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2017年6月15日 (木)

新井白石とシドッチ(その3) バイクで辿った経路

Photo

図1茗荷谷から茗台中学校前信号(google mapより引用)
 
国際仏教学大学院大学を記憶して於いて下さい。後日写真が出てきます。
 
何度も繰り返しますが、地下鉄で茗荷谷駅下車し、徒歩で散歩がてらに歩くことをお勧めします。なかなかバイクや自動車では行きにくい場所です。タクシーならプロですから連れて行ってくれるでしょう。
思うに、江戸時代にあっても、春日通りから切支丹屋敷へ歩いて接近するのは草の中を分け入るようで難儀なことだったろうと思います。だからこそ隠れキリシタンが集まれたのです。お奈さんもきっと・・・。

Photo_2

図2春日通りからエイゾービル(切支丹屋敷跡)までの経路(google mapより引用)
国際仏教学大学院大学を右回りに迂回しました。
 
東京地下鉄の前は一方通行です。帰りにここを逆走しガードマンにたしなめられました。下記は逆走途中の撮影です・・・。まだ交通違反にこのときは気づいていません。
 
見事な複数本の棕櫚の木のある東京地下鉄の玄関先(写真紹介します)は何らかの重要な意味のある場所だっただろうと推理しました。

Photo_3

左手上方は地下鉄丸ノ内線の地上?線路、正面の森は佛教大学 。右手に東京地下鉄(株)の棕櫚の木が見えます。
 
実質的な隠れ切支丹向けの和式の教会があったのではないだろうか・・・。
 
ユダヤ教でもキリスト教でも、ナツメヤシ、日本ではザビエル以降は棕櫚、は祈りのサインです。
 
「なつめ椰子(デーツ)物語」より抜粋します。
http://www.fmkagawa.co.jp/yomu/seikimatu/seikimatu100.htm
 
「中略。
そうです。キリストが布教を終え、エルサレムに入城したとき、民衆は、木の枝を道に敷いて歓迎しましたが、これがなつめ椰子の葉だったのです。
 
いまでもキリスト教徒たちは、復活祭直前の日曜日をパーームサンデー(palm sunday枝の主日)と呼び、なつめ椰子の葉を手にして礼拝し、次の水曜日には復活の象徴ともいわれるその葉を燃やした灰を額にすり付け、肉体は灰に帰してもやがて復活する日を信じる儀式(灰の水曜日)をし、次の日曜日の復活祭を迎えます。
 
なつめ椰子のない日本では、蘇鉄の葉を使います。
生命の木と呼ばれ、砂漠のなかのオアシスのような、きびしい環境のなかでも成長し、いつも緑を絶やさないなつめ椰子は、そのもともとの名のフェニックスが示すように、不死の象徴、勝利の象徴とみられ、ギリシャやローマでは、競技の勝利者の冠などに使われ、ローマの軍隊が行進するときは、列の先頭にこれを掲げたといわれます。以下略。」(抜粋終わり)
 
十字軍の旗印のような役割もあったのですね。
 
ザビエルは、来日前に薩摩のヤジロウと和訳聖書を創る際に、ナツメヤシを棕櫚と訳させました。

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