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2018年8月12日 (日)

生麦事件ー3

「旅立ち 遠い崖ーアーネスト・サトウ日記抄1」(萩原延壽著、朝日文庫)の189ページより横浜ホテルの記述を抜粋する。

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写真1 パシフィックホテルの右手が東神奈川区の横浜ポートサイドタワー(ツイン塔)

このポートサイド地区のさらに右奥が生麦村に当たる。おそらくサトウもここの後方300mくらいにあった横浜ホテルの前から東海道生麦村方面を眺めたことだろう。写真は赤レンガ倉庫の東側にあるレンガ色の建物そばのバイク駐輪場で撮影したもの。

『その2カ月のあいだ住居がなかなか決まらず、サトウはホテルに仮住まいの身であったが、そのホテルというのは、サトウの描写によれば、つぎのようなところであった。「このホテルはおそろしく騒々しい場所である。朝の2時とか3時頃まで、口論や殴り合いのたぐいがおこなわれ、さらに始末がわるいのは、弾の行く先などおかまいなしにやたらに拳銃が発射されることである。」(日記、1862年10月1日の項)このホテルは、おそらく居留地にあった横浜ホテルではなかったかと思われる。』
神奈川区の生麦村方面をホテルの外で眺めていたサトウの心境は早く日本語を学
習しなければという焦りで一杯だったようだ。草書、楷書、漢文を読める能力を早急に要求されていたのだ。賠償請求の交渉記録の作成や日本の幕府側の提出資料の解読など、翻訳の仕事は山ほどあっただろうと思われる。船乗り同士の喧嘩や拳銃の打ち合いが絶えない居留区の横浜ホテルは、オランダ人船長が始めた和洋折衷のホテルだった。
「さきにふれたように、後年サトウは、「その日(生麦事件勃発の日)の午後、私はホテルの外に立っていたが、騎馬で急ぐ人々の騒ぎを見て、何事が起ったのかと尋ねた。『イギリス人が二人、神奈川で斬りたおされた』というのだ。私は少しも驚かなかった。前にイギリスの新聞に出ていたこの種の事件の記事や、北京からの途中で耳にした公使館襲撃事件(第2次東禅寺事件)などで、外国人の殺害など日常茶飯事ぐらいに思うようになっていたのだ。』と書き、「そんなわけで、周囲の人々が口々にヴァイス(領事)を弁護したり、ニール中佐(公使館代理)を誹謗したりして、興奮している間も、私は冷静な気持ちで勉強していたのである。」と述べているが、(「一外交官の見た明治維新」)以下略。」(「旅立ち 遠い崖ーアーネスト・サトウ日記抄1」の174ページより抜粋終わり)
この付近のショップを見ていると、マンションの入り口にこういう店を発見した。

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横浜 Pie Horic (パイに夢中)

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横浜Pie Horicのサイト
https://www.tgn.co.jp/hall/yokohama/ph/
上の写真はこのサイトだが、東京の出店もある。商品種類はかなり異なるようだ。
東京Pie Horicのサイト
https://www.tgn.co.jp/hall/yokohama/ph/66/
東京の六本木通りで若い女性が「パイホリイクウ?」と会話していたが、「パイホーリックに行く?」という日本語だったようだ。私には「カイホリイクウ」と聞こえたので、新橋か品川沖の砂浜へ行くのだろうとそのときは思った。
姿・格好は海浜での海堀には似合わないと思った。

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