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2017年4月 4日 (火)

「ゴータマ」は釈迦の名

「ゴータマ」は釈迦の名でしたね。
真に我執を忘れ切ったのは、この世に釈迦一人・・・。
そうかも知れませんですね。
釈迦国の王子だった頃は普通に贅沢な生活をしていたのではないかと思われます。
しかし、王子時代の後半は我執に苦しんだのではないでしょうか。
 
釈迦-wikipediaを読み、その生誕を確認しました。抜粋します。

「釈迦の父であるガウタマ氏のシュッドーダナは、コーサラ国の属国であるシャーキャのラージャで、母は隣国コーリヤの執政アヌシャーキャの娘マーヤーである。
2人の間に生まれた釈迦はシッダールタと名付けられた。
母のマーヤーは、出産のための里帰りの旅行中にルンビニで釈迦を生み、産褥熱でその7日後に死んだ。[8]
中略。
 
シャーキャの都カピラヴァストゥにて、釈迦はマーヤーの妹プラジャーパティーによって育てられた。
当時は姉妹婚の風習があった[9]ことから、プラジャーパティーもシュッドーダナの妻だった可能性がある。
 
釈迦はシュッドーダナらの期待を一身に集め、二つの専用宮殿や贅沢な衣服・世話係・教師などを与えられ、教養と体力を身につけた、多感でしかも聡明な立派な青年として育った。
16歳で母方の従妹のヤショーダラーと結婚し、一子、ラーフラ をもうけた。以下略。」(抜粋終わ
り)

釈迦の叔母さんが継母になったのですが、その継母の強い要請をさんざん受けていたので、釈迦は彼女の希望を入れて尼僧教団を設立しました。
 
世界で初の、おそらく起源前4~5世紀のインドの尼さん誕生でした。
それほどまでに尊敬していた継母だったのか、あるいはあまりにしつこくうるさかったので設立を渋々認めたのか、私は知りません。
 
当初は釈迦は尼僧を認めなかったようなので、後者のように思われます。
 
認めた理由はどうであれ、信仰の男女同権を紀元前に認めた釈迦はその点でも偉いと思います。

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