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2018年7月 9日 (月)

大迫のシュートを止めたヴィツェルの出身国を学ぼう

ベルギーの6番 アクセル・ヴィツェル(フランス領マルティニーク系)の出身地はマルティニーク(Martinique)であるという。
顔写真はこのサイトで見れるから、是非見ておいてから以下の記事を読んでいただきたい。(下のサイトアドレスをコピーして、googleやyahooの画面の一番上にあるサイトアドレスの欄に貼り付けてenterキーを叩けば表示されます。)
https://ja.wikipedia.org/wiki/アクセル・ヴィツェル
Photo google mapより引用

私はマイアミから飛行機でバハマに行き出張中の休日を過ごしたことがある。

ドーベルマン3匹に襲われそうになったが、徒歩で島を歩く人はバハマにはいなかった。

黒人ばかりの島だが、英国領だった。

白人は壁の高い屋敷内に住み、戸外にドーベルマンを放し飼いにしていた。

それを知らないで島を徒歩で一周しようとした黄色い私は危うくドーベルマンの餌になるところだった。

そこから南東へ約2000㎞先にあるドミニカとセントルシアの間にある小さな島がアクセル・ヴィツェルの生まれた、というより彼のお父さんの生まれた島である。

少し拡大するとその島が見えて来る。英領だったがその後腕力で仏領になった島である。

アクセル・ヴィツェルが自分のためだけでなく、子孫のためにも獲得金の多い中国のチームへと渡った意味が理解できてきた。

そのハングリーさは、月10万円のアルバイト料で生活しながら戦っていた無名のなでしこの選手たちのハングリーさに通じるものがある。

Jリーグのめぐまれた選手や監督、実業団の人々には、かけらも存在しないような厳しい「ハングリーさ」である。

Photo_2 google mapより引用


 マルティニーク(Martinique)-wikipediaより抜粋する。

「マルティニーク(Martinique)は、フランスの海外県の1つであり、カリブ海に浮かぶ西インド諸島のなかのウィンドワード諸島に属する島。海を隔てて北にドミニカ国が南にセントルシアが存在する。県都はフォール=ド=フランス(Fort de France)。
面積1,128平方キロ、人口407,000人(2011年)、時間帯はUTC-4、国番号は596で、ドメイン名は.mqである。
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「世界で最も美しい場所」とコロンブスに呼ばしめ、彼を魅了したマルティニーク島の語源は島に住んでいた、カリブ人の言葉でマディニーナ(Madinina、花の島)、またはマティニーノ(Matinino、女の島)がマルティニークの語源になっている。
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マルティニークは1502年にジェノヴァ人の航海者、クリストファー・コロンブスの第四次航海により「発見」されたが、金や銀を産出せず、さらにカリブ人が頑強な抵抗を続けたこの島は暫くヨーロッパ人の侵入を退けた。
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しかし、1635年にセント・キッツ島を拠点にしたフランス人のブラン=デスナンビュックが上陸した。既にイギリス人による入植が行われていたが、これによってフランスが主導権を握り、1658年にフランス軍は抵抗する島民を虐殺、島民は絶滅したといわれる。
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島の植民地化が進むと、マルティニークはアフリカから奴隷貿易で連行された黒人奴隷によるサトウキビプランテーション農業で経済的に発展し、大西洋三角貿易によってサン=ドマングやグアドループと共にフランス本国に多大な利益をもたらした。
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この時期に、後にエメ・セゼールやフランツ・ファノンが批判した、肌の色によって全ての序列が決定される階層社会が成立した。
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18世紀に入ると七年戦争の最中の1762年に一時イギリスによって占領されたが、1763年にパリ条約によりフランスはカナダと引き換えに島を確保した。アメリカ独立戦争が始まると、1780年に英仏の間でマルティニーク島の海戦が行われた。
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1789年にフランス革命が勃発すると、1791年にはサン=ドマングの黒人大暴動に続いてマルティニークでも黒人奴隷は自由を求めて反乱を起こしたが、間もなく王党派のグラン・ブラン(大白人)によって奴隷反乱は鎮圧され、王党派は共和制フランスを裏切ってイギリスに帰属し、1794年から1802年のアミアンの和約までイギリス軍の占領が続いた。
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1793年にフランスの国民公会ではジャコバン派とロベスピエールによって奴隷制の廃止が決議されていたが、1802年にマルティニークがフランスに返還された後に、マルティニークのグラン・ブラン出身のジョゼフィーヌ・ド・ボアルネと結婚していたナポレオン・ボナパルトは、サン=ドマングの再征服を行ってトゥーサン・ルーヴェルチュールを捕らえ、カリブ海の植民地での奴隷制の復活を考えた。
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ジャン=ジャック・デサリーヌによって指導されたハイチ人はフランス軍を破って1804年にハイチは独立を達成したが(ハイチ革命)、ナポレオンはその他の西インド諸島の植民地での奴隷制を再導入し、マルティニークでも奴隷制が復活した。」(抜粋終わり)
---!
悲しい島の歴史が垣間見えた。
島民が絶滅させられたあとにアフリカの奴隷を入植させている。
アクセル・ヴィツェルの黒髪のアフロヘアはアフリカ人由来を感じさせてくれる。
むしろ彼にとっては、ひょっとして自身の誇りとして強調したい「ルーツ」の意思表示なのかも知れない。
顔色は真っ黒な黒人というよりもカリブ海の現地人と黒人の混血の顔立ちに私には見えた。
私はこれからアクセル・ヴィツェルとコンパニの大いなるファンになると思う。
日本代表以上に彼らの活躍を祈りたい。

ベスト16になったら、ドロー、PKへ強豪チームを引きずり込む戦略を取れるようになったならば、私は再び日本代表のファンに戻ることだろう。
それまでは音楽を聴きながら白けた顔をして日代表の試合を眺めることになるが、ご容赦願いたい。もう期待を裏切られる体験はご免である。
なでしこは高みに到達している。
あとは何度負けても応援し甲斐がある。
男子も一度は高みへ行くべきだろう。

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