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2017年6月16日 (金)

新井白石とシドッチ(その4) 撮影した写真 

A001

丸の内線の線路の向こうに行くにはどうすれば・・・

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丸ノ内線の線路の地下を通る車歩道、この向こう側に切支丹坂がある。

道路中央の十字の標識が、なぜか十字架に見えて仕方がない。

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線路とビルとトンネルと・・・。一瞬下の敷地にバイクを停めようかと思ったが、そこまでどういくかが先決課題である。

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江戸時代は、茗荷畑が谷間にあったそうだ。写真の上で左クリックすれば拡大された写真で掲示板の内容が読めます。

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丸の内線(この下をくぐり左手に上がる坂が切支丹坂

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研究所?

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国際仏教学大学院大学と書いてある。切支丹屋敷を訪ねていると仏教研究の大学に遭遇する。偶然ではないな、という印象を受ける。必然の理由はなんだろう。どちら側がこの大学を設置したのだろうか。

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思いがけず慶喜終焉地に遭遇、慶喜お前もか・・・、水戸派だものね・・。

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小日向一丁目東遺跡 (注:この画像の上で左クリックして拡大しても文字が読めないという場合、どうしても読みたい方はそのとき、キーボードのCtrl+[+](コントロールキーを押しながら+のキーを押すと、押す回数だけ拡大率が増します。縮小は同様にして「-」を押す。元のサイズに一気に戻したい場合はCtrl+[0](数字のゼロ)で戻ります。)

私はこの看板の中に、「1640年に筑後守が宗門改易方に任命され」その6年後にそこが「切支丹屋敷」となった旨の文字があることを、そうやって読みました。

そのキーワードでgoogle検索すると、下記のブログ記事に出会えました。

「井上筑後守政重」(新しき中世ブログ)
2009年10月13日 (火)
http://yasuraoka.cocolog-nifty.com/toma/2009/10/post-3d6f.html

「(井上筑後守政重は)1632年に大目付になり、島原の乱の鎮圧に参加、1640年に宗門改役を兼ねて、キリシタン弾圧の中心人物になった。」と同上記事に出ていました。

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町会掲示板(切支丹石碑の道路向かい)

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都旧跡 切支丹屋敷跡(再掲)

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同上、足元の石像、私には左手はマリア観音に見える。木の幹のくぼみにはおそらく十字架を埋め込んでかくしておいたのではないか・・・。

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切支丹坂(トンネルから手前に登ってきて、左(進行方向右折)へ折れたら切支丹屋敷跡。

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切支丹坂から映像ビルを見る

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反対方向の路地

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東京地下鉄株式会社って・・・?棕櫚の木発見!

東北のあるカトリック教会の庭で尼さんに尋ねたことがある。

この庭の棕櫚の木は何に使うのですか?

「枝の主日と言ってイエスの復活を祝うときに、この棕櫚の枝を切って祭壇に備えます。皆さんが仏壇に榊を活けるのと同じように・・・。」

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