。
http://www.kagoshima-kankou.com/guide/10534/
 
私はそこを訪れたが、実際はその背の高い棕櫚の木が2列に合計40本以上並び、その間をザビエルが歩いた小道が曲がりくねって街道へとつながっていた。
 
棕櫚並木の壮観をなぜ日本人向けの観光写真では省略しているのだろうか・・・。
 
しかし、シドッチは屋久島で捕らえられ、江戸へ護送された。
鹿児島での捕縛の様子も白石は記録している。
 
日本刀を腰に差し、月代(さかやき)を剃って侍姿には化けていたが、手で水を飲むジェスチャーをして水を乞う様に発見した農民は怪しみ代官所へ届けたのである。
 
新井白石は江戸小石川町(茗荷谷の切支丹屋敷)でシドッチを尋問した。
 
wikipedia記事により、白石とシドッチの関係を見てみよう。
 
『(新井白石は、)江戸時代中期の旗本・政治家・朱子学者。
 
一介の無役の旗本でありながら六代将軍・徳川家宣の侍講として御側御用人・間部詮房と
ともに幕政を実質的に主導し、正徳の治と呼ばれる一時代をもたらす一翼を担った。
 
家宣の死後も幼君の七代将軍・徳川家継を間部とともに守り立てたが、政権の蚊帳の外におかれた譜代大名と次第に軋轢を生じ、家継が夭折し八代将軍に徳川吉宗が就くと失脚し引退、晩年は著述活動に勤しんだ。
 
中略。
 
外交政策[編集]
朝鮮通信使の待遇の簡素化
朝鮮通信使接待は幕府の財政を圧迫するとし、朝鮮通信使の待遇を簡略化させた(この一件は順庵の同門だった対馬藩儒・雨森芳洲と対立を招いた)。
 
また、対朝鮮文書の将軍家の称号を「日本国大君」から「日本国王」とした。
 
シドッチ密航事件
ローマ教皇からの命でキリスト教の布教復活のため日本へ密航して捕らえられ、長崎を経て江戸茗荷谷キリシタン屋敷に拘禁されていたシドッチを取り調べ、本国送還が上策と建言した。
 
また、白石はこの事件により得た知識をもとに『西洋紀聞』『采覧異言』を著している。
以下略。』(新井白石-wikipediaより抜粋)
 
その西洋紀聞を、今、通勤電車で根気よく読んでいるところだ。
記憶に残る部分を抜粋する。
 
「其教法を説くに至ては、一言の道にちかき所もあらず、智慧たちまちに地を易(か)へて、二人の言を聞くに似たり。
 
ここに知りぬ、彼方の学のごときは、ただ其形と器とに精しき事を、所謂形而下なるもののみを知りて、形而上なるものは、いまだあづかり聞かず。
さらば天地のごときも、これを造れるものありといふ事、怪しむにはたらず。
かくて、問答の事共、其大略をしるす所二冊、進呈す。」
(p16~p17、東洋文庫113 「西洋紀聞」(新井白石著、宮崎道生 校註、平凡社)より抜粋。)
 
以下はシドッチに関するwikipedia記事の一部抜粋である。
 
『現在のイタリアのシチリア貴族の出身。特定の修道会に所属しない教区司祭として活動していたが、東アジアに派遣された宣教師らの報告によって日本における宣教師や現地の信徒(切支丹)の殉教を知り、日本への渡航を決意した。
 
教皇クレメンス11世に願い出て宣教師となり、マニラに向けて出帆した。マニラでは4年間宣教師として奉仕し、現地の宣教師仲間やバチカンからもその功績を認められるに至った。
 
この間、江戸幕府の禁教政策により宣教師や信徒共同体への弾圧を聞き知っていたマニラ駐在の宣教師らはシドッティの日本行きに反対したが、シドッティの決意は変わらなかった。
 
1708年(宝永5年)8月、鎖国下の日本へ出発するシドッティのためだけに建造された船に乗り、日本に向けて出発した。10月、髪を月代に剃り、和服に帯刀という侍の姿に変装して屋久島に上陸した。
 
島の百姓に見つかり、言葉が通じないことで怪しまれ、ほどなく役人に捕らえられて長崎へと送られた[1]。
 
翌年、1709年(宝永6年)江戸に護送され、時の幕政の実力者で儒学者であった新井白石から直接、尋問を受けた。
 
白石はシドッティの人格と学識に感銘を受け、敬意を持って接した。
シドッティも白石の学識を理解して信頼し、2人は多くの学問的対話を行った。特にシドッティは白石に対し、従来の日本人が持っていた「宣教師が西洋諸国の日本侵略の尖兵である」という認識が誤りであるということを説明し、白石もそれを理解した。
 
切支丹、特に伴天連(バテレン、パードレ Padre =宣教師 の音訳)は見つけ次第拷問、転ばせる(キリスト教信仰を捨てさせる)ことが最良である、という従来の幕府の規定を破り、新井白石は以下のような意味の意見上申を行った。
 
1.上策 本国送還 これは難しく見えるが、一番易しい。
2.中策 囚人として幽閉 これは簡単なようで実は難しい。
3.下策 処刑 これは簡単なようで実際、簡単。
 
白石が幕府に本国送還を上策として具申したのは異例のことであった。結局、用心した幕府は中策を採用し、シドッティを茗荷谷(現・文京区小日向)にあった切支丹屋敷へ幽閉することに決定した。
 
切支丹屋敷は1646年に捕らえた切支丹を収容するために作られたものであったが、鎖国と禁教政策の結果、シドッティが収容されるまで長きにわたって誰も収容者がいなかった。
 
茗荷谷の切支丹屋敷では宣教をしてはならないという条件で、拷問を受けないことはもちろん、囚人としての扱いを受けることもなく、二十両五人扶持という破格の待遇で軟禁されていた。
 
屋敷でシドッティの監視役で世話係であったのは長助・はるという老夫婦であった。
彼らは切支丹の親を持ち、親が処刑されたため、子供のころから切支丹屋敷で生涯をすごしていた。
ある日、木の十字架をつけていることを役人により発見され、2人はシドッティに感化され、シドッティより洗礼を受けたと告白した。
 
そのためシドッティは2名とともに屋敷内の地下牢に移され、その10ヶ月後の1714年(正徳4年)10月21日に46歳で衰弱死した。」(シドッチ-wikipediaより)
 
この屋敷で拷問苦に耐え切れずに転向したジュゼッペ・キアラを題材に遠藤周作は小説「沈黙」を書いた。最近イタリア人監督の手によって映画化されて日本で上映されていた。
 
「ジュゼッペ・キアラ(Giuseppe Chiara、慶長7年(1602年) - 貞享2年7月25日(1685年8月24日))は、イタリア出身のイエズス会宣教師。
 
禁教令下の日本に潜入したが捕らえられ、拷問の責め苦に耐えかねての強制改宗により信仰を捨て、岡本三右衛門(おかもと さんえもん)という日本名を名乗って生きた。
 
遠藤周作の小説『沈黙』のモデルとなったことでも知られる。」(ジュゼッペ・キアラ-wikipediaより)
 
岡本三右衛門の名は白石のシドッチ尋問記録の中に幾度も登場してくるので、記憶にとどめておきたい。
 
次項は、屋敷周辺の景色を写真で紹介したい。

2017年4月 8日 (土)

このサイトを閉じた理由が知りたい!!!

川崎市 環境放射線量モニタリングシステム
http://www.atmp-kawasaki.jp/
http://www.city.kawasaki.jp/kurashi/category/29-1-4-10-0-0-0-0-0-0.html
 
このサイトに下記の表示はありますが、これまでのような使い勝手のよい時系列データではないのが残念です。
 
「(川崎)市内における環境放射能調査
 川崎市環境総合研究所(旧:公害研究所)では、市内の研究用原子炉施設からの影響を調べるため、昭和36年から環境放射能調査を実施しています。調査結果については、次を御参照ください。
  川崎市における環境放射能調査報告書のページ
 
 また、神奈川県では、原子力関連施設周辺に放射線測定設備(モニタリングポスト)を設置し、常時監視を行っています。
 川崎市内には5か所の測定地点があります。
  神奈川県環境放射能モニタリングシステム外部サイトへリンクします(神奈川県のページ)」
福島での地震などによる放射能の散乱と関東地域への飛散を検知できていたので残念です。不都合な事実でもあったのでしょうか。

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