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2018年8月 9日 (木)

いまの生麦村(なまむぎむら)

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写真1 川崎の手前9㎞地点で撮影(国道15号線)この少し先に生麦駅の案内表示が出てくるはずだ。

学校の歴史でこう学んだ。

幕末、薩摩の大名島津氏の行列のそばを馬に乗ったまま通過しようとしたイギリス人が警護の侍に斬殺された。その事件がここ生麦村で発生した。
実態はどうだったのか・・・?
英国通訳官のアーネスト・サトーの残した日記には、生麦事件へ緊急対応する横浜外国人居留地の慌ただしい様子が書かれている。ちょうどその頃上海から横浜へ上陸したばかりのサトウーの日記をいま通勤電車で読んでいる。
サトーの姓は、satto(サットゥ)という北欧系のドイツ語圏出身者の名で、「佐藤」ではない。
そのサトーの記述をもとに、これから事件の真租を考えてみたい。
小田原の先の山間にある温泉湯治場からの帰り道、生麦村へ寄ってきた。
旧東海道は10年ほど前に東京から京都まで530㎞をつなぎつなぎして歩いて行ったことがあるが、既に街道の記憶は薄れている。
現在は国道15号線を東京へ向かって走ると生麦駅前信号を通過するので、その付近だとわかる。(実際は、駅とは反対側の海寄りを旧街道は走っていた)

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写真2 国道15号線で生麦4丁目信号の一つ手前を右折したつもり。写真2の奥を左が横浜、右が東京の方向に国道15号が走る。
この道を手前へ降りて来る時、私から見て左手に横浜生麦郵便局、生麦小学校を見てここへ至った。写真奥の右手の建物が小学校。
私はいまこの道を奥から手前方向へバイクで駆けてきたところ。右か左かここで迷っている。生麦4丁目に事件を案内する碑文か何かがあると記憶しているからだ。ここを右へ行ったり左へいったり、4~5回往復してもわからない。

Namamugi

図1 生麦駅

Photo

図2 横浜生麦郵便局 いずれもgoogle mapより引用

どうしても現場を発見できないので、道を歩く老人に聞いてみる。
「生麦事件の案内板があると聞いてきたのですが、どこかご存じですか?」
「この街道の右手(写真2の上側の意味)の一般住宅の壁に小さな看板があるだけだから、あなたのように速く移動したら見えないよ。ゆっくり行きなさい。」

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写真3 上の写真2の右手方向(江戸方面)を見る。これが旧東海道だ。

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写真4 江戸日本橋から島津久光らは大名籠でこちらへやってきた。江戸城大手門から日本橋を経て東海道へ入る。10年前の私も、東京日本橋道路元標(江戸日本橋側)を出発し、銀座三越、浜松町、川崎を通過してここを歩いていた。

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写真5 一方、こちらは横浜方面である。写真奥にある円弧状の橋のようなものは、海岸線を渡る道路橋である。向こうはすぐ海。横浜から騎馬で英国人数名がこの東海道を川崎方面への観光のために駆けてきたらしい。

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写真6 そして両者はこの住宅の前で遭遇した。老人の言う通りにすると、一発で現場を発見できた。ブロック塀の上に小さな看板が立っている。近寄ってみる。

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写真7 生麦事件発生現場

このときの状況をアーネスト・サトウの日記から追いかけてみる。(後日掲載)

追記)看板の文字について

こりゃあ、わかりにくいわ。
いまの若い人にもわかるような現代日本語を併記しておく方がよいだろう。

横浜市としてははやく忘れたい記憶だったのだろうか?

日本史の重大な変曲点でもある事件なので、もっと丁寧な保管と解説をしておくことが望ましいと思う。東京オリンピックでは英国人は必ず観光見物に来るだろうから休憩所の一つも設けて慰労したいところです。英語表記も欲しい。
ごめんねの意味もこめて・・・。

「おやじのつぶやき」というブログに詳しくこの事件を解説したものがあったので、看板の記載文字もそこから引用させていただく。
このブログには江戸時代の地図と事件現場の関係も記述があり参考になる。道路一本隔てて海岸だったようだ。

「文久二年八月二十一日辛未(かのとひつじ)晴天
(薩摩藩主) 島津三郎(久光)様 の上洛の行列と異人4人内女1人、横浜より来て本宮町勘左衛門前にて行き違おうとしたとき、下馬しなかったので切りつけられた。
 直ちに逃げ去ったので、追いかけて一人を松原で討ち取った。外の3人は神奈川(宿)の方へ傷を負ったまま逃げ去った。
 お役人様が桐屋へご出当、村の役人一同も桐屋に詰めた。
右の異人の死骸は外の異人が大勢来て引き取っていった。

               生麦村名主 関口日記より」

「生麦事件。その痕跡をたどる。事件現場。記念碑。生麦事件参考館。横浜その12。」より抜粋。
https://blog.goo.ne.jp/12240106/e/df4aa263c057e44daf7bcd90e252f044

Photo_2

写真7の図絵の拡大

ラクラクホンで撮影したので、不鮮明です。

生麦事件-wikipediaにはカラーの鮮明図があります。刀の鞘も朱色で鮮やか。

それに当時の日本人が写っている幕末の当村の写真も掲載されていますので是非参照してください。おやじのつぶやきブログや生麦事件-wikipediaなどがことの真相を正しく述べているのかどうか、それはこれからひも解いていきたいと思います。

生麦事件-wikipedia

https://ja.wikipedia.org/wiki/生麦事件

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