2018年1月22日 (月)

せごどんと十字架

私は見ていませんが「せごどん」という言葉がNHKの番組のあちこちから聞こえてきます。
 
鹿児島のことを考えていると、ふと以前西郷を訪ねたことを思い出しました。
 
まずはザビエル上陸地の海岸の夥しいナツメヤシの並ぶ小道の光景でした。
坊津でポルトガル船を降りて、和船にて島津家の邸宅の南約2㎞の海岸に上陸したのでした。
 
おそらく島津家の人々も海岸に近づくザビエルを乗せた船を見たことでしょう。
 
私の推理は島津がザビエルを日本政治安定のために読んだというものです。
その視点に立てば、島津邸から身を乗り出して海岸へ到着するポルトガル国旗を翻した和船を見ていたはずです。

西郷さんは鍛冶町で生まれ、いまでも生誕地として銅像(石像かも、記憶あいまい)が立っています。
高さ5m以上もありそうな大きな西郷さんです。
 
何気なく西郷像の周囲を歩いて、西郷さんの背中側に回ってから、その左肩を後ろから見ると、肩の上に十字架が見えました!
 
私は、何気なく「なるほど・・・」と思いました。
明治維新革命はザビエル上陸地薩摩と最初の布教地山口の連合軍によって実現したのですから。
 
西郷さんの背中の肩越しに見た十字架はなんだろうかと近づくと、鍛冶町(南がついていたかも)教会(カトリック)でした。
 
私なりの得心をもって鹿児島を後にした次第です。

そういう意味で、木戸孝允の住居を萩に尋ね、その痕跡を探してみましたが、見当たりませんでした。
木戸は完全に痕跡を抹消して人生を終えているようです。
 
ただ、吉田松陰宅も木戸宅も一本の棕櫚の木が今でも元気に生えておりました。
 
棕櫚、エルサレムではナツメヤシの葉は神を祝うことに使っていたはずです。旧約聖書にそのシーンが登場すると記憶しています。
 
西郷、鹿児島という言葉から、自然にこのような連想が浮かんできました。
年寄りの勝手な想像で失礼しました。

2017年12月22日 (金)

日本にも残っていた、技術者の良心!!!

2017年11月 8日 (水)付け、拙著ブログ「予見可能だった東北の大津波」にて、私は敦賀湾周辺の多数の原発立地の危険性を感じていました。
http://harukateinen.cocolog-nifty.com/blog/2017/11/post-a8f5.html
 
一部を抜粋します。
 
「フロイスの日本史3巻「安土城と本能寺の変」(中央公論新社)より抜粋します。
中略。
 
「若狭の国には海に沿って、やはり長浜と称する別の大きな町があった。そこは多数の人々が出入りし、盛んに商売が行われていた。
 
人々の大いなる恐怖と驚愕のうちにその地が数日間揺れ動いた後、海が荒れ立ち、高い山にも似た大波が、遠くから恐るべき唸りを発しながら猛烈な勢いで押し寄せてその町に襲いかかり、ほとんど痕跡を留めないまでに破壊してしまった。

高潮が引き返す時には、大量の家屋と男女の人々を連れ去り、その地は塩水の泡だらけとなって、いっさいのものが海に呑み込まれてしまった。」(前述のフロイスの日本史より抜粋終り)

この記述を読んだ西洋の原子力科学者は、海岸線の比較的低地に立地する日本の多数の原発に、とりわけ爆発可能性のより高いmox燃料を搭載した原発の核爆発の可能性が高いことを予見できるのではないだろうか。
 
素人のわたしでさえも、「それ」は予見可能なものであると思いました。」(抜粋終わり)
 
 そして今朝の日経ネットで、漸くこの国の技術者たちが、リーマンショック以来の長い沈黙を破って「まともに」仕事をし始めたことを知り、大変安堵し、うれしくも思いました。
 
その記事の一部を抜粋します。
 
「大飯原発1・2号機の廃炉決定 関電、採算合わず」
環境エネ・素材
2017/12/22 9:33 (2017/12/22 12:08更新)
https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24951780S7A221C1MM0000/
 
 関西電力は22日午前の臨時取締役会で、運転開始から40年近く経過した大飯原子力発電所1、2号機(福井県)を廃炉にすると正式に決めた。
再稼働にかかる安全対策費が重く、採算が合わないと判断した。

東京電力福島第1原発事故後、出力が30万~50万キロワット台の小型原発の廃炉が相次いだが、大飯2基の出力はともに約118万キロワットで国内最大の廃炉となる。
 
関西電力大飯原発の1号機(右)と2号機(福井県おおい町)」(抜粋終わり)

Photo

大飯原発(google mapより引用)
 

2017年11月27日 (月)

インフル雑感 インフルエンザウィルスの遺伝子操作??

こんにちは。
 
テレビ特集や科学雑誌の遺伝子制御の情報に接すると、最近はかなりやばい領域に進んでいるような気がします。
 
例えばうつ病の患者にある遺伝子の特異性を分析します。
 
DNAのそれに該当する部位だけを切断分離して、インフルエンザの細胞遺伝子に付け足してうつ病になりやすいインフルエンザウィルスを製造することも可能ではないかと心配になっている昨今です。
 
その時期に下記のニュースに触れて、どきりとした次第です。
ご自愛ください。草々
 
>インフル罹患「窓の施錠を」=異常行動、転落死も-厚労省
>https://www.jiji.com/jc/article?k=2017112700787&g=soc

>今日の21時のNHKニュースでこのことが報じられていました。
>服薬有無にかかわらずおかしな行動をとるようになるそうです。
>
>罹患して24時間目~48時間の間に生じやすいそうです。
>
>友人と飲むのも面倒と思っていたのが、昨日からはその友人と飲みたいと思うようになりましたので、インフルと戦って免疫が勝ったのかもしれません。
>インフルエンザに罹ったら3日間は要注意です。

2017年11月26日 (日)

アジアチャンピョンの浦和 見事な試合でした。おめでとう!

日本の男子サッカーで、メキシコ五輪以来の「男らしい」試合を見ました。
 
80%~90%がサウジアラビア代表からなるアル・ビラルを浦和レッズが力でねじ伏せてくれました。
 
試合を見て一目瞭然ですが、明らかにアル・ビラルの方が2枚くらいサッカー技術は上を行っていました。
 
負けて当然の試合を、どうやって勝つか?
 
それを浦和の監督と選手が日本男子たちに見せつけてくれました。
 
勝とうと思えば勝つのです。
 
自信がなく負けるかもと思いながら戦うから、いつも男子は負けるのです。
 
昨日の浦和レッズは勝とうとしてきちんと勝ち取りました。えらい!
やっとなでしこジャパンの世界に入ってこれましたね。
 
日本代表男子はまだ負けたくないという戦いをして、毎回負けています。
もう浦和レッズで日本代表を構築すべきでしょう。
 
ただ、フォワードのブラジル人ラファエル・シルバに変わる決定打を打てる選手が日本人にはまだいません。
 
浅野は可能性はやや残るが、まだ未熟です。
Jリーグで通用するレベルからまだ脱していません。
 
浦和の長沢はすでに世界で通用する実力を備えていますので、彼をFWに据えて背の高い選手と組ませるのがよいでしょう。
 
ずっと以前に行われた浦和のサウジアラビア国内でのアル・ビラルとのアウェイ試合も見ましたが、これは「負けたくない」という試合運びで引き分けました。
アウェイなので引き分け以上の価値を手にしました。
 
しかし、日本でのホーム試合では最初から勝ちに行きました。
見事な試合を見せていただきました。ありがとう。そして、本当におめでとう。
阿部選手も柏木選手も頑張りました。
 
私が以前からこのブログで紹介してきたサウジアラビア代表の24番のナワフ(NAWAF ALABID)の球さばきと素早い出足はこの日も見事でした。
とても日本人選手は対応できていませんでした。
彼を抑えられたのは、たまたま日本の運が良かっただけです。
また、29番のSALEM ALDAWSARI選手のミサイルもどきのミドルシュートも世界レベルでした。来年もサウジアラビアに勝てるほどの運は日本にはないことでしょう。
 

2017年11月15日 (水)

LIVE 日本対ベルギー 戦 サッカー

13分過ぎ 
長沢…??知らない。けどいい選手だ。目立っています。
初めは互角に見えました。
しかし、13分過ぎにベルギーは日本の実力をすでに見切っているようです。
 
浅野を起用するのがハリルの本気布陣なのだろうが、アザールと浅野では、大人と子供くらいのサッカープロ選手の質の違いがあります。
いま出ているアザールは知らない方で、有名なアザールはベンチだから、まだベルギーは本気度2軍かも・・。
 
幼い浅野に依存せざるを得ない今の日本のFWの貧しさです。
 
31分過ぎ
長沢は初先発だそうで、知らないはずです。
 
wikipediaよりばっすいします。
 
「長沢 駿(ながさわ しゅん、1988年8月25日 - )は、静岡県静岡市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・ガンバ大阪所属 ポジションはフォワード。
愛称 シュン
生年月日  1988年8月25日(29歳)
出身地 静岡県静岡市清水区
 
身長 192cm
体重 82kg 」(抜粋終わり)
 
・・・大きな選手だ。動きはきびきびしている。
 
井手口は今日もいい状態だ。
今後欧州で高く売れる選手だ。
 
川島が3点は阻止している。おじさん、なかなか好調である。
 
その間に1点を取れれば日本の流れは作れるのだが。
 
35分過ぎ
前線での長沢のドリブルは日本人離れしている。
大きいからだがするすると前にでる。
ベルギー選手は長沢に驚いているのではないだろうか。
 
二人のアザールを紹介する。
本物はこれ。
 
「エデン・ミハエル・アザール(Eden Michael Hazard、1991年1月7日 - )は、ベルギー・エノー州ラ・ルヴィエール出身のサッカー選手。プレミアリーグ・チェルシーFC所属。ベルギー代表。ポジションはミッドフィルダー[2]。」(wikipedia)
 
いま出場しているのは、次のアザール。
私は知らない選手でした。
 
トラガン・アザール(ボルシアMG)
 
41分 そのアザールがゴール前にフリー!しかし、下手だった。
 
42分 テレ朝のアナウンサーがエデン・アザールの弟だと紹介してくれた。
兄弟なら似て非なるものです。
女子スケートの浅田姉妹、然り。
 
後半残り時間3分で1:0で予想通り日本が負けています。
もう国道20号線へ向かわねば混み始めるので、ここで家を出ます。
秋山村訪問です。

2017年11月13日 (月)

FIFA 強化試合 日本対ブラジル戦 の駄目

日本のジャーナリズムは監督交代を促しているのだろうか?
 
あの試合を録画で見ましたが、ブラジルと互角に戦えていたのは井手口1名のみ。
あとはいつものブルーな、精神的に下がったビビり侍ばかりでした。
 
メンタルがこれほど弱いと、実力は発揮できません。
 
せっかく世界のスカウトが注目して見ている試合、もっともブラジルの選手の値踏みのために見ているのですが、当然日本の優れた選手も目に入ります。
 
井手口一人しかまともな選手はいないことをPRしたはずです。
 
「リオデジャネイロオリンピックの正式メンバーにチーム最年少として選出された。
中略。
 
2017年8月31日の対オーストラリア戦では、82分にダメ押しとなる代表初ゴールを挙げ、日本代表の6大会連続W杯出場に貢献した[12]。
21歳8日でのW杯最終予選ゴールは中田英寿に次ぐ若さでW杯出場決定試合では歴代最年少となった。」(井手口陽介-wikipediaより)
 
今年の8月31日の試合で井手口の素晴らしいゴールを初めてみました。
 
こういう選手を3年間も隠したままでFIFA予選を戦ってきた監督の選手選抜の古めかしさは罪悪でさえあると思われます。
 
まだまだ若くて才能のある選手が放置されたままになっていると思われます。
 
監督は更迭すべきだと思います。
 
ジャーナリズムはその目を持たないのでしょうか?
 
かつての第二次世界大戦における報道姿勢と同様に、完璧に敗戦を喫するまでは真実から目をそらし続ける性質がまだ続いているのでしょうか?
 
まことに情けない試合でした。
ベルギー戦はもっと情けなくなるはずです・・・。
 
ブラジルは明らかにゲーム後半は力を抜きました。
日本が好きだからです。
 
しかし、ベルギーは抜きません。悲惨な結果になることでしょう。
 
ハリルにいくらのお金を払っているのか私は存じませんが、少なくとも支払った総額は国民に明示すべきでしょう。
 
カケイ、モリトモと同様の税金の無駄遣い的雰囲気を感じているところです。
 
返金させるようなペナルティ条項を契約書には入れているのかしら・・・。

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2017年11月 8日 (水)

予見可能だった東北の大津波

フロイスの日本史3巻「安土城と本能寺の変」(中央公論新社)より抜粋します。
 
1586年の京都から堺にかけての大地震の記事がありました。
 
これを読んでいれば、東電も政府も東北大地震は予測可能な出来事であると確信できたはずです。
 
「1586年 大地震」で検索すると下記が真っ先に検出されました。
 
「天正地震は、天正13年11月29日(1586年1月18日)に日本の中部で発生した巨大地震である。
天正大地震(てんしょうおおじしん)あるいは天正の大地震(てんしょうのおおじしん)とも呼ばれる。
また、各地の被害から長浜大地震(ながはまおおじしん)、白山大地震(はくさんおおじしん)、木舟大地震(きふねおおじしん)、天酉地震とも呼ばれる。
 
『東寺執行日記』、『多聞院日記』など多くの古記録に記載され、『梵舜日記』(別名『舜旧記』『舜舊記』)には約12日間にわたる余震が記録されている。」(天正大地震-wikipediaより)
 
この記述からいえることは、日本の歴史や地震研究に少しでも詳しい学者連中はこの事実をみな知っていたことだということです。
 
なぜか原発設計の場では、その知識を封印する「くせ」が政府と東電の両者にあったと言うほかないでしょう。
 
以下は本書からの抜粋です。
 
「若狭の国には海に沿って、やはり長浜と称する別の大きな町があった。そこは多数の人々が出入りし、盛んに商売が行われていた。
人々の大いなる恐怖と驚愕のうちにその地が数日間揺れ動いた後、海が荒れ立ち、高い山にも似た大波が、遠くから恐るべき唸りを発しながら猛烈な勢いで押し寄せてその町に襲いかかり、ほとんど痕跡を留めないまでに破壊してしまった。
高潮が引き返す時には、大量の家屋と男女の人々を連れ去り、その地は塩水の泡だらけとなって、いっさいのものが海に呑み込まれてしまった。」(前述のフロイスの日本史より抜粋終り)
 
この記述を読んだ西洋の原子力科学者は、海岸線の比較的低地に立地する日本の多数の原発に、とりわけ爆発可能性のより高いmox燃料を搭載した原発の核爆発の可能性が高いことを予見できるのではないだろうか。
 
素人のわたしでさえも、「それ」は予見可能なものであると思いました。

Photo

(動画、岩手県陸前高田市 奇跡の一本松より)
毎日新聞のサイトから引用
https://mainichi.jp/articles/20170310/hrc/00m/040/003000d
 
上の記事を書いたあとで、フロイスの記事に出てきた若狭湾が気になったので「若狭湾 原発」で検索すると下記が検出されました。

Photo_2

「院長の独り言より」引用
http://onodekita.sblo.jp/article/55310666.html
 
・・・・。
福島原発事故の数年後に、知人の米国人5人家族が知人の母の故郷である名古屋を捨ててスエーデンへ移住した、その理由がやっとわかりました。
 
日本の将来に、原発の爆発事故が多発することの怖れを頂いたものに違いないと・・・。
 
長年の知人であったけれども、私が日本人であることを理由に、彼女にはその真意を漏らしていただけなかったのでしょう。
 
私は日本脱出の理由を、その直前に彼女に会って直接聞きました。
「フクシマ原発事故の放射能が怖いから日本から逃げるのですか?」
 
「ソレダケジャ~ナイ~!3人の娘たちの老後の生活に不安があるから。」
 
「フクシマだけじゃあない」・・・という意味だったのかもしれません。
 
日本の国土から一日も早く原発を撤去し葬り去るほかに手はありません。
 
エネルギー問題などという矮小な問題とすり替えてはいけないほど重要な政治課題です。

2017年11月 4日 (土)

秋山川の秋

ラクラクホンのカメラでは像がボケるので、昔使っていたauケータイのカメラを持参しました。
 
相模湖を源流とする秋山川の景色も秋の終わりでした。
 
帰宅して画像を見るとラクラクホンよりももっとボケていました。
 
というわけで今日の画像もボケています。・・せっかくだから、以前撮影したきれいなものを最下段に掲載しておきます。

S

写真1 秋山川の秋

S_2

写真2 川は浅い
 
秋山川そばに温泉があります。
長湯しました。
 
ぬる湯に入ってくつろいだあと、洗い場で髪を洗っているときに左の二人の団塊の世代らしいおじいさんたちの会話が耳に入ってきました。
 
「最近はよ~、若い人たちは洗わないでどぶんと入ってくるんだよね。」
 
「そうよなあ、~の湯なんて黒くなっているよ。」
 
私は声に出さずに、「そうだそうだ!」とうなづきました。
 
山形でも、ここ山梨でも、同じように現代日本人の若者はかけ湯をしないでどぶんとそのまま湯に飛び込むようだ。
 
やはり猿だよなあ・・・。
 
私もその会話に入りたい気持ちで一杯でした。
 
いつかどこかで若者が湯船の中で大けがをさせられるのではないか、などとこの国の病を心配せずにはいられません。
 
当たり前のことをできない日本人が大量に生産されています。
 
我慢の限界に来てしまった短気で屈強なおじいさんたちの逆襲がやって来る前に、いい加減に若者たちよ、自ら反省し、他者を見習って、かけ湯をしてから湯に浸かりましょう。

Photo 秋山村

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2017年11月 2日 (木)

世子(せいし)の元で戦った信長の家臣の黒人のこと(補足)

先に掲載したブログ「信長暗殺の下手人、明智が教会に理解を示していた!」に一部加筆訂正しました。その部分を抜粋掲載します。
黒人が世子(せいし)=皇太子の元で戦っていたというのは、本能寺の変のあとで、安土城に迎えていた皇太子の元で明智軍と黒人が戦っていたことを意味するものと理解しました。
 
*訂正 フロイスの日本史に、天皇の皇子のために京都に信長が邸宅を建てていたことが出てきました。50~60㎞も都から離れている安土迄、黒人が移動できるはずもないとは思っていました。本能寺の近くの皇子の別邸へ黒人は駆けつけて防衛していたもののようです。
 
なお、本能寺は法華宗の寺でしたが、信長が僧侶を追い出して自分の別荘のように使っていたようです。
 
ずっと以前にちゃんとした寺であったとき、寺の前を宣教師らが通過したとき、(フロイスにとって)異教徒である僧侶たちは宣教師らに罵声を浴びせたりものを投げつけたりと狼藉を働いたことがあるようです。
 
「自分は神である」と宣伝し始めた信長と、異教徒の拠点だった法華宗寺院を、一緒に焔の中に投じることは、フロイスにとっても溜飲が下がったのではないかと思われます。
しかし、天下を手にした異教徒の明智がイエズス会に対してどのような態度に出るのかわからないという恐怖も同時に感じていたことでしょう
 
皇太子の防衛隊を許してイエズス会へ渡した明智は、皇太子の側にも、イエズス会の側にも、両方の側に立っていたことを想像させてくれます。
 
言い換えると、信長暗殺の下手人は明智であるが、黒幕は皇太子とイエズス会であるという憶測が彷彿として私の脳裏に浮かんできたのでした。

2017年10月26日 (木)

信長暗殺の下手人、明智が教会に理解を示していた!

私は中央文庫「完訳 フロイス 日本史」全12巻を読んだことがあります。
中身はほぼ忘れました。
 
織田信長のそばにいた時間が長い宣教師フロイスの手紙や日記などが素材になっていますので、織田信長研究のために読んだものです。
 
そして10年後の今、それを電車で読んでいます・・・。
本棚に3巻がないのでそれを読んでいます。
まだ信長は元気な時代です。
 
最近たまたま下記をネットで読みました。
 
「信長、大興奮!! ~弥介の肌の色~」 
https://ameblo.jp/ukitarumi/entry-12070345720.html
2015年09月09日(水)
 
黒人を発見したときの信長の大声に興味があったからですが、その中に下記のフロイスの報告書の抜粋がありました。
例のフロイスの日本史では見た記憶がないものでした。
 
その中に驚く表現を見つけました。
 
「③「1582年11月5日付、口之津発信、ルイス・フロイス師のイエズス会総長宛、信長の死に関する報告書
 
■翻訳文■
(前略)
信長の求めによって巡察師が彼の許に残していった黒人(カフル)が信長の死後、世子の邸へ行き同所で長い間戦っていたので我らは少なからず心配していたが、明智の一家臣が彼に近づき、恐れずに刀を(棄てるよう)求めたところ、彼はこれを差し出した。
 
別の家臣が明智の許に行き、黒人をいかにすべきか問うたところ、その黒人は動物(ベスティアル)であって何も知らず、また日本人でもないから彼を殺さず、インドの司祭たちの教会に置くように命じた。」(抜粋終わり)
 
 
仏教徒(法華宗)であると思われる明智がイエズス会教会に理解を示している様子が伺えるのです。
 
黒人が世子(せいし)=皇太子の元で戦っていたというのは、本能寺の変のあとで、安土城に迎えていた皇太子の元で明智軍と黒人が戦っていたことを意味するものと理解しました。
 
*訂正 フロイスの日本史に、天皇の皇子のために京都に信長が邸宅を建てていたことが出てきました。50~60㎞も都から離れている安土迄、黒人が移動できるはずもないとは思っていました。本能寺の近くの皇子の別邸へ黒人は駆けつけて防衛していたもののようです。
なお、本能寺は法華宗の寺でしたが、信長が僧侶を追い出して自分の別荘のように使っていたようです。
 
ずっと以前にちゃんとした寺であったとき、寺の前を宣教師らが通過したとき、(フロイスにとって)異教徒である僧侶たちは宣教師らに罵声を浴びせたりものを投げつけたりと狼藉を働いたことがあるようです。
 
「自分は神である」と宣伝し始めた信長と、異教徒の拠点だった法華宗寺院を、一緒に焔の中に投じることは、フロイスにとっても溜飲が下がったのではないかと思われます。
しかし、天下を手にした異教徒の明智がイエズス会に対してどのような態度に出るのかわからないという恐怖も同時に感じていたことでしょう
 
皇太子の防衛隊を許してイエズス会へ渡した明智は、皇太子の側にも、イエズス会の側にも、両方の側に立っていたことを想像させてくれます。
 
言い換えると、信長暗殺の下手人は明智であるが、黒幕は皇太子とイエズス会であるという憶測が彷彿として私の脳裏に浮かんできたのでした。
 
そもそもなぜ私がフロイスの日本史を今電車で読んでいるのかをお話しします。
一度読んでいるから内容をよく知っているのではありません。
 
わかりにくいし、冗長な長い文章が多いのです。
だから読んでいるうちに眠ってしまいます。
 
退屈な通勤電車の中で。どうしたらぐっすり眠って疲労を取ることができるのだろうか?
必死で考えた結果が、電車で「フロイスの日本史」を読もうということだったのです。
 
2度目の読書ですが、最初が冗長ゆえに理解しずらかっただけに中身をまったく記憶していませんので、2度目でも新鮮です。
 
しかし、10分も経過すると、もう手に本を持つことができなくなります。
睡眠薬でもこれほどの効果は発揮できないのではないでしょうか?
 
だらだらと、回りくどいフロイスの言い回し。
zzzzz・・・。

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