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2016年12月23日 (金)

古きよきものと新しいものと・・・

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NEC_0069 見事な三猿像と悪魔を踏みつける金剛力士像(高石神社そばの路傍にて撮影)

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NEC_0069(enlarged) The stone statue with Three Monkies Principle in Old Japan.
Probably being a stone statue before the Edo Period is considered.
 
画面の上をクリックすることで拡大して見れます。
赤い丸の中に左から「言わざる、聞かざる、見ざる」が並ぶ。黄色い〇の中には悪魔が横たわり金剛像の両足で踏みつぶされている。悪魔は頭を左に手を挙げているように見える。

800pxoak_ridge_wise_monkeys

Oak_Ridge_Wise_Monkeys
原爆開発のためにウラン濃縮作業を行っていた女性従業員たちに、この看板によって研究所で見たことを外部に漏らさないようにと指導をしていました。大量破壊兵器の開発に従事していることを彼女たちは知らないままに高給のために働いていました。事実を知ったのは戦後のずっとのちのことでした。
 
「アメリカ・オークリッジ国立研究所 
後にオークリッジ国立研究所となった施設は、1943年にマンハッタン計画の一部として建設された。
研究施設とその近くの町であるオークリッジは、一年弱でアメリカ陸軍工兵司令部によって建設された。オークリッジには、約2年間 75,000 人が住み、その存在は秘密にされていた。
オークリッジ国立研究所は、世界で初めて原子炉が作られた場所です。」
 
「『見ざる言わざる聞かざる』、実は日本発祥ではない」より写真、文ともに抜粋。 https://matome.naver.jp/odai/2141919610335719301/2141930948631534003
 
大英博物館に自由に出入りしていた明治の日本人が、三猿の起源について、おそらく世界へ向けても説明していたことでしょう。
 
「南方熊楠によれば青面金剛と猿の関係はインドに起源があり、青面金剛はインドのラーマーヤナ説話の主人公・ラーマの本体たるヴィシュヌ神の転化であり、三猿はラーマに仕えたハヌマーンの変形という[2][3]。
 
また庚申の「申=さる」である、庚申信仰で人の悪事を監視して天帝に報告する三匹の「三尸(さんし)虫」を封じるため、悪事を見聞きせず、話さない三匹の猿を出したなどの説もある。
 
江戸中期に出版された『和漢三才図会』の「庚申」の項を見ると三猿の挿絵が添えられている[4]。」(三猿-wikipediaより)
 
なお、「三尸(さんし)とは、道教に由来するとされる人間の体内にいると考えられていた虫。」(wikipedia)だそうです。
 
ついでに人物をご紹介します。昭和天皇に植物や微生物について御進講をしたこともある人です。

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南方熊楠-wikipediaより 日本人離れした風貌は、幕末の佐久間象山の写真と重なるものを私は感じますが・・・。
 
「1891年(明治24年) - フロリダ州ジャクソンヴィル市に移り、生物を調査。
中国人、江聖聡の食品店で住み込みで働く。
新発見の緑藻を科学雑誌『ネイチャー』に発表、ワシントンD.C.の国立博物館から譲渡してほしい旨の連絡がはいる。
 
中略。
1893年(明治26年) - 科学雑誌『ネイチャー』に初めて論文「極東の星座」を寄稿。オーガスタス・ウォラストン・フランクス(英語版)と知り合い大英博物館に出入りするようになる。
考古学、人類学、宗教学などの蔵書を読みふける日々が続く。
 
1895年(明治28年) - フレデリック・ヴィクター・ディキンズと知り合う。大英博物館で東洋図書目録編纂係としての職を得る。
1896年(明治29年)2月27日 - 母・すみが亡くなる。
1897年(明治30年) - ロンドンに亡命中の孫逸仙(孫文)と知り合い、親交を始める(孫文32歳、熊楠31歳)。
1898年(明治31年) - 大英博物館で日本人への人種差別を受け暴力事件を起こす。
 
中略。
ロンドン大学事務総長の職にあったフレデリック・ヴィクター・ディキンズ[25]は『竹取物語』を英訳した草稿に目を通してもらおうと熊楠に大学へ来るように、と呼び出す。
熊楠はページをめくるごとにディキンズの不適切な翻訳部分を指摘し、推敲するよう命じる。
 
日本に精通して翻訳に自信を持っていたディキンズは、30歳年下の若造の不躾な振る舞いに「目上の者に対して敬意も払えない日本の野蛮人め」と激昂、熊楠もディキンズのこの高慢な態度に腹を立て、「権威に媚び、明らかな間違いを不問にしてまで阿諛追従する者など日本にはいない」と怒鳴り返す。
 
その場はケンカ別れに終わるが、しばらくして熊楠の言い分に得心したディキンズは、それから終生熊楠を友人として扱った。
 
大英博物館の図書館で閲覧者に人種差別発言を受けた熊楠は大勢の前で頭突きを喰らわせ3か月の入館禁止となった。
 
1年後に再度同じ者を殴打したため博物館から追放されたが、学才を惜しむ有力イギリス人たちから嘆願書が出され復職した。」(南方熊楠-wikipediaより)
 
「阿諛追従(あゆついしょう)とは。意味や解説。気に入られようとして、おもねりへつらうこと。」(四字熟語一覧 - goo辞書より)
 
失われた20年の間の単なる人減らしリストラ旋風の影響を受けて、今ではそれがサラリーマンの標準的資質にまでなってしまったような感がありますが・・・。
生活は明治の方が苦しかったでしょうけど、人間の品格は明治のほうが豊かだったようです。
 
 
「1929年(熊楠62歳)、昭和天皇が田辺湾沖合いの神島(かしま)に訪問した際、熊楠は粘菌や海中生物についての御前講義を行ない、最後に粘菌標本を天皇に献上した。
 
戦前の天皇は神であったから、献上物は桐の箱など最高級のものに納められるのが常識だったが、なんと熊楠はキャラメルの空箱に入れて献上した。
 
「アッ」現場にいた者は全員が固まったが、この場はそのまま無事に収まった。
 
側近は「かねてから熊楠は奇人・変人と聞いていたので覚悟はしていた」とのこと。
 
後年、熊楠が他界した時、昭和天皇は「あのキャラメル箱のインパクトは忘れられない」と語ったという。
 
※1962年、昭和天皇は33年ぶりに和歌山を訪れ、神島を見てこう詠んだ「雨にけふる神島を見て 紀伊の国の生みし南方熊楠を思ふ」」
「人間に限界なし!あの人の人生を知ろう~南方 熊楠」より抜粋。
http://kajipon.sakura.ne.jp/kt/haka-topic32.html
 
 
鹿島は神島(かしま)と同音だったのですね。
いま時分、随分と日本人はおとなしくなってしまったものです・・・。

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NEC_0056  高石神社から南面の丘を眺める

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NEC_0070 丘上のマンション群

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NEC_0071 六本木の人気スポット

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NEC_0072 同上 もうすぐクリスマス♪
意外なことを学びました・・・。
イエス。キリストの生誕日はわからないとのことでした。
 
低線量の放射能の内部被ばくの危険性を「わからない」とするのが正しいのと同じで、「わからないこと」を「わからない」とする態度は大切だと思いました。
 
それを研究する態度も大切だと思います。
 
「クリスマスは何故12月25日か?あるいは贈与習慣としての日本のクリスマス」より抜粋します。
http://kousyou.cc/archives/4910
 
「歴史的にみれば、クリスマスがイエス・キリストの誕生日であるとする根拠は全くない。
オスカー・クルマン著「クリスマスの起源」によると、12月25日をイエス・キリストの誕生日と定めたのは4世紀のことだという。
 
3世紀頃まで、イエスの誕生は春と考えられていた。
イエス誕生時の様子を記した新約聖書「ルカによる福音書」2章8節の『その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。』(日本聖書協会「新共同訳聖書」新約P103)という記述から、当時のパレスチナで羊飼いが野宿をできるのが3月から11月にかけてであること、また天地創造が春から始まることに対応して3月28日、4月2日、4月29日、5月20日などがイエスの誕生日と推定されていた。
 
ただし、当時のキリスト教徒にとってイエスの誕生日がいつなのかは大きな問題ではなかったという。
『初代教会にとっては、キリストの死と復活が、キリストの受肉よりもはるかに大きな関心事であった』(P15)からだ。
 
クルマンが『かすかな、間接的な、クリスマスの起源』と呼ぶのが二世紀、アレクサンドリアのグノーシス主義の一派バシレイデス派で、彼らは神なるキリストがイエスの受洗によって現われたと考え、イエスの受洗を記念する祝祭「顕現祭(エピファニア)」を1月6日(または10日)に執り行った。
 
当時、アレクサンドリアではアイオーン神の誕生の祝祭が1月6日に行われており、またこの日は西アジアでは冬至でもあったから、異教徒の祝祭とキリストの顕現を重ねることで布教を行ったものと考えられている。
 
アイオーン(時間・時代の神格化・高次の霊)はグノーシス主義の重要な観念の一つでもある。後に1月6日の顕現祭は東方教会に広がるが、これが画期だったのはイエス・キリストの顕現を祝うという行為の始まりであることだった。」(抜粋終わり)

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