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2017年9月11日 (月)

山形の秘湯・・・日帰り

とてもいい湯質でした。さすがは山形です。

燃料と高速道路代を含むので、入浴料は500円と格安でしたが、総コストは高い日帰り湯でした。
 
目的はVTR-F250との最後のツーリングを、できるだけ長く楽しむためでした。
片道300㎞を往復してきました。
 
午前2時40分、川崎市の自宅発、
東名高速⇒首都高速中央環状線⇒東北自動車道、福島逢坂ICで下車、国道13号線を米沢市方面へしばらく走ってから、「姥湯温泉左へ」の看板を見て県道54号線へ左折し、道なりに、案内なりに進む。
 
姥湯(うばゆ)温泉と並んで滑川(なめがわ)温泉の案内看板が立っているので迷うことはないでしょう。姥湯の手前に滑川がありますので、姥湯の標識に従えば滑川に着きます。
 
午前9時40分米沢の山奥の旅館に着。
日帰り入浴できますが、時間帯と湯船に制約がありますので、サイトで確認していくといいでしょう。電話問い合わせすれば間違いない。
 
「米沢 秘湯の宿 福島屋
滑川温泉 福島屋
電話でのご予約・お問い合わせはTEL.0238-34-2250
http://www.namegawa-fukushimaya.com/
 
ご予約はこちら
 
皆様に支えられ、200余年、14代にわたり湯守をしております。
設備の整わない古い宿ではありますが、宿周りの景観と湯質の良さで、長年いらしてくださる方も、多くいらっしゃいます。
ご来館をお待ち申し上げます。
 
平成29年の営業を4月27日より開始しました。
ここまで来た甲斐があった、と思える温泉。」(旅館のHPより抜粋)
 

06

川沿いの露天風呂、硫黄を含むから川の鉄分がさびて赤い色をしているのかと納得しました。内風呂も日帰りで入れますが、地元の人は多くが内風呂に入っていましたので、そちらが湯治にはよろしいようです。私は風景が大事だから温めの露天だけに浸かりました。

Photo_4

湯船の隣に赤い岩と緑の苔

Fukusima_ousaka03

東京~福島逢坂IC

05ya

福島市街と滑川温泉(左端の赤い印) 
国道13号線を西へ向かう途中、福島~山形県境を越えて、米沢市手前で姥湯温泉方面の看板で山に入り、8㎞登る。自動車もいけますが、離合は気を使います。運転初心者はやめた方がいいでしょう。

「落石注意」と右の崖、左は「崩落注意」と崖崩れ進行中の場所も、いくつかありました。

7時間走って、30分間入浴、6時間走って帰宅。行きは安達太良山のふもとのPAで仮眠1時間含む。

「ここまで来た甲斐があった、と思える温泉」は実感です。
 
温泉は、「これだけあれば幸せ」と感じさせてくれます。
硫黄の香りもほどよく乳白色の湯質は最高でした。
 
「泉質
含硫黄-ナトリウム・カルシウム-炭酸水素塩・硫酸塩泉(低張性中性温泉)
 
温泉街
標高850mの山中に一軒宿の「福島屋」が存在。近隣には日本の滝百選にも選ばれている滑川の大滝がある。
 
歴史
発見は1742年。(米沢藩の)郷士斎藤盛房が、川中で足を滑らせ転倒した際に高温の石に触れ、温泉を発見した。温泉名もこれに因み、川で滑ったことから滑川となった。
 
一軒宿は1763年に、米沢藩の許可を得て開業。湯治場として賑わった。その名残で余裕が有る場合は一人でも宿泊を受け付けてもらえる。また現在も自炊部が存在しており長期の湯治に便利。」(滑川温泉-wikipediaより)
 
米沢藩か・・・。
 
山道を8㎞も越えて走りながら、江戸末期の米沢藩の内情に思いを馳せました。
家康の命令により会津100万石から米沢30万石に配置換えされた上杉家の侍たちの山越えの旅を想起しました。
 
同じ頃、ヒロシマの毛利藩も領地を半減以上されて、瀬戸内海防府あたりから山を越えて萩へと城を移していました。
 
この仕返しはいつかやってやると心に念じながらの山越えでした。
 
毛利藩はそれから300年後に明治維新により徳川幕府を壊滅させました。
 
その頃、ここ米沢で上杉家家臣団はどうしていたのか、今後考えてみたいテーマが生まれました。
 
臍(ほぞ)を噛む気持ちは毛利も上杉も同じだったはず。
 
しかし上杉は忠臣蔵事件で肝を徳川方に抜かれはしなかっただろうか・・・。
吉良の長男が当時の上杉藩主だった・・・。
赤穂浪士の半数は千代田区内)江戸城下大番組居住区)に仮居住を黙認したとか、赤穂事件は幕府演出の臭いがします。
 
以下に途中の景色などを掲載します。

Photo

安達太良山(安積PAだっかしら)

Photo_2

左から二つ目の山が安達太良山。活火山なんですってね。滑川、姥湯のよい湯質と安達太良山の火山鉱脈とは地下でつながっているのではないかと感じました。別府の湯と鶴見山との関係のように。

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PAのベンチで早朝仮眠しながらあおむけ撮影。

この空が欲しいと智恵子は言った・・・。

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01こんな山道を8㎞も登ります。

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02 すれ違いやっとの山道、交通安全意識をもっていないとぶつかります。

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03 愛車HONDA VTR-F250(250cc)と滑川温泉福島屋旅館全貌

排ガス規制強化でたしか今年で生産終了。現在在庫のみ販売中。

いずれ幻の名車になるでしょう。

3年間乗車し、追い越し時瞬間では152㎞/hを確認。走行距離34,000㎞。

レンタルバイクで体験した限りでは、並みの250ccクラスであれば、120㎞/h、せいぜい130㎞/hが最高速度だろうと思われます。

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04  右手の川沿いに湯船の群れ、赤さびの川

05 川沿いの小さな露天風呂(前掲)

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06 ちゃんとバイク駐輪場が敷地入口にあるのはありがたい。

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07 旅館の壁

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07 コインロッカーはないので自己管理を。

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08 米沢藩公認温泉以来、200年の歴史

参考)なぜ赤穂浪士の討ち入りで吉良上野介の実子で米沢藩上杉家の養子藩主となった上杉綱憲は、父親救出の為の援軍を差し向けなかったのですか?

吉良邸には実父だけでなく、吉良家に養子入りした綱憲の実子、吉良義周までいたのに。
家老に止められたからですか、外様大名の米沢藩が江戸市中で兵を動かして、私闘に及べば改易の口実を幕府に与えるようなものです。

それとも、綱憲自身が「父や息子可愛さで兵を動かして、改易されるような事があってはならぬ」と援軍を主張する家老の意見を退けたからですか。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13106198863

minamimachi5さん
2013/4/2510:00:54
補足

幕府的には外様の上杉は改易したいので私闘・援軍大歓迎でしょう。
まして上杉は関ヶ原で西軍側だった訳ですし。
上杉ひいきだった幕府の実力者、保科正之(時の将軍綱吉の叔父、三代将軍家光の異母弟)も亡くなっていますし。

「ベストアンサーに選ばれた回答」は上記サイトでご覧ください。

 

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