2017年12月 9日 (土)

幸せます!(山口弁)

てれんこぱれんこ (山口の方言)
https://dictionary.goo.ne.jp/leaf/dialect/2764/m0u/より抜粋します。
 
「ふらふらする。ぐずぐずする。 時間がないけー、てれんこぱれんこするなっちゃ (時間がないから、ぐずぐずするな) ※ 「てれーぐれー」とも。長門では「てれんぱれん」とも。 」
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防府ブランド「幸せます」について
http://shiawasemasu.jp/より抜粋します。
 
「山口県の方言である「幸せます」は、「幸いです。うれしく思います。助かります。
ありがたいです。便利です。」の意味を持って使用されています。
 
「幸せます」という言葉は、2010年5月に日本テレビ系列(YTV 読売テレビ制作)のバラエティ番組である『カミングアウトバラエティ!! 秘密のケンミンSHOW』で取り上げられ、全国的に知られるようになりました。
 
かねてより、授業で地域の活性化に取り組んでいる山口県立防府商工高等学校から、2010年7月に「幸せます」に「幸せが増す」という意味も付け加え、防府の地域ブランドとする提案が防府商工会議所に行われました。」(抜粋終わり)
 
山口県生まれの家内に聞くと、家内の『母親は「幸せます」は使っていたことがあるが、「てれんこぱれんこ」は知らないそうです。
 

2017年12月 7日 (木)

武甲(ぶこう)温泉(秩父)に行きました

Buko1

秩父湯元 武甲温泉 の入り口付近
 
所沢在住の会社の同僚若手埼玉県人に聞かれました。
 
「温泉によく行くそうですが、秩父の武甲温泉はどうですか?」
 
「・・・行ったことがないのでわかりません。今度行ってきます。」
 
そういったので、今朝5時川崎の自宅を出発、快晴、国道16号から入間で国道299号へ左折し、ひたすら山の方へ走り、この道の駅の道路真向かいに温泉あと5㎞の看板を発見しました。9時20分にトイレ休憩しました。
 
そして9時30分過ぎに温泉に到着。
 
「今日はカラオケ大会があるから、バイクは奥の駐輪場へ止めてください。温泉は10時からなので玄関でお待ちください。」とのおじさんのアドバイスでした。
 
冬のバイクジャケットを着てきたのは正解でしたが、ウィンドブレーカーを忘れてきたので大変寒かった。登山用のシャツとセータを着てはいるものの。
 
国道299号の北側斜面のところは「ブラックアイスバーンに注意!」と看板がありました。
 
意味は英語なのでよくわからないものの、なんとなく黒い道路面にアイスがあるよと警告してくれているようです。日本人には日本語で警告せよ!
 
いくつかそういう場所を通過していると、明らかに霜が降りてそれが薄く凍ったような表面に何度は出会いました。
まだ薄いのでバイクのタイヤがすべることもなく無事に目的地へ到着できましたが、もう秩父へバイクで入るのはやめましょう。春の雪解けまでお預けです。
 
駐輪場で日向ぼっこしながら10時なるのを待っていると、初老のおじさんが近づいてきました。
 
「年金だけでは食えんので、働いとるんじゃあ。しかし、今日はカラオケ大会があるから、会社を休んできたんじゃあ」
 
(この話題は後でここに追加記入します。)

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単純硫黄温泉(低張性アルカリ性温泉)
源泉35℃
 
湯船で腕が下がりにくく、足を延ばすと腰がらくらく上がってきました。
 
アルカリ濃度がかなり濃いようですので、美肌効果も大きい感じです。
 
1時間ほど浸かっていて、私の手のヒラの色がややピンク色に染まってきたのは、初めての体験でした。
赤みのあるピンク色です。お酒も飲んでいないのにです。
 
2~3週間湯治をすればいろいろ体によさそうです。隣にある別館は宿泊できそうです。
 
アクセスは、
 
『西武鉄道横瀬駅より横瀬小学校(国道299号)方面へ
横瀬小学校脇(歩道橋が目印)を入って約300m』と、下記の温泉の公式サイトに出ていました。
http://www.buko-onsen.co.jp/

Photo

道の駅から北を撮影。遠くに見えるのが武甲山だろうか。こういう雰囲気の場所にある温泉でした。

武甲温泉の帰路、国道299号線を入間方面へ向かう途中に、上の写真の『道の駅果樹公園あしがくぼ - 歩楽~里(ぶら~り)よこぜ』により、昼食を取りました。
http://www.yokoze.org/
 
「秩父名物ずりあげうどん」をここで食べました。
https://tabelog.com/saitama/A1107/A110701/11003768/dtlrvwlst/B112532835/
 
 
面白い自分流の薬味入りつゆの作り方でした。
 
麺は普通サイズかやや細めで、結構固めでした。
並み盛でしたが、お腹いっぱいになりました。
 
 

2017年11月28日 (火)

ガマズミの実、いっぱい

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11月28日のガマズミ

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同上拡大(ラクラクホンなので画像はこれが限界でした)

富士山の北方にある山北町のガマズミの赤い実を見ていると、秋本番だという印象でした。

下記アドレスの過去記事でもこの赤い実のことは詳しく記載しました。

http://harukateinen.cocolog-nifty.com/blog/2017/10/50-7cca.html

 

「ヨツズミ」とも言うそうなので、それがこの山間(やまあい)の少女たちの間では

「ヨドズメ」と訛って使われていたのでしょう。」と書いていました。

 

ガマズミの花言葉とは?

 

『結合』『私を無視しないで』『私を見て』

しかし・・・都会へ入ると別景色でした。

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新宿高島屋、東急ハンズ前のイルミネーション広場

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六本木けやき坂

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同上

これらの都会の光景を見ると、もう1年が通り過ぎようとしていることに気づかされます。

2017年11月15日 (水)

秋@秋山村(山梨県)

秋山川は相模湖から流れ出ています。

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秋山川 (相模川水系) は、 山梨県上野原市・神奈川県相模原市緑区を流れる相模川水系の一級河川です。
 
以前auガラケーで撮影しましたが、接写設定になっていてボケていました。
漸く、まともな設定で同じガラケーで撮影できました。10年ほど前のガラケーカメラの写真としてはまあまあでしょう。

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秋山川と支流の安寺沢川(あでらさわがわ)に挟まれたところに秋山温泉はあります。
地図は、http://www.akiyamaonsen.com/ より引用しました。

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秋山村 この左手奥に温泉があります。

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橋を渡ります。その橋の中央で一番上の写真を撮りました。

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入口から右手の赤い紅葉に目が行きます。

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歓迎の紅葉

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紅葉の間から秋山温泉が見えてきました。

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温泉バイク

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清州城の織田信長廟(びょう)の光景を思い出しました。そしてイタリア大使館の玄関前の楓の木を見に行かねばならないことを、ふと思い出しました。

東京、三田、慶応大学のすぐ近くにあります。

秋山村の紅葉は、私のふるさとの玖珠の山々と同じ色をしてきれいです。

そして村の光景や温泉のたたずまいなどは、実家最寄りの湯ノ平温泉のそれを思い出させてくれます。

大分・湯ノ平温泉の清水旅館の岩風呂は私の亡き両親のお勧めでした。

 

 

 

 

2017年10月31日 (火)

スズメバチと50㎝の距離!

アルカリ単純泉に浸かってきました。
信玄が負傷兵に湯治をさせた川湯が発祥らしい。
 
ここは小田原の山奥なので、甲府から山越えして小田原城攻めに来たのだろうか?
信玄が来たかどうかは別にして、信玄の息のかかった家臣が山岳地帯から小田原へ攻めることは何度かあったのだろうと思います。
 
玄関脇にミツマタのつぼみのようなものを見つけました。
冬に黄色い花のようなものを沢山つける印象深い木ですが、今は緑色一色です。

Photo

1 ミツマタ

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2 つぼみ@ミツマタ (間違っていなければいいけど、木の名前)
 
台風22号が関東を通過したのは10月29日の夜でした。
今日は10月31日。
1日半を過ぎたのに、空は曇りときどき晴れなのに、館のそばの小川が瀑布のような轟きを立てていました。

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3 河内川
川の増水を見ようと川面をのぞき込むと、真っ赤な実が目に映りました。
 
白い水シブキ、アルカリゆえのやや青味がかった清水の色の中で鮮やかに朱色が浮き上がって見えました。
 
湯上りに町営温泉館のおじさん、おばさんに聞いてみました。
 
「川の赤い実の木はなんという名前ですか?」
 
おばさん「私たちが若いころには『よどづめ」と呼んでいたけどねえ」
 
おじさん「俺たちは山や川で赤い実を沢山食べたよ。甘酸っぱいけどおいしいよ。名前はガマ〇〇と4文字だったけど、思い出せねえ。」
 
・・・調べると「ガマズミ」という名前でした。
「ヨツズミ」とも言うそうなので、それがこの山間(やまあい)の少女たちの間では「ヨドズメ」と訛って使われていたのでしょう。

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4 ガマズミ

Gamazumi

4-2 ガマズミ-wikipediaより引用
 
「ガマズミの花言葉とは?実の効能や育て方は?」より抜粋します。
https://horti.jp/9782
 
「ガマズミは、花や果実、紅葉を楽しむことができる落葉性の樹木です。
日本では山野でごく普通に見かけることができますよ。
特に秋につける真っ赤な実は、疲労回復の薬として、東北地方の狩人たちの間では古くから大切に扱われてきたそうですよ。
今回は、そんなガマズミの花言葉や、実の効能、育て方についてご紹介します。
 
ガマズミの花言葉とは?
『結合』『私を無視しないで』『私を見て』
 
ガマズミの実は、1粒は小さいですが、濃紅色で華やかさがあり、人目を引く美しさがあります。
このことから「私を見て」「私を無視しないで」という花言葉が付けられました。
 
ガマズミの学名・原産国・英語
学名Viburnum dilatatum科・属名スイカズラ科(レンプクソウ科)・ガマズミ属英名Linden viburnum
Japanese bush cranberry
Linden arrow-wood原産地日本、朝鮮半島、中国開花期5~6月 ※結実は9~10月花の色白別名莢?(ガマズミ)
蒲染(ガマズミ)
ヨツズミ
ヨウズメなど
 
ガマズミとは?どんな花を咲かせる樹木?
ガマズミ 地植え 花
ガマズミは、日本から中国に分布する落葉低木です。日本では、北海道から九州までの全土で見ることができます。樹高は2~3mほどに生長し、縁にギザギザのある広い円形や卵型の葉っぱを付けます。5~6月頃、直径5mmほどの小さな花を、枝の先端にたくさん咲かせます。
 
そして、9~10月に、3~5mmほどの濃紅色の実を付けます。実はそのまま食べることができるほか、果実酒や漬物の着色料、衣料の染料としても利用されています。近年では、「ジョミ」と呼ばれる実のジュースが青森県の特産品として販売されています。」(抜粋終わり)
 
駐車場のわきの斜面にはあざみの花があちこちに咲いていました。

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5 あざみ
館の右奥に蒸気抜きを屋根に持った建物がありますが、そこが湯船で、内湯と露天風呂があります。
館の2階で湯上りに自由にくつろげます。

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6 山間の湯
信玄は部下の福利厚生に力を入れていた。

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7 アルカリの湯
いつも思うのだが、この倶楽部は何をするのだろうか?いつかおばさんに聞いてみよう。

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8 奥丹沢 鬼嫁クラブとは?
 
2階で汗が引くまでくつろいだあとで、帰ろうとバイクのそばに近づくと、タイヤの下から大きなスズメバチがゆっくりと私の方へ近づいてきました。
地面を歩いています。
酔っぱらっているようなのろまな動きです。
 
怖いのでバイクの反対側へ私が回ると、見えるのか赤外線に反応しているのか、移動した私の方へ方向を変えてまた近づいてくるのです。
 
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9  私の方へ向かって歩くスズメ蜂(タイヤ傍)
 
館のおじさんが玄関外の落ち葉掃除に出てきたので訴えました。
 
「これはスズメ蜂ではないでしょうか?」
 
「おっ、こんなでかいのがどこからやってきたのか?!」
そういうと同時におじさんが作業靴でスズメバチの体を思い切り踏みつけました。
妙な音が聞こえました・・・。
 
しかし、まだ蜂は手足をゆっくりと動かしています。
 
「針を抜けばなんでもないのだからな・・・。」
 
そういいながらおじさんは傍の軽トラックの荷台へかがみこむとペンチを手に持ち、おそらくトラックの荷台の上で、箒でスズメバチを押さえつけてお尻の針を抜いてしまったようです。
 
「ようです」というのは荷台の棚のせいで私から中の様子は見えなかったからです。
そうしておいて、花壇の方へポイっと捨て去りました。
 
なんとも手慣れた扱いに関心しました。
子供の頃から蛇や蜂や危険なものとの遭遇を経て標準作業方法が身についているものと思われました。
 
「なぜここにスズメバチがいるのでしょうか?」
 
「さあ、上の道路の橋げたに大きな巣があったから、道路管理者の神奈川県に撤去を申し入れたことがあったなあ。そこら辺から来たんじゃあないかな」
 
「では、なぜよろよろと弱って歩いているのでしょうか?」
 
「今日は寒いから、体温が低くなって活発に動けないんだろうよ」
 
いい勉強になりました。

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10 スズメバチ@地面(おじさんが踏みつぶす前の健全な姿です)

2017年10月27日 (金)

いいお湯ですが、湯質はどこに書いてあるんですか?

厚木の山の奥へ入ったところの湯に入りました。
 
以前、入った相模湖の奥のある温泉(故郷の湯ノ平温泉に似ていて気にいっているもの)に冷泉(38度くらいか)があり、心地よい湯でした。
そこはアルカリ泉でした。
http://www.akiyamaonsen.com/index.html
 
何度か人肌のぬるさの温泉で眠りに落ちそうになりました。
冬眠のメカニズムが作用するのではないかと思っていました。
 
今日は厚木市の山の方へかなり入ったところの湯に浸かりました。
なぜならそこには冷泉風呂(内風呂の狭い方)が狭いけれどあるのです。
 
数年前に2度ほど入って、湯質には関心が湧かなかったのでそのまま忘れていました。
(追記 あとでわかるのですが、この「湯質評価の能力」はなかなかのものだったのだなあ、と一人で感心しております。)

しかし、上記の温泉で冷泉風呂の心地よさを覚えてから、この湯の存在を思い出したのです。
 
浸かりました・・・。
 
寒いくらいです。夏なら気持ちよいのですが、富士山が昨日冠雪しているのを初めて我が家から見ました。
そんな晩秋の冷泉は寒い。
 
我慢して入り続けると、体温で肌の周囲の水の温度があがり、おちついて浸かることができるようになりました。
 
数名おじさんが入って来るので、地元では寒いと感じていないようです。
そのうち、うとうとと眠くなってきました。
 
冬眠メカニズムだ!
 
露天風呂は温かいのですが、かけ流し風の桶水があったのでちょっと舐めるとアルカリ泉風のやや薄い塩辛さが感じられました。
やはりここは温泉ではないか!?
 
湯上りにフロントのおじさんにパンフレットをもらってみるとそこにも湯質は書いていません。
 
「すみません、ここの湯質はなんでしょうか?」とつい質問しました。
 
「ここは完全な水道水です!」と自信たっぷりに真顔で答えました。
 
ええ!水道水!
水道水に2時間浸かって、湯質にほれ込んだ私は一体どうなるのでしょうか?
 
これまでのコストパフォーマンス日本一の日帰り温泉を訪ね歩いてきた目利はどうなるのでしょうか?
 
事実は小説より奇なり。

2017年10月14日 (土)

姥湯温泉 訪問記

雄猿が2匹私が一人でいる山姥の湯に入ってきました。
 
猿のことは下段で紹介します。
 
見た目は人間そっくりですが、体を洗わずにどぶんと入るので、おそらく「猿」だと私は思っています。人間だと思うと腹が立つのでそう思うようにしました。
 
この手の「猿」は東京の通勤電車でも多数みかけますが・・。
 
「姥湯温泉 桝形屋 山形県米沢の秘湯 日本秘湯を守る会 会員の宿」
http://www.ubayuonsen.com/
 
ここに行ってきました。温泉成分分析表もこのサイトにありました。
 
朝5時東名川崎ICに入り、9時に東北自動車道の福島逢坂ICを降り、山形、米沢方面で国道13号線へ。
 
あとは以前書いた滑川温泉へのルートと同じです。
http://harukateinen.cocolog-nifty.com/blog/2017/09/post-8bcc.html
 
滑川温泉からさらに急な坂を上り4㎞で姥湯温泉に到着します。
 
宿は一軒のみなので迷いはありません。
 
10時に姥湯温泉着。(日帰り入浴は露天風呂のみで600円)
12時に帰路滑川温泉の内湯(500円)に入ってから米沢市内のホテルへ宿泊。
前回滑川温泉は露天風呂だけに入って内風呂には入らなかったので気になっていました。
いい湯質でした。
湯治で長期間泊まるならここがいいと思いました。
透明度は50㎝くらいあって、姥湯の薬師の湯に似ています。
成分もほぼ似ていました。
建物や湯屋が古いのに清潔なところも気に入りました。
 
翌朝、米沢藩奥座敷だったらしい米沢市近くの小野川温泉尼の湯(共同湯200円)で朝風呂に入り、12時に東京へ向かい、雨の中を18時に帰宅しました。
 
なお尼湯はコストパフォーマンスでは日本一でしょう。
滑川温泉内風呂の湯に似ているように感じました。
時計がなく、不思議な米沢藩の悠々自適な藩士たちの気分がおじいさんたちの雰囲から感じられました。
よそのものはちゃんと入浴券を棚の見えるところに置いて入り、帰りに券入場に入れて帰りましょう。無賃入浴は逮捕されるようですよ・・・。
 
あいにく、今回は携帯電話を自宅に忘れたまま、出発してしまいました・・・。
つまりカメラも手元になく、せっかくの秘湯の絶景を脳裏に残すことしかできませんでした。
 
今の時期、紅葉のまっさかりでしたが、その写真がここにありました。
http://www.ubayuonsen.com/guide/index.html
 
『体育の日前後の時期が姥湯の紅葉が最高だ』と記憶しておきます。
今度はカメラ持参で撮影することにします。
 
坂道が険しいので運転未熟な人にはお勧めしません。
自動車ではバックしてハンドルを切り返さないと登れない屈曲した坂道が一か所あります。
 
バイクは、倒れそうになるほど急な坂に何度か出会います。要注意です。
 
湯質としては滑川温泉とほぼほぼ同等なので、滑川温泉の露天と内湯(ぜひ浸かるように)で満足できます。
 
「ほぼほぼ」と申すのは、実は青味がかった乳白色の湯の透明度が15㎝程度と濃いのが姥湯の混浴露天です。
山姥の湯(やまんばのゆ)といいます。
 
その小道向かいにある薬師の湯は同じような源泉ですが、透明度は50㎝以上でした。
一方の山姥の湯は透明度が低く、浸かってしまえば体は見えなくなりますので女性も安心ということでしょう。
 
もっとも高齢の御婦人に数名会うだけで若い人はおそらくめったに来ないでしょう。
内湯の方には若いカップルなどいたようですが、絶景を堪能できるのはこの山姥の湯が最高ですので、混浴がだめな方はもったいない。
 
女性だけはバスタオルを巻いたままで湯に浸かっているようですので、それほど抵抗はないのではないかと思います。幸い私が山姥の湯にいるときは同席は山猿たちだけで、よかったです。
 
帰宅してこのサイトを読んでわかったのですが、私が脱衣して長い間一人でゆったり浸かっていた薬師の湯は「女性専用」と書いてありました。
・・・知らなかった・・・。
途中でおじさんが湯温調整にやってきて薬師の湯で会話したのですが、何も言われませんでした。
てっきり男性okの湯と私は思っていました。
 
「おや、山姥の湯には女性が入っているのですね」とおじさんが言いましたが、今考えると私に向かって「あちらがふさがっていたからこちらへ来ていたのですね」という意味が含まれていたことに気づきました。
 
薬師の湯は湯の底まで見えるほど透明度が高いので、おじさんからは私の裸身が全部見える次第です・・・。
 
このサイトより下記を抜粋します。
 
「姥湯温泉 桝形屋の歴史
後奈良天皇時代天文二年(一五三三)大字大沢の遠藤大内蔵が発見して開湯、のちに桝形屋を開業し、現在の当主は一七代目になります。
 
姥湯温泉の由来
鉱山師だった初代が鉱脈を求めて山々を渡り歩いているとたまたまこの地へやって来た。
すると露天風呂に髪の長い女性が湯浴みしているではないか。
こんな山奥で女が湯浴みとはと驚き、おそるおそる近づけば、なんと、赤ん坊を抱いた恐ろしい形相の山姥であった。
思わず逃げ腰になると、山姥はそんな因果な山師などやめて、この湯の湯守にならんかいと云い残し、赤ん坊もろとも山姥の姿はどこかえ消えてしまったという。
それ以来、この湯を姥湯と名づけ、現在に至ると言い伝えられております。
 
雲婆泉記 平洲全集採録
(漢文だけですので省略し、訳文のみを抜粋し、掲載します。)
 
【通釈】
米沢の吾妻山温泉に、著名な湯が三つあり、滑川温泉といい、五色温泉といい、姥湯温泉という。
 
中でも姥湯温泉は最も山が深く静かで、その風景は最もすぐれている。しかし、寒さが非常に厳しくて、ただ六、七月の頃にだけ、寄りつくことができる。五十里も登りつつ進んで行くのだが、言いようもない険しさである。
 
私は、足痛持ちであって、残念なことではあるが、もう長い間、姥湯温泉のことはただ話しに聞くだけであった。
 
お殿様が私のこの体たらくをお聞き及びになって、神保子廉を姥湯温泉に派遣し、その様子を記録するようになされた。子廉は、四日も五日もかけて、山を歩き川を渡って、やっと帰ってきたのであった。その記録にいう 」(抜粋終わり)
 
これを読んで、やはり五色温泉にもいかねばなるまい・・と思いました。
いずれまた。
 
さて、雄猿(おすざる)のことですが、いずれも年齢20歳~30歳。
 
私が一人で入っていると、一匹がどぶん、しばらくして別の群れの猿と思われる若いのがどぶん。
 
人間の若者そっくりの体ですが、体を湯に浸かる前に洗わないので、知能の低い獣であろうと推測した次第です。
 
見た目は人間なんですけど・・・・。
おはようと声をかけても目も合わせないし、返事もしません。
 
人間ならしますよね。
 
洗い方を教えて人間っとぽくなるように指導しようかと思ったのですが、この手の猿は東京の電車内でもスマホをカチカチやって忙しい。大量に生息しています。
 
私の寿命をあと20年とカウントすると、残された貴重な時間をこの手の猿の教育に割くのはいかにももったいない。
 
税金で学校で教えておくべき・・・。
猿育成のために税金を文部省に払っていると思うと腹がたつ。
 
我慢して猿は猿のまま放置して帰りました。
猿と混浴とは実に驚きました。
 
毛のない猿が次々と入って来ることは覚悟しなければなりません。
自然で一杯・・・ということですか。

2017年9月16日 (土)

中野不動尊 詳細

山形の滑川温泉日帰りの行きの途中で発見しました。
東北自動車道福島逢坂ICで国道13号線を米沢市へ向かって走っていると、姥湯温泉への曲がり角のかなり手前にありました。
ついでだから不動尊に参拝してきましょう。
中野不動尊-wikipediaより抜粋します。
 
「中野不動尊(なかのふどうそん)は、福島県福島市飯坂町中野にある曹洞宗の寺。
中野山大正寺と号す。
日本三大不動尊のひとつに数えられる。
 
約820年前に開かれたといわれる。
1179年(治承3年)春、恵明道人が1匹のカモシカに導かれ当地に入山し、
未踏の地であった中野の山中に洞窟が人々により長きに渡り掘られ、各施設が建立され寺院として整備されていった。
境内には厄除・眼守・三ヶ月の三不動明王が祀られており、日本における六三除けの祈祷発祥の地といわれている。」(抜粋終わり)
 

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中野不動尊4
滝の上には太い締め縄があります。
滝の左下に立っているのは弘法大師ではないだろうか?
 

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中野不動尊5
これが不動尊かなと思って小僧さんに聞くと、本殿奥の鏡の裏側に不動尊はおられるので、参拝客には見えないとのこと。
これは不動明王像には違いないだろう。
高幡不動でよくご尊顔を拝んでいます。
 

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中野不動尊6
ここにご本尊がいるそうだ。
 

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中野不動尊7
賽銭箱、鈴のそばに蝋燭立てがあり、その奥に岩を彫った祠(ほこら)がある。
奥に鏡が見える・・・「ん??」アマテラス?
弘法大使の教えに神が登場してもおかしくはない。
まず仏教は日本列島に浸透する際に、日本の古代神道と修験道の中で習合したように思われる。
だから仏と神は仲が良い。
中近東の一神教同士の殺し合いに比べれば、東洋の宗教はほのぼのとしている。
 
また、どうやら釈迦も宇宙創造の神に近いものを考えていたようです。
大日如来とそれを名づけて仏教の中で最高位置を与えています。
 
大日如来を現代風に訳すと、「大きな太陽(日)が来るが如し!」となる。
それは天照大神そのものに見えます。
こんなことを考えながら、鏡の奥に隠れておられるというご本尊様、たぶん中野不動尊に家族と親戚一同の無病息災を祈りました。
 

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中野不動尊8
本堂の左手にはこのような石のトンネルがありました。
中は彫りやすいらしい花崗岩のトンネルでした。入り口だけ小石を積み重ねたトンネル姿でした。
 
暗そうだし、中からうなり声のようなものが聞こえるし、なんだか怖いので入るのをためらっておりました。
 
さきほどおばあさんが一人ですたこらと中へ入って行きました。
 
小僧さんが私の姿に気づいて、教えてくれた。
 
「中には童子像が沢山彫ってあります。
洞内はアナウンスにて童子を紹介していますし、中は照明で明るいのでご心配なくお入りください。」
 
もし中で捕らわれの身になってもいいやと覚悟を決めて、大滝の裏側を彫って周回できる長いトンネルに入って行きました。
 

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中野不動尊9
童子がありました。銅製です。祠が岩を彫って作ってある。
 

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中野不動尊10
いろいろありますが、きりがないので、これくらいにします。30体以上あったかもしれません。
 

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中野不動尊11
やっと滝の反対側から出口へ出られました。「ふ~!」
出てきて気づいたのですが、弘法大師の信仰であれば、般若心経(はんにゃしんぎょう)をトンネルの中で唱えながら歩けばよかったと気づきました。
四国お遍路もそうです。
 
「色即是空 空即是色(しきそくぜくう くうそくぜしき)」の「あれ」です。
 
色鮮やかなお嬢さん!そのうち色もあせて白髪となり、骨と皮になり、死んだあとは骨しか残りませんよ。空っぽになります。
色(しき)はすなわち、これ空(くう)なり。
 
そんな空っぽなむなしい人間の体ですから、今色鮮やかに輝いている若いその時期に、思い切り恋愛をし、仕事に熱中し、仲間と生活を楽しみなさい。
いま楽しんでおかないと、いずれは空っぽになるんですからね!
「くうそくぜ~しき」はそういう意味です。
「がんばれ!」って元気づけてくれる句です。
これが最も短い釈迦のお経「般若心経」の中で一番私が好きな一節です。
 
「しきそくぜ~くう くうそくぜ~しき!」(合掌)
 
田んぼのそばに曼殊沙華の赤い花が咲き始めました。
母の命日にが近い印です。
 
遠く武蔵野の関東から九州の空っぽの母の骨に向って、「しきそくぜ~くう くうそくぜ~しき!」

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朝の通勤途上で見た近所の曼殊沙華

2017年9月11日 (月)

山形の秘湯・・・日帰り

とてもいい湯質でした。さすがは山形です。

燃料と高速道路代を含むので、入浴料は500円と格安でしたが、総コストは高い日帰り湯でした。
 
目的はVTR-F250との最後のツーリングを、できるだけ長く楽しむためでした。
片道300㎞を往復してきました。
 
午前2時40分、川崎市の自宅発、
東名高速⇒首都高速中央環状線⇒東北自動車道、福島逢坂ICで下車、国道13号線を米沢市方面へしばらく走ってから、「姥湯温泉左へ」の看板を見て県道54号線へ左折し、道なりに、案内なりに進む。
 
姥湯(うばゆ)温泉と並んで滑川(なめがわ)温泉の案内看板が立っているので迷うことはないでしょう。姥湯の手前に滑川がありますので、姥湯の標識に従えば滑川に着きます。
 
午前9時40分米沢の山奥の旅館に着。
日帰り入浴できますが、時間帯と湯船に制約がありますので、サイトで確認していくといいでしょう。電話問い合わせすれば間違いない。
 
「米沢 秘湯の宿 福島屋
滑川温泉 福島屋
電話でのご予約・お問い合わせはTEL.0238-34-2250
http://www.namegawa-fukushimaya.com/
 
ご予約はこちら
 
皆様に支えられ、200余年、14代にわたり湯守をしております。
設備の整わない古い宿ではありますが、宿周りの景観と湯質の良さで、長年いらしてくださる方も、多くいらっしゃいます。
ご来館をお待ち申し上げます。
 
平成29年の営業を4月27日より開始しました。
ここまで来た甲斐があった、と思える温泉。」(旅館のHPより抜粋)
 

06

川沿いの露天風呂、硫黄を含むから川の鉄分がさびて赤い色をしているのかと納得しました。内風呂も日帰りで入れますが、地元の人は多くが内風呂に入っていましたので、そちらが湯治にはよろしいようです。私は風景が大事だから温めの露天だけに浸かりました。

Photo_4

湯船の隣に赤い岩と緑の苔

Fukusima_ousaka03

東京~福島逢坂IC

05ya

福島市街と滑川温泉(左端の赤い印) 
国道13号線を西へ向かう途中、福島~山形県境を越えて、米沢市手前で姥湯温泉方面の看板で山に入り、8㎞登る。自動車もいけますが、離合は気を使います。運転初心者はやめた方がいいでしょう。

「落石注意」と右の崖、左は「崩落注意」と崖崩れ進行中の場所も、いくつかありました。

7時間走って、30分間入浴、6時間走って帰宅。行きは安達太良山のふもとのPAで仮眠1時間含む。

「ここまで来た甲斐があった、と思える温泉」は実感です。
 
温泉は、「これだけあれば幸せ」と感じさせてくれます。
硫黄の香りもほどよく乳白色の湯質は最高でした。
 
「泉質
含硫黄-ナトリウム・カルシウム-炭酸水素塩・硫酸塩泉(低張性中性温泉)
 
温泉街
標高850mの山中に一軒宿の「福島屋」が存在。近隣には日本の滝百選にも選ばれている滑川の大滝がある。
 
歴史
発見は1742年。(米沢藩の)郷士斎藤盛房が、川中で足を滑らせ転倒した際に高温の石に触れ、温泉を発見した。温泉名もこれに因み、川で滑ったことから滑川となった。
 
一軒宿は1763年に、米沢藩の許可を得て開業。湯治場として賑わった。その名残で余裕が有る場合は一人でも宿泊を受け付けてもらえる。また現在も自炊部が存在しており長期の湯治に便利。」(滑川温泉-wikipediaより)
 
米沢藩か・・・。
 
山道を8㎞も越えて走りながら、江戸末期の米沢藩の内情に思いを馳せました。
家康の命令により会津100万石から米沢30万石に配置換えされた上杉家の侍たちの山越えの旅を想起しました。
 
同じ頃、ヒロシマの毛利藩も領地を半減以上されて、瀬戸内海防府あたりから山を越えて萩へと城を移していました。
 
この仕返しはいつかやってやると心に念じながらの山越えでした。
 
毛利藩はそれから300年後に明治維新により徳川幕府を壊滅させました。
 
その頃、ここ米沢で上杉家家臣団はどうしていたのか、今後考えてみたいテーマが生まれました。
 
臍(ほぞ)を噛む気持ちは毛利も上杉も同じだったはず。
 
しかし上杉は忠臣蔵事件で肝を徳川方に抜かれはしなかっただろうか・・・。
吉良の長男が当時の上杉藩主だった・・・。
赤穂浪士の半数は千代田区内)江戸城下大番組居住区)に仮居住を黙認したとか、赤穂事件は幕府演出の臭いがします。
 
以下に途中の景色などを掲載します。

Photo

安達太良山(安積PAだっかしら)

Photo_2

左から二つ目の山が安達太良山。活火山なんですってね。滑川、姥湯のよい湯質と安達太良山の火山鉱脈とは地下でつながっているのではないかと感じました。別府の湯と鶴見山との関係のように。

Photo_3

PAのベンチで早朝仮眠しながらあおむけ撮影。

この空が欲しいと智恵子は言った・・・。

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01こんな山道を8㎞も登ります。

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02 すれ違いやっとの山道、交通安全意識をもっていないとぶつかります。

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03 愛車HONDA VTR-F250(250cc)と滑川温泉福島屋旅館全貌

排ガス規制強化でたしか今年で生産終了。現在在庫のみ販売中。

いずれ幻の名車になるでしょう。

3年間乗車し、追い越し時瞬間では152㎞/hを確認。走行距離34,000㎞。

レンタルバイクで体験した限りでは、並みの250ccクラスであれば、120㎞/h、せいぜい130㎞/hが最高速度だろうと思われます。

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04  右手の川沿いに湯船の群れ、赤さびの川

05 川沿いの小さな露天風呂(前掲)

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06 ちゃんとバイク駐輪場が敷地入口にあるのはありがたい。

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07 旅館の壁

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07 コインロッカーはないので自己管理を。

09200

08 米沢藩公認温泉以来、200年の歴史

参考)なぜ赤穂浪士の討ち入りで吉良上野介の実子で米沢藩上杉家の養子藩主となった上杉綱憲は、父親救出の為の援軍を差し向けなかったのですか?

吉良邸には実父だけでなく、吉良家に養子入りした綱憲の実子、吉良義周までいたのに。
家老に止められたからですか、外様大名の米沢藩が江戸市中で兵を動かして、私闘に及べば改易の口実を幕府に与えるようなものです。

それとも、綱憲自身が「父や息子可愛さで兵を動かして、改易されるような事があってはならぬ」と援軍を主張する家老の意見を退けたからですか。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13106198863

minamimachi5さん
2013/4/2510:00:54
補足

幕府的には外様の上杉は改易したいので私闘・援軍大歓迎でしょう。
まして上杉は関ヶ原で西軍側だった訳ですし。
上杉ひいきだった幕府の実力者、保科正之(時の将軍綱吉の叔父、三代将軍家光の異母弟)も亡くなっていますし。

「ベストアンサーに選ばれた回答」は上記サイトでご覧ください。

 

2017年8月23日 (水)

百合丘の百合は・・・、白かった。

百合丘という小田急線の駅を降りて、改札を出て左折し、右側の歩道に沿って右手の坂を上っていくと百合丘小学校の正門に至ります。
 
正門の左右にある茂みに咲いている百合は黄色いユリで黒い斑点があります。
おそらく小学生が植えたものでしょうが、それが古代からここに咲いていた百合であろうと思っていました。
 
それとは別のルート、駅の東側の坂を上るルートで百合丘のほぼ丘上という地点で白百合を見つけました。

Photo

写真1 ゴミ箱の傍の木株にうなだれて咲く白百合

Photo_2

写真2 自生しているように見える白百合

Photo_3

写真2の拡大

写真2を見ると自生しているかのように見えますが、周囲にはこの2つしか見当たりません。
 
果たしてこの丘の白百合の絶滅前なのか、あるいは誰かが2株だけ丘上に植えたのか、そこはわかりません。
 
王禅寺がこの地に建立された経緯を学ぶと、観音、マリア、マリアの色は白、白百合という連想が私には浮かんできたのでした。
 
それは真言宗には、中国から空海が持ち帰ってきた中国語で書いた新約聖書のお経が含まれており、現在でも高野山にはキリスト教徒を含む世界宗教団体が参詣しているという事実からも無理なくなっとくしておりました。
 
高野山を訪ねた時、「洗礼受付」という看板を見ましたが、私は自然にそれを受け止めました。世界から各種教団が参詣に来る寺なのですから。
 
高野山が「東の高野山」を意図して開いた王禅寺が、白いマリアを意識させる白百合の丘のふもとに開設されたとすれば、それは美しい景色だろうと想像していました。
 
しかし、百合丘小学校の百合は白いのですが黄色が混じっていて斑点がありましたので、ちょっとがっかりしていたのでした。
 
数日前に写真の白百合を百合丘のほぼ頂上で発見して、奈良時代の人々の信仰の姿を見出した思いがしました。
 
王禅寺-wikipediaより一部を以下に抜粋します。
 
「王禅寺(おうぜんじ)は、川崎市麻生区にある真言宗豊山派の寺院。
星宿山蓮華蔵院王禅寺と号する。
この寺院付近一帯の地名にもなっている。
「東の高野山」とも呼ばれた。 寺紋は三つ葉葵。
 
日本最古の甘柿の品種と言われている禅寺丸が発見された寺として有名[1]。
境内には原木が残っている。
 
沿革
創建の正確な年代は不明である。
慶安3年(1650年)成立の縁起(『聖観世音菩薩略縁起』)によれば、天平宝字元年(757)、
観音菩薩が孝謙天皇の夢枕に現れ「武蔵国の光ヶ谷戸という所に居る」と言われ、探索を命じられた結果、発見されたという。
 
孝謙天皇の勅命で武蔵国都筑郡二本松で発見(光ヶ谷など異説あり)された一寸八分の聖観音(しょうかんのん)である金の像を祀り堂宇を創建したという。
 
寺伝によれば延喜17年(917年)高野山の三世無空上人が、醍醐天皇から「王禅寺」の寺号(王の命じた仏教を修行するに適した場所としての寺という意味)を賜り、
同地に改めて創建され関東の高野山と呼せられ、東国鎮護の勅願寺となる。
延喜21年(921年)高野山の熊空上人により真言宗の寺となるという。」(抜粋終わり)
 
「星宿る山」もロマンチックです。小山の頂上にある周辺は武蔵野の原野ですので、360度星空が見えたことでしょう。
 
誕生日に娘たちからプレゼントされた星座マシンで我が家の居間も星宿る部屋ですが、人工です。
 
「蓮華蔵院」に深い意味が隠されているように私には思われます。
蓮華はwater lilyともいわれ、lilyは百合です。
 
百合は白、白はマリアの象徴色です。
 
この寺のどこかにマリア観音像があるのではないか、などと想像させてくれる名前です。
 
百合丘の丘上に白百合が自生していました。
 
この花は、天平宝字元年(757)の頃から生き抜いてきた白百合ではないか、と私には思われました。
 
ユダヤ教やキリスト教では、神は「光」を好むとされています。
祇園の神輿を光を反射する金銀の短冊で飾る風習も同根の思想ではないかと思われます。
 
「武蔵国の光ヶ谷戸」(むさしのくにのひかりがやと」は神が棲まうのにふさわしい地名であったことでしょう。
 
「口語訳聖書 - 創世記 - 日本語の聖書」より創世記の冒頭文を抜粋します。
http://bible.salterrae.net/kougo/html/genesis.htmlより
 
「創世記 第1章
1:1はじめに神は天と地とを創造された。
1:2地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。
1:3神は「光あれ」と言われた。すると光があった。
1:4神はその光を見て、良しとされた。神はその光とやみとを分けられた。
1:5神は光を昼と名づけ、やみを夜と名づけられた。夕となり、また朝となった。
第一日である。」(抜粋終わり)

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