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2017年4月22日 (土)

お年寄りをいたわりましょう!・・・は死語なのでしょうか?

今日、検査で半年ぶりにちかくのある総合病院へ行きました。

 

午前8時から地元の老人患者の外来受付でにぎわう姿は以前と同じです。

4カ月以上間があいてしまっている私は受付機械から診察カードを自動的にはじき出されてしまいました。

 

総合受付へおいで下さいとのアナウンスがありました。

やがて採血、採尿といつもの流れで内科待合室で医師に呼ばれるのを待っています。

 

10時半になりました・・・?

いつもと様子が明らかに違う。

 

患者数がおよそ半減しているのでした。

 

正午頃までいましたが、結局患者数は半年以前の賑わいを見せてくれませんでした。

 

「祭りのような賑わいの内科外来」が、閑散とした待合室へと様変わりしていました。

 

あの元気だった病気持ちの患者さんたちは、一体どこにいったのでしょうか。

 

暇だから病院へでも行くか、としていたのが、あそこは高いからやはり公園のゲートボールにしようと変えたのではないか?

 

そう感じたので調べてみました。

老人患者には住みにくい時代になったということのようです。

 

下記の東洋経済オンライン記事を読んで、外来数激減の理由がわかった次第です。

 

老人を家族に持つかもしれない若い人たちにも関係の出て来る話題ですので一度暇なときに御読みください。

 

老人患者は必読です。

 

「高齢者の「医療費負担」は来年度から重くなる

長生きが「コスト」になる時代がやってきた」

http://toyokeizai.net/articles/-/158321

 

花輪 陽子 :ファイナンシャルプランナー 

20170216

 

姥捨て山をテーマにした映画は「長山節考」でしたっけ。

違いました。

「ならやまぶしこう」でした。

 

『『楢山節考』(ならやまぶしこう)は、深沢七郎の短編小説。

 

民間伝承の棄老伝説を題材とした作品で、当代の有力作家や辛口批評家たちに衝撃を与え、絶賛された、当時42歳の深沢の処女作である[1]。

 

山深い貧しい部落の因習に従い、年老いた母を背板に乗せて真冬の楢山へ捨てにゆく物語。

 

自ら進んで「楢山まいり」の日を早める母と、優しい孝行息子との間の無言の情愛が、厳しく悲惨な行為と相まって描かれ、独特な強さのある世界を醸し出している。』(wikipediaより抜粋)

 

そこまではいかないでしょうけれど、そのサワリに首を突っ込んだ現代社会という様相です。

 

政策の無駄を省かずにいたずらに欧米の物まね政治をしてきたからこその「今」がここにあります。中国から伝来した昔の日本のよさ、「お年寄りを大切にする」暮らしを取り戻すべき時でしょう。

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