« 2016年9月 | トップページ | 2016年11月 »

2016年10月

2016年10月30日 (日)

 ここから届ける東京水

2016年9月にも一度ここを通りましたが、それまでに私が関東では見たことのない光景を10月26日に見ました。この日もまだありました。ひょっとして地元の人には見慣れた光景なのでしょうか。

Sh3b0389

SH3B0389 ここから届ける東京水

Sh3b0382

SH3B0382 東京都水道局 長沢浄水場 上の方に碍子があり、高圧電線が張ってあるようですので、近づかないように気を付けましょう。

Sh3b0386s

SH3B0386 2016年10月26日にここを通ったときと同じ光景のままでした・・・。

以前はどこに捨てていたのでしょう。

Sh3b0391

SH3B0391 手前の15行くらいは一回り大きくなっているかも知れません。

Sh3b0392

SH3B0392 2列が4列になっているのかも。

Sh3b0395s

SH3B0395 浄水場の沈殿池のような槽下部のマンホールから汚泥を排出して白い小袋に入れて、それらをまとめて黒い大きなビニールへ入れて保管しているように見えます。あくまで推測に過ぎません。

Photo

ゴミや砂を沈める排水処理施設(赤い丸部がさきほどのマンホールなのでしょう。)
川崎市上下水道局のホームページより引用。
http://www.city.kawasaki.jp/800/cmsfiles/contents/0000035/35839/knowledge/tour6.html

Sh3b0401

SH3B0401 獲物は2匹!今日も元気に働いています。

Sh3b0402s

SH3B0402 私の解約済みのガラケーカメラを、『捕捉したドデカイ獲物』と間違えて突進してきました。危うく解約した携帯を取られるところでした。解約しても携帯カメラです・・・。

Sh3b0380

SH3B0380 信号の向こう側が東京水、手前側が川崎水です。

Sh3b0378

SH3B0378 (川崎水側)

塀で囲った中の樹木は全部伐採されていました。整備中のようです。

Sh3b0377

SH3B0377 川崎市上下水道局 長沢浄水場(写っていないけど横の看板には、「着水井の耐震補強工事中」と書いてありました。

Sh3b0379

SH3B0379 向かい側の高台にはよく知られた病院が見えます。逆に病院の屋上からは浄水場がよく見えるでしょう。

参考;ストロンチウムの密度(室温付近)2.64 g/cm3 (水の密度は常温で約1.0ですので、静水中では沈みます。)

ガラス(普通)の密度が 2.4-2.6 g/cm3 です。

ガラスでも粉末状態で飛散した場合は、塵埃などと吸着、結合し、気中や水表面を浮遊し、沈殿しない場合もあり得るでしょう。比重が重くても形状によって挙動はさまざまだと思われます。物質が飛散したときの「状態」が肝心です。

 

まず顔を洗え!

福島県双葉郡富岡町付近にて撮影。汚染土壌の一時保管状態。
 

Grl_0097

Grl_0091

いずれも2015年8月、福島県双葉郡富岡町付近にて撮影。汚染土壌の一時保管状態。

(チェルノブイリ事故を考えることは自分を考えること(24))
 
10月30日の午前10:05 から、NHKテレビ総合『「明日へ つなげよう 証言記録 東日本大震災 第57回「福島県須賀川市」 』を見ました。

「福島県須賀川市は原発から60キロ離れ避難対象にはならなかった。しかし放射能情報は入らない。公立岩瀬病院は災害ラジオ...」
この町は奥州街道を10年ほど前に歩いたとき、須賀川宿を通過したことから、私には親近感があります。

Grl_0081

GRL_0081(2015年8月、双葉町、富里町付近の福島帰還困難地区傍で撮影)道路標識は国道6号線です。ここで封鎖して市内へ入れなくしており、トラックなどはここから写真手前にある山の方向へと登ってから帰還困難区域をバイパスしてフクシマ原発を迂回します。

Futabamachi

青い丸印の国道6号線侵入禁止位置と、そこから右折させて山側へバイパス化(google mapより引用)右下の海沿いの堤防(大きな赤い丸)が福島第一原子力発電所事故の場所。原発よりおよそ4㎞北西の帰還困難区域傍でヘルメットを脱ぎ、手足や顔を露出させて私は昼食のパンとジュースを取ったことになります。その日の風向き次第では大変危険な行動でした。
 
前記のテレビ番組の中で、フクシマ事故直後に須賀川市民向けに放射線技術者か医師らしい人物が話していたという内容に興味が湧きました。
 
フクシマ事故以降に乳がんなどに罹患した若いお母さんのすべきこととして、幼児たちに外出から帰ったら手洗いをすることをしつける必要があると考えて、この項でもいちど書いたことがあります。
 
患者自身が強く生きていくこと、目の前の闘病に立ち向かうことはいうまでもありません。
 
しかし、放射線を出す物質の後始末もできていない中で、東京五輪候補地選びをさんざん楽しんでいるメディアやジャーナリズムの退廃を見るにつけ、母親がわが子の内部被ばくを防止する意識を持たねば誰が守るのかということに思いが至りました。
 
政府を代表する者も、「フクシマはコントロールできている!」と胸を張って世界へ虚言を公表する始末・・・。
 
以下は、この番組から学んだことです。
 
手洗いと顔洗いは大事。腕を露出している場合は腕や足も。
 
表面積の一番広いのは顔だから、顔洗いは大事。
 
バイクライダーである私にとっては衝撃的な情報でした。
冬はフルフェイスの完全に顔を包むヘルメットを使いますが、夏は暑いので顔の下半分は風にあたるハーフな感じのフェイスヘルメットです。
 
2015年夏、福島の双葉町の帰還困難区域境界を訪ねたときは後者でした。
うかつにも・・・。

Grl_0150

GRL_0150 (2015年8月、高速道路で撮影)
 
境界の傍で休憩したときはヘルメットを脱ぎ、もろに最大で5μSv/hの放射能を30分間ほど浴びています。(数値は高速道路での測定値なので、帰還困難地区境界では風向き次第ではもっと高い値だった可能性もあります。

Full

フルフェースのヘルメット

Half

ハーフなヘルメット
いずれも http://jp.shoei.com/products/ja/search.htmlより引用。
 
しかも周辺をそのヘルメットを被って2時間ほど撮影しつつ移動していました。
 
帰途、楢葉町の高速道パーキングエリアでそれまでに知識のあった手洗いとうがいを励行しましたが、顔までは洗いませんでした。
 
「面積の広い顔」の皮膚から体内へ内部被ばくした可能性は否定できません。
 
現在、原発付近の地元に住む人々でさえ、この知識は知らないのではないかと心配されます。
 
365日24時間、現地の放射能にさらされているのですから、ちょっとだけ訪問した私の受ける被害とは比べ物になりません。
 
原発からの気流の向きは風向きに影響を受けます。
気象庁で気流の方向データが公開されているようなので、地元の方はそれを見てから外出方向を決めるという注意が必要でしょう。なるべく皮膚からの被ばくを避けるにはそれが有効なはずです。
 
更にその番組を視聴してもう一つ学びがありました。
 
手洗いをする時間の長さです。
 
ハッピバースデー ツー ユー ♪の歌を最後まで手洗いしながら歌い、もう一回最後まで、つまり2回を歌い終わるまで手や腕を洗うようにしてくださいというアドバイスがありました。
 
お子さんに教えるには、とても適切な手洗い方法ですが、大勢がさらりと洗う中でわが子だけが歌いながら時間をかけているといじめにあう可能性があります。
 
著名な方は数十万人の人がそのブログを見ます。
このブログには20人程度しか見にきません。
 
だからわが子のことを思うのであれば、まずは普通の国なら政府に期待すべきですが、市民の健康を守るという視点では思考停止です。核禁止に反対する政府です。
 
著名人の方がわが子にお願いしたい手洗い方法を公然と知らしめることで、多くのお母さんがそれを知り、それぞれの子へ、先生方へ教えます。
 
結果的に著名人のお子さんも、いじめにあうことなく、ハッピバースデー ツー ユー ♪の手洗いができるようになります。
 
私の手洗いの長さは、「ハッピバースデー ツー ユー 」のこの節を歌うだけの短さでした。
 
年老いた私ですが、少なくとも歌一回分は今後洗うようになるでしょう。
幼児の手洗い、顔洗いが心配です。とりわけ関東以北の・・・。
 
下の写真は広野火力発電所の煙突とみて撮影したものです。
 
地震津波のあとで、点検後に発電を開始しているはずですが、原発と比べてどちらがお得か。電気技術の私でなくとも、その辺の幼稚園児でも正解をいえるでしょう。
 
日本人の経済界と政治家は戦後の洗脳が徹底していたため、この様子を見てもなお、原発再稼働を模索するのです。情けない限りです。

Grl_0151

GRL_0151 (2015年8月、常磐自動車道(高速)を広野インターで降りてすぐに撮影したもの。広野の火力発電所の煙突ではないかとみて撮影したもの。あとで地図(下記)で調べたらそうでした。

福島第一原子力発電所事故地の南側に福島第二原子力発電所がありますが、化石燃料を燃やさない原発にはかような高層煙突は必要ないだろうから、広野火力と私は認識したようです。

火力は煙突から出る煤塵などの環境汚染物質を希釈して遠方へ散らすために高層煙突を必要とします。)

Hirono_karyoku

広野インターと傍の広野火力発電所(google mapより引用)

2016年10月29日 (土)

まともなボブ・ディランの反応

さきほどのニュース(10月29日夕方)でノーベル賞受賞についてディランのまともな感想を報じていました。

Sh3b0334

SH3B0334丹沢湖 世附川 (よづくがわ)(今朝撮影)写真は文とは関係ありません。

Sh3b0346

SH3B0346丹沢湖(今朝撮影)

Yotuke

いずれも、世附 (よづく)地区、左端の赤い丸の付近で撮影。
 
「ノーベル賞受賞を聞いて信じられなかった。授賞式には参加したいと思っている。」という趣旨の、「まともな感想と反応」をディランが示したらしい。????
 
まともに受け取るのでしょうか。
 
ちょっと過去のディランの授賞式における驚き桃ノ木劇場を調べてみます。
 
・・・。ありました。
 
この歌よりももっと過激な歌詞を準備するのでしょうか?
 
「ボブディラン「戦争の親玉」和訳」(2014年6月30日)より一部抜粋します。
http://coolitdown.way-nifty.com/grand_ecart/2014/06/post-f5e0.html
 
『「戦争の親玉」
BOB DYLAN
 
おい、戦争の親玉たち
全ての銃をつくるおまえら
死の飛行機をつくるおまえら
全ての爆弾をつくるおまえら
壁にかくれるおまえら
机の後ろにかくれるおまえら
おまえらに云いたい
おまえらの正体まる見えだよ』(抜粋終わり)
 
1991年のグラミー授賞式でこの歌をぶちまけています。

「ボブ・ディラン~グラミーの舞台で歌った「戦争の親玉」」
http://www.tapthepop.net/live/8268
2014.03.25 佐藤 輝
 
「1991年2月20日、ボブ・ディランはグラミー賞で音楽への功績を称えられて「特別功労賞」を受賞する。
俳優ジャック・ニコルソンの紹介で舞台に登場したボブ・ディランが歌ったのは、「Masters Of War」(「戦争の親玉」)だった。
 
アメリカを中心とする多国籍軍がイラクに侵攻したのは約1ヶ月前の1月17日。
クウェート解放という大義名分のもとに始まった湾岸戦争は、多国籍軍による一方的な展開となる。
 
アメリカではメディアを通じてその正当性が訴えられ、テレビでは空爆を中心として血の流れない現実感に欠けた映像が流された。
そうしたメディア戦略の効果もあり、アメリカの世論は概ねイラクへの侵攻を支持していた。
 
しかし、ディランはグラミー賞という舞台でそれを真っ向から否定し、この戦争で人の命と引き換えに私腹を肥やしている人たちを糾弾する。
 
I think you will find
いつか気づくことになるだろう
When your death takes its toll
君たちに死が訪れた時
All the money you made
今まで稼いだ大金を全部つぎ込んでも
Will never buy back your soul
君たちの魂は決して買い戻せないということを」(抜粋終わり)
 
今度は偉大なるノーベル賞そのものの受賞式なのです。
 
しかも爆弾製造の親玉の稼いだ金の一部を受け取りに行くのです。
 
ディランは、まともな神経では歌えないことでしょう。
舞台でウォッカをストレートで5杯のんでから、まさにロックンロールの真骨頂意を式で披露していただきましょう。
 
その準備として、これからびっくりするような歌を作詞するのでしょう。
 
これが爆弾親父向けの正真正銘のロックン・ロールだ、と・・・!
 
しかし、今日の日経記事によれば、「とてもまともな紳士ディラン」が登場しています。
 
年を取って丸くなっちゃったのかしら・・・。
それとも金額に目がくらんだのか。
 
「ディラン氏、ノーベル賞受ける意向 「俺はここにいる」」より一部を抜粋します。
2016/10/29 10:43
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG29H15_Z21C16A0000000/?dg=1
 
「 同紙(英紙デーリー・テレグラフ(電子版))によると、米オクラホマ州でコンサートツアー中のディラン氏はインタビューで、授賞決定を聞いた直後の感想について「素晴らしい、信じられない。こんなことを誰が夢見るだろう」と話した。
 
スウェーデン・アカデミーのダニウス氏には「授賞のニュースを聞いて言葉を失った」と感想を述べたという。
 
 アカデミーは今月13日に授賞を発表。ディラン氏に再三連絡を試みたが、本人に接触できず、アカデミーのメンバーの一人からは「無礼かつ傲慢」との批判さえ出た。
 
 ディラン氏はインタビューで、アカデミーの連絡がつかず沈黙を続けた形になったことについて「俺はここにいるさ」とだけ話し、詳しい理由は明かさなかった。」(抜粋終わり)
 
最後の1行を除いて、とても対応が「普通」です。
 

2016年10月27日 (木)

1年前に逮捕のカギは「監視カメラ」とわかっていた。

横浜点滴殺人事件(20)

「犯行手口は巧妙で、点滴用バッグに肉眼では見えない小さな穴を開けてインスリンを注入したり、注射のアンプル(注射液)にインスリンを加えていたのだ。」(下記より抜粋)

 

「英国を恐怖に陥れた「フィリピン人看護師・殺人鬼」 外国人看護師受け入れの問題点も浮上!」を読んで驚きました。

1年前に似たような連続点滴殺人が英国で起きていて、犯人逮捕は監視カメラ映像だったことが公表されていました。

http://www.excite.co.jp/News/odd/Tocana_201506_post_6541.html

 

一部抜粋します。

 

「(2015年6月3日付け記事)
[(犯人の)拡大写真 略]

 日本では少子高齢化による働き手の不足が指摘されて久しい。その解決策のひとつが移民政策での労働力の輸入といわれている。しかし、それに警鐘を鳴らす出来事が英国で起きている。

■大量殺人事件の始まり

 事件は患者の不審な死から始まった――。

 英国マンチェスター近郊にあるステッピングヒル病院で、2011年の6月と7月に患者が次々とインスリン過剰投与で発作をおこす事件が起きたのだ。その結果、トレーシー・アーデンさん(44)、デレク・ウィーバーさん(83)が死亡。

 また、グラント・ミゼルさん(41)はインスリン過剰投与の後遺症で脳にダメージを受け、植物人間になってしまった。そのほか、17名の患者がインスリン、またはそれ以外の薬物過剰投与によって一時、危険な状態となった。そしてこの一件は事故ではなく何者かによる故意の犯行であることが明らかになったのだ。

 犯行手口は巧妙で、点滴用バッグに肉眼では見えない小さな穴を開けてインスリンを注入したり、注射のアンプル(注射液)にインスリンを加えていたのだ。その「インスリン入り点滴バッグ」や「インスリン入りアンプル」が棚に並べられていたため、複数の看護師が知らずに患者にその点滴やアンプルを投与してしまったのだ。

 警察はまず看護師の勤務表から容疑者を絞り、容疑が濃厚となった看護師を逮捕。

しかし後に無実が判明し、釈放。その後の捜査で、点滴バッグを保存している部屋の監視カメラから真犯人のフィリピン人男性看護師ビクトリノ・チュア(49)が割り出されたのだ。

 容疑者のチュアを調べるうちに、信じがたい事実が明るみに出た。まず、英国で外国人看護師の雇用の際に提出を義務付けられている看護学校の卒業証書、成績証明書、犯罪歴の有無が記載された警察証明書のすべてが偽造だったのだ!

 チュアが通った看護学校の卒業試験は、替え玉が受験していたことも判明。またチュアは以前働いていたフィリピンの病院で盗みを犯し、クビになっていたこともわかった。もちろん、チュアの警察証明書は「犯罪歴無し」になっている。また、盗みだけではなく、フィリピンでも大量殺人を犯している可能性まで示唆されている。

 看護師として無資格で犯罪歴のある男が、英国で医療行為に携わっていたことが次々と明るみに出たことで、英国社会は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。以下略。」(抜粋終わり)

 

監視カメラがなければ、あるいはダミーであれば、逮捕は難しかったことがこれを読むと理解できます。カメラさえなければ・・・。

 

素人の私が辿り着く結論です。
プロなのでこれを大口病院職員の誰かが昨年読んでいたのではないか、と普通は思います・・・。

 

管理監督責任者である横浜市長側も知らなかった、というのでしょうか。

 

神奈川県警は当然知っていますよね。まさか・・・・。

豊洲の盛土問題と同じだったりしたら、・・・おおいに問題です。

川崎市の水道水管理におけるストロンチウムのこと

(チェルノブイリ事故を考えることは自分を考えること(23))
「水道の放射性物質に関するQ&A 川崎市上下水道局ホームページ」よりおらが村のストロンチウム認識の深さを確かめました。
http://www.city.kawasaki.jp/800/cmsfiles/contents/0000035/35839/urgency/housyafaq_20110407_2.html
 
「4. 放射性セシウム以外の放射性物質は基準がないのですか?
食品衛生法の新基準値の設定で規制の対象とする核種は比較的半減期が長く、長期的な影響を考慮する必要があるセシウム134及び137、ストロンチウム90、ルテニウム106、プルトニウム238、239、240、241です。
 
放射性セシウム以外の核種は検査に時間がかかることから、放射性セシウムとの比率を算出して、他の規制対象核種による内部被ばくによる線量を合計しても年間1mSvを超えないように放射性セシウムの基準値を設定しています。
 
放射性ヨウ素については半減期が短く平成23年7月以降食品から検出報告がないこと、ウランについては放出量が極めて少ないことから規制の対象としていません。
 
水道水中の管理目標値の設定対象核種も食品衛生法と同様に検査の実効性を確保することが重要であり、検査機関数、検査時間等の観点から対象核種を放射性セシウム134及び137としています。」(抜粋終わり)
 
「長期的な影響を考慮する必要があるストロンチウム90」と正しく認識していました。
 
しかし、次の考え方には相当な甘さがあるように感じられます。
 
「検査に時間がかかることから、放射性セシウムとの比率を算出して、他の規制対象核種による内部被ばくによる線量を合計しても年間1mSvを超えないように放射性セシウムの基準値を設定しています。」(同上)
 
「水道水中の管理目標値の設定対象核種も食品衛生法と同様に検査の実効性を確保することが重要であり、検査機関数、検査時間等の観点から対象核種を放射性セシウム134及び137としています。」(同上)
 
わかりやすく言えば、検査に時間と手間がかかるからやっていませんということのようです。
 
なぜ時間がかかるのか、わからないので調べてみました。
 
「まず先に、鎌仲ひとみ氏の動画の中で誤解されやすいと感じたところがあります。閲覧者が混乱しないように、6分程度の短編にした上、仕方なくはしょっているので、そうなるでしょう。
 
それは魚のストロンチウム90の計測に触れている4分10秒あたりから。
「日本のいままでの検査のように、魚の魚肉だけを検査するのではなく、ストロンチウム90は、骨に溜まっていく一方なので骨も検査するべきだ」と言っているのですが、何も知識がない人が聴くと、これは魚の原形のまま計測するものだと受け取ってしまうかも知れません。
 
もちろん、鎌仲氏が言っているのはそうではなく、魚をほぐして細かく砕いて、検査器が飛程距離の短いベータ線も計測できるようにした上で、と言っているのです。
 
この記事に書いたように、アメリカ、カナダの漁業企業は、細かく砕いて骨までストロンチウム90を正確に計測しているのです。
 
日本の場合は、あらゆる口実を作って、ストロンチウム90がないことにしたいので、骨は検査対象から外しているのです。」
(「ストロンチウム90の危険性から目を背けさせようとする人々」より抜粋)
http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-2702.html
Sat.2014.03.22   内部被曝
 
私もうっかり「魚の原形のまま計測するものだ」と思っていました・・・。
放射線主任者試験1種を落ちるはずです。
 
ストロンチウムが発するβ線は遠くまで飛ばないので、骨を砕いて小さな空間で線量計測を行う必要があり、時間も手間もかかるのでした。
 
一旦体内に入ったら、ストロンチウム90は排泄されにくく、蓄積された体内の場所近くにある細胞にベータ線を照射し続けますので、たとえ「一粒」でもがん化させる可能性があるので危険なものだ、となるのでしょう。
 
映画監督の言う、「ベラルーシの給食検査」のことを思い出しましょう。

 

「(2)京都大学 原子炉実験所の小出裕章助教の見解
中略。

 

(3)ストロンチウムのリスク
ストロンチウムは骨に吸着すると、排出するのに5年間で25%しかでてこない。また、骨に吸着し、白血病の原因になると言われています。

(4)ストロンチウム検査の重要性
チェルノブイリ事故後に多くの被害者を出したベラルーシの学校給食では、放射性セシウムに加えて、ストロンチウムの検査もしております。

 

同じくレベル7の原発事故を起こした日本においても、食品のストロンチウムの検査は大切であると考えております。」

(「ストロンチウムの土壌汚染地図【US政府発表データ】」より抜粋、再掲)
https://news.whitefood.co.jp/%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E3%81%A8%E3%81%9F%E3%81%9F%E3%81%8B%E3%81%86%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0/1861/

 

なお、検索すると、平成24年4月1日から適用するとして「国の考え方」が公開されていました。

 

「水道水中の放射性物質に係る指標の見直しについて」より抜粋します。

http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r98520000018ndf-att/2r98520000024of2.pdf

 

「(2)水道水の目標の設定対象核種 食品衛生法に基づく飲料水の放射性セシウムの新基準値は、前述の放射性核種による 影響を考慮したものである。 飲料水における放射性物質の濃度の評価は、水源とする淡水(河川水及び湖沼水等) 中の放射性核種のセシウム137に対する初期濃度比を使用している。

 

ストロンチウム90 以外の核種は土壌中濃度比を固相-液相間分配係数で割って初期淡水中濃度比を求めて おり、

 

ストロンチウム90については、文部科学省が行ったモニタリング結果から得られ た河川水中のセシウム137に対するストロンチウム90の比から安全側の数値を求めてい る。

 

こうして求められた初期淡水中濃度比でも大きなものはストロンチウム90の0.02であり、セシウム137の2%である。

ストロンチウム90のWHO飲料水水質ガイドラインの ガイダンスレベルは放射性セシウムと同じ10Bq/Lであり、また、文部科学省による東電 福島第一原発の周辺地域の河川における調査によれば、

 

ストロンチウム90の大濃度は 0.018Bq/kgと低い状況にある。

 

ストロンチウム90等については、極めて低い濃度レベルにあることから測定が困難で あり、また、ベータ線核種については、測定できる機関が極めて限られている。

 

以上のことから、平成24年4月以降の長期的な状況に対応する水道水中の放射性物質 に係る目標の設定対象核種については、食品衛生法の飲料水の新基準値と同様に検査の 実効性を確保することが重要であり、測定機関及び測定機器の数並びに測定に要する時 間等の観点から、放射性セシウム(セシウム134及び137)を対象として目標を設定する。

 

放射性ヨウ素については、半減期が短いことから周辺環境においても検出されておら ず、ウランについては放出量が極めて少ないと考えられることから、いずれも水道水の 新たな目標を設定する必要はない。」(抜粋終わり)

 

これを読んだあとの感想を、関西弁で言わせてください。

「どんだけ水道水のストロンチウム90を気にしてんねん!」

 

これだけ多くの文字を駆使して書かれた文章ですが、ストロンチウムについては微量なのでセシウム比で考え線量限界を越えねば飲んでも問題ない、と書いているように見えます。

 

一方、心配だからベラルーシを真似て品川区は学校給食のストロンチウム検査を実施している。

私は、品川区の考え方のほうが当面正しい管理姿勢であると思います。

 

ママたちは、「チェルノブイリ事故を考えることは自分を考えること」と考えて、ベラルーシに賢く学んでいるのです。

 

内部被ばくはわからないからこそ気を付けるべきなのです。

 

わからないから、「微量だとして無視しよう・・では学校給食が危ない!」、とママたちは立ち上がったのです。

 

なぜこんな簡単に実施できることを国会議員たちは立ち上がって起案しないのでしょうか。

 

「国会議員がママたち以下である」ことは、ストロンチウム検査に関しては間違いありません。

ここまで書いてきて、品川区のママたちがどれほど偉かったか、よく理解できました。

ストロンチウムの土壌汚染地図

(チェルノブイリ事故を考えることは自分を考えること(22))
 
「ストロンチウムの土壌汚染地図【US政府発表データ】」
https://news.whitefood.co.jp
/%E6%94%BE%E5%B0%84%E8%83%BD%E3%81%A8%E3%81%9F%E3%81%9F%E3%81%
8B%E3%81%86%E3%83%96%E3%83%AD%E3%82%B0/1861/
(長いアドレスなので、一列につないでからご利用ください。)
 
このサイトに「2016年上半期のストロンチウムの関東での土壌汚染分布図」が掲載されていました。興味がある人はサイトからご覧ください。
 
閲覧して心配になったのは、水道水の安全性です。
汚染土壌は雨で河川や地下へ流れます。
水道水の源は地下水か河川水です。
下段の抜粋の中には、「セシウムも溶けやすいのですが、ストロンチムも水に溶けやすい。」と気になる部分があります。
 
浄水場の汚泥にストロンチウムが蓄積する可能性はありますが、もしわずかでも含まれていれば勝手に汚泥を廃棄できなくなることでしょう。
 
先日神奈川県にある我が家の近くの浄水場の傍を通ったとき、福島で見たのと同じ黒いビニール袋に汚泥らしきものを入れて、ずらりと並べている光景を目にしました。
 
その光景は、2015年夏に福島の帰還困難区域傍まで行った私の脳にとっては、デジャブ―でした。「この光景はどこかで前に見たことがあるぞ」という既視感のことです。
 
安全である土壌の廃棄用にニール袋であれば、できれば緑か青色のものを使用してほしいと思います。
 
逆に浄水場の汚泥なら乾燥させたら、すぐにどこへでも盛土や園芸用の土壌などに産業再利用できるはずで、保管は必要なさそうに思われます。
 
私が福島で見た黒いビニール袋の中の土壌は、放射能汚染土であり、保管場所が足りなくなってもって行き場がなく自治体が困っているものでした。
 
同じものが浄水場にずらりと並んでいる姿を見て、反射的に私はドキリとしたものです。
廃棄場所がある健全土壌の一時保管であるなら、ビニールの色は変えましょう。
なお、南相馬市は水道水中のストロンチウムの検出結果(平成26年度、27年度)を公表しています。
 
「南相馬市では水道水のプルトニウム及び放射性ストロンチウムのモニタリング調査を実施しました。
水道水のプルトニウム・放射性ストロンチウム測定結果(平成26年度) [5KB pdfファイル]  http://www.city.minamisoma.lg.jp/index.cfm/10,923,c,html/923/20151111-094610.pdf
 
水道水のプルトニウム・放射性ストロンチウム測定結果(平成27年度) [5KB pdfファイル]  http://www.city.minamisoma.lg.jp/index.cfm/10,923,c,html/923/20151111-094630.pdf」(抜粋終わり)
 

Grl_0096

GRL_0096
2015年8月に福島の双葉町警察署から山方面へ登って行った場所で見た黒いビニールの土壌保管状況(筆者撮影)
 
日本国の関東の土壌汚染分布をなぜ米国政府が公表するのでしょうか?
 
分布図を見て品川区の小学校の子を持つお母さんがたのご心配がわかるような気がしました。
 
文学部卒の女性映画監督が言っていたベラルーシのストロンチウム検査のことが、このサイトでも「注釈2:鎌仲ひとみ監督のインタビューより」として引用されていました。
 
この大学の研究者が「映画監督の知識」を引用したかのような形です。
映画監督の情報源は何か、まだ不明です。
 
「ベラルーシ情報」を拡散しているのがこの映画監督である、という構図になってきました。
 
「(2)京都大学 原子炉実験所の小出裕章助教の見解
 
①陸上の汚染について
ストロンチムは殆どはというよりは、日本中、世界中全部に存在しているわけですし、今回DOEのデータを見ると、殆どは大気内核実験の残りというかその影響かと思います。

ただし、ホワイトフードさんが作ってくれた地図をみると、福島を中心にして、何か汚染が高い棒グラフになっているわけですが、高いように私には見えますし、それも言ってみれば当然のこと。ストロンチム90も事故によって吹き出してきているわけですから、福島近辺が大気内核実験の汚染の上に上乗せされてようになっているということだと思います。
(インタビューの詳細はこちら、略。)

②海の汚染について
セシウムも溶けやすいのですが、ストロンチムも水に溶けやすい。そして、原子炉の炉心の中には、殆ど同量存在しているというモノなのです。
ですから、原子炉が溶け落ちてしまって、落ちた炉心に4年間為す術がないまま、水をかけて冷やそうとしてきたわけですが、それが全て放射能汚染水になっています。
その放射能汚染水の中には、セシウムとストロンチムは殆ど同量存在していたはずだと思います。

ただし、セシウムという放射性物質は、水に溶けやすいけれども、一部の粘土鉱物に非常に吸着しやすいという性質を持っていまして、東京電力などは、たとえばゼオライトという粘土鉱物を通すことによって、セシウムを汚染水のなかから捕捉している、捕まえているわけです。
ですから汚染水の中のセシウムはかなりの分が除去されています。

しかしストロンチムに関しては、今のところは殆ど何もやっていないという状況のわけで、放射能汚染水の中には、セシウムはかなり減っているけども、ストロンチムは大量に存在しているという状態になっているわけです。
その汚染水が毎日のように海にむかって流れでていっているわけですから、海の汚染ということに関する限りは、今度は陸の汚染とは逆にセシウムではなく、今度はストロンチムを注目しなければならいと思います。
(インタビューの詳細はこちら、略)

(3)ストロンチウムのリスク
ストロンチウムは骨に吸着すると、排出するのに5年間で25%しかでてこない。
また、骨に吸着し、白血病の原因になると言われています。(注釈1)
 
(4)ストロンチウム検査の重要性
チェルノブイリ事故後に多くの被害者を出したベラルーシの学校給食では、放射性セシウムに加えて、ストロンチウムの検査もしております。
同じくレベル7の原発事故を起こした日本においても、食品のストロンチウムの検査は大切であると考えております。(注釈2)
 
注釈1:チェルノブイリ博物館の資料より
https://news.whitefood.co.jp/news/topics/1189/
注釈2:鎌仲ひとみ監督のインタビューより
https://news.whitefood.co.jp/news/interview/622/
 
情報ソース:US Department of Energy
http://energy.gov/downloads/us-doennsa-response-2011-fukushima-incident-data-and-documentation
」(抜粋終わり)
 
5年間でストロンチウムを25%排出ということは、5年経っても吸収したものの75%は骨に残存しているということです。
一旦食品で吸収したものを強制排出できないものか・・・、策はある、とのことです。
 
わかめの味噌汁を毎日飲んでいる日本人は吸収したストロンチウムの87.5%を体外排出できるそうです。
この意味で、「日本人にはストロンチウムは蓄積しにくい」と誰かが考えている節も感じられます。
 
「放射性ストロンチウムの体外排泄
1960年代、米ソを中心に大気圏内の核実験が盛んに行われた。
これに伴い、体内に取り込まれた放射性物質の除去剤や排泄促進法に関する研究も数多く行われている。
 
放射性ストロンチウムは生体内ではカルシウムと同じような挙動をとる。
 
IAEA(国際原子力機関)は放射性ストロンチウムを大量に摂取した場合、アルギン酸の投与を考慮するように勧告している[5]。
アルギン酸は褐藻類の細胞間を充填する粘質多糖で、カルシウムよりもストロンチウムに対する親和性が高いことが知られている。
ヒトにアルギン酸を経口投与してから放射性ストロンチウムを投与すると、投与していない場合と比べて体内残留量が約1/8になることが報告されている。」(ストロンチウム-wikipedia)
 
あくまでストロンチウムを大量摂取した場合の対処としてアルギン酸の投与をするように勧告しています。
しかし、いつ大量のストロンチウムを摂取したかどうか、日本では誰もわかりません。
大気圏核爆発実験では発生したストロンチウムを全量大気中へ拡散していますので、大気流に乗って世界中に広がっていきます。
 
乳がんの発生と核施設の因果関係を知ったあとで、世界は大気中での核実験を禁止し始めました。
 
福島原発事故は厳密には大気中ではなく、容器内での爆発により放射能の一部が大気へ噴出したものですので、アルカリ土類金属で、密度が室温付近で2.64 g/cm3と比較的思いストロンチウムは大部分が破裂した容器から地下水へと流出し海へと流れだしたものを思われます。
しかし、原発の近隣には一部拡散して降下した可能性は高いのではないかと思われますが、土壌分析によりその事実はアメリカ政府により公表されていました。
 
最後に、「アルギン酸(ダイエットと料理レシピのコツ)」よりアルギン酸を多く含む食品について抜粋します。
http://www.drrk.net/a-03.html
 
「 アルギン酸は、昆布やわかめなど海藻類の細胞間物質に含まれているゼリー状の多糖類です。
海藻のぬめり成分を構成しています。
 
アルギン酸は、カリウムと結びついており、腸内でカリウムを放出することで、ナトリウムを吸着して体内での吸収を防ぎます。
このため、アルギン酸は、高血圧の予防に効果的です。
 
 さらに、アルギン酸は、血中コレステロールの抑制作用や血糖値の上昇抑制作用、便秘解消、動脈硬化の予防などの作用もあります。
一般的に、「昆布は血圧を下げる」といわれますが、これはアルギン酸の作用によるものです。
 アルギン酸ナトリウムを分解した低分子化アルギン酸ナトリウムは、おなかの調子を整える作用のほか、コレステロールを下げる作用も確認されており、厚生労働省が効果を認めるトクホ(特定保健用食品)の飲料に配合されています。
 
【アルギン酸を多く含む食品】 昆布・わかめ・もずく・めかぶ など」(抜粋終わり)

給食のストロンチウム検査、品川区

(チェルノブイリ事故を考えることは自分を考えること(21))
2014年から東京都内の学校給食でストロンチウム検査を始めてました。
体内に取り込まれるとカルシウムのような作用をして骨の中に居座るようです。毒性はセシウムの300倍と言われています。
 
「ママ友が動かした!品川区の給食にストロンチウム検査」より抜粋します。
http://kaleido11.blog.fc2.com/blog-entry-2720.html
Sun.2014.03.30   内部被曝
 
「ず~っと ず~っと心配ですと伝え続けてきた声が届きました!!
昨年、品川守る会であげた食品測定器購入の陳情では不採択となってしまいましたが、こうした形で品川区は子どもたちの給食問題に取り組んでくれる姿勢がとっても嬉しく思います。
1校あたり年に2回はセシウム検査、1回はストロンチウム検査が行われるようです」。
 
品川区!全国で初めて!!給食食材検査にストロンチウム検査が加わります!
守る会を発足してから3年間 ず~っと言い続けてきた子どもたちへの思いが、やっと届いた!」
 
また、ストロンチウムの毒性について文学部卒の女性映画監督が語っています。
 
『「ストロンチウムについて」鎌仲ひとみ監督インタビュー】より抜粋します。
https://news.whitefood.co.jp/news/interview/622/
「今日はストロンチウムについて質問をさせて頂きたいと思います。
Q:一つ目の質問です
ストロンチウム90の危険性について教えて頂けますでしょうか?
(鎌仲監督)
ストロンチウムはセシウムよりも毒性が高い、それは、セシウムは遠くまで飛ぶ放射線を出すんですけども、これがガンマ線ですよね、でもストロンチウムはベータ線を出して、短い放射線の中にエネルギーが高い、ということはつまり破壊力がある、それがその放射線を浴びたところに対して破壊力が高い、つまり放射能毒性が高いというふうに考えられるんですね。
 
大体セシウムの300倍というふうに考えられていて、もう一つは、半減期が長い。
 
生物学的半減期といって、セシウムは放射線を出す半減期が30年といわれているけれども、ストロンチウムは、身体の中に入ってから身体の外に出ていくまでの生物学的半減期が、セシウムよりも、セシウムは45日と言われていますけども、一旦骨に取り込まれてしまう可能性が高いので、骨の中に入ってしまうと、骨組織の中にずーっと、新陳代謝をしないところに入っていってしまう、そこで放射線を出し続けるという、二重の意味で危険性があると思うんですよね。
中略。
 
Q:二つ目の質問です。
(チェルノブイリから西へ400㎞で国境を接している隣国)ベラルーシでは、どのような放射能検査体制になっているのでしょうか?
 
(鎌仲監督)
まずセシウムを測って、まぁ牛乳なんですけども、あとその、じゃがいもを測ってますね。というのは、一番多く取り込むものを、全てを測るんじゃなくて、より多く食べるもの、主食に近いものを測りましょうという考え方だと思うんですけれども、給食に出す牛乳とか、セシウムを測って、セシウムが出なくても、ストロンチウムの検査をすると。すごい時間がかかっちゃうんですけど、牛乳を冷凍して、例えばゴメリ州には、ストロンチウムを測る検査機械が5か所にあるので、まぁラボと言ってますけど、それを公的な機関が、検査をする検体を作って、送って、結果を待つということをやっていますよね。
というのは、セシウムがどんどん、134がなくなり、そろそろ28年なので、137も半分になっていく、っていう時点で、ストロンチウムが残っていると。ストロンチウムは300倍の毒性があるので、つまり、量が少なくても危険性があると考えている、それは、チェルノブイリの場合爆発して、空中にストロンチウムが沢山出た。
 
日本の場合は、海に出ている訳ですよね。例えば2900万ベクレルのストロンチウムの濃度を持った汚染水が、福島第一原発から漏れている訳なので、海に漏れているストロンチウムの量は相当あると。それが海洋生物の中でどういうふうに拡散し、濃縮し、私達の食卓に返ってくるのかということは、まぁこれからなんじゃないかな、と思うんですよね。時間経っても長く残るものなので、そこがやっぱり、大体セシウム137が100あると、ストロンチウム90は20ぐらい、100あるところに、100分の20位が存在しているのではないか、そういう割合であるので、セシウムがあるところには、ストロンチウム90もあるぞ、というふうに考えていいと思うんですね。」(抜粋終わり)
 
べラルーシとウクライナは国境を接しており、ウクライナのチェルノブイリ事故地点と国境との距離は、福島~静岡間くらいの距離です。
 
なぜ映画監督がベラルーシの給食検査事情をよく知っているのか、その訳はまだ私にはわかりません。

2016年10月26日 (水)

チェルノブイリ汚染との比較

(チェルノブイリ事故を考えることは自分を考えること(20))
「これが福島原発事故による放射能汚染地図だ!!」
中部地方、北陸地方から関東甲信越、東北地方の全域が放射能汚染
http://www.kananet.com/fukushima-osenmap/fukushima-osenmap2.htm
 
わかりやすい図や絵で福島の事故とチェルノブイリ事故を比較しています。
 
万が一のことですが、もし放射能汚染で住めないはずの地域に国民を住ませているとしたら、被ばく実験をしているということにならないか、大変心配なことです。
本人が実験に参加する意思をもって帰還するのであればそのケースはあり得るでしょうが、知らないままに居住させられることがあってはなりません。
 
国はわかりやすい説明を疑惑の領域に住む住民にする義務があるはずです。
 
その疑わしいエリアは関東にも及んでいるのですので、私も例外ではありません。
当事者に当たります・・・。

Photo

環境への影響(Environmental Consequences)

福島原発事故による放射能汚染のチェルノブイリ汚染との比較図(同上より引用)
 
この比較図について説明している部分を抜粋します。
 
「チェルノブイリでは居住禁止区域や移住必要区域であるのに、福島では居住しているし、政府が帰省させようとしているということが驚くべきことである。

福島県民や近県の濃厚汚染地域の人は、この比較図を見て、自分で判断して家族や自分の健康を守ることが必要だ。
 
「(C)群馬大学早川教授作成のもの
チェルノブイリの区域の解説・・・
移住権利区域-中放射線量の区域、住んでいても良いが、住民が移住を希望すれば移住できる地域である。
この地域は移住を希望すれば国の支援の対象となる。」(同上より抜粋)
 
このサイトの記事中に下記が挿入されていますので、2011年11月15日よりあとの記載のようです。正確な記事アップ日時は不明でした。
 
「福島第一原発の事故で大気中に放出された放射性物質が、西日本や北海道にも拡散して土壌沈着しているとの解析を日米欧の研究チームがまとめた
(名古屋大の安成哲三教授、ノルウェー大気研究所などのチーム)
2011/11/15の米国科学アカデミー紀要電子版に発表」(同上)
 
すでにこの項でかつて述べましたが、名古屋に住んでいた知人の米国人家族5人のうち、娘さん3人を含む4人が外国へ移住したのは、2011年でした。母親のみは仕事の都合があって2012年に移住しました。
 
以前この一連の記事に、こう書きました。
 
「さて、今、私は「旧奥州街道」を歩いています。
主として国道4号線に沿って旧道も織り交ぜながら、福島市中心部から桑折町へ向かって歩いています。
 
正確にいえば、「フクシマ第1原発事故の約1年前にここを歩いて通過しました。」
当然ですが、セシウムもプルトニウムも、ストロンチウムも降下していない美しい村です。」
 
最後の2行は最近(事故の5年後に)付け足したものですが、私は何らかの情報を得て、ストロンチウムについて怖れを抱いているようです。
 
そこで冒頭の記事(2012年前後の記事)の中で「そのこと」について触れていないか探しました。
 
以下の文が検出されました。
 
「横浜のマンションからは“猛毒”ストロンチウムが検出された-この図はセシウムだけだが、より危険な放射性物質は拡散がまだ隠蔽されている。
途中略。
 
それに・・・。
地下水から海洋への放射性物質のただ漏れは続いている。
海洋汚染も地下水の対応を含めて完全に廃炉にされまで3-40年は続く。
海洋汚染には、プルトニウムやストロンチウムなどの全核種が含まれている」(同上より抜粋)
 
不安が解決するどころか、ますますストロングリーにストロンチウムが気になり始めました。
 
その名の由来は、最初に発見された場所であるストロンティーアン(Strontian)というスコットランドの村にちなんでいるとのことでした。(wikipedia記事による)

健全に揺れる米国の原子力安全

(チェルノブイリ事故を考えることは自分を考えること(19))

Grl_0086

GRL_0086 国道6号線に立つ帰還困難区域の標識と立入禁止柵(2015年8月撮影)

Grl_0076

アジサイの花と葉には問題はなさそうです。

Grl_0077

Grl_0078

GRL_0076~78 柵の外で撮影したアジサイの花と葉は問題なさそうですが、そのそばにあるツル性の草葉が妙な具合に枯れていました。気になったので撮影しました。
 
オバマが任命した反原発傾向の強いヤッコ委員長は、フクシマ原発事故現場の視察ののちに、さらに反原発色を強化し、産業界の反発を受け、辞任しています。
 
私はヤッコ委員長の苦悩に米国政治の「健全さ」を認めます。
 
フクシマ事故を経験してなお、変わらず原発再稼働を推進する日本の政治は健全さを失っています。
つまり病気です。
 
ヤッコ委員長就任背景と辞任原因を抜粋します。
 
「その後、(ヤッコ氏は)上院の環境公共事業委員会で原子力問題について発言し[1]、ハリー・リード上院議員の科学政策アドバイザーとなった[5]。
リード上院議員は使用済み核燃料の最終処分場問題に反対するなど強硬な反原発派として知られ、その後のヤツコの言動やNRCの方針にも影響を与えたとみられている[6]。
 
2005年1月21日[5]、アメリカ合衆国原子力規制委員会(NRC)の委員に就任、2009年5月13日[5]、バラク・オバマ大統領によって委員長(すなわちNRCの最高責任者であり公式スポークスマン[5])に任命された[1]。
 
ヤツコ委員長はNRCの長期計画策定、予算編成や人事において責任を負い、「NRC管轄下の原子炉における潜在的非常事態に関し、NRCの機能すべてに権限を持つ[5]。」
 
あるホワイトハウス高官は「ヤツコ氏がNRC委員長を務めていること自体が、大統領の安全への強い思いの表れ」と発言している[6][7]。
 
2011年3月の福島第一原子力発電所事故発生後、原発の安全性に関し強硬な姿勢で臨んだことが産業界からの反発を呼び、NRC内で孤立するようになった[8]。
2012年5月21日[5]、後任が決定次第NRC委員長を退任するとの声明を発表した[9]。
5月24日にオバマによりジョージ・メイソン大学准教授のアリソン・マクファーレン(英語版)が後任者に指名された[10]。」(抜粋終わり)(グレゴリー・ヤツコ-wikipedia)
 
「2011年3月の福島第一原子力発電所事故発生後、原発の安全性に関し強硬な姿勢で臨んだこと」とありますが、事故後はヤッコ委員長はフクシマの現実をまだ知っていませんでした。
 
映像やメディアの情報を得て、素粒子物理学博士であるヤッコ委員長の姿勢が強硬化していたのです。
 
「「福島のような災害に襲われた時、アメリカの原発は安全を保てるのか?」。
去年、福島第一原発の事故のあと、NRC(米原子力規制委員会)のグレゴリー・ヤッコ委員長は、自問自答し続けていた。事故は、2つの大きな問題を原発大国に突きつけた。その一つは、“シビアアクシデント対策の不十分さ”が露呈したこと、もう一つが、“ひとたび事故が起きた時の被害の甚大さ”だ。
NRC委員長を辞めたヤッコ氏はこの9月、日本を訪れ、福島県浪江町、福島で避難を強いられている人々、日本の専門家たちと対話する。福島第一原発事故に何を見たのかー。 」(NHK BS1 ドキュメンタリーWAVE「原発の“安全”を問い直す ~米NRC前委員長 福島への旅~」より抜粋。)
http://www.asyura2.com/12/genpatu29/msg/497.html
投稿者 gataro 日時 2012 年 12 月 29 日
 
これよりヤッコ氏がフクシマの現場を視察したのは、NRC委員長を辞めたあとの2012年9月だと思われます。現地を見て、もっと反原発意識を強めただろうと私は思います。
 
私も2015年8月にフクシマの惨状を実際に見てきて、その意を相当強くしています。

Grl_0102

双葉警察署前 (2015年8月撮影)

Grl_0102s

同上拡大 「犯罪と事故のない街を作□う」の看板が見えます。
フクシマ原発事故のあとで、それは一部においては達成したように思います。
 
しかし、「ヤッコ氏の後任が現在のNRC委員長を務めていること自体が、オバマ大統領の安全への強い思いの表れ」かどうか、は不明です。
 
核の専門家であるヤッコ氏は、米国の科学者ライマン博士が日本の福島県知事などにむかって、フクシマ第一原発3号機のMOX燃料に重大な危険性が潜むことを1990年10月にネットで警告していたことなどは、当然に知っていたことでしょう。
 
「原発重大事故とMOX
http://kakujoho.net/mox/mox99Lyman.html
核情報ホーム > MOX 2006.2
日本の原子力発電所で重大事故が起きる可能性にMOX燃料の使用が与える影響
エドウィン・S・ライマン (PhD)
核管理研究所(NCI)科学部長
1999年10月」

2016年10月25日 (火)

ラグビーの平尾誠二の病名は胆管細胞がん

(チェルノブイリ事故を考えることは自分を考えること(18)
「平尾誠二さんの死因は胆管細胞がん 遺族が公表」
2016年10月25日19時53分
http://www.asahi.com/articles/ASJBT670XJBTPTQP00Y.html
 
この記事によれば昨秋から闘病していたようですので、1年目で亡くなったことになります。
 
「胆管細胞がんとはどんな病気か」によれば、
http://health.goo.ne.jp/medical/10I30200
 
胆管細胞がんの場合、発見しにくい病気のようですので、黄疸などが現れてから自覚をするようです。
 
チェルノブイリ原発事故1986年の10年後、1996年を境に胆嚢・胆管がんの罹患数が日本で増加し得ているかどうか、気になったので、調べました。
 
白血病などと異なり、おおむね胆嚢・胆管がんの罹患数の増加率は1996年前後で大きくは変わっていないように思われました。
 
ラガーマン英雄のご冥福をお祈りいたします。

Photo_3

胆嚢・胆管がん(男)

Photo_4

白血病(男、女)
上記の2つのデータの出典は、以下の通り。
 
我が国のがん登録統計「罹患データ(全国推計値)」の中にある、
http://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/dl/index.html#incidence

「内容:地域がん登録全国推計によるがん罹患データ(1975年~2012年)
ファイル名:cancer_incidence(1975-2012).xls (2,053KB) 」
出典:、国立がん研究センターがん情報サービス「がん登録・統計」
 
これをエクセルでグラフ化して追加しました。
 

陶晴賢とザビエルの接点

B

若山城跡駐車場から周防の海(瀬戸内海)を見下ろす。(火薬満載の南蛮船は富田港へ着いたころだろうか・・・。)
 
前の記事で、私はこう書きました。
 
(仮説1)陶氏はイエズス会と手を結んでいた。
 
「駐車場に車を置いて、歩いて山道を登っていく。
この山の頂に若山城跡があるとMさんが言う。
私はこの城が誰の居城かは知らないままMさんの後をついていく。
しかし、この稿を書いている今は、陶氏はイエズス会と手を結んでいたと思っている。
海の見える駐車場にあった山口県指定史跡の説明板には、
『1470年、陶弘護(すえ ひろなり)が石州津和野、三本松の城主吉見氏の進行を防ぐために築いた城である。』と書いていた。」
 
また、こうも推理していました。
(仮説2)大友宗麟と仮説1から陶晴方との連携とザビエルの布教影響
 
「1551年宗湛誕生の年にザビエルが大友宗麟の豊後へ布教にやってきています。
27年後の1578年に、宗麟はキリスト教の洗礼を受け、博多商人の神谷宗湛と交友し、日明貿易や日朝貿易も行ったとあります。
もし文明開化の早い博多の神谷宗湛が、彼の誕生時にすでに洗礼を行けていたと仮定すれば、「27歳の宗湛」が洗礼を受けたあとのフランシスコ宗麟と一層交流を深めた可能性を感じます。」
 
果たしてその仮説は時間推移から見て成立し得るのでしょうか。検証してみます。
 
「武家家伝 陶 氏」の記事より、鉄砲伝来とザビエル上陸と、陶晴賢(すえはるかた)の反乱との時間的関係を見てみます。
http://www2.harimaya.com/sengoku/html/sue_k.html
 
「享禄元年(1528)、大内義興は臨終の床で、(陶)興房に大内氏の後事を託し、嫡男義隆の補弼を依頼した。
中略。
 
晴賢の謀叛と滅亡
 長男(陶)興昌はすでに戦死していたため、二男の隆房(のち晴賢と改名)が十九歳の若さで家督を継ぐことになった。
(陶)隆房は父祖以来の周防守護代という大内家中における地位と、もちまえの軍略とによって、大内氏家臣団におけるぬきがたい勢力を作り上げた。
しかし、義隆が右筆の相良武任らを重用するようになって、次第に文弱に偏るようになったことから、両者の間には不穏な空気が流れるようになった。
 
天文十九年、隆房は大内氏譜代の家臣杉重矩・内藤興盛らと謀って、富田若山城に引籠ってしまった。」(「武家家伝 陶 氏」より抜粋)
 
杉重矩(しげのり)の氏名が吉田松陰の本名に酷似しているのを妙に気にしているのは私だけでしょうか。
 
「幼時の名字は杉(本姓不明)。幼名は寅之助。吉田家に養子入り後、大次郎と改める。通称は寅次郎。諱は矩方(のりかた)。字は義卿、号は松陰の他、二十一回猛士。」(吉田松陰-wikipedia)
 
つまり、生まれたときの松陰の本名は「杉 矩方(のりかた)」でした。
このことは今の議論には関係ありませんので、措(お)きます。
 
陶晴賢(隆房のこと)は大内氏譜代の家臣杉重矩・内藤興盛らと謀って、富田の若山城に引籠ってしまったのが、天文19年(1550年)でした。
種子島に鉄砲が伝来したのは1543年 (天文12年)ですので、この時までに既に7年を経過しています。
中国の寧波港で日明貿易を独占的に差配していた大内氏が鉄砲をいち早く配備したことは容易に想像可能です。
 
大内義隆の父、大内義興が、臨終の席で最も信頼していたはずの腹心たちが、揃って若山城へ籠ったのは、ザビエルが鹿児島に上陸した1年後でした。
 
「1550年8月、ザビエル一行は肥前平戸に入り、宣教活動を行った。
同年10月下旬には、信徒の世話をトーレス神父に託し、ベルナルド、フェルナンデス修道士と共に京を目指し平戸を出立。
11月上旬に周防山口に入り、無許可で宣教活動を行う。
周防の守護大名・大内義隆にも謁見するが、男色を罪とするキリスト教の教えが大内の怒りを買い、同年12月17日に周防を立つ。
岩国から海路に切り替え、堺に上陸。豪商の日比屋了珪の知遇を得る。」(フランシスコ・ザビエル-wikipedia )
 
1550年11月にザビエルは周防山口(周防守護は陶氏)に来て布教をしていました。
周防守護の陶氏一族にザビエルが謁見しないはずはありません。
 
そして、次の記事によれば1550年11月下旬より陶晴賢(隆房)は病気と称して居城若山城(周南市)に籠もったのです。
この背景には、大内氏による石見銀山支配から脱したい石見の吉見正頼の姿が出入りしています。
 
「天文18年(1549年)2〜5月に、大内氏と毛利氏の同盟を強化するための義隆の計らいで、元就が息子たちを連れて山口を訪れて義隆に謁見する。
しかし、毛利に近づくための陶の招きとも言われており(相良武任申状)、隆房(=晴賢)の嫡男・陶長房を通じて密書のやりとりがあったとも言われる。
また、この長期の滞在の間に隆房と吉川元春は義兄弟の契りを結んだ。
 
天文19年(1550年)になると、武任と隆房との対立が決定的となり、武任暗殺まで謀られるに至るが、事前に察知した武任は義隆に密告して難を逃れた。
しかし、隆房が謀反を起こすという伝聞が流れるまでになり、義隆の側近である冷泉隆豊は義隆に隆房の誅殺を進言するほどだった。
武任は、美貌で評判だった自分の娘を陶長房に嫁がせることで和睦を図ろうとしたが、隆房が家柄の違いを理由に縁談を拒否し、融和案は決裂した。
 
8月24日付けで隆房は、毛利元就・隆元宛と吉川元春宛に2通の密書を書き送るが、
「杉や内藤と相談し、義隆を廃し、義尊に跡目を継がせたい」として協力を求めているのが、隆房が謀反を示す最初の史料とされる(吉川家文書)。
また、元就を通じて隆房の意向は、天野隆綱など他の安芸国人にも伝えられており、隆房への協力の見返りに所領を与えることが約束されていた(天野毛利家文書)。
 
9月15日に仁壁神社・今八幡宮で行われた例祭での参詣を義隆は急遽欠席し、右田隆次を代参させた。
これは「隆房が、義隆・武任を幽閉する」という噂で、義隆側が警戒したものと考えられている。
翌16日に義隆は隆房を呼び出して詰問するが、隆房は無実を主張した。
 
他方、武任は同日(16日)に再び大内家から出奔し、石見の吉見正頼の元に逃げていた。
 
11月下旬より隆房は、病気と称して居城若山城(周南市)に籠もり、年が明けた2月の修二月会大頭役の勤めも果たさなかった(隆房が同役を勤めることは前年から決まっていた)。
この時、義隆も隆房らの謀反を恐れて、自ら甲冑を着けて居館に立て籠もり、さらに隆房に詰問使を送るなどしたことから、義隆と隆房の仲は最悪の事態を迎えた。」(大寧寺の変-wikipedia)
 
「そして翌天文二十年(1551年)、隆房は義隆の姉の子で、大友宗麟の弟大友晴英を主君に迎えるように取り計らうと、山口の大内邸を攻撃したのである。
義隆は長門の深川大寧寺で自刃し、大内氏の当主に迎えられた大友晴英は大内義長と改めて山口に入った。
 
 かくして、陶晴賢の下剋上は成功し、表面上は義長を立てながら大内氏の実権を掌握した。クーデターを起こしたとき、晴賢は毛利元就にも支援をたのみ、元就も消極的ながら晴賢に味方して大内義隆を見殺しにしたようだ。
 
その後、毛利元就は着々と勢力を拡大し、晴賢は毛利氏が強大化することを危惧するようになった。
 
そして天文二十二年、旗返城をめぐって両者の間に感情的対立が起こった。
その折もおり、津和野の吉見正頼が晴賢討伐の兵を挙げ、元就にも協力を要請してきた。
 このころ、晴賢の勢力は強大であり、元就は吉見氏の依頼を受けるか、晴賢に応じて吉見氏を討伐するか悩みに悩んだ。
 
これをみた晴賢は、毛利氏内部への調略を行い内部崩壊をもくろんだ。
これを知った元就は、ついには晴賢と対立する道を選んのである。
 
かくして、陶氏と毛利氏との間で戦いが繰り返されるようになり、弘治元年(1555)、元就と晴賢は厳島を舞台に決戦を行った。
 
戦力的には陶方が圧倒的に有利であったが、元就ては謀略・知略をかたむけて、陶方の切り崩しを行い、大軍を動かしにくい厳島に陶軍を上陸させることに成功した。
 
 このとき、元就の策を見抜いた陶方の将弘中隆兼は、晴賢に厳島に渡る不利を説いた。
しかし、元就は隆兼が毛利に通じているという噂を流しており、晴賢は隆兼の進言を受け入れなかったという。
こうして、晴賢は二万の大軍を厳島に上陸させた。
一方の毛利軍は嵐をついて兵を島に上陸させ、海からは村上水軍の協力を得て厳島に攻め寄せた。
海陸から同時に討って出た毛利軍によって、陶軍は大混乱となり、乱戦のなかで晴賢は自刃し、嫡子長房も自殺してはてたのである。
陶晴賢は享年三十五歳の壮年であった。
 
 晴賢は武将としての力量はあったようだが、それは大内氏の重臣としてのものであって、独立した戦国大名になるだけの力(運も含めて)には恵まれていなかったといえよう。
陶晴賢と毛利元就とは親子ほどの年齢差があり、老獪な元就の謀略に若い晴賢は翻弄された末に敗れ去った。
また、主君を裏切ったことで人が信じられなくなっていたのであろう。」(「武家家伝 陶 氏」より抜粋)
 
大内義隆が長門の深川大寧寺で自刃したのが文二十年(1551年)、その後陶隆房(晴賢)は義隆の姉の子で、大友宗麟の弟大友晴英を主君に迎えるように取り計らってから、山口の大内邸を攻撃しています。
その年、ザビエルは豊後で大友宗麟と面会しています。
 
「天文20年(1551年)に豊後へ布教のためにやってきたイエズス会宣教師・フランシスコ・ザビエルを引見したことが(宗麟と)キリスト教との出会いであった。
27年後の天正6年(1578年)7月にキリスト教の洗礼を受け、ポルトガル国王に親書を持たせた家臣を派遣している。」(大友義鎮-wikipedia)
 
以上のことより、下記の2つの仮説は十分に成立し得ると思われます。
 
(仮説1)陶(晴賢)氏はイエズス会と手を結んでいた。
 
(仮説2)大友宗麟と陶晴方の連携とザビエルの布教影響
 
なお、長い間の明との交易を経由して、ザビエル来日以前から日本にイエズス会士や信者が来日しているはずで、
商業活動の中で日本人に信仰を教えていた可能性もあります。
 
ザビエルの来日は準備万端、満を持しての乗り込みであった、とも思われます。。

2016年10月24日 (月)

原点回帰

横浜点滴殺人事件(19)
1か月が経過し、犯人は野放しの状態です・・・。
県警本部長は県民の税金の無駄遣いをしないようにお願いします。
 
捜査着手の4日目に掲載された下記の看護師たちの見解をおさらいしてみます。
迷宮入りしそうな現在、プロ看護師の意見という原点に回帰して推理をやり直してみます。
何かの参考になれば幸いです。
 
「横浜点滴異物混入殺人について現役看護師に犯人像を聞いてみた」より抜粋します。
http://www.goodnojob.com/entry/2016/09/27/165018
(2016-09-27)
これは派遣看護助手「ままる氏」(男性)が働く病院(事件の病院とは無関係)で、今回の事件について、同僚看護師達に犯人像をインタビューしたものです。
 
夜勤中に、同僚の看護師に今回の事件の報道を見て、直感的にどう思ったか聞いて回ったところ、約9割の現役看護師たちが、「内部の犯行」ではないか、と推測していたそうです。
 
「途中略。
A1 看護師歴7年 女性
「連続殺人だとするとそうそう何度も外部の人間が点滴に細工できるとは思えません。」
 
A2 看護師歴13年 女性
「トラブルや事件が起こっているのが4階病棟に集中している点が気になります。病院の信頼を失墜させるのが目的なら、複数階にまたがってもおかしくないと思います。
病院ってそれぞれの階が独立した会社のようなイメージで、他の階との交流は少ないのが普通です。極端な話、4階の看護師は3階の看護師の名前すら知りません。
問題が4階に集中しているのは、4階病棟に関連する何者かが、何らかの理由で引き起こしているという見方が賢明だと思います。」
 
A3 看護師歴 4年男性
「動機は意味不明ですが、界面活性剤の混入のさせ方なんて看護師以外はなかなか出来ません。しかも外部から侵入して細工するとなると最低でも医療の知識が少なからず無いと不可能っすね。しかし内部だとすると相当な暇人です。看護師ってヤバい忙しいから、そんな自分の仕事を増やすことなんて考えられない。俺には意味不明っす。」
 
A4 看護師歴 9年女性
「んーー、外部じゃないかなぁ… 中略。
内部の犯行だとしたら、患者さんの親族などは騙せますが、周りの看護師は気がつくはずです。プロである看護師がうじゃうじゃいるわけですから、その中でそんなことをし続けるのは不可能だとおもうんですよね…」」(抜粋終わり)
 
さらにこのアンケートを実施した男性「ままる氏」の総合的な感想です。
 
「看護師達は一様に「なんで?」という動機の部分でひっかかっていました。
「職場や同僚に不満があっても、自らそんな危険を犯すか?」というのはみんな共通している意見でした。
看護師達はプロですから、何をどうやったら人が死ぬかは熟知しています。
しかしその後、どんな証拠が出て来て誰が疑われるか、も熟知してるんです。
なのでこの「内部説」にひっかかるところがあるみたいですね。
中略。
 
夜間に第三者が病院内を歩くのは、ものすごく目立つ行為です。
A2のベテラン看護師のインタビューにもありましたが、「4階病棟に集中」というのがやはり気になります。
略。
仮に外部の人間の犯行だとすると、4階だけを狙うのは犯行現場に繰り返し通う必要があるので、その分リスクも高まりますよね。以下略。」(同上抜粋終わり)
 
これらのプロフェッショナルな人々のアンケート情報を読んで私が注目したのは、以下の4点です。
 
(1)内部犯行であるが、看護師プロから見てリスクを負う動機が不明。
病院ぐるみで保険金詐欺容疑などが浮かんでくるのであれば、漸く「動機」の説明はつくだろう。
もし個人的な犯行だとすれば、無差別殺人の「動機」が推測できない。もし管理職から個人へ作業請負としての金銭報酬が支払われるならば、殺害動機はアルバイト料だということになる。
 
(2)「自分の仕事を増やすなんて相当な暇人だ」ということから、暇が多い、『4階病棟に関連する管理職』ではないか。4階専従の看護師の管理職がいたのかどうか。
 
(3)病院全体の評価を落とそうという動機ではない。
終末期病床の4階だけで、連続で無差別な殺人を安定的に量産する「(経営)動機」が存在していた可能性はないのか、病院収支の月ごとの変動と4階死亡者数推移との因果関係分析などが必要ではないのか。
 
(4)「プロである看護師がうじゃうじゃいる」という平日や昼間はまずいので、休日の夜勤で犯行を実行していた。
 
しかし、いずれにしても、「動機」の説明が鍵を握りそうです。
 
「なぜ終末期の老人たちだけ」を狙って、犯人(ら)は、毎週毎週苦労を重ねて殺す必要があったのか?!

陶(すえ)氏の居城、若山城訪問

若山城址山頂の本丸跡には石製の神棚に12葉の菊の紋章がありました!

1

山口県 旧吉敷郡陶村1(google mapより引用)

陶村 (山口県)(すえそん) (岐阜県にも同じ地名がありますが、そちらは「すえむら」と読みます。)
赤いマークの山口市役所陶(すえ)地域交流センター付近が昔の吉敷郡陶村で、陶氏の出身地です。
上の赤い丸は山口情報芸術センターですが、この付近が山口駅であり県庁所在地、つまりのちの毛利長州藩の山口藩庁跡です。
 
この赤い丸はザビエルがこの国で本格的に大名の許可を得て布教を開始し始めた地点なのです。陶村から歩いて12㎞程でザビエルの楓の木の根元にある井戸端説教を聞きに日帰りで行けただろうと推理しました。
 
「事実上の日本陸軍の創始者、あるいは陸軍建設の祖」(wikipedia)とされる大村益次郎の出身地も、陶村の東側にある四辻駅近くの鋳銭司村(すぜんじむら)でした。
くしくも陶晴賢も、その200年前に大内氏の軍事大臣を脱して、この国の征夷大将軍を目指して下剋上を実践したのです。
 
(「 周防国吉敷郡鋳銭司(すぜんじ)村字大村(現・山口県山口市鋳銭司)に村医の村田孝益と妻うめの長男として生まれる。」(大村益次郎-wikipedia))
 
「最古の国内鋳貨
富本銭(複製品)写真略。
日本の金属貨幣は、硬貨が作られる以前には秤量貨幣が用いられていた。
飛鳥寺の物資調達についての木簡には、秤量銀貨を用いた記録や、銭の単位である「文」の表記がある[20]。
 
『日本書紀』には、683年(天武天皇12年)に銅銭を推奨して、銀銭を禁じる記述がある。
694年(持統天皇8年)には、貨幣を鋳造する機関である鋳銭司の長官が任命された。
設けられた銭鋳司には、奈良時代の催鋳銭司、鋳銭寮、長門鋳銭司、岡田鋳銭司、登美鋳銭司、田原鋳銭司、平安時代の長門鋳銭使、周防鋳銭司、山城国葛野郡鋳銭所などがある[21]。」(日本の貨幣史-wikipedia)
 
683年に銅銭を推奨して、銀銭を禁じる記述があり、694年に周防鋳銭司が設けられています。銀貨を鋳造せずに、石見銀山で堀った銀は海外へ流出していったのでしょうか。
「黄金の国ジパング」の役目を果たし続けるために・・・。
 
下方に瀬戸内海の湾入部が見えます。陶氏が瀬戸内海の水に近い場所の出自であることがわかります。大内軍の陸海両軍を私物として束ね、上洛を狙ったのではないかと思われます。史実は不明ですが、もし陶晴賢か妻や子が洗礼を受けていたとしたら、それは十字軍の性格を帯びてきます。

Photo

意味深い直線

陶村と大村益次郎墓の距離はおよそ3㎞ほどで、それを結ぶ直線状に周防鋳銭司跡がありました。その直線の意味は深いことでしょう。
 
出雲の「簸川」(現在の斐伊川)村の人々が武蔵にやってきて、灌漑し見沼を畑に替えて整備した大宮に氷川大宮神社(武蔵一宮、武蔵国で最初のお宮)を建立したのは紀元前473年ですが、氷川神社、中氷川神社、女体氷川神社の3社は夏至か冬至の日に太陽が移動する直線上に建設されていました。紀元前にメソポタミア文明の知識を持った人々が好んだ直線と3つの尊い点の関係です。この地域に「公家の存在」を私は感じます。
この直線を見つけたとき、陸軍海軍の統一は、陶晴賢でダメだったけれど、300年後に必ず大村益次郎でやり遂げる、という「彼らの」強い意思を感じます。
但し、海軍を薩摩にさらわれてしまった点はまだ未完成なのかも知れません。
 
だから陸軍だけでユーラシア大陸を荒らしまわったのでしょうか。
なるほどと妙に合点がいきました。

Photo

吉敷郡陶村2(google mapより引用)
陶村の北西方向に1㎞行ったところにある陶陶窯跡(すえとうがまあと)が気になったので赤い丸を付けました。
左の川を瀬戸内海へ出るのに利用したのではないか。
左端の広い川は椹川「さわらがわ」と言います。陶村の南側にある支流が椹川と接続しているように見えます。
 
ひょっとして日本古来の須恵器と陶氏は関係があるのではないか、と思いました。
調べると、やはりそうでした。
 
中国から白磁が輸入されてからは須恵器は徐々に消えていきますが、それまでは日本で多く使われていた陶器です。
 
「陶陶窯跡は、須恵器を焼いた窯で、平安時代初期に使われたものと思われます。
この地方の地名を陶ということからわかるように、この地では古くから窯業が盛んに行われていました。
 
現在陶地区の北側の山裾一帯には広く須恵器の破片が散布しており、各所に窯跡と見られるところがあります。
 
平成5年度に窯跡の南側を発掘調査した結果、全長約6mの窯であることがわかりました。
時代 奈良時代、所在地 〒754-0891 山口県山口市陶」

Photo_11

(文、写真ともに「陶陶窯跡」より引用しました。)
http://www.oidemase.or.jp/tourism-information/spots/12328

Photo_2

吉敷郡陶村3 南若川(google mapより引用)
陶村を流れる川は、南若川でした。
陶村から南若川へつながる水路の直線性は、人工的な運河の様相を見せているかのようです。灌漑用水技術を有していた氏族だったのでしょうか。
Photo_3
吉敷郡陶村5 陶村から若山城へ(google mapより引用)
 
川沿いの陶村から、30km東側の若山山頂傍の若山城へ移住。
1469年(文明元年)の大内教幸の反乱吉のころ、山頂へ山城を築き防御性を向上させています。鉄砲やザビエルが日本へやってくる80年ほど前のことです。
 
石見(銀山)と陶氏の接点
 
「陶氏(すえし、すえうじ)は、日本の氏族の一つである。本姓は多々良氏。
主な系統としては周防国・長門国を中心に活動した守護大名大内氏譜代重臣で、大内氏傍流の一族が挙げられる。
 
出自[編集]
家系は百済聖王(聖明王)を祖とする渡来系氏族多々良氏の流れを汲む周防国の在庁官人大内氏の傍流にて、平安時代後期に大内盛長が右田氏となり、子孫の弘賢が吉敷郡陶村(現・山口市)に居住して陶氏を称した。ただし、この大内氏の出自は伝説とされている。
中略。
 
応仁の乱〜戦国時代
1467年(応仁元年)から始まる応仁の乱では、陶弘房が大内政弘に従って上洛するが、1468年(応仁2年)の京都相国寺の戦いで討死している。
1469年(文明元年)には、領国で大内教幸の反乱が発生し、石見国の国人吉見信頼もこれに参加した。若年の当主であった陶弘護は、京から帰国した益田貞兼と協力して吉見氏の侵攻を防ぎ、教幸を討ち破った。
 
防備を固めるために、若山城を築いたのはこの頃とされる。
 
1471年(文明3年)には、石見に逃げていた教幸を自害に追い込む手柄を立てた(大内道頓の乱)。その功もあり筑前国守護代に任ぜられている。
 
しかし弘護は、1482年(文明18年)5月27日に山口の築山館[3]で開かれていた酒宴の席で吉見信頼[4]に刺殺された。弘護が殺害されたことで家督争いが起きるが、紆余曲折の末に陶興房が当主となった。
 
戦国時代となり、陶興房は大内義興・大内義隆の補佐を務める。
出雲国を中心に活動した尼子氏の尼子経久・尼子詮久(後の晴久)との戦い、筑前国・筑後国での少弐氏との戦いでも多大な功績を挙げて、陶氏の大内氏における地位を不動のものとした。」(陶氏-wikipedia)
 
大内教幸は、陶氏の主人である大内教弘の兄です。
兄弟で大内家当主を争うことがあったようです。
 
陶弘護は、反乱軍を平定して主人大内教弘(大内氏弟でのちの義隆へつながる系統)への忠義を守りましたが、石見の国人吉見に騙し討ちにあい死亡しています。
 
その後の陶氏は、戦手柄もあって大内氏の重臣となっていきます。
大内家の紛争を経て、1469年(文明元年)に若山城を築いたようです。
 
以下、今回調べた地図と拙著ブログ「陶氏居城、若山城~山陽道(21) 」(2008-08-19)より抜粋して陶氏の居城と立地を考えていきます。
 

Photo_4

6740(若山中腹にある若山城址の駐車場より瀬戸内海を眺める)
瀬戸内の海水と陶氏の距離は、意外に近かった。
言い換えれば、鉄砲と火薬を満載したポルトガル船は、大内氏の軍事大臣である陶晴賢の若山城に容易に接近できただろう、ということです。
 
陶氏系図(写真略)(ウィキペディア(Wikipedia)より)
 

Photo_5

6745(屋敷跡入り口)
車を駐車場に捨てて若山を登っていくと、若山山頂(標高217メートル)の東側100mに本丸があります。
 
「海からの攻撃を防ぐため、二の丸から本丸に連なる部分や東側の尾根などに壇床と呼ばれる段々状の曲輪がある。」(若山城-wikipedia)
 
以下は、拙著ブログ(2008-08-19)よりそのまま抜粋します。
但し、【 】は現時点での筆者の感想を挿入したものです。
 
「若山城は大内氏の重臣陶氏の居城である。
狭い山道を車で登り、かなりの高台にある駐車場についた。
途中、日暮れ前の薄暗い坂道で、闘鶏の軍鶏が、一匹道路わきに佇んでいた。
車で傍を通り過ぎるが、軍鶏は身動きしないで立ったままこちらを見ているようだ。
よく見ると首の羽毛が抜け落ちていて、ピンク色の地肌がむき出しになっている。
羽根もかなり傷ついているようだった。
 
草むらの多い山道だから、私たちが車で素通りする間、薮の中に潜んでいればよいものを、と思った。
 
駐車場に車を置いて、歩いて山道を登っていく。
この山の頂に若山城跡があるとMさんが言う。
 
私はこの城が誰の居城かは知らないままMさんの後をついていく。
しかし、この稿を書いている今は、陶氏はイエズス会と手を結んでいたと思っている。
 
海の見える駐車場にあった山口県指定史跡の説明板には、『1470年、陶弘護(すえ ひろなり)が石州津和野、三本松の城主吉見氏の進行を防ぐために築いた城である。』と書いていた。
 
「しかし(陶)弘護は、1482年(文明18年)5月27日に山口の築山館で開かれていた酒宴の席で吉見信頼に刺殺された。」(陶氏-wikipedia)
 
【よほどの恨みを岩見の国人吉見信頼は(陶)弘護に抱いていたのでしょう。銀輸出権益に関する恨みなのでしょうか・・・】
 
陶弘護(ウィキペディア(Wikipedia))より、その悲劇も見てみよう。
 
『陶氏は大内氏の一族であり、代々周防守護代職を務めた。
父が応仁の乱で1468年に戦死し、若年ながら跡を継いだ。
 
1470年に西軍方として当主大内政弘が京に滞陣中に、伯父教幸(道頓)が東軍方の誘いにより内藤武盛・吉見信頼らと共に留守中の領国で反乱を起こした時には、弘護はこれを鎮圧し、留守居役としての務めを全うした。
 
筑前守護代も務めるなど、弘護の大内家での地位は揺るぎないものとも思われたが、1482年、帰国した政弘が諸将の慰労のために開いた宴席の席上で、弘護は先の乱で降参し許されていた吉見信頼に刺され死亡。
なお、信頼はその場で内藤弘矩(武盛の弟)に討ち果たされている。
以後、この内藤弘矩が大内家で重きをなすことになる。
弘護の子達はまだ幼かったので、弘詮が陶家の番代をつとめた。
山口県周南市の龍豊寺に雪舟作と伝わる彼(陶弘護か?)の肖像画がある。』(抜粋終わり)
陶氏系図(写真略)によれば、陶弘護は陶晴賢の祖父である。
陶氏(『ウィキペディア(Wikipedia)』より、出自を見てみる。
 
『家系は百済聖明王を祖とする渡来系氏族多々良氏の流れを汲む周防国の在庁官人大内氏の傍流にて、平安時代後期に大内盛長が右田氏となり、子孫の弘賢が吉敷郡陶村に居住して陶氏を称した。
陶氏初代陶弘賢の子、陶弘政は富田保を領し、そこに富田若山城を築き居城とした。』
(抜粋終わり)
 
大内氏も陶氏も、渡来人である。
多々良という「古代の製鉄法」を冠にした氏族である可能性が高い。
朝鮮半島を経由した人脈により、西洋での鉄砲の開発の情報も手に入れていた可能性があるかもしれない。
島津氏はそれを知っていて、家臣にインドまで宣教師を探しに行かせたのではないか。
 
ウィキペディア(Wikipedia)では、若山城築城は陶弘護より5代も前の陶弘政であるとしている。
 
更に続けてみる。
『南北朝時代には地頭職となり、陶弘長は長門国、陶盛政は周防国の守護代に任ぜられている。
1467年から始まる応仁の乱では、陶弘房が大内政弘に従い、京都相国寺の戦いで討死している。
領国でも大内教幸の反乱が起き、若年の当主であった陶弘護は帰国してきた益田貞兼と協力し、石見国の吉見氏の侵攻を防ぎ、大内教幸を討ち破り、翌年自害に追い込む手柄を立てた。
その功もあり筑前国の守護代に任ぜられている。
しかし、その陶弘護も1482年に酒宴の席で吉見信頼に刺殺された。』(抜粋終わり)
 
【石見国の吉見氏が山口へ侵攻してきている。海運穏やかな瀬戸内海航路から銀を博多経由で輸出したかったのではないだろうか。ヨットマンである私は石見国側の日本海の恐さを知っています。また若山城の南の富田海水浴場の穏やかな海も知っています。】
 
陶弘護の孫である晴賢による大内氏への謀反については既に述べたので割愛する。
陶晴賢が、厳島において毛利氏に破れ、自害した後の動きを再び抜粋する。
 
『大内義隆死後には安芸の毛利元就が侵攻し、1555年、晴賢は毛利氏との厳島の戦いで敗北し、自害した。(大寧寺の変)
 
1557年、防長経略にて毛利軍が周防国に侵攻してきた際、晴賢の子・陶長房と陶長明は杉重輔らとの内訌により龍文寺にて自害に追い込まれ、また陶家臣の野上賢忠に救いだされて長門国の且山城に籠もっていた晴賢の孫・鶴寿丸も大内義長の自害に殉じ、陶氏の嫡流は断絶した。しかし傍流の陶隆満や宇野元弘は毛利家臣となっている。』
 
陶氏本流は断絶したが、その末流は生き延びているようだ。
 
この城は連郭式城郭と呼ばれ、中世山城の典型である。
東西に伸びる尾根と絶壁を利用しており、空堀、竪堀などの人口の要害を備えている。
弓矢での戦において尾根は防御に有利であったのだろう。
 
しかし、ザビル上陸以降、わが国では鉄砲による戦にシフトしていく。
 
【陶晴賢は、鉄砲と火薬を手にした以上、あるいは推測ですがザビエルたちと何らかの密約を交わした以上、こんな山城に籠っていては駄目だということに気づいたのかも知れません。
日本の国土に鉄砲が拡散する前に、いち早く上洛すべきだと思っておかしくはないと思います。それまでにも日本の歴史にはそういう事例が多くありました。
まさにこの城の本丸で、陶晴賢は天下統一の夢を抱いたのかも知れません。】
 
屋敷跡入り口の標識のところで、細い路は途絶え、ここからは登山道のような斜面に沿う山道を登っていく。
「若山城の菊の紋~山陽道(24) 2008-08-23」
 

Photo_6

6754(頂上の本丸跡らしい)

Photo_7

6755(石造りの神棚のように見える。右手に石鎚神社の碑)

Photo_8

6756(金剛像?右手に剣を持つ。右上端に少し見えている句碑には、「兵どもが夢の跡」の言葉が見える。ここにかつて、陶晴賢が抱いた「夢」が確かにあったのだろう。

Photo_9

6757(石製の神棚に12葉の菊の紋章がある!)

Photo_10

6758(若山城跡碑)
 
ここ若山城跡にある菊の紋は「12葉の紋様」である。
 
「天皇家の紋章  秦氏・日本とユダヤ文化」より菊の紋に関する記述を抜粋する。
http://diary.jp.aol.com/a4pcpx/242.html
 
『そしてこれは、ユダヤ人の嘆きの壁で有名な、エルサレム宮殿のヘロデ門上部にある菊花紋の彫刻です。(16葉の菊の紋様の写真が掲載されている)
このように、世界でこの地域と日本にだけ、神や最高権力者が菊花紋を使っているというのは非常に興味深いことであります。』(抜粋終わり)
 
BC1000年前後に、古代ユダヤ人がシルクロードを辿って、朝鮮半島経由で日本へ渡来してきた可能性は高いだろう。
秦氏の渡来はAC200年前後だったと記憶しているが、秦氏が渡来人の最初ではないと私には思われる。
秦氏だけでも2万人近い集団の移住である。
古来から数千、数万人単位での民族の移住が行われてきた可能性は高いだろう。
 
日本の皇室で菊の紋を使用し始めたのは後鳥羽天皇であるそうだ。
 
「菊の紋章は、ペルシャ由来ですか、ユダヤ由来ですか」より抜粋する。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1115090106
『後鳥羽天皇はやたらと菊がお好きで、ついでに刀作りも大好きでした。
そんな彼はついに自分で刀を打ち始め、これを“御所焼”と名づけて喜んでいました。
この刀に「十六弁の菊花紋」を入れたのが、菊の御紋の始まりなのです。
この紋章は、以後の天皇に伝えられ、いつしか天皇家の御紋章になっていきます。
その後鳥羽天皇は13世紀の人です。
ですから、天皇家の紋章がユダヤ由来とかペルシア由来と言うわけでは有りません。』
(抜粋終わり)
 
「自分で刀を打ち始め」とあるから、後鳥羽天皇は製鉄技術、剣の製造に造詣が深かったようだ。
おそらく中近東からの渡来人に製鉄業を専門とする集団が居て、彼らが世界へ製鉄技術を広めて行ったのだろう。
 
明治以前には、菊のデザインはまちまちだが、菊の紋様はいろいろな家で使われていたという。
森鴎外、夏目漱石の家紋にも菊の花や葉をデザインしていたという。
明治維新後に、天皇家の家紋としてさだめられ、一般の国民は使用することを控えるようになっていった。
江戸以前では、日本人には身近な紋様であったのだ。
 
若山城の菊の紋様は12葉である。
 
エルサレム宮殿のヘロデ門にある菊花紋と天皇家の菊の紋は16葉である。
王の家紋として用いているのは、世界でもこの2つの王家だけだといわれている。
 
再び、「天皇家の紋章  秦氏・日本とユダヤ文化」により、古代の王の文様について抜粋する。
http://diary.jp.aol.com/a4pcpx/242.html
 
『エジプトの、ツタンカーメン王の墓から出土した青銅器製の菊花紋も16葉です。
ユダヤのヘロデ王(BC47-AD4年統治)の石棺ですが、菊花紋が彫刻されています。 彼は、ヘロデ王家の創始者となった人物で、イエス・キリストが生まれた時のユダヤの王様です。』
 
ユダヤの王ヘロデも16葉菊の紋様が刻まれた棺に遺体が納められたという。
キリストはユダヤの王(ダビデの末裔であると主張した)を主張して、それを罪として十字架に磔けられた。
 
「ユダヤの王」のヘブライ語の頭文字がRIであった。
イエスはナザレの生まれであった。ナザレのイエスの頭文字がINであった。
「ナザレのイエス、ユダヤの王」という罪名がキリストの十字架像の上に掲げられている。
それは「INRI」と書いてある。
 
ナザレのNaを用いれば、それは「I NaRI」(イナリ)となり、渡来ユダヤ人の秦氏が京都伏見イナリ神社(全国の総本社)の創建をしたことは史実として知られている。
「I NaRI」=(イナリ)の説は、アッシリア人のジョセフ親子の「隠された十字架の国・日本」に書かれていた。
 
「隠された十字架の国・日本―逆説の古代史 単行本 – 2000/12/31」
ケン,シニア ジョセフ (著), ケン,ジュニア ジョセフ (著), Kenny Joseph (原著), Ken,Jr. Joseph (原著) 
ちなみに、古代アッシリア語では水のことを「ミズ」と発音し、塩のことを「シオ」と発音することもこの本に書かれていた。
 
ここ若山城の本丸跡にあった菊の紋は、「12葉」であった。
 
菊花紋章(ウィキペディア(Wikipedia))によれば、
東京都豊島区の旗が十二菊の真ん中に「豊」の文字をあしらっているという。
豊島区は、戦国時代は豊島氏の領地であるから、豊島氏との縁が深いのではないだろうか。
また自由民主党の党章も菊花紋であるが、十四影菊に「自民」の字があるそうだ。
 
第十八次遣明船派遣の時に神屋寿禎が入明していたことを既に述べました。(黄金の国ジパング(2)銀量産とザビエル来日)
 
「遣明船(けんみんせん)は室町時代の応永11年(1404年)から天文16年(1547年)まで約1世紀半で17次(のべ84隻)に渡り、日明貿易(勘合貿易)に用いられた船のことである。
日明貿易には、両国により正式の渡航船であることを証明する勘合符が用いられたことから、勘合船とも呼ばれた。
 
足利義満は、応永8年(1401年)に僧の祖阿と博多商人の肥富を遣明使として派遣し、明との交易を申し入れ、明の使者から「永楽の勘合符」を得て、勘合貿易が始まる。
遣明船は当初、幕府が直接船主となり運航していたが、幕府の力がしだいに弱まるようになると有力寺社(相国寺、三十三間堂など)や有力守護大名(細川氏、大内氏など)が船主となり、これに博多や堺の商人、瀬戸内海の町、水夫が結びついて貿易を行った。
 
最終的には貿易の主導権を巡り細川氏と大内氏は争い、大永3年(1523年)には寧波で衝突(寧波の乱)し、大内氏は貿易を独占することになる。
 
結果、大内氏の本拠である山口は応仁の乱で荒廃した京都よりはるかに繁栄することとなった。」(遣明船-wikipedia)
 
石見銀山の銀輸出利権に細川氏と吉見氏が関係していた可能性があったのかもしれない。
そして陶晴賢が主家大内氏を倒した動機も同じく銀輸出利権を手にするためだった可能性もあるでしょう。
 
鉄砲伝来、ザビエル来日の80年も前から、石見銀山を巡っての領土争いが中国地方で繰り返されていたのです。
 
その結果、京都の朝廷や公家に銀が回らなくなり、京都は一時期うらぶれてしまい、山口の小京都的都市に公家たちが集まって来るという状態が生じました。
 
私たちが今でも山口市観光で見る寺院や五重塔などはその時代の遺産です。
 
幕末の革命決起も公家と絡みがあります。
 
「功山寺挙兵(こうざんじきょへい)は、元治元年12月15日(1865年1月12日)に高杉晋作ら正義派の長州藩諸隊が、俗論派打倒のために功山寺(下関市長府)で起こしたクーデター。 回天義挙とも。これに端を発する長州藩内の一連の紛争を元治の内乱という。
 
   谷つづき 梅咲きにけり 白妙の 雪の山路を 行く心地して
 
功山寺挙兵
12月15日深夜、高杉晋作らは功山寺にて挙兵した。
高杉は吉田松陰より「生きている限り、大きな仕事が出来ると思うなら、いつまででも生きよ。死ぬほどの価値のある場面と思ったら、いつでも死ぬべし」と教えられていた。
 
この教えが高杉に周囲の反対を押し切ってまで無謀な挙兵を決行させたと言われ、死を覚悟した高杉は白石正一郎の末弟である大庭伝七に遺書を託している。
 
功山寺に集結したのは伊藤俊輔率いる力士隊と石川小五郎率いる遊撃隊のわずか84人だけであった。
 
挙兵決行日は当初12月14日に定められていたが、説得や準備に手間取り翌日にずれ込んでしまった。 なおこの日の天候は吉良邸討入時と同じく、下関では珍しい大雪であったとされる。
 
紺糸威の少具足を身に付け桃形の兜を首に下げた格好の高杉は、兵を引き連れ功山寺へ赴き五卿への面会を請うた。 五卿を奉じる脱藩浪士がこれを取り次ぎ、寝所から三條実美が現れる。
 
高杉は三條へ挙兵を告げ出陣の盃を欲した。 三條実美は冷酒を注いでこれを与えた。
高杉は注がれた盃を飲み干し、「是よりは長州男児の腕前お目に懸け申すべく」と挨拶をして立ち上がった。 三條は高杉の決起を止めるつもりであったが、話しかけるタイミングを失いそのまま行かせてしまった。
以下略。」(功山寺挙兵-wikipedia)
 
赤穂浪士の討ち入りの日に決行したのは、師匠の吉田松陰の脱藩、東北旅行でした。
その真似をして晋作も同じ日の決行を画策したのでしたが、都合が悪くて1日遅れた模様です。
忠臣蔵は日本人青年に命がけの革命行動をとれるかどうかの実実験的企画劇でしたが、その行動原理でまんまと松陰も晋作もマインドコントロールされていたのです。
 
京都を幕府に追われた公家たちが、きまって山口へ落ち延びるのも、応仁の乱の大内氏の保護の成功体験がそうさせるのでしょうか。
 
吉田松陰という狂人的決起集団の指導者を育成し、革命の実行力を備えた特殊人材たちがなぜ温暖な山口県で育ったのか、これまで不思議に思っていました。
 
20年間ほど山口県で暮らした私からは想像もつかないほどの危険な人物の育成でした。
 
しかし、15世紀、中国の寧波において石見銀山輸出利権を細川と大内が争った応仁の乱のころから、この国の政権転覆を狙う公家企画グループが山口県の一角に住んでいたという事実を考えることで、幕末の政権転覆を狙う人材が山口で大いに養成されたことも理解できたような気がしてきました。
 
プーチンさんは、「山口へおいでませ」の際に、その末裔たちにも会うのでしょうか・・・。
まさか、現代の松陰や晋作候補も同席するのではないでしょうね。
 
松陰は長崎港に停泊しているプチャーチン提督のロシア艦船に本気で乗り込み、ロシアに密航しようとしました。松陰はサハリンの先、シベリアの大地が未開地であるという情報も松前藩訪問時に入手していたでしょうから、シベリアの植民地化も念頭にあったと思われます。私は「熊本人による松陰の長崎行き妨害行為」が残念でなりません。
 
なぜか、熊本で宮部鼎三ら(親アメリカ派?)により思いがけずに1週間も足止めされたために、長崎まですぐに行けず、そのうちにプチャーチンは出帆して帰国してしまいました。
 
止む無くそのまま引き返して、浦賀のぺりーの船へ突撃密航を企てたのでした。
 
江戸から熊本、熊本から江戸、江戸から下田、いずれも松陰は徒歩でした。
 
もし、軍師松陰がロシアに乗り込んでいれば、のちにシベリアの半分程度を日本の領土にした可能性もあったことでしょう。
 
今では、2島か4島か・・・、そして随分小さな領土になったものです。

2016年10月23日 (日)

黄金の国、ジパング(11)最終回 石見銀を求めて種子島へ

「石見銀山はなぜ16世紀に開発されたのか」という記事の中に、日本の銀を求めてポルトガル商人が種子島へ来航し、銃を置いていったことが出ていました。
http://www.v-museum.pref.shimane.jp/special/vol06/history/

神谷寿禎(かみや じゅてい)が博多の宗丹・慶寿という新しい銀精錬法を知る人物を岩見に連れてきたことにより、大量の銀が海外へと流れ出ることになります。
 
「浜田海上保安部「石見銀山に関する研究」の『第五章精錬』灰吹法には、次のように書いてあります。
『天文2年、筑前の国の慶寿という禅僧が始めたと言われる。この慶寿という人は、宗丹という人とともに神谷寿禎が連れて来た人で、おそらく支那の冶金法を伝えたものと思われる。
寿禎の父、神谷永冨は、海外貿易を営み、南蛮にも往来していたから、寿禎は、この機会に自ら人を連れて支那・明国にいって、冶金術を習って帰ったと言われるからである。』
 
「この他にも灰吹法については、神谷家の「由緒書」には、日本に吹き分けの技術がないことを嘆いた寿禎は、中国に渡り、吹き分けの技術を学び、帰国するとこの最先端技術を日本各地に広めたと記されています。」(ノート 灰吹法-wikipediaより抜粋)
 
このwikipedia記事の中で宗丹・慶寿が中国人(明人)か朝鮮人か議論がなされていました。
 
中近東由来の精錬技術が騎馬民族の口伝によりシルクロードを経由して中国へ伝わり、朝鮮半島を経由して日本へ伝来したことは事実でしょう。
 
何国人が教えたかはさほど重要な問題ではありません。
私は中国人だと思います。
 
古代、熊野権現、こと熊野塩屋王子神社の主が、朝廷の求めに応じて帆船で対馬まで銀を
買いに行ったという神社故事がありました。
 
その場合、当時の古い銀精錬法を中国から対馬へ移植したのは朝鮮人でしょう。
 
それと同様に、灰吹き法を日本へ紹介するに際して、半島から朝鮮人技術者が中国人技術者に同行してきた可能性は高いと思われます。
 
前述の「石見銀山はなぜ16世紀に開発されたのか」という記事は、中世の「黄金の国ジパング」のことを見事に解説していましたので、わかりやすい写真図絵は省きますが、記事ほぼ全文を抜粋してご紹介します。

「16世紀に石見銀山の開発が始まった背景には、東アジアでの銀の需要の高まりがありました。
 
○中国の銀の需要
 当時中国(明)では北方から遊牧民が侵入してきたため、軍事金として銀の需要がありました。
それまでは銅を貨幣としていましたが、海外に流出しすぎて国内では枯渇していました。
そこで紙幣にしましたが、紙幣は信用がなく、やがてインフレが起きて紙くず同然となりました。
そして役人は銀を貨幣とし、税も銀で納付することになったため、中国では銀の爆発的な需要が起こりました。

○日本では
 一方、日本の周防の国に大内氏という大名がいました。 大内氏は博多の商人と結び、中国と貿易を独占的に行っていました。
 
その商人の中に神谷寿禎という人物がいて、彼は中国で銀の需要があることを耳にしていました。

 当時、中国との貿易(日明貿易)では、銅が主要な輸出品でした。
寿禎はその銅を鷺銅山(島根県出雲市 出雲大社の近くの銅山)で購入するために日本海を航海していましたが、その途中はるか南の山が輝くのを見つけました。

 驚いた寿禎が船頭にたずねたところ、それは銀峯山(仙ノ山)という名で、かつて多くの銀が産出されたことを聞きました。
そして寿禎は技術者を引き連れて、1526年に仙ノ山で銀鉱石の採掘を行いました。

 当初採掘された鉱石は博多あるいは朝鮮半島に送って製錬していました。しかしコストがかかるため、寿禎は1533年に宗丹・慶寿という2人の技術者を博多から招き、灰吹法という製錬方法を導入しました。
灰吹法の導入によって銀山の産銀量は大幅に増加し、やがてこの技術は佐渡や生野など各地の鉱山に伝えられ、日本の鉱山技術に一大変革をもたらしました。

 17世紀前半になると日本での銀生産は年間20万㎏にのぼり、世界の銀生産量の3分の1に相当しました。

石見銀山と世界の関わり
 16世紀初め頃まで日本は銀の輸入国でしたが、灰吹法の導入後、銀の輸出国になりました。
一方ヨーロッパでは15世紀、コロンブスやバスコ・ダ・ガマによる新大陸発見で大航海時代が始まり、ヨーロッパ諸国による海外進出が活発化していました。

○ポルトガルのアジア進出
 ポルトガルは香辛料を求め東南アジアに進出し、さらに中国にも通商を求めましたが実現しませんでした。
そのためポルトガルは正式な貿易ではなく、中国南部の商人と密貿易を行いました。
 
彼らは中国・朝鮮・東南アジアなど、多民族からなる密貿易集団で「後期倭寇」と呼ばれました。
後期倭寇は海賊行為も行う武装集団で、ポルトガルもそれに参加しました。
 
 やがてポルトガル人は、石見銀を始めとする日本銀のことを知り、1543年種子島に訪れ、日本に鉄砲を伝えます。

鉄砲伝来
そのころ日本は戦国時代でした。戦場に鉄砲が取り入れられ、戦闘方法が大きく変わりました。

○銀の世界的流通と日本銀
 ポルトガル人が種子島へ上陸してからは、ポルトガルのアジア貿易は日本銀を中心に三角貿易を展開するようになります。

 ①まず、中国で安い生糸を購入します。
 ②生糸を日本に持ち込んで、銀と交換します。
 ③日本の銀をもとに、中国産の絹織物や陶磁器、東南アジアの香辛料を買いつけます。
 ④それをヨーロッパに持ち帰り、大きな利益を得ました。

南蛮文化の伝来
 16世紀から江戸時代にかけて制作された洛中洛外図には、京都の町なかや郊外の様子が描かれ、 その中には貿易のために日本にやってきたポルトガル人(南蛮人)の姿もあります。彼らによって持ち込まれた南蛮文化は現在でも日本で親しまれています。
(例) カステラ ジュバン ジョウロ バッテラ ガンモドキ コンペイトウ テンプラ オルガン カルタ カボチャ
これらの言葉は、元はポルトガル語が起源だったのです。」(抜粋終わり)
安定的に日本の銀を海外への流出のためには、日本の内乱を収束させ、一人の強大な君主による支配をこの島国で確立させる必要がありました。それは神谷寿禎も同感だったことでしょう。
 
ザビエル来日と交錯するように何度も中国へと航海していた神谷寿禎。
神谷寿禎が薩摩藩士ヤジロウを使って、ザビエルを日本へ呼びつけたのではないか、という推理に私は強く誘惑されています。

「この国のたった一人の強大な君主」、それが織田信長であり、秀吉、家康に続く名古屋の三大殿様の交代劇となっていったのです。

もし、武田信玄がいち早く京都へ行き、博多商人神谷寿禎と親交をもっていたならば、ポルトガル商人は武田信玄をこの国のリーダーとして選んだ可能性があります。

しかし、山岳部を得意とする騎馬軍団は、村上水軍や松浦水軍と近い大内氏とは違って博多商人との接点がすくなかったのでしょう。
 
大内氏の分枝右田氏のさらに分枝に陶氏がいます。
 
鉄砲伝来、ザビエル上陸、山口市で布教を開始して、それからしばらくしてからの出来事です。
 
鉄砲を扱う軍事奉行たる陶晴賢(すえ はるかた)によって、大名の大内氏は敗れます。(下剋上)
それを海の神、宮島の厳島神社におびき寄せて、陶氏を滅ぼしたのが毛利でした。
 
毛利氏は中国山地の山岳地帯を領する騎馬民族的な小大名でしたが、大内氏の有する水軍などを手中にして、歴史の表舞台に登場してきます。
 
陶氏のことはあとで述べますが、出身地も南若川沿いで山口湾へ注ぐ水運利便性のよい村、30㎞ほど東へ移動して建築した若山城も瀬戸内海を見下ろす小山の頂上にありました。
川にも山にも「若」の文字があります。
大内氏の血統を引く継ぐ「若様」という意味合いなのでしょうか。
 
立地からすれば、大内氏分家の陶氏は海の民ではないかと私は思います。
 
DNA分析から明らかになりつつある騎馬民族と海洋民族の混血である日本人。

信長、秀吉、家康以降の支配者はというと。明治は薩長政治でした。
いまだに総理大臣が元長州藩出身者であることを考えますと、まだこの国は水軍支配のもとに海外へ”銀”(今なら”円”)を流出させ続けている可能性を感じます。

現代の石見銀山、アベノミクス、株高政策・・・。
ジュバン、ジョウロ、カボチャまでがポルトガル語を源としているとは知りませんでした。
しかし、ポルトガル商人が後期倭寇に参加していたとは、驚きです。
難破漂流して、たまたま種子島に辿り着いた・・・。

たしか小学生の歴史授業ではそのように私は習いましたが、どうやらウソだったようです。
日本の銀を海外に流出させる、という明確な意思をもって、ポルトガル人は日本の侍たちへ鉄砲をばらまきにやってきたのではないか・・・。
 
長い間私の中でおおいに疑問だった鉄砲伝来とザビエル来日の時期の一致に対する明確な答えをこの記事のお陰で理解できました。
 
「ストン」と腑に落ちたという感じです。
 
ポルトガル商人の種子島上陸から30年くらいのちに、大友宗麟は洗礼を受けます。
 
「キリスト教と信仰、南蛮文化
キリシタン大名としても知られる義鎮だが、天文20年(1551年)に豊後へ布教のためにやってきたイエズス会宣教師・フランシスコ・ザビエルを引見したことがキリスト教との出会いであった。
 
27年後の天正6年(1578年)7月にキリスト教の洗礼を受け、ポルトガル国王に親書を持たせた家臣を派遣している。
 
領内での布教活動を保護し、南蛮貿易を行う。また博多商人の島井宗室や神谷宗湛らと交友し、日明貿易や日朝貿易も行った。しかし実際に明国や朝鮮などとの貿易が利益をもたらしていたのは15世紀後半辺りまでで、三浦の乱を契機に少なくとも明・朝鮮との貿易関係は衰退し、名義上大友氏の看板を利用した対馬国の国人や博多の豪商らに実利は移ってしまった。」(大友義鎮-wikipediaより)
 
「神屋 宗湛(かみや そうたん、天文20年1月1日(1551年2月6日) - 寛永12年10月28日(1635年12月7日))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての博多商人、茶人。神屋氏の第6代当主。」(神屋宗湛-wikipediaより)
 
1551年、神屋寿禎の曾孫にあたる宗湛誕生の年にザビエルが大友宗麟の豊後へ布教にやってきています。ザビエルの鹿児島上陸の2年後です。
 
「彼らは中国・朝鮮・東南アジアなど、多民族からなる密貿易集団で「後期倭寇」と呼ばれました。
後期倭寇は海賊行為も行う武装集団で、ポルトガルもそれに参加しました。 」(「石見銀山はなぜ16世紀に開発されたのか」より再掲)
http://www.v-museum.pref.shimane.jp/special/vol06/history/
 
この記載により、ザビエルをマラッカから日本へ運んだ船長の名がアヴァン船長であることの理由を理解できました。
フランス語でアヴァンは海賊(船)という意味です。
 
なぜ船長のあだ名が「海賊」なのか不思議に思っていましたが、あだ名ではなく「正式名が海賊船長」だったのでした。
 
27年後の1578年に、宗麟はキリスト教の洗礼を受け、博多商人の神谷宗湛と交友し、日明貿易や日朝貿易も行った、とあります。
 
もし文明開化の早い博多で生まれた神谷宗湛が、彼の誕生時にすでに「どうにかして」洗礼を行けていたと仮定すれば、「27歳の宗湛」が洗礼を受けたあとのフランシスコ宗麟と一層交流を深めた可能性はあるでしょう。
 
「どうにかして」とは、例えばその母が中国人でマラッカかゴアで洗礼を受けていた女性であるとか、本人が幼児のときに博多湾へやってきた宣教師の洗礼を受けたなどという意味です。
 
さあ、今度はプーチン氏が毛利藩領内へとやってきます。

大谷山荘は昔私も社員旅行で泊まりましたが、大変静かでよい宿です。
プーチンさんにとって、ジパングの石見銀山観光は必見でしょう。
 
周防鋳銭司(瀬戸内海側)よりは長門鋳銭司(日本海側)のほうが、石見銀山観光はしやすい。
昔なら国道9号線を北上しますが、深夜の国道246号のように車は高速で移動可能です。

"Bob Dylan to argue."(Guess.)”反論するボブ・ディラン”(推測)無礼発言に答えて・・・

The Nobel prize chairperson said "Bob Dylan is rude and arrogant."
 
「今年のノーベル文学賞の受賞が決まった米国のミュージシャン、ボブ・ディランさん(75)が沈黙を貫いていることについて、同賞を選考したノーベル委員長のペール・ベストベリィ氏が21日、「無礼で傲慢(ごうまん)だ。でもそれが彼ってものだ」と苦言を呈した。
渡辺志帆 2016年10月22日18時47分」
(「「ボブ・ディラン氏は無礼で傲慢」ノーベル委員長が苦言」より抜粋)
http://www.asahi.com/articles/ASJBQ5KBCJBQUHBI012.html
 
この無礼発言への答えは、風に吹かれている。
Wind is blowing through the answer to this rudeness remark.
 
彼は半世紀も前に歌詞の中にその答えを書いて公開していた。
Bob Dylan wrote that answer in the words  the half-century ago, and introduced it to the public.
 
"Blowin’ In The Wind♪"
風に吹かれて♪
 
How many roads must a man walk down Before you call him a man?
あなたが彼を「人」と呼ぶまでに、彼はどれくらい多くの道を歩かなくてはならないか?
 
How many seas must a white dove sail  Before she sleeps in the sand?
平和の白いハトは、砂で羽を休めて眠るまでに、どれだけ多くの海を渡らなくてはならないか?
 
How many times must the cannon bolls fly  Betore they're forever banned?
大砲や爆弾が永久に禁止されるまでに、どれだけ多数の砲弾がは飛ばなくてはならないのか?
 
The answer, my friend, is blowin' in the wind
友よ、その答えは、 風に吹かれている。 
 
The answer is blowin' in the wind 
その答えは、 風に吹かれている。
 
How many years can a mountain exist Before it's washed to the sea?
山が海に洗い流されるまで、山は何年間存在し得るのか?
 
How many years some people exist Before they're allowed to be free?
人々が自由になることを許されるまでに、彼等はどれくらいの年数を生きねばならないのか?
 
How many times a man turn his head  Pretending he just doesn't see?
まさに(シリアの悲劇を)見ていなかったというふりをして、人は何回顔をそむけるのだろうか?
 
The answer, my friend, is blowin' in the wind 
友よ、その答えは、 風に吹かれている。 
 
The answer is blowin' in the wind 
その答えは、 風に吹かれている。  
 
How many times must a man look up before he can see the sky?
空を見ることができるまでに、人は何度空を見上げるのだろうか?
 
How many ears must one man have  Before he can hear people cry?
人々が泣くのを聞くことができるようになるまでに、どれほど多くの耳を持たねばならないのだろうか?
 
How many deaths will it take till he knows That too many people have died?
とても多くの人が死んでしまったことに気づくまでに、どれほど多くの死が必要とされるのだろうか?
 
The answer, my friend, is blowin' in the wind 
友よ、その答えは、 風に吹かれている。 
 
The answer is blowin' in the wind 
その答えは、 風に吹かれている。(歌詞訳終わり・・・・)
 
爆弾メーカは製造中止せよ!
Stop a bomb manufacturer!
 
戦争で死ぬ人を無くせ!
Lose a dead person in the war!
 
彼は21歳のとき、ノーベル財団に向かってそう言ったのだ。
Bob Dylan told The Nobel foundation so when he was 21years old.
 
そんな彼らがくれるっていう賞なら、私はいらないよ!
I don't get the prize which such they give to me!
 
以上は筆者によるディランの心境の推測です。
The above is the guess of the mind of Bob Dylan by the writer of this blog.
もし財団が次のような宣言をするならば、ボブ・ディランは受話器を取り上げることでしょう。
If the foundation does the following declaration, Bob Dylan is probably to pick up the telephone.
 
爆弾メーカは製造中止します。
A bomb manufacturer is stopped.
 
戦争で死ぬ人を無くします!
A dead person in the war is lost!
 
注)自動翻訳に多少手を加えました。
なお、下記も参照しました。

 

「ボブ・ディラン「風に吹かれて」を訳してみる」

http://www.english-turi.com/song/1000/

2016年10月21日 (金)

横浜点滴殺人事件(18) 患者殺害時間帯の推理

私の推理によれば、土曜日の午前10時頃、日曜日の午後10時頃より前に病院にいて、かつ点滴袋に接することのできた人物が、犯人だとなります!アリバイから的を絞れないか?
 
西川惣蔵さん(88歳)の死亡確認は9月18日午後7時。(点滴交換は18日午前10時頃)⇒点滴の9時間後に死亡。
八巻信雄さん(88歳)の死亡確認は9月20日午前4時55分。(点滴交換は19日午後10時頃)⇒点滴の7時間後に死亡。
 
9月17(土)18日(日)19日(祝日)に3連休での殺害。
 
以上は報道から得られた事実です。
 
9月20日(火)午前8時頃に常勤看護婦の出勤だと思われるので、休日の夜間体制の間に死ぬような量を滴下した疑いがあります。
 
ところで、
前回記事「横浜点滴殺人事件(17)  4階だけで月16人ペースの患者死亡」で紹介したyou-tube動画には、毎週の患者死亡数が紹介されていました。
 
出典、情報の出どころは不明ですが、you-tubeで表示されていました。
https://www.youtube.com/watch?v=WuiHuAwAYu8 より再掲載します。
 
7月
1週目 4人死亡
2週目 4人死亡
3週目 4人死亡
4週目 4人死亡
8月
1週目 4人死亡
2週目 4人死亡
3週目 4人死亡
4週目 4人死亡
5週目 2人死亡
9月
1週目 4人死亡
2週目 4人死亡
3週目 4人死亡
4週目 4人死亡
 
ぞっとするほどの「ぞろ目」です。
日本では「四」は縁起の悪い数字です。
 
四階の四人ずつ・・・。
但し、下段で説明しますが、このぞろ目の数字にはやや疑問がありますが、ここではこの数字を正しいと仮定して推理を進めます。
 
8月第5週は月、火、水で終わっているので、週の日数が少なかったのでしょう。
もし第5週も連続殺人だと仮定すれば、平日に殺害したので人数を四人まで増やせなかったのではないか、とも思われます。
 
命を助ける医師や看護婦や薬剤師の仕事ぶりには見えません。
 
むしろ、終末期の老人を定期的に一定量あの世に送ることを専門にする職業人がいるのではないか、とさえ思われます。
今は4階での死亡は3週間以上0人のようですので、「彼」あるいは「彼女」がその特殊な作業に従事していないのではないだろうか・・・。
 
これらを見て、私は先の記事で「ほぼ毎週4人づつ死亡していたようです」と書きました。
これらの数字の出典は明かされていませんので、事実かどうかも不明です。
 
もし、市役所か警察署か葬儀屋か、火葬場か、寺院から死亡者数推移のデータがリークされていたのであれば、そして前記が事実であれば、私には以下の推理が働きます。
 
まず、犯人は几帳面な性格の持ち主であることです。
潔癖さと几帳面さに関連性があるかどうかはわかりませんが、多少は関連があると思われます。
 
次に、西川さんと八巻さんと同様に、毎週常勤体制が崩れた休日の夜間に殺害が行われたという推理が成り立ちます。
 
毎週4人が土日の夜間勤務体制に死亡確認されているのかどうか、などはまだ不明です。
 
仮に几帳面な性格の真犯人だと仮定すれば、毎週同じ時間帯に殺害を実行していた可能性が考えられます。
 
ある週の2人目(88歳)の死亡確認は土曜日の午後7時。(点滴交換は土曜日午前10時頃)⇒点滴の9時間後に死亡。
 
同じく次の2人目(88歳)の死亡確認は月曜日午前4時55分。(点滴交換は日曜日午後10時頃)⇒点滴の7時間後に死亡。
 
この2ケースで点滴交換から死亡までに時間が微妙に違うようにされているのは、まったく同じ時間帯の死亡では疑われるから時間差を与えたと考えれらます。
しかし、性格の几帳面さが仇になって、その時間差さえも毎週きちんとルーチンに組み込んでいた可能性さえ私は感じます。
 
捜査当局は、いつの日か48人の死亡日時を公表すべきだと私は思います。
 
それらの死亡時刻がこのルーチンワーク(定期的な作業)にきちんとはまっているのであれば、真犯人は推測を越えて、通常のレベルではなく、極めて几帳面な性格の持ち主だと推理されます。
几帳面かどうかはわかりませんが、極めて潔癖性の人物はネットで明らかにされてきています。
 
ネットで噂されている「潔癖症で変わっている人物」が真犯人ではなく、極めて時間に几帳面なタイプの人物を推理しています。
 
例えば医療器具やリハビリ器具を取り扱う工学系、あるいは物理・生物系の、しかも男性技術者イメージで、加えて時間に几帳面な人物に一番似合っているように思われます。
 
不死鳥・・・。
 
ふと脳裏にこの言葉が浮かんできました。
 
たまたまのことです。
捜査本部からの情報では男性の容疑者名は挙がっていないようですが・・・。
 
神奈川県警は、いま48名の死亡者の死亡確認日時を手にしているはずです。
 
今後の捜査の進展を大いに期待しています。
神奈川県警の底力を今こそ見せるときです。
ここまで書いてきて、冒頭の毎週4人という死亡数と矛盾する情報を見つけました。
 
「 捜査本部などによると、大口病院では7月1日~9月20日の間に48人が死亡。8月には1日で5人、9月に入ってからも1日で4人が亡くなったことがあったという。
全員が4階に入院していたことから、他にも異物を混入された犠牲者がいるのではとの見方も広がっている。」
(「4月にも入院患者が4日で死亡 事件後は4階での死亡ゼロの不自然 横浜・点滴殺人」より) 2016.10.03
http://www.zakzak.co.jp/society/domestic/news/20161003/dms1610031700011-n1.htm
 
「8月には1日で5人死亡」ということが事実であれば、前述の毎週4人ずつ死亡は間違いであるということになります。
 
どちらか、あるいは両方とも間違いの可能性があります。
 
または、疑いのない病死や事故死の死者数を省いていたり入れていたりした可能性も考えれらます。
 
或いは、犯人が推理を攪乱するために、敢えて嘘の情報を流していることも推測されます。
捜査当局によるいち早い事実の公表が望まれます。

横浜点滴殺人事件(17)  4階だけで月16人ペースの患者死亡

出典、情報の出どころは不明ですが、you-tubeで表示されていました。
 
大口病院の4階の死亡者
7月 16人
8月 18人
9月 16人
 
だいたい週4人のペースでなくなっているようです。
サイトには週ごとの死亡者数が掲載されています。
 
ところが、捜査着手した日から3週間経過しても、同じ4階の患者死亡者数は0人となっています。
 
おそらくいまでも0人が継続していることでしょう・・・。
 
患者が死亡すれば、当然捜査本部は血液や点滴袋を検査しますし、監視カメラ映像もチェックするでしょうから、真犯人、あるいは真犯人たちもうかつには週4人ペースでの死亡実績をつくるわけにもいかないのでしょう。
真犯人逮捕できないのであれば、未来永劫に神奈川県警は4階フロアの死亡者の死因鑑定を継続する義務を負います。
きちんと最初から捜査をして逮捕しておけば、新たな被害者は生まれなかったのです。
 
この動画サイトに出ている情報で、「週ごとの死亡者数」以外の情報は、私が把握しているものと同じですので、推理の方向もほぼ一致しています。
 
複数の人間が検討して、同じ推論に辿り着くのですから、捜査陣の中にも当然にこの動画サイトと同じ見方をしている人も何人かはいることでしょう。
 
ただ、不思議なことは、これだけの情報が公開されているのに、五輪ボート競技場選択や豊洲の地下水汚染の話であれだけ深堀をして長時間楽しむワイドショー番組や報道特番が、「そういう方向での調査分析を敢えてしない」ことに奇異な感じを視聴者としては受けています。
 
かん口令が敷かれていて、口をつぐんでしまっているとしたら、70年前のような暗い時代に差し掛かっている可能性を感じます。
 
メディアの健全なことを祈ります。
その前に、捜査本部の正義感の充実を期待いたします。
 
真犯人がいるかも知れない病院は、10月4日付け公式サイトで営業再開と受け取れるページ更新をしています。
今日現在、真犯人、あるいは真犯人たちが、点滴袋を「市の指導を受けて厳重管理しながら準備している」としたら、そのことになんとも感じないのでしょうか。
 
メディア、社会ともに、おかしなことを「おかしい」と言えなくなっているのではないでしょうか。
 
下段掲載の記事を読みますと、点滴の管理方法に問題を感じて、管理方法や夜間の常勤医師配置を提案したまともなナイチンゲールが病院内にはいたようですが、その看護師が衣服を切られたり、ペットボトル異物混入などのいじめを受けていたということです。
 
「意見の通りにくい職場で、仕事熱心だったBさんは院内改革を進めようと努力をしていました。
安全管理の面で点滴管理の仕方に疑問を呈したり、夜勤の常駐医師の配置について進言するなど積極的に行動。
 
しかしそれが原因で上司Xに目をつけられ、無視されるなどしたようです。
エプロン切り裂きや、ペットボトルへの異物混入事件は連日の報道で有名ですが、その被害にあっていたのはBさんでした。」
(「元勤務看護師が異常な内部を文春に告白」(横浜市の大口病院で起こった点滴連続殺人事件。)より抜粋)
http://ryo-piro.blog.so-net.ne.jp/2016-10-13-5
 

2016年10月20日 (木)

乳がん検診と放射線被ばく

チェルノブイリ事故を考えることは自分を考えること(15)
乳がん検診、結論から言うと、放射線被ばくのあるマンモグラフィーではなく超音波検査を受けることをお勧めします。
 
小腹に丁度良いからといって、食い放題の店で3時間食べたあとに「丼を一杯」だけ提供されても、とてもお腹に入りません。
 
放射線累積線量もこれに近い。
 
宇宙放射線、福島事故後の体外被曝、低線量だからという理由で見落としている水や食物経由で体内に蓄積している体内被ばく線量、これらが食べ放題の状態になっているとしたら、「ただちに人体に影響があるとは思えない」という低線量放射線であっても、累積して蓄積すればリスクは増大する可能性は高いと思われます。
 
一つの質疑応答があります。
 
「Q: マンモグラフィーを繰り返すと乳がんになりやすくなりますか?
A: いいえ。ただし、あまりにも早期(たとえば30歳になる前)からマンモグラフィーを1~2年毎に繰り返せば、放射線による乳がんの発生率が増えるのではないかという指摘があります。現状のスクリーニング制度では、マンモグラフィーによる乳がん発生のリスクは極めて少ないと考えられます。」
(「アメリカの乳がん検診・初期診療 Q&A 2」より) 
http://remedics.air-nifty.com/main/2016/10/post-20cf.html
 
しかし、以下は最近の記事です。
 
「マンモグラフィー検診には廃止勧告も、スイス医療委員会「有益な効果認めず」」
2016年07月14日更新
最新医療ニュース (3126)
https://welq.jp/8116
 
「マンモグラフィーが日本人に向かないとされる理由」
http://tenkabutu01.com/manmogurafi-nyuugan
詳細は上記の各サイトをご覧ください。
 
日本人女性には検出性能が低いと言われているマンモグラフィー検査ですが、X線を乳房へ照射して石灰化した腫瘍部位を検出する装置です。
 
日本人に対して性能が低いのに、連続して乳房に放射線(X線)を何度も照射することの不思議さを以前より感じていました。
 
具体的な数値でその疑問を明らかにしたいと思います。
 
「マンモグラフィにおける被爆について、患者さんにどのように答えたらよいですか? 」(東京都立府中病院診療放射線科 角田博子)という記事を見つけました。
 
医療従事者が患者への説明をどうしたらよいかという相談への回答です。
数字はあとでわかりやすく説明しますので、今のところは流して読んでください。
 
「■マンモグラフィでどのぐらい被曝するのか?
 
 米国放射線専門医会は、1方向あたり吸収線量で3mGy以下という勧告を出していますが、これが現時点での日本での基準となっています。最近の撮影技術をもってすれば、1~2mGy(ミリグレイ)以下で撮影できることがほとんどです。これを実効線量で示すと、0.05~0.15mSv(ミリシーベルト)の被曝があるといわれています。
 
数字だけいわれてもピンときませんが、表2(省略)を見てください。私たちは、まったく知らない間に年間約2.40mSvの自然放射線を浴びています。
 
また、東京からサンフランシスコまで飛行機で移動する間に受ける自然放射線は0.038mSvというデータもあります。
 
さらに、地域による自然放射線の差も、岐阜では年間0.78mSv、神奈川では0.42mSvと意外と大きいのです。
 
 これらのデータをマンモグラフィでの被曝の値と比べてみてください。
確率的影響は決して生じない量であることがおわかりいただけると思います。確率的影響は0ではありませんが、自然放射線や飛行機旅行と比べてもその線量は多くありません。
 
もちろん、だからといってむやみに撮影していいということにはなりませんが、不必要に恐れる必要もないということです。
 あなたは、被曝を恐れて出張をとりやめますか?
 
0.05~0.15mSvの被曝
5年連続でマンモグラフィ検査をすれば累積線量は0.25~0.75mSvになる
この被曝はレントゲン写真1枚につきだから、実際は何枚撮影するのだろう?
3枚〜4枚だとすると1回の検査での被曝線量は0.05~0.15mSv×3〜4倍になる。
つまり、間をとって1回0.1mSvだとすると0.3~0.4mSvの被曝になる。
これを私たちが日常的に目にしているμSvに換算すると、300~400μSv !!
 
5年連続でマンモグラフィ検査を受けたとしたら7.5~10mSv(7500~10000μSv)になもる。
以下略。」
(「マンモグラフィにおける被爆について、患者さんにどのように答えたらよいですか? 」より)http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-4363.html
 
ここでは計算を省略しているようなので、チェックしてみます。
5年間連続検査で累積は最大0.75mSvとなります。
しかしX線撮影は3~4枚とるのでしょうから、3~4倍の被ばくになると言っています。
つまり、最大0.75mSv/5年・1回×最大4回=3mSv/5年間となります。
 
「1回0.1mSvだとすると」と著者のいうざっくり計算でいけば、1.5~2.0 mSv/5Yが正しいのではないかと思います。
 
しかし、この著者は記事の最後で最大で10mSvの被ばくになると計算しています。
 
しいて推測ですが、1年間に定期的にマンモグラフィーを3回受診するとすれば、5年間では3×3mSv/5年間=9mSvと、10mSvに近い数値が出てきます。
あるいは乳房の左右で1回検診当たり人体としては合計2セット被ばくするということを配慮しているのかも知れません。
 
どこか理解が間違っているかも知れませんが、気づけばあとで訂正します。
 
この記事は、『米国放射線専門医会の基準で考えれば問題はないと思われる1回のX線照射マンモグラフィー検査だが、それを何回も撮影し、しかも5年間も連続して受診したとしたら、いったい累積でどれくらい被ばくするかを計算してみた』というものです。
 
医療関係者が試算してみて、「最大で5年間で10mSvになるけど、大丈夫なのかなあ」、という不安を感じている記事でした。
 
10mSvの累積放射線被ばくが、がん発症に問題になるレベルかどうか、を次の記事抜粋で理解します。
 
「政府の原子力災害対策本部は昨年(2013年)末、福島第一原子力発電所事故避難者の早期帰還を促すため、年間被ばく線量20ミリシーベルト以下を避難指示解除の条件とする報告書をまとめた。
 
北海道反核医師の会代表委員の松崎道幸氏に低線量被ばくの健康への影響について寄稿してもらった。
中略。
 
外部被ばく100mSvで10人に1人ががん死のおそれ
福島の放射線被ばく問題の対策は最新の科学的データに基づいて行われるべきだ。
つまり、わずか10mSvの被ばくでも大人のがんのリスクが明らかに増加する、そして、子どもにはさらにその何倍もの健康影響が現れる恐れがあるという前提で考えるべきだ。
 
先に紹介したデータで計算すると、100mSv被ばくするとがん死が30%増加することになり、100人中35人ががん死する日本人男性では、さらに10人が被ばくによってがん死することになる。
 
また10mSvでは、100人中1人が被ばくによってがん死する計算になる。
したがって、100mSvは言うまでもなく、10mSvといえども許容できない。
 
同様に、3mSvといえども許容できないと私は考えます。
 
また、ここでは、外部被ばくだけを論じており、飲食や呼吸によって生ずる内部被ばくは勘定に入れていない。
 
原発事故では、外部被ばくだけでなく内部被ばくも生じているため、福島原発事故による放
射線被ばくの健康影響はさらに大きくなると考えなければならない。」
(「10mSv以下の低線量被ばくでも発がんリスク増」より抜粋、松崎道幸(北海道反核医師の会代表委員、深川市立病院、「全国保険医新聞」2014年2月25日号)
http://hodanren.doc-net.or.jp/iryoukankei/seisaku-kaisetu/140225hibaku.html
 
整理しますと、
 
「5年間連続でマンモグラフィー検査を受けて累積で10mSv被爆すると仮定すると、100人中1人が被ばくによってがん死する計算になるから、10mSvといえども許容できない。」ということになります。
 
これに対して、超音波検査ではマンモグラフィーで検出できない腫瘍が検出されるし、被ばくはゼロです。
 
よって、乳がん検診には超音波検査をお勧めします。
 
なお、最近は胸部X線照射も連続することのリスクがあるので、義務教育での強制的なX線診断は中止となっているらしいことを付記しておきます。
 
おそらく「私は嫌です」といえば、強制はできないことになっているのでしょう。
 
私は会社での健康診断で胸部X線撮影を10回くらい拒絶しましたが、周囲から問題児のように見られたものでした。
 
かつて放射線主任者試験の勉強をし、そのリスクを知っているので拒絶していたのですが、ただのわがままだと看護師には思われていたようです。
 
「中略。
線量測定を義務付ける」ということは被曝によるリスクがあるということだ。
昔は毎年毎年小学生や中学生が強制的に受けさせられていた胸部レントゲンもいまはやらなくなった。
それだって、レントゲンによるリスクがあることを国が認めたからだ。
 
胸部レントゲンもCTスキャンもマンモグラフィも結局は同じ放射線である。
巨大な医療放射線のビジネスに関して、日本人はもう少し疑問を持った方がいいと思う。」
(「北斗晶さんの乳がん報道について思う〜マンモグラフィの被曝〜」より)
http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-4363.html
 
同様の理屈で、X線CTよりは放射線照射がまったくないMRIの方を選択しましょう。

2016年10月19日 (水)

KOHECHI A-86 (3rd of May in 2015)

Sh3b0978

SH3B0978

Sh3b0979

SH3B0979 Stone pavement.

Sh3b0980

SH3B0980 Because inclination is gentle, the stone pavement of the road disappears.

Sh3b0981

SH3B0981

Sh3b0982

SH3B0982 A stone pavement is prepared at the sudden inclination and left.

Sh3b0983

SH3B0983 A scene is growing light.Is an other side a pass?

Sh3b0984_2

Please  click on the top of the image to expand.
That is said as "MIZU" with ancient Assyria word.
And Jpananese"MIZU"means a water.
SH3B0984 Oh!That it is beautiful, a scene.

Sh3b0985

SH3B0985 It takes a short rest in the good place of the view.

Sh3b0986

SH3B0986 It was not a pass.On the contrary, it still goes up.

Sh3b0987

SH3B0987 There is a flower of the azalea in its left hand.

Sh3b0989

SH3B0989 A lovely white flower.

Sh3b0990

SH3B0990 A fence is in the point, and passing is stopped.

Sh3b0991

SH3B0991 "To everyone of a KOHECHI walk."
This is the fence to prevent vegetable damage by the wild deer, the wild boar, and so on.
Open it by hand, and pass, and close the one that it proceeds.

Because there is a fence, there is a village in this point.
Is it Hatenashi village?

黄金の国、ジパング(10)義経と奥州王国

義経は奥州街道終点の津軽の三厩宿(みんまやじゅく)で馬を降りて船で蝦夷(北海道)にわたり、モンゴルへ戻ったという伝説があります。
 
私は2010年、原発事故の前年ですが、三厩宿を目指して、東京の日本橋道路元標から通しで歩いています。最後には到達できました。
 
その途中で書いた、2010/2/20付け拙著ブログ「佐藤氏は俵藤太の末裔~奥州街道」よりそのまま抜粋します。
 
テントシュラフをリュックに担いで奥州街道を歩いているときに、八反田川を渡ってから俵の藤太のことを考えました。
 

Photo_2

TS391446橋本橋と読める

Photo_3

TS391448八反田川という

Photo_4

TS391450鎌田下釜の交差点(電柱に町名が書かれています)
 
以下、過去のブログ記事を抜粋してそのまま掲載します。
 
「八反田川を渡ろうとしたが、手前の河川敷で休息した。
あまりに日差しが暑くて、日陰で川風を浴びた。
橋本橋のたもとである。
その先が鎌田下釜の交差点である。
 
地名はその地の特徴を示すことが多い。
 
平安時代の信夫郡一帯の支配者で、大鳥城(福島市飯坂)の城主の佐藤庄司基治のことは「義経北行伝説と佐藤基治~奥州街道(3-269)」のところで既に述べたが、この地名からは製鉄技術を持つ集団をその支配下に持っていたように思われる。
佐藤氏は平泉藤原氏と同じく「藤原秀郷」を祖としているが、藤原秀郷とはどういう人物だろうか。
 
秀郷の5世の孫、「公脩・公清」兄弟が左衛門尉となってから、子孫の多くが左衛門尉に任ぜられたことから「左衛門尉藤原」、略して「左藤」そして「佐藤」を称した。
 
信夫の庄司である「佐藤基治」の子が源義経の忠臣「継信(つぎのぶ)・忠信」兄弟である。
兄継信は屋島の合戦で、弟忠信は頼朝の追っ手を引き付け主従一行を逃がす際に討ち死した。
三男信政は大沢で義経の蝦夷逃避行の案内をしている。
 
庄司は漢字の意味から見れば「庄」(しょう)の「司」(つかさ)つまり村(むら)または地域のの長(おさ)という役職を示すものであろう。
 
どうやら佐藤氏の先祖の藤原秀郷が源氏と深い関係にあったように見える。
 
「藤原秀郷」の名で検索し、Wikipedia記事を見ると「むかで退治の絵」が出てきた。
 
『出自を藤原北家魚名流とするのが通説だが、「実際には下野国史生郷の土豪・鳥取氏で、秀郷自身が藤原姓を仮冒した」という説もある(あるいは古代から在庁官人を務めた秀郷の母方の姓とする)。
 
俵藤太(田原藤太)という名乗りの初出は『今昔物語集』(巻25「平維茂 藤原諸任を罰つ語 第五」)であり、秀郷の同時代史料に田原藤太の名乗りは見つかっていない。
 
田原藤太の由来説には、相模国淘綾郡田原を名字の地としていたことによるとする説、幼時に京都近郊の田原に住んでいた伝説に求める説、近江国栗太郡田原郷に出自した伝説に求める説などがある。
 
藤太は、藤原氏の長、太郎の意味である。
 
秀郷は下野国(現在の栃木県)の在庁官人として勢力を保持していたが、延喜16年(916年)隣国上野国衙への反対闘争に加担連座し、一族17(または18)名とともに流罪とされた。
 
しかし王臣子孫であり、かつ秀郷の武勇が流罪の執行を不可能としたためか服命した様子は見受けられない。
 
さらにその2年後の929年には、乱行のかどで下野国衙より追討官符を出されている。
唐沢山(現在の佐野市)に城を築いた。
 
天慶2年(939年)平将門が兵を挙げて関東8か国を征圧する(天慶の乱)と、平貞盛と連合し、翌天慶3年(940年)2月、将門の本拠地である下総国猿島郡を襲い乱を平定。
 
複数の歴史学者は、平定直前に下野掾兼押領使に任ぜられたと推察している。
 
この功により同年3月従四位下に叙され、11月に下野守に任じられた。さらに武蔵守、鎮守府将軍も兼任するようになった。』(藤原秀郷(Wikipedia)より)
 
これによると、藤原秀郷は後の時代の人に『俵藤太(田原藤太)』であったと記録されている。
 
天皇の末裔でもある平将門は東日本を支配するために東日本王国を造る構想をもっていたのだが、それを征服した功績は大きいが、反面、のちの奥州の歴史を暗くしてしまったかもしれない。(この文は最近追記した。私は坂東を訪ねて将門の生誕地と終焉地を見たが、それ以降将門のファンになっている。)
 
炭焼きで『金』を発見したというあの藤太が佐藤氏の先祖であった。
これは佐藤氏が福島の地で冶金術(やきんじゅつ)を保有していたことを示していると思う。
鉱石を高温で溶かして分離する過程で、鉄も金も銅も生じるのである。
山で木々を燃やしてばかりいる藤太を当時の原始日本の人々は炭焼きと称したのであろう。
 
同じような伝説は島根県にある。
山際で夜な夜な真っ赤な火をともす一族を「やまたのおろち」と古代日本人は恐れたが、その山に残る遺物を分析すると製鉄過程で発生する銑鉄の延べ板が多く存在していることがわかっている。
 
溶けた鉄を山肌に流しだし、平たい鋳物板にするとき、夜空には横に長くうねったような大蛇の姿を描きだしたのである。
 
中近東で発達した製鉄技術は、武器や馬具の製造技術でもあり、農業生産性を飛躍的に向上させる農具製造技術でもあるので、古来騎馬民族の口伝とされてきた。
 
馬のひづめの鉄具の利用によって、彼らの東西移動距離も飛躍的に延びて、やがて日本列島にも達したのである。
 
それはヒッタイト族やスキタイ人による秘密の手法であったはずである。
 
誰がこの国に製鉄技術をもたらしたのか、それがわかればその人物が俵の藤太自身かその末裔であった可能性が高い。
 
佐藤氏や平泉の藤原氏が皇族の血、とりわけ河内源氏の血を引く源義経を保護しようとした意図は意外に大きかったのかもか知れない。
 
義経を天皇とすることで正当な河内出身の天皇家を東北に興し、東北独立を企てていたのではないだろうか。
 
だから頼朝も義経と平泉を征伐する必要があったのであろう。
 
しかし、義経自身に天下を二分する意図がないことは兄として一番わかっていただろう。
奥州藤原氏に利用されているだけであったから、目的は奥州藤原氏の破壊であったのだ。
 
鎌倉から見れば、弟君の義経がどこへ逃げてもよかったのである。
奥州藤原氏へ弟が逃げていったことが許せなかったのであろう。
次にムカデと藤太の関係を見てみたい。」(拙著過去ブログ抜粋終わり)
 
ちなみに亡母の母方実家の本家(愛媛の庄屋)には、「藤原道兼の子孫」なる木簡が見つかっているそうですので、もしボケ始めたころの母の言う「それ」が事実であるならば、私の体にも「藤原」が少し流れていることになります。
 
俵の藤太を少し身近に感じるようになりました・・・。
 
ついでながら、おしくも奥州独立国家案を立案し藤太に破れた将門のことについて書いた記事を拙著ブログより抜粋します。
 
2007/10/10付け「平将門ゆかりの武蔵国城峰山に再来週登る予定である。」を抜粋します。
 
「聞くところによると、将門が追われて逃げ込んだ山のようだ。
最期の地であろうか?
 
山の中腹に民家がある。
春は桃源郷である。
桜と桃の花が一面に咲き乱れていた。
 
ここに将門もかつて住んだのではないかと、その時は感じた。
将門と義仲の映像は私の頭の中ではダブって見える。
 
二人とも天皇家とわずかながら血縁を有する貴族である。
非業の死を遂げたのも似ている。
 
将門の首は東海道を運ばれ、街道真ん中の掛川宿付近で、京都からやって来た首検分使に確かめられた。首の腐敗を抑えるために、街道の真ん中で検分したのだ。
 
そこの地名は十九人首町と今でも呼ばれる。
十八人の家来の首とともに墓が十九本円形に並んでいた。
 
すぐそばに首を洗った川があり、「血洗い川」と名前が残っている。
 
川の橋に洗った将門の首を掛けたことから、掛川の地名が生じた。
地元にとってはいずれの地名も迷惑なことであろうが、それを厭わずにいまでも使用しているところに、当時の民たちの将門に寄せる好意が感じられる。
 
伝説では首が空を飛び、東京大手町の三井物産本社ビル隣りに降りたと言う。
そこに小さな将門神社がある。私はその近くのビルで昔勤務していたことがある。
昼休みに何度もそばを通過したものだ。
 
一説には首はふるさとの武蔵国に帰ろうとしたが、力尽きて落ちたとも言う。
ゆかりある人が無念を感じでこっそり故郷に持ち帰ろうとしたが、
その彼が大手町で力尽きたのかもしれない。
 
首が帰りたかった故郷とは、あの城峰山の桃源郷ではなかったか?と、私は思っている。」(抜粋終わり)
 
平将門の霊は、現在の東京・神田明神に祀られています。
関東から奥州一帯の政治行政的独立を関東の商人たちも望んでいたのでしょう。
家康にしろ、明治維新革命にしろ、いずれも政治経済の中心を東京に据えるということから見ても、かつて将門の見た夢も、おそらく実現可能なものだったのでしょう。

黄金の国、ジパング(9)マルコの口述筆記

Photo

図 鄭和の遠征航路 ;永楽・宣徳年間(1403-35)の鄭和の遠征、合計7回(1回は宣徳帝)にわたって南海遠征をくりかえすなど、明は積極的な対外政策を実行しています。
(「15-16世紀朝貢と密貿易、琉球の世界」より拡大して引用)
http://koekisi.web.fc2.com/koekisi2/page011.html
 
コロンブスは15世紀後半に活躍する船乗り冒険者です。
 
それ以前からアジアから中東、東ヨーロッパ付近まで貿易を求めて航海した海賊に「倭寇」がいます。
 
「東アジアで活動した日本人を主体とした海賊。
13~14世紀の前期倭寇、
15世紀後半~16世紀の後期倭寇に分けられる。
 
略奪行為だけではなく、東アジア海域の私貿易の側面も強かった。
前期倭寇は朝鮮王朝の成立、後期倭寇は明の衰退と関係が深い。
豊臣政権の統制によって姿を消した。」(「倭寇 世界史用語解説」より)
http://www.y-history.net/appendix/wh0801-011.html
 
ところで、ヴェネツィア共和国の商人マルコが東方見聞録を書いたのは13世紀の末です。
 
よってマルコは旅先で13世紀の前期倭寇による交易によって世界に拡散された日本国の黄金伝説を見聞したものと思われます。
 
「(マルコは、)1298年のメロリアの戦いで捕虜となったルスティケロと同じ牢獄にいた縁で知り合い、この書を口述したという。
中略。
 
黄金の国ジパング
日本では、ヨーロッパに日本のことを「黄金の国ジパング」(Cipangu)として紹介したという点で特によく知られている。しかし、実際はマルコ・ポーロは日本には訪れておらず、中国で聞いた噂話として収録されている。
 
なお、「ジパング」は日本の英名である「ジャパン」(Japan)の語源である。日本国(中国語でジーベングォ)に由来する。
 
東方見聞録によると、「ジパングは、カタイ(中国北部)(書籍によっては、マンジ(中国南部)と書かれているものもある)の東の海上1500マイルに浮かぶ独立した島国で、莫大な金を産出し、宮殿や民家は黄金でできているなど、財宝に溢れている。
 
 また、ジパングには、偶像を崇拝する者(仏教徒)と、そうでない者とがおり、外見がよいこと、また、礼儀正しく穏やかであること、葬儀は火葬か土葬であり、火葬の際には死者の口の中に真珠を置いて弔う習慣がある。」といった記述がある。
 
「莫大な金を産出し」というのは奥州の金産地を指し、「宮殿や民家は黄金でできている」というのは中尊寺金色堂についての話を聞いたものであるとの説もある。」(東方見聞録-wikipedia)
 
「火葬の際には死者の口の中に真珠を置いて弔う習慣がある」ことは日本人の私には初耳でした。
 
いつのころからか、渡来人たちによって風習も変えられていったのでしょう。

質問に対する答えとして以下が見つかりました。
古く九州には中国から伝わっていた風習のようです。
 
「一度、映画ラストエンペラーをご覧になってください。
始まってすぐに溥儀の祖母である西太后が亡くなりますが、亡くなった瞬間に黒真珠(または玉の可能性もある)が口に含まされます。
 
死者の口に真珠を入れるのは中国の周代から伝わる葬送の慣例です。
天子は玉、諸侯は壁(玉のおおきなもの)、大夫は真珠、士は貝というように口に含むものが決まっていたようです。」(「教えてgoo」より抜粋)
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/6970513.html
 
「とうた」こと、俵の藤太の炭焼き小屋の金の溶解屑は、京都出身らしいおこや姫との結婚を経て、平泉の藤原氏を黄金の館に住ませるまで豊かにしていたのでした。
 
それを聞いたコロンブス、ごっそり強奪したいとまじめに考えたとして間違いないことでしょう。
 
大変な迷惑を受けたのは、ドミニカ共和国周辺の島しょにすむ原始インディアンたちです。
コロンブスは金を持参することを強要し、よって食べるものも栽培できずに飢え死にしながらも金を探すことを続けざるを得なくなりました。
 
コロンブスは新大陸を発見したことに気づいていなかったからです。
 
インドの東方の島に着いたのだから黄金の国がどこかにあるはずだと、焦って現地人を痛めつけたのでした。
 
その罪悪さは、現代のアメリカ人からも嫌悪されており、コロンブスデーを今でも目出たいと
祝うのはイタリア系アメリカ人のみになっているようです。
 
俵藤太とその長男金売り吉次の11世紀の日本における活躍は、結果的に15世紀のコロンブスをして中米現地人の大虐殺魔に育てあげたのでした。

「横浜点滴殺人事件(16) 連続殺人+複数人殺人未遂

今朝のNHKニュースで2人の連続殺人のほかに、未使用の7つの点滴袋に小さな穴があいており、点滴液に消毒液が混入していることが報じられていました。
 
ここ1週間ほど報道がぴたりと止んでいたので、今朝の主要メディアによるニュース発信は、近いうちに捜査に動きがあることを示唆しているように私は感じました。
 
2人の連続殺人捜査は、それに数名の殺人未遂事件捜査を加えて、やや規模を増したようです。
 
今朝の報道では、未使用の7つの点滴袋から消毒液が検出され、それらには殺害された2人以外の氏名が書かれていたということでした。
 
人数のことは報じませんでしたので、7つの袋が7人のものか、連休用のために2人か3人のものだったのかまでは報じていません。
 
もし、「それらは○人のもので、それぞれ~さんたちのものでした。」と誰かがポロリとしゃべったとしたら、それは犯人しかわからない情報です。
 
それを期待して秘匿したのかどうか、それはわかりません。
 
ともかく2人殺人+N人殺人未遂事件(但しN<=7)となったという報道でした。
 
今でも真犯人(あるいは真犯人たち)が営業中の外来や入院病棟を歩いているかも知れない中での、今朝の報道に、私はそれなりの”捜査本部の覚悟”を感じ取りました。
 
逆に迷宮入りしそうな案件であれば、捜査本部がわざわざ事件規模を拡大報道した上で、捜査を尻すぼみにする、ということは考えにくいです。
 
今週中には何らかの衝撃発表があるのではないか、と思われました。

続きを読む "「横浜点滴殺人事件(16) 連続殺人+複数人殺人未遂" »

黄金の国、ジパング(8) 長沼ボート場近く

小池百合子東京都知事が暗に推薦している長沼ボート場は、金売り吉次の登米伝説のある登米市内でした。

Tomesi

地図 TOMESI(再掲)登米伝説「金売り吉次」の解説に使用しました。
10月13日付記事「黄金の国ジパング(6)「とうた」の息子」より再掲。
地図の中の「登米市」の「登」という文字の左にある水色の湖が例の長沼ボート場だったのです。
 
今朝のNHKニュースで「宮城県登米市の長沼ボート場」という音声を耳にし、「おや?吉次の登米を小池氏は外国人に紹介したいのかな?」と直感しました。
 
コロンブスも、19世紀の世界中の人々も探していた黄金の国ジパング、その源流が長沼ボート場の西に近接する登米市なのだと・・・。
 
金加工技術を紀元前3世紀から有していたスキタイ人の血はイラク系遊牧民に血統は継がれているようです。
エジプトのカイロ大学で学んだ若き小池百合子氏もその金細工の技術輸出ルートを学んだかも知れません。
 
「スキティア(現在のウクライナ)における古代スキタイ人は政治的には滅亡したものの、彼らは生物学的に絶滅したわけではなく、この地方とその周辺で彼らの血統は現代にも脈々と受け継がれている。
 
現代ヨーロッパにおけるY染色体のハプログループR1a1はスキタイ時代のヨーロッパ東部から中央アジアにかけて広く住んでいたイラン系遊牧民の子孫を示している。
 
ヨーロッパの各集団のうちスラヴ語派の各民族にはこのR1a1が非常に濃く含まれており、特にポーランド全土、およびロシアの西部に集中している。」(スキタイ-wikipedia)
 
この末裔が渡来して京都に住んでいて、この列島の中で金が取れる場所を探していたのではないかと思いました。
 
容姿容貌がひどい、おそらく縄文人の「とうた」でしたが、それでも嫁ぐべき理由を「おこや姫」はよく理解していたのでしょう。
ところで、バッハ会長から小池都知は面会時に韓国忠州ボート場での開催も選択肢に入ると発言していました。
例えば、「忠州市のボート場忠州市弾琴湖国際ボート競技場が東京五輪ボート会場になる可能性浮上!」など。
http://menswinner.net/bo-tokaijyouhenkou/
 
切支丹大名の 小西行長(弥九郎、摂津守、洗礼名アゴスティーニュ=アウグスチヌス)が征服した町でボートを漕ぐなんて、なかなかフェンシング金メダリストのバッハ氏も剣先攻撃が鋭いと思いました。
 
「これまで小西一族は薬種商として朝鮮で朝鮮人参を買い付けてきたから、朝鮮語に巧みで朝鮮通であることを、秀吉はよく知っていた。」
(「小西行長-裏切り続けた男・商人の心を持った武将の決意とは-」より抜粋。)
https://www.blwisdom.com/strategy/series/rekishi4/item/9990-04.html
 
「1592年 - 文禄の役にて小西行長軍が朝鮮軍に大勝(弾琴台の戦い)。」
(忠州市-wikipedia)
 
黄金の国ジパングの金売り吉次と、朝鮮征伐の小西行長の戦いになりそうです。

2016年10月18日 (火)

逃げるボブ・ディラン

NHKニュースでノーベル財団がディランと連絡が取れずに、もうこれ以上連絡はしないと宣言したというニュースを聞きました。
 
「“ディランさんと連絡とれない” ノーベル財団」より一部抜粋します。
10月18日 4時07分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161018/k10010733311000.html
 
「中略。
ところがことしの受賞者のボブ・ディランさんについて、ノーベル財団の広報担当者は、17日、NHKの取材に対し、「選考委員会が何度も連絡を試みたものの、いまも直接話ができていない」と述べ、発表から4日がたってもいまだに本人と連絡がとれていないことを明らかにしました。
そのうえで「これ以上選考委員会から連絡をとることはしない」として、今後はディランさん側からの連絡を待つとしています。」(抜粋終わり)
 
浮かれ騒ぐ日本のノーベル賞受賞報道とはまったく逆のメッセージが送られてきてました。
 
私はてっきり「反戦歌手」とあがめられてきたロック歌手ボブ・ディランだけに、老いてなお(1941年生まれ)、闘士であることの証左ではないかと思いました。
 
考えてみればノーベル財団というのは爆弾の製造特許により莫大な資産を形成したもので、世界中で平和的な建築用の爆破のみならず、戦争などで大量に消費することで潤ってきた財団でもあります。
 
「連絡を取らない」という無言のメッセージには、戦争反対の意味とともに受賞拒否が込められているのではないかと私は即座に思いました。
 
さすがにロックンローラーであると・・・・。
 
「ハイスクール時代はロカビリーの全盛期で、ディランもまたエルヴィス・プレスリーらにあこがれバンドを組んで演奏活動を始める。
1959年9月、奨学金を得てミネソタ大学に入学するも半年後には授業に出席しなくなる。持っていたエレキ・ギターをアコースティック・ギターに交換。
ミネアポリスでフォーク・シンガーとしての活動を始め、この時にボブ・ディランと名乗っていた。
「ボブ」はロバートの愛称ボビーから、「ディラン」は詩人のディラン・トーマスから取ったとも、また叔父の名前であるディリオンから取ったとも述べている[注 2]。アメリカ土着のブルース、ヒルビリーへの傾倒を深めていたこのころ、ウディ・ガスリーのレコードを聴き大きな衝撃を受ける。」(ボブ・ディラン-wikipedia)
 
しかし、下記のwikipedia記事を読んだあと、どうやら私の推測は違うのではないかと思いました。人間はかくのごとくネット記事に容易に左右されます。
 
「しばしば「世代の代弁者」と崇められ、メッセージソングやプロテストソングの旗手と評される(たとえば、ライオネル・リッチーは「時事的な歌に運命を開いた人」とボブを紹介している)。
しかしながら、このようなことを本人は迷惑に感じており、同世代については「ほとんど共通するものも無いし、知らない」と述べ、自分の詩が勝手に解釈され、運動の象徴として扱われることに辟易していると明かす。
 
自身の関心事は「平凡な家庭を築く」「自分の子供の少年野球と誕生日パーティー」と述べている。」(ボブ・ディラン-wikipedia)
 
しかし、過去の受賞は受けているようなので、「ノーベル賞に対しては連絡を取らない姿勢」を貫いている、かのようにも思えます。
 
「グラミー賞やアカデミー賞をはじめ数々の賞を受賞し、ロックの殿堂入りも果たしている。また長年の活動により、2012年に大統領自由勲章を受章している。
そのほか、2008年には「卓越した詩の力による作詞がポピュラー・ミュージックとアメリカ文化に大きな影響与えた」としてピューリッツァー賞特別賞を、
 
2016年に歌手としては初めてのノーベル文学賞を受賞した。」(同上より抜粋)
 
やはり、真実の答えは、風に舞っているのでしょう。
The answer is blowin’ in the wind ♪
 
「風に吹かれて」は下記で視聴できます。
https://www.youtube.com/watch?v=7GDqvnGai50
 
視聴してみました。懐かしく古いカントリー系のロック音楽です。
学生時代に何度も聞いた歌です。
 
その歌詞の意味は以下のサイトが参考になりました。
 
「ボブ・ディラン「風に吹かれて」を訳してみる」
http://www.english-turi.com/song/1000/
 
1番の歌詞の中ほどに、
 
「どれ位の砲弾が飛び交えば
 永久に禁止されるのか」
 
2番の歌詞にも同様に、
 
「どれ位の人が死んだら
 あまりにも多くの人が亡くなったと気づくのか」
 
が入っています・・・!
 
これを承知の上でノーベル財団は受賞を決定したのでしょう。
 
連絡は取れないはずです。
ディランは怯えて隠れているのではないか、とさえ感じました。
 
やはり、答えは風に吹かれていました。
21歳のとき、ボブ・ディラン自身がこの歌詞について解説していました。
 
「この歌についちゃ、あまり言えることはないけど、ただ答えは風の中で吹かれているということだ。答えは本にも載ってないし、映画やテレビや討論会を見ても分からない。風の中にあるんだ、しかも風に吹かれちまっている。
 
ヒップな奴らは「ここに答えがある」だの何だの言ってるが、俺は信用しねえ。俺にとっちゃ風にのっていて、しかも紙切れみたいに、いつかは地上に降りてこなきゃならない。でも、折角降りてきても、誰も拾って読もうとしないから、誰にも見られず理解されず、また飛んでいっちまう。
 
世の中で一番の悪党は、間違っているものを見て、それが間違っていると頭でわかっていても、目を背けるやつだ。
 
俺はまだ21歳だが、そういう大人が大勢いすぎることがわかっちまった。
あんたら21歳以上の大人は、だいたい年長者だし、もっと頭がいいはずだろう。」
(ウィキペディアより)
 
まだ21歳のボブ・ディランらしい発言です。
「世の中で一番の悪党は、間違っているものを見ても、それが間違っていると頭でわかっていても、目を背けるやつだ」。この言葉が強烈です。」(「ボブ・ディラン「風に吹かれて」を訳してみる」より抜粋)
http://www.english-turi.com/song/1000/
 
いまでもボブがロックンロール歌手なら、気持ちは変わっていないことでしょう。
ロックンロールは既成社会と戦うものだからです。
 
「爆弾で儲けた金の一部をもらっちゃあ、共犯者じゃねえかい!」などと、ひ孫をブランコでゆすりながらうそぶいているのであれば、75歳のボブは偉い。
 
関連する参考記事を抜粋します。
 
「ノーベル財団(典: Nobelstiftelsen)は、ダイナマイトの発明者アルフレッド・ノーベルによって創設された、彼の遺産管理とノーベル賞を主催する財団である。
 
ノーベルの遺言に基づくノーベル賞はノーベル物理学賞、ノーベル化学賞、ノーベル生理学・医学賞 、ノーベル文学賞、そしてノーベル平和賞の各分野において多大な功績を達成した人物に対して授与される学術的顕彰である。
のちに、経済の分野でノーベル経済学賞が追加された。」(ノーベル財団-wikipedia)
 
「アルフレッド・ベルンハルド・ノーベル(Alfred Bernhard Nobel, 1833年10月21日 - 1896年12月10日)は、ダイナマイトの発明で知られるスウェーデンの化学者、発明家、実業家。
 
ボフォース社を単なる鉄工所から兵器メーカーへと発展させた。
 
350もの特許を取得し、中でもダイナマイトが最も有名である。
 
ダイナマイトの開発で巨万の富を築いたことから、「ダイナマイト王」とも呼ばれた。遺産をノーベル賞創設に使った。」(アルフレッド・ノーベル-wikipedia)
 
「(1963年)5月12日、初の全米中継であるテレビ番組『エド・サリヴァン・ショー』に出演が決まるが、リハーサル後、極右政治団体のジョン・バーチ・ソサエティを揶揄した曲「ジョン・バーチ・ソサエティ・ブルース」を省くよう指示されると、検閲的行為に怒ってスタジオを出てしまった。
中略。
1991年2月、グラミー賞生涯功労賞(Lifetime Achievement)を受賞[97]。授賞式では湾岸戦争開始直後の好戦気分溢れる時期でありながら、「戦争の親玉」をハードロックアレンジで歌い、聴衆の度肝を抜いた。」(ボブ・ディラン-wikipedia)
 
75歳だから、もう昔の血気は抜けていると判断したのであれば、財団の失態であると言えます。
 
老いてなお、ボブ・ディランは、事実から目を背けずに「あるものたち」と戦っているのでした。人間を殺すものたちや、その道具を製造するものたちと・・・。

米国大統領選挙と中国、ロシアのこと

テレビの候補者演説などを聞いていますと、アメリカ大陸の選挙であるのに盛んにユーラシア大陸の二つの大国の名前が登場してきます。
 
ヒラリーは中国の企業へ投資しているとか金銭的なつながりがある、などと指摘されています。
トランプはロシアのハッカーによる盗聴情報を得ているとの疑惑やロシア系不動産売買で巨万の富を築いたなどという言葉が登場してきます。
 
その理由がわからないので、なぜあげつらわれるのが中国とロシアだけなのか、不思議に感じていました。
 
ところが下記の資料を読んで、その理由がわかりました。
 
日本人が知らない「二つのアメリカ」の世界戦略 / 深田 匠
第四章 米国の国際戦略
米国二大政党の異なる対日関係史 P.310-314
http://ameblo.jp/yamato-jpn/
2007-03-17 18:00:00
 
かつて米国内に反共政策の流れとして2つあり、一つが反中国であり、もう一つが反ソ連(現在は反ロシア)であったという歴史の事実でした。
そしてそれはいまでも続いているようです。
 
アメリカには移民という形で大量の中国人とロシア人がアメリカ人となって住んでいます。
反中国系の政治家に向かってロシア系移民は親ロシア系政治家にテコ入れします。
逆に、反ロシア系の政治家に向かっては、中国系移民は親中国系政治家にテコ入れします。
 
そのうえ、明らかなスパイが大量に中国やロシアからアメリカへ送り込まれています。
 
その線で推測すれば、ヒラリーは親中国系、トランプは親ロシア系という整理になるのでした。
前記は2007年の古い資料ですが、米国の政治の2流は、真珠湾戦争を日本にして起こさしめるという謀略も成功させたことを説明していました。
 
親中国系(反ロシア)の民主党が、日本の先手爆撃をスタートとし数十発の核爆弾を日本に投下するという戦争を企画し、あとを引き継いだ親日派であるはずの共和党のトルーマンはさほど戦略を変えないまま原爆を2つ投下したという筋書きは、今の時代にもそのリスクを想定しておく必要があるのかも知れません。
 
民主党の大統領が日本を戦争へと引き込むべく、卑怯な宣戦布告前の参戦という形式を策略で実現し、のちに交代した共和党の大統領はあまり深く考えもせずに、既定の戦争路線を引き継ぎ実践する。
 
同じ手を再び日本を相手に使うのか、或いは別の悪の枢軸国へ適用するのか・・・。
 
対外戦争にいまだ明確に負けたことがないアメリカは、同じ柳の下のドジョウを狙う可能性は高いでしょう。
 
親日的に見えるヒラリーと、これに反して安保費用の負担増加を日本に迫るトランプは反日的に見えます。
 
しかし、前述の資料を読むと、反日的オバマやヒラリー、親日的トランプとなりますが、無能な共和党大統領の場合、トルーマン同様に前任のルーズベルト大統領の戦略をそのまま継続するという愚を犯す可能性があります。
 
不幸にしてトランプが大統領になったら、親日的になるかというと、愚民大統領の場合はそうはいかないでしょう。
 
その場合は、反日的民主党のオバマが中国系を利する戦略を水面下で練っておき、トランプに承継させる。何も考えないままに、「あの調子」で民主党の描いた戦争計画を実行するリスクがあります。
 
逆にヒラリーが大統領になれば大安心かというと、そうでもありません。
 
結局、オバマが描く水面下の戦略を継承し、より実現可能な形にしてから、共和党の愚民大統領に引き継げばよいことになります。
 
つまり、2大政党政治というのは形式だけのことであって、どこかで練り上げた戦略を民主党と共和党の交代劇の間に「あたかも沈着冷静に時の経過とともに実践する」、という冷徹な政治力学がアメリカには作用しているように見えます。
 
ユダヤ金融資本の実力遺憾で次の大統領は決まるとさえ言われます。
 
よって日本の政治を愚民日本人に手渡すことは危険な時期に差し掛かっていると言えます。
 
以上の思索を経たうえで、年末にロシアのプーチン大統領が山口の安倍総理の実家所在地域に招待されることを考えます。
 
親中国系のオバマ大統領の終盤期に当たって、日本国が「超親ロシア的態度」を取ることにリスクはないのでしょうか。
 
日本国の姿勢は一つに北方領土を返還してほしいという動機だけのように見えます。
複雑な国際政治の荒波が高くなりつつある昨今、単純明快な理屈だけを頼りに海へ漕ぎ出すことに危険を感じるのは私だけではないでしょう。
 
水面下で練りつつある、次世代でのアジア戦略の中に、「超親ロシア的日本国」という印が押されるのではないかと心配になります。
 
そうなれば当然に親中国系政治力学は、日本バッシング戦略を掲げることになるでしょう。
 
以上の推論に従えば、親中国系は米国では民主党であり、ヒラリーなのです。

2016年10月17日 (月)

新潟県民は賢民でした。

柏崎原発を数年前に見に行ったことがありますが、なかなかその景色が見えない位置に建っています。
日本海沿いに新潟市の方へ移動するとき、海を越えて遠くにその発電所の姿が見えました。
柏崎市内で近くに「それ」があることを実感するのは難しいローケーションに建設しています。ほぼ完全に自然の中に隠れています。
 
崖の向こうの海側にある、といった印象でした。
崖は活断層ではないのか、などと心配になっていました。
 
2011年3月の福島事故のあとに柏崎を尋ねたのです。
 
その当時、私はほとんど見えなかった外観見学後にこう感じました。
 
「日本列島では7割が北風だと思うが、それらは柏崎原発の南西方面に広がる柏崎市市民の住むエリアに向かうことになります。
人間の風下に「それ」があるのではなく、敢えて人間の風上にあるように私には見えました。
 
事故がなくとも、何らかの不手際で若干の放射能が漏れた場合も、「ただちに身体に影響があるとは認められない」という例の体外被曝に関する安全宣言を聞かされつつ、濃度の薄い放射能は同じエリアに注ぎます。」
 
 最近知ったことですが、放射能濃度が薄いほど、「体内被曝の晩発性障害」は長い間持続する、ということを考えれば、ただちに影響がなくとも風下で暮らすことは私ならいやだと思います。
 
今回の新潟県知事選挙で示した民意は、「賢明である」と思いました。
新潟は「賢民」でした。
 
政治が愚かでも民は賢かった。
 
もしも、民までもが愚かなままであったならば、怖い結末を迎えることになります。
 
その選挙結果を驚きをもって伝えるテレビ報道が多い中で、私は「ほっ」するニュースだと思い、大変安堵しました。
 
「驚きをもって報道するメディア」の思考力の低さにも、私は驚きました。
 
福島事故を目にしてなお、いまだに原発稼働を容認する論拠は脆弱に見えます。
自ら正しい選択を選べるメディアであってほしいと思います。
戦前、戦中のメディアの罪を思い起こしましょう。
「出鱈目を報道しないこと」が、報道の神髄であろうと思います。
全国各地でのケンミンの実力行使を私は期待します。
 
民が黙して語らなければ、福島県民が受けた苦しみと同じものを与えられることは自明です。
 
福島の事故現場の南方に建つ広野火力発電所は、震災後、いったんは休止していましたが、元気に復帰していまも電力を製造しています。火力は実に地震に対してロバスト(強靭)でした。
温暖化対策は必要ですが、それらは県民の暮らしまでは奪いません。
 
発電のことをあまり詳しく知らない政治家は、電力プロダクトミックス論を吹き込まれ、この単語を乱発しつつ、じわりと原発比率を上げようとしています。
 
原発なしの世界でも当然ですが、火力、水力、太陽、風力、燃料電池など各種発電力の適正な構成を造って安定供給を図ることは必要になります。
 
「プロダクトミックスが大事だから原発の存在は必要」という論理に騙されてはいけません。
あんな危険な代物は無くすべきです。
 
そして、「原発ゼロの世界で、危害を加えない電力プロダクトミクス」をまじめに議論しましょう。必ず解決すべき回答は得られます。
 
100歩下がって、原発推進派のいう安全が本当に証明されるとしたら、電力消費の受益者負担の原則に従い、東京の都心部、豊洲などに原発を建設してはいかがでしょうか。
 
それを避けたいなら、無駄な電気消費を抑え、いまある火力などの既存発電で暮らせるよう、東京都民自身が努力をすべきです。
それを他県の愚民に押し付けてはいけません。
すでにこの国には愚民はいなくなりました。
 
3.11事故によって、民の目が覚めたのでしょう。賢民の誕生です。

日本国道最高地点、帰りに草津温泉大滝の湯

Sh3b0306

SH3B0306 国道353から国道145を経て草津に向かう途中で見た小川は白濁していました。
このあたりでもいい湯が出ることを想起させてくれます。
これから国道292号を北上し草津を通過して白根山頂付近へと進みます。(250ccバイクにて)
本田ドリームでバイク整備を待つ間に見たモータ旅行雑誌で見たコースを走ります。日帰りにはかなり厳しいコースですが、何とか渋滞のないバイクだから1日以内に終わりました。
これがやれる間は「体は健全であ」るということでしょう。いつまで楽しめるか、それは人間の寿命と関連しますので、私には不明です。
自動車では国道の日帰りは渋滞が多く到底無理なので、高速道路を関越道渋川ICまでご利用ください。

Sigakougen

地図1(GOOGLE MAPより引用)
 草津と白根山頂上付近にある湯釜の関係(ここから硫黄を含む地下水が流出しているようです)白根山頂の右下にある水色の円形が湯釜で、元湯の源泉に相当するもののよう)

Photo

地図2 白根山と千代の湯(今も残る共同湯)(GOOGLE MAPより引用)

Sh3b0314

SH3B0314 日本国道最高地点の石碑 「11月初頭から4月下旬まで冬季閉鎖」の前に行ってきました。石碑の後方、下に見えるのは草津市内と思われます。ここからあそこへ硫黄を含む地下水が流れ込んでいるのでしょう。

Photo_2

地図3 湯釜と白根山頂と草津市内(GOOGLE MAPより引用)

Photo_3

地図4 渋峠(GOOGLE MAPより引用)

5

地図5 渋峠(左上の赤い丸が国道最高地点)(GOOGLE MAPより引用)

Sh3b0308

SH3B0308 途中に白根山系の壮大な景色とその変化を見ることができます。

Sh3b0310

SH3B0310 遠くの道路を登れば山頂付近のロープウエイ乗り場傍を通過し、最高地点へ向かいます。

Sh3b0311

SH3B0311 遠くに見える複数の煙は硫黄の煙です。
右端に上下に走る白い光線は不明です。後日分析して報告します。
遠くの硫黄の煙のことですが、その近くを通過するときヘルメット内に硫黄の煙が満ちて咽(むせ)てしまします。
煙の付近の道路は、長時間立ち止まるのは危険なエリアです。自転車をこいで登る大勢の猛者や猛者女を見かけましたが、かなり肺に吸い込むことでしょう。マスクは必携です。

Sh3b0312

SH3B0312 志賀高原を目指して白根山山頂付近の左手を通過し、さらに登っていきます。
この写真にも謎の光線が写り込んでいました。降臨?

Sh3b0316

SH3B0316 日本国道最高地点から(草津)市街を見下ろす。

Sh3b0317

SH3B0317 実際はこの「もう少し先の地点」が最高点だそうです。

Sh3b0318

SH3B0318 この構図は旅行パンフレット写真のデジャブ(既視)感があります。

Sh3b0321

SH3B0321 熊が住むには食べ物が少なそう。

Sh3b0324

SH3B0324 ロープウェイに沿うように源泉の元になる硫黄泉水は流れ落ちているのでしょう。10年前会社の登山同好会でこれに乗りましたが、その日は雨、2000m以下は雲の中で、何も見えませんでした。やっと光景を見ることができた次第。
 
「渋峠(しぶとうげ)は、群馬県吾妻郡中之条町と長野県下高井郡山ノ内町の間にある峠である。
横手山と白根山の間を通過する峠で、志賀草津道路(有料道路)として1965年に開通したが、1992年に無料開放され国道292号に組み込まれている。
標高は2172mで、日本全国の国道でも最も標高が高い地点である。
 
群馬県側からは草津温泉街、殺生河原など変化に富んだ光景が連続する。長野県側は志賀高原、渋・湯田中温泉などが点在する。
 
ただし標高が高いため、例年11月初頭から4月下旬まで冬季閉鎖となり、峠周辺はスキー場に姿を変える。
 
国道最高地点
渋峠には群馬・長野両県にまたがるヒュッテが建ち、付近には「標高2,172m」の看板も立つ。ただし真の最高地点は県境から数百m群馬寄りにあり、2004年には「日本国道最高地点」の石碑が建てられた。付近のホテルで「日本国道最高地点到達証明書」が販売されている。」(渋峠-wikipediaより)

Photo_4

地図6千代の湯、大滝の湯(GOOGLE MAPより引用)
白根山の硫黄の煙や湯釜から流れ落ちる泉水は、西の河原公園付近で消えて、地下を通り(伏流し)、大滝の湯付近で再び地上を流れているように地図からは読み取れます。

Sh3b0328

SH3B0328 大滝の湯
大滝の湯で硫黄温泉を楽しみましょう。
 
内湯の流し口に源泉の説明が書いてありました。
 
煮川源泉
54℃掛け流し
PH2.0
 
源泉掛け流しの注ぎ口の湯を手で触ってみると、数秒間で手をひっこめてしまう程熱いので、54℃あるようです。
しかし、湯船は全体が快適湯温になっているので、自然な温度調節なのかどうか、不思議に感じました。
 
「あ~あ!」と誰もがするようにして、浸かってから顔を両手で濡らしますと、目が開けられなくなるくらい痛みが目に走ります。
 
酸性が強いので、無理に目に湯を当てるとよくないでしょう。
 
昨年初めてこの大滝の湯に来ましたが、さほど特別な湯質と感じていませんでしたが、2度目の昨日は大変よい湯質であることに気づきました。
 
硫黄の香りが満ちていて、二の腕を交差して擦ってヌルヌル感がありました。
私の最も好む湯でしたが、めったにお目にかかれないので、いつのまにか感触を忘れてしまっていたようです。
九州のよい温泉を思い出すことができました。。
 
なお、大滝の湯の大人入浴料金は900円でした。
 
なお、千代の湯と地蔵の湯は共同湯となっており、無料で湯治できるとのことです。
小さな湯船であり、「時間湯」は事前申し込みがいるようです。
ただ浸かるだけなら24時間営業となっています。
詳しくはサイトで確認してください。

2016年10月14日 (金)

黄金の国ジパング(7) 藤原家の娘

「炭焼藤太異聞」
http://www.st.rim.or.jp/~success/touta.html
の中におこや姫の出自(藤原氏)などが登場しています。
該当部を抜粋します。
 
「昔々、今から九百年も前の話である。みちのくのある村に、炭焼きをして暮らしている貧しい藤太という若者がいた。顔は真っ黒で、着ているものと言えばいつも同じで汚い。当然、嫁に来るものもいない。」(同上より抜粋)
 
時期は900年前、「今」が2016年なら1116年頃のこととなります。
 
まず先に掲載した「金売り吉次 登米の昔話」のふるさと伝説から「金の発見のシーン」を考えてみます。
http://www.city.tome.miyagi.jp/hurusatolib/mukashi/hanashi/th_03.html
 
「なあにあんなものだらな、おれが炭焼きしている窯のそばに、びかびか光っていっぱいある。
ほんとに窯のあだりに金がびかびか光ってあったんだって。」(登米の昔話より抜粋)
炭焼き窯のそばで光っていました。
 
「このとうたの炭焼き窯のそばに金がどろどろ流れている、誰か金に明るい人と、それを掘る人を寄越してけらいんって。
そのうちにとうたはその金を京都に売って金持ぢになったんだって。」(同上抜粋)
 
「炭焼き窯のそばに金がどろどろ流れている」ので京都から金採掘業者を(おこや姫が)呼んできて商売を始めたということです。
 
「どろどろ流れている」は、「びかびか光っていっぱいある」とはちょっと光景が異なります。
何やら窯の壁から融点1064.18 °C以上になった金が流れ落ちてくる状態を想起してしまいます。
 
不思議なのは嫁の来てがいないとうたのところへ、なぜ京都の公家の娘が神のお告げを聞いてきたという点です。
旅人からの伝聞で、「金なら奥州のとうた」という噂話をお公家さんは知っていたのではないかと私には思われます。
 
「炭焼藤太異聞」 は二人の出会いのシーンをこう記載しています。
 
「藤太の作る炭は、いつも飛ぶように売れる。質がいいと評判だ。しかしどんなに売っても所詮炭は炭、ダイヤモンドや金に化けるわけはない。その日も、わずかに得た小銭を食べ物に変えると、藤太はいつもの道を、とぼとぼと山へ帰ろうとした。
 
すると「もし」という声がする。まるでウグイスのように美しい声だった。連れている馬のアオが言うわけはない。そのような声を聞いたことのない藤太は、空耳だと思って、また歩き出した。すると、また「もし」という声がした。藤太が、思わず後ろを振り向くと、今まで見たこともないような美しい姫が立っていた。
 
「なんだべか?」藤太は、炭で汚れた顔を姫に向けて、そう言った。
「ホ・ホ・ホ・」姫は、堪えきれずに吹き出してしまった。無理もない。その時の藤太の顔を見たら、笑わない人間はいないだろう。いつもなら炭で黒くなっているだけなのに、見たこともないような美しい女性を見て、興奮していて、錆びた鉄のような顔色をしている。おまけにどんぐりのような目は垂れ、鼻の下がでれっと伸びている。
 
姫のお供の男は、あきれて、
「姫、無駄です。こんな男に聞いたって知っているはずはありませんよ」
「何を言うのです。無礼ですよ」そう言ってお供の男をたしなめると、盛んに照れている藤太に向かってこのように言った。
「実は私、人を捜しているのです」
「人ですか…?」
「ええ、炭を焼いている人なのですけれど」
「炭を焼いている?」と思わず藤太は、自分の指で、自分を指していた。
「お主じゃないよ。お主のわけがない」横から例のお供が意地悪い声で口を挟んだ。
「およしなさい」
「だってあんまりですよ。平泉の藤原家の姫ともあろうお方が、こんな田舎まできて、こんな撫男の炭焼きの男と夫婦(めおと)になるなんて、許されることではありません。第一身分が違いすぎます。情けない。なんで私がこんな役回りを仰せつかったのでしょう。殿を恨みたい気分です」確かにこのように言われると、お供の男が言うことも、一応筋が通っている。」
(「炭焼藤太異聞 」より抜粋)
http://www.st.rim.or.jp/~success/touta.html
 
この昔話では、「平泉の藤原家の姫」となっていて、「金売り吉次 登米の昔話」のいう「京都の公家の娘おこや姫」と異なります。
 
もっとも京都の公家は地方に荘園をもって、京都に在住のまま任官給与や贈り物を地方の管理者から送って受け取っていたので、名目は京都の公家で、在所は平泉の藤原家とう可能性も考えられます。
 
異聞によれば、「京都からお嫁にやってきたおこや姫」ではなく、「平泉からお嫁にやってきた(奥州)藤原家の娘」と変わりました。
 
また、「男の子も、きちじ、きちない、きちろくという3人の息子も、たぢまぢ大きくなって、その吉次がその後を継いで、京都に運んで金売りをしたんだど。
そして、きちない、きちろくは、その金堀りの監督をして、どんどん掘って、京都に売ったので、奥州一の金持ぢになったんだどっしゃ。
それで金(かね)売り吉次という名がついたんだど。えんつこもんつこさげすた。」(登米の昔話より抜粋)
 
きちじの弟の、「きちない、きちろくは、その金堀りの監督をした」とありますので、砂金収集ではなく、銀も混じっている山金を採掘して集めたように思われます。
 
やがて、砂金による精錬を身に付けたならば、純度の高い国産金の誕生となりますが、果たしてその時期はいつか、まだわかりません。
 
1100年頃に奥州でせっせと採掘した藤太と息子たちの活躍は、「安い真珠の国、ジパング」の物語と同じように、京都と博多を通じて中国大陸、朝鮮半島ヘと伝わっていったのでしょう。

2016年10月13日 (木)

黄金の国ジパング(6)「とうた」の息子

Photo_3

桑折町の水田(2010年3月撮影)
 
福島を出て奥州街道を桑折町を通って仙台市へ向かっています。
仙台の先にある登米市(栗原市と南三陸町の間の区域)に金を売り歩いたきちじの伝説があることを知り、調べました。
 
「金売り吉次」より、吉次の誕生秘話を紹介します。
http://www.city.tome.miyagi.jp/hurusatolib/mukashi/hanashi/th_03.html
 
登米市の「ふるさとライブラリー 登米の昔話」の中に、「 金売り吉次」誕生秘話らしいものを見つけました。
方言文の部分のみを抜粋しますので、標準語訳を読みたい人は上記アドレスからご覧ください。
 
「金売り吉次
原文
むかぁしむかぁし、京都のお公家さまにね、三人の娘がいだんだって。三人いて年頃になって、二人は結婚したげっとも、おこやひめっつ娘は、なかなか結婚が決まらながったんだって。だんだん歳はとってしまったし、親だぢも、おこやひめ本人も、うんと気をもんできたんだってね。そんでおこやひめは、清水(きよみず)の観音様に、願掛けをしたんだって。わだしの夫になる人がどごにいるか教えて下さい、わだしの夫になる人がどごにいるか教えて下さいって、毎日行って願掛けしたの。
 
21日の満願の日に、まくらがみに神様が出てきてね、あのな、お前の夫になる人は、奥州金成はたというところに、炭焼きをしているとうたという者だ、それがお前の夫になる人だから、訪ねていってみろって言われだの。おこやひめはそれを親に告げだんだと。そしたらなんで奥州まで行がなくたっていいんじゃないか、京都にだってお前の夫になる人がいるはずだ、反対されだげっとも、おこやひめは、神様のお告げだからなんぼしたって行きたいとがんばったんだって。
 
そして旅支度をしてね、船を乗り継ぎ乗り継ぎして石巻まで着いたと。石巻からはね、今度は北上川をさかのぼって、金成に一番近いところで降ろしてもらったの。そして金成のはたというところの炭焼きとうたという人のところに行くんだけど、どう行けばいいかを、途中で聞き聞きして、やっとその、はたというところのとうたの元に着いだとな。
着いてみたればなんとなんとほったて小屋で、そのとうたという人も、髪もひげもぼうぼうに生やして、顔も真っ黒くしみつけている人だったとね。ありや、結婚してくれとは言えなかったから、どうぞ今夜一晩泊めてけんか、って頼んだれば、あぁこんなどごでもいがったら泊まれ、だげどな、おれの食う米や味噌はある、お前の食う米や味噌はないぞって言われだど。そんならば、このお金やるがら、米がら必要なものを買ってきてけらいんって、とうたに金貨一枚渡したと。
 
とうたは金貨を懐にして買いに出掛けたら、途中に沼っこがあって、その沼に鴨がいだったと。ああ、あの鴨取っていって今夜あの人に鴨汁ごちそうすっがなぁと思ったんだって。なにか、石こかなにかないがなぁと思ったげっとも周りには石もなんにもながった。あ、そうだ、なんだがあの人からもらったものがあるど思って、重いがらと思ってそれを鴨めがけて投げだらね、さっぱり当だんなくてぽとーんと沼さ落ちてしまっだど。
米もなんにも買わないで帰ってきたとね。あらなにも買ってこながったのすかって言われて、途中の沼にな、鴨がいて、鴨を取って今夜鴨汁してかせようど思って、あれをぶっつけて取ろうど思ったら、さっぱり鴨に当だんながったって言った。そうしたら、あらーもったいないごどしたねぇ、あのお金あっとねぇ、米でも何でもいっぱい買うにいんでがすと、っで言われだど。そしたらまたのおこやひめがね、あらもったいないごとしたねぇ、あの銭あっど、いっぱいなんでも買うにいいのにーってまたぼやいたと。そしたらとうたがね、なあにあんなものだらな、おれが炭焼きしている窯のそばに、びかびか光っていっぱいあるって言われだんだって。
 
次の日行ってみだら、ほんとに窯のあだりに金がびかびか光ってあったんだって。おこやひめはね、その金を見で、京都の親のところに使いを出したんだって。このとうたの炭焼き窯のそばに金がどろどろ流れている、誰か金に明るい人と、それを掘る人を寄越してけらいんって。遣い出したらね、京都から来たんだって。そのうちに、おこやひめととうたも結婚して、おこやひめはとうたのひげもちゃんとそってやる、りっぱな男になったんだって。そしてそこで学問もいろいろ教えたんだって。そしたら頭のいいとうたはたちまちその学問も覚えたんだどね。
 
そして結婚していたから、男の子が3人生まれたんだって。そのうちにとうたはその金を京都に売って金持ぢになったんだって。男の子も、きちじ、きちない、きちろくという3人の息子も、たぢまぢ大きくなって、その吉次がその後を継いで、京都に運んで金売りをしたんだど。そして、きちない、きちろくは、その金堀りの監督をして、どんどん掘って、京都に売ったので、奥州一の金持ぢになったんだどっしゃ。それで金(かね)売り吉次という名がついたんだど。えんつこもんつこさげすた。
 
この昔話の朗読を聴く
【mp3ファイル/再生時間:7分34秒】

標準語
昔々、京都のお公家さまに、三人の娘がいました。
三人とも年頃になって、二人は結婚しましたが、おこやひめという娘はなかなか結婚が決まりませんでした。以下略。」(抜粋終わり)
 
とうた(藤太)と京都の公家の娘、おこやひめの間に3人の男の子が生まれ、「きちじ」は長男として生まれたようです。
 
900年頃のことですので、当時の日本人には姓はなかったのでしょう。
明治維新までほとんどの庶民は名前だけでした。
天皇は今でも姓を持ちません。
名前だけです。
 
「名前だけである」という点が、原日本人である、とも考えられます。
俵藤太は、とうたが炭焼きをしており、炭の俵を担いでいたから「俵の」「とうた」ということになったようです。
 
「奥州金成はたというところに、炭焼きをしているとうたという者だ」と神のお告げがあって京都からおこやひめは奥州金成へと船を乗り継いできたのでした。
 
「はた」は秦氏(はたし)に通じ、秦氏がのちに藤原氏となって中央権利構造に大きく入り込むことを考えますと、公家のおこやひめは藤原氏の出自ではないかと思われます。
 
腕が太く隅で真っ黒になった髭の男の名前が「とうた」であると聞き、姫は「藤太」の漢字を付けて教えてあげたのでしょう。
 
すると、長男のきちじも俵吉次(たわらのきちじ)であろうかと思うのですが、炭を焼いて金を副産物として産出していたのが藤太であって、きちじは炭を焼かなかったようです。
 
もっぱら父の産出した金を背負って京都と金成を往復する金の行商人をしていたのでしょう。
 
よって、性をもたない吉次は、のちの世には「金売りの吉次」という漢字名として土地の伝説に残ったのでした。
 

Tomesi

登米市(GOOGLE MAPより引用)
登米市は、南三陸町と栗原市の間に広がる土地です。
 

黄金の国ジパング(5)金売り吉次

今桑折町へ向かってあるいています。
その先に宮城県仙台市があります。
 
仙台は、奥州街道を考えるとき、歩いている私の「精神の分水嶺」です。
仙台以前で歩くのを中止してしまうか、そこを越えられれば、江戸~仙台と同じくらいの距離の残りの奥州街道を自分は歩き切れるであろうという、自信が生まれる地点です。
 
その北方が俵藤太の息子の吉次の生まれた土地である、と伝説は言っています。

Photo

金成名物 金売吉次、黄金伝説の【金まんあげ】
2006-09-15 00:05:48 / みちのくスイーツ列伝
http://blog.goo.ne.jp/jb66_2005/e/95860b14fdf5e48652a2699722ecef31

ホワイトチョコの上に奥州で採れた金箔が・・・
 
このお土産紹介サイトにはこう案内されていました。
 
1)(吉次は)義経を平家支配の京の都から奥州藤原氏の都である平泉に連れて行った人物。
2)東北でとれた砂金や特産品を平泉と京都の間を行き来して売りさばき、その時代の東北地方で一番の大商人になった人物。
3)金売り吉次の生誕地、宮城県北部の金成町(かんなりちょう)には金売り吉次伝説などが残っている。
4)【金まんあげ】は『東北縦貫自動車道』の宮城県最北のパーキングエリアでしか買えないご当地スイーツである。このPAには「前沢牛のコロッケ」も売っている。
 

Photo_2

GOOLE MAPに吉次の生誕地を聞いてみました。
〒987-2200 宮城県栗原市金成(かんなり)は仙台市の北側で、栗原市と一関市の真ん中あたりです。
 
栗原市はあとで通りますが、地名はコレハルから由来し、蝦夷のコレハル王の所在地でした。
コレハル城跡も行ってみましたが、林の中に小さな石碑が立つだけで、誰も訪れないような藪の中でした。
 
さて、いまは吉次のことです。

2016年10月12日 (水)

黄金の国ジパング(4) 八反田川と俵藤太

奥州街道は江戸日本橋から竜飛岬の手前30㎞にある三厩(みんまや)宿までの約730㎞です。
テント・シュラフを担いで、野宿しながら歩いています。
福島市を通過したところです。
 
福島第1原発事故の前の年ですので、空気もきれいで放射能はありません。
 
当時の記事を抜粋します。
 
福島市を通過して、桑折(こおり)町へ向かう途中、八反田川に差し掛かったところで、私は砂金と製鉄のことを考えました。
 
ここへ来て古代日本人による金の製造に関わるものを感じたのです。
なぜでしょうか。
 
コロンブスをアジアへ呼び寄せた黄金の謎が福島にあるのでしょうか。
 
2010/2/20付の拙著ブログを部分的に抜粋します。

Photo

地図 八反田川の位置(福島市と桑折町の間)GOOGLE MAPより引用。
左上のマークが私の現在地、右下の丸はこの翌年2011年3月に原発爆発事故を起こして放射能被害を受けた地域。
浪江町や楢葉町も、この当時(2010年3月)は、平和な緑あふれる住みやすい街でした。

Photo_2

TS391443古代砂鉄採掘業者の住む八反田川上流を眺める。
八反田川上流には古代に発掘された砂鉄鉱脈が今でもあるはずである。

Photo_3

TS391442八反田川下流で稲作をする人々を想像する
 
絵図(省略)龍宮城で百足を射る藤原秀郷(藤原秀郷(Wikipedia)より)
 
八反田川(はったんだがわ)の川面を流れる風に汗を乾かしている。
八反田川は、福島市の一級河川阿武隈川水系の河川である。
 
砂金や砂鉄に豊富な水がある。(金属資源)
山の中の森の木々もある。(燃料)
 
これらがあれば、『俵藤太』(たわらのとうた)には金や鉄が作れるはずである。
 
俵藤太に関する記事を抜粋します。
 
『「百足は死んでも倒れぬ」という言葉があって、<万一の場合に親類知己が多いと助かることもある>ことの比喩です。
 
宝船絵の百足は、たくさんの脚で、福徳を掻き集めるという意味のように思えます。
(ま、漕ぎ手の多い船をムカデ船ともいいますが。)
そもそも、百足は<毘沙門天>の使いとされていて、毘沙門天を祀る寺では、百足小判と称する金属の小判(?)を参詣者に授けていたところがあったそうです。
たくさんの脚で福徳を集めるという縁起のようです。
中略。
 
たわらとうた(藤原秀郷)の百足退治は、御伽草子、浄瑠璃、謡曲などの俵藤太物に出てきますが、たとえば、謡曲の「百足」では、近江国勢田で、俵藤太が霊夢で龍神に頼まれて、三上山(近江)の百足の精を退治するという筋です。
 
大百足の怪物ですが、のちに三上山をむかで山と呼ぶようになりました。
どうも、百足がたくさんの手(足)で、福(米俵)を掻き集めるということと、俵藤太の俵(米俵)との連想が働いているような気がします。
初期の宝船、あるいは古くから宝船絵を刊行している神社版の絵の宝船に俵はつきものですし。
 
中略。
福をもたらす、竜宮からの使い(竜宮童子、竜宮姫、等)や竜神としての[大蛇]、蛇と鐘、[唾]のまじない、などなど、百足と[福徳][海]の関連が隠されているようです。
となりますと、百足船による渡来系海人たちの伝承が深層にあるのかもしれません。』
(「俵藤太(オリエント幻想(6)」より)
http://www2s.biglobe.ne.jp/~ipsenon/kk6.html#S57
 
俵藤太は京都から流されてこの奥州に達したのではなく、金や鉄の鉱脈を調べつつ、製鉄ユーティリティである「水と燃料の薪」を求めてここまでやってきたのであろう。
 
その足跡は、佐伯氏の後裔である佐伯真魚(さえきのまお)、空海の足跡と似ているようにも思われる。
 
「八反田」の地名は、青森と島根にある。
 
青森県は南津軽郡田舎館村大字八反田である。
弘南鉄道弘南線の田舎館駅の西側にある地名である。
北側には河が東西に流れている。
南部藩も『南部鉄』で有名なように古代製鉄技術で優れている土地である。
 
もう一つは出雲の近く、島根の松江市にある。
『鉄砂稼方之儀ニ付熟談定書之事(渡家文書より)
 
天保3年閏11月に、石見国迩摩郡大家本郷(大田市大代町大家)で、砂鉄採取者と村人との間で取り決められた議定書。
 
鉄穴流し(山肌を切り崩し、土砂を小川に流して、砂鉄を選別する作業)によって生じる濁水による被害を避けるために様々な処置を施し、そのための費用も負担することを、「鉄砂稼人」である直兵衛が約束している。
 
大家本郷は、大森代官所支配下で大家組に属する一つの村であったが、さらに川上組、柿田組、七日市組、八反田組、四日市組の五つの組(分郷)に分かれ、それぞれに庄屋以下の村役人が設けられていた(各庄屋のうえには年寄が一人設けられていたようである)。
 
このうち、直接、鉄穴流しをめぐる利害の対立関係にあったのは、八反田川の上流に位置する柿田組に属していた砂鉄採取者の直兵衛と、七日市組(一部町場化.牛馬市が年2回立つなどした)に属した酒造家や、八反田郷に田をもっていた村人だった。
 
川上組と四日市組の村役人も、組(分郷)間での出入り作があるということで、連印したようである。
 
たたら製鉄に用いる砂鉄を採取するための鉄穴流しは、下流域の洪水の原因ともなり、しばしば砂鉄採取者と農民との対立を招いたが、この史料が示すのもその一例である。
稼ぎ人である直兵衛が、幕府への運上とともに、掛樋の維持や、堀溝の浚いなど、さまざまな負担を求められている点が興味深い。』(抜粋終わり)
(「1998年度古文書をよむ会」より)
http://www.hist.shimane-u.ac.jp/Nihonshi/Kobayashi/komonjo.html
 
島根では、『直接、鉄穴流しをめぐる利害の対立関係にあったのは、八反田川の上流に位置する柿田組に属していた砂鉄採取者の直兵衛』とあるように、八反田川の上流にある砂鉄採取者とその水を水田に使う農民との間に河川汚染のトラブルがあったようだ。
 
天保年間にあった「たたら製鉄」による公害問題を話し合いで解決しようとしていたのである。
 
おそらくこの福島の八反田川の名前も、島根からやってきた砂鉄採取者の子孫たちが付けたものであろう。
 
私は、製鉄技術は渡来ユダヤ人一族の「秘伝の技」だったと推測している。
発祥は中近東北、イラク北部当たりのように思われる。
 
空海(佐伯真魚)の祖先である佐伯氏も製鉄技術を持っていた氏族である。
讃岐の開墾が進んだのも、鉄製農具の存在が大きかったであろう。
 
藤原秀郷の稲荷信仰について述べた資料があった。
 
『秀郷の関連神社が総て「倉稲魂(ウカノミタマ)」であることに注目すると、やはり京都伏見稲荷に注目せざるをえない。
 
勧請元である京都伏見稲荷は、<ある有名な渡来人>が造った神社でなのである。そして一説では<イナリ>が外来語からきているという。
 
キリストの処刑図に「INRI」または「JNRI」の文字が見られ、これは
「Jesus Nazarenus,Rex Iudaeorum」(ナザレのイエス、ユダヤ人の王)
という意味であるという。
 
これが「伊奈利」(いなり)となり現在の稲荷となったという説である(詳細は2001年6月号の学研「ムー」)。』(「中央・椙森神社」より)
http://dhistory.hp.infoseek.co.jp/tko_1_10.htm
 
『我が国古代における渡来集団のうち、大勢力を誇った集団が二つある。東漢(やまとのあや)氏と秦(はた)氏である。
「秦」は一般には「はた」と読まれているが、正しくは「はだ」と読む。
 
秦氏は秦の始皇帝の五世の孫融通王(我が国では夕月君(づきのきみ)と呼ばれた)が、応神天皇の頃、百二十七県の民を率いて渡来したのに始まると云う。
 
最近では、その出身地は新羅の北辺、蔚珍(うるじん)郡の波旦(ぱだん)であり、ハダは波旦、ウズマサは蔚珍に由来すると見られている。
五世紀後半この地方は新羅と高句麗の係争地であり、このため、戦火を避けて集団的に亡命した。
 
秦の文字を用いたのは、ライバル関係にあった東漢氏が漢帝室の末裔と称していたので、それに対抗して、漢よりも前の中国の王朝である秦の末裔と称し、文字も「秦」の字を用いたものであると考えられている。
 
日本書紀は雄略天皇の十五年の条に、天皇は、秦の民が分散して諸豪族の配下になっているので、それらを集めて秦酒公(はだのさけのきみ)に与えたところ、彼はそのお礼のために、大量の絹織物を宮廷にうず高く積み上げて献上した。
 
そこで天皇は、彼に「うずまさ」の姓を与えたとある。太秦と書いて「うずまさ」と読むのも、このためと云う。』(抜粋終わり)
(「北河内古代人物誌 秦川勝」より)
http://www.k4.dion.ne.jp/~nobk/kwch/hatakawakatu.htm
 
これを読んで、秦酒公(はだのさけのきみ)の絹織物を、「はたおりもの」と私は思った。
島根出雲の簸川(ひかわ)村の人々が武蔵に来て建立した神社がある。
「ひか」わ神社と呼ぶ。
 
私は、紀元前473年(イエス生誕前)建立とされる武蔵一ノ宮氷川神社(大宮市)の境内右手の森の中にシュロの木を見つけた。
現在はフェンスで仕切られていて、大宮氷川神社境内とは異なる土地(森)の中であったが、古代の神社の壮大さから見ればあのシュロは神殿の向かって右手に植えて神を祝って植えられていたものであろう。
 
時代が変り権力者が移り代わっても、シュロの種子は現代においても古代におけるその存在位置を示している。
 
紀元前にはINRIという罪名は存在しないだろうから、日本列島に稲荷信仰も無かっただろうが、そういう古い時代でさえシュロの信仰と三位一体説はあったのではないか。
 
大宮氷川神社を北側にして、間に中氷川神社(現在は中山神社に改名)、南に氷川女体神社(ひかわにょたいじんじゃ)があった。
(三位一体を私は3つの宮から想起する。記憶では夏至に太陽が通る一直線上に3つのお宮を建立している。そのほぼ直線上をあるいて3社お参りしたことがある。)
 
目立ったシュロがあるのは氷川女体神社であった。
 
藤原秀郷、その子孫佐藤氏は渡来ユダヤ人の末裔であり、製鉄技術を所有していた。
そして稲荷信仰をもち、おそらくこの八反田の地名も島根松江の地名を用いてつけたのではないだろうか。
 
八反田川上流には古代に発掘された砂鉄鉱脈が今でもあるはずである。
砂金も古代は豊富だったのかもしれない。
 
なぜならば、俵藤太の子供が『金売りの吉次』であり、ゴールド相場で儲けた人物であるからだ。
 
私は、八反田川上流で砂遊びをしてみたい気持ちになってきた。
もちろんついでに砂金を探してみたい。」(抜粋終わり)
 
藤原秀郷の生年は不詳であり、平安時代中期だったようです。
 
「秀郷は下野国の在庁官人として勢力を保持していたが、延喜16年(916年)隣国上野国衙への反対闘争に加担連座し、一族17(もしくは18)名とともに流罪とされた。
しかし王臣子孫であり、かつ秀郷の武勇が流罪の執行を不可能としたためか服命した様子は見受けられない[3]。
 
さらにその2年後の延長7年(929年)には、乱行のかどで下野国衙より追討官符を出されている。唐沢山(現在の佐野市)に城を築いた。」(藤原秀郷-wikipediaより)
 
これより、秀郷は900年頃の生誕ではないかと思います。
この時代に金を俵に詰めて担いで京都と奥州の間を行き来しています。
その子の吉次は、鞍馬寺から牛若丸を連れ出したといわれる人物です。
都を追われた義経が、奥州の藤原氏を訪ねていくのは道理なのでしょう。
 
秀郷(御所様)の住む平泉館(ひらいずみたち)に吉次が参上してきたという。
 
「御所様(秀郷)の仰せに従い、京の鞍馬から牛若丸を連れてまいりましたが、いつ面かつできましょうや。」
(「源義経と静御前: 源平合戦の華 若き勇者と京の舞姫」(著者: 中島道子)より抜粋。)
 
この御所様、秀郷とその子孫の奥州藤原氏の行動が、後世に中国へ伝聞し、それをマルコポーロが記録したのではないか、と私は思っています。
 
つまり、俵藤太が、コロンブスをして西回りのアジアへの冒険航海へといざなったのではないか・・・。
 
勿論コロンブス自身は海賊に近い存在ですのでそういうことを知らなくて当たり前ですが、私たち日本人は知っておく必要があると思います。

サウジの対UAE攻略の様子

昨夜のサウジアラビア対UAE戦、をたまたま録画していた後半30分からを見ました。
それ以前は放送しているのを知らなかったので録画していません。
夜トイレに起きて気づいた次第。
 
すでにサウジの「浅野」19番ファハドは投入されていました。
 
後半30分過ぎ、右サイドタイセルから大きな山なりのパスをゴール前で19番 ファハドがトラップ、DFを交してシュートしました。
これはキーパ正面で止められましたが、日本の浅野よりもはるかに上手い球さばきです。
 
33分過ぎ、中央で相手ボールを奪って19番ファハドが持ち上がり、ペナルティエリアの前で右のタイセルへパス、タイセルのシュートは跳ね返されましたが、後ろから上がってきた小柄な18番ナワフが左足で技ありのカーブ系シュートで左上隅にゴール。
 
サウジは2点目となり、今大会ナワフにとっての4点目です。
これまでの3得点が全部PKでしたが、狙いを澄ましてゴールに入れる能力が高い。
 
そのナワフ・アラービドは前回は10番をつけていましたが、なぜか今回は18番をつけています。番号で注意を払っても、人が入れ替わるので人物をしっかり見る必要があります。
 
この試合の1点目の得点シーンのリプレイが紹介されました。
 
DF8番がセンター付近から大きな山なりのパスをゴール前にあげる。
19番ファハドが斜め左後ろ上方からやってくる球を感じつつ、ペナルティエリアの外の右方向へ走り込む。
そして球の落ち際をM地面に落ちる前にワンタッチで右足でシュート。
球はゴール左の側面ネットに突き刺さる。
見事な19番「サウジの浅野」のシュートです。
日本の浅野にはまだできない芸当です。
 
39分頃、18番ナワフが左足をつって治療、途中9番FWナイフに交代しました。
 
44分過ぎ、ペナルティエリアの左手付近で19番ファハドがペナルティエリアセンター前で待つ8番ヤヒアにパス。
 
8番ヤヒアがペナルティ内へ向かってドリブルを仕掛けたところ、相手DFが左足を出し突進するヤヒアの右足を引っかけてファイル。原口さん8番に足をかけないように気を付けてください。
 
ヤヒアの体はペナルティエリアの中で倒れたが、足を架けたのは「外」と審判は判定。
PKにはならなかったが、ペナルティエリア直前位置でサウジにフリーキックが与えられる。
 
キッカーは左に17番タイセル(右足キック)、右に8番ヤヒア(左足キック)が立つ。
 
ヤヒアが1,2,3歩下がって、両足をそろえた。
左足から踏み出して、1歩(左)、2歩(右)、3歩(左)のインサイドキックをゴール左隅にやさしく流し込んだ。
速度はさほどないが、助走距離が短いのでキーパーは動けなかった。
 
また、UAEのDFも6人が横に並んで壁を作っていたが、ジャンプしたのは左端から3番目の一人だけ。
ボールはその2番目の頭の上をすれすれに通過してゴールへ向かった。
もし左端の3人が同時にジャンプしていれば、ジャンプした壁に当たってコースが外れた可能性がある。
 
UAE守備陣の疲労からくるサボりによる1点献上となった。
 
結局サウジ:UAE=3:0で、サウジアラビアの圧勝となった。
 
またサウジ戦も日本チームはロートル中心編成なら、日本は若々しい「オランダ流」サウジアラビアに2連敗するだろう、と予想します。
 
なぜ最後のフリーキックでキーパーが動けなかったのか?
考えてみました。
 
キーパーから見て、球の左側にヤヒア(左足利き)が立ち、右側にタイセル(右足利き)が立っている。
 
最初に右側のタイセルが1歩2歩ゆっくり動いた。キーパーは真ん中から動かない。
そこでタイセルが立ち止まる。

すかさず、左側のヤヒアが前へ進む。
その瞬間、『左足利き足のヤヒア』だと思ったのか、キーパーはほんの30㎝ほど上半身が左側へ傾いた。

ヤヒアの左足インサイドキックがゴール右隅に向かうと気づいたときは、既に球がゴールマウスに迫っており、キーパーは金縛りにあったように立ち止まって球を見送った。
 
二人立っていても「ヤヒアが蹴ると確信して、右上隅を守る」ことがよいかと思うが、逆にタイセルが蹴ることもあろう。
 
もしキーパーが左側に少し振られなくても、キーパーは右隅のボールに届かなかっただろう。

よって、事前に腹を固めて、右隅へ向かって飛び上がるしか防ぐ手はない。
 
サウジアラビアから見れば、ゴール前で反則をもらいに行けば、あとはヤヒアかナワフで1点取れる、と確信しているように見える。
 
原口さん、後半30分を過ぎて、サウジがとても危険なステージへと変化します。
是非そのときはゴール前には来ないようにしましょう。

横浜点滴殺人事件(16) おかしな対策

横浜市は11日に連続殺人事件現場である大口病院に臨時の立ち入り検査を実施しています。
主な対策をテレビ報道で見ましたが、朝日新聞デジタルの記事に下記のように書かれていました。

 

「大口病院、点滴の管理など改善 横浜市が立ち入り検査」より下段に抜粋します。

大森浩司 201610112135

http://www.asahi.com/articles/ASJBC4RQ1JBCULOB00Q.html

 
読んで、おかしいと思いました。
真犯人が誰かまだ決まっていないのです。
病院内にまだいる可能性もあり得ます・・・。
 
「事件が起きた4階の病棟を中心に、態勢に問題がなかったかや、事件後の対策などについて調べた。
中略。
点滴は、事件前にはナースステーションの机の上などに置かれていたが、事件後は棚に施錠して保管し、看護師のリーダーが鍵を管理することにしたという。
 
 また、3連休などの前にはまとめて薬剤部からナースステーションに点滴が運ばれていたが、事件後は1日分だけを保管するよう変更。4階には監視カメラを2台設置し、夜間勤務の看護師や警備員を増やすなどの対応をしたという。」(抜粋終わり)
 
わかりやすい事例で「おかしい点」を指摘します。
 
ここに5人家族がいます。長男、長女と夫婦と祖父です。
来客がカレーを食べて2人連続に中毒死しました。
警察の捜査でそれは確定しています。
警察は、内部の人間の可能性が高いと公表しました。
 
直接証拠が得られずに、なかなか真犯人を特定できないまま、18日を経過しました。
そこで村長が調理場などの臨時検査に立ち入りました。
祖父は事情があって、事件のあとで別荘に移住し、害した心身を養生しています。
 
村長は立入後に以下の対策を示しました。
 
1)調味料は鍵をかけて世帯リーダが管理する。
2)調理場とダイニングルームに監視カメラを設置する。
3)警備員を増加する。
 
3)は効果がありそうですが、彼らもトイレに行ったり、食事休憩したりしますので、100%家族の行動を見張ることは不可能です。万全とは言えません。
 
1)と2)は真犯人が発見されていない場合、かつ真犯人が世帯リーダであった場合は、ザルの対策となります。
 
この家庭では連続殺人が再開される可能性があります・・・。
 
真犯人が逮捕されて、100%家庭内から排除された場合、1)と2)は効果があがるのです。
 
こういう単純な問題が見えなくなってしまう管理する当局と指導を受ける病院側の感覚は、一般人と相当にかけはなれていると私は感じます。
 
真犯人が逮捕されてから、犯行の詳細行動を分析し、そのあとで現場に立ち入り、是正処理をすべきです。

サウジアラビアは、10番、19番、12番が要注意(再掲)

昨日オーストラリアに負けたら終わりだと思っていましたが、勝ちもせずに引き分けるとは、予想を裏切られました。
 
原口は昨日のような元気余った守備をゴール前まで戻ってきてやって、ペナルティキックを相手に与えたことが最近の試合でもありました。
またか・・・、という印象でした。
 
ディフェンシブに戦えという監督の指示が生んだ「元気」オーバーだったと思います。
 
むしろ原口にはトップに残っていて、守備には帰らないでよいと言ってあげるほうがよいでしょう。彼の元気な攻撃は、「アジアレベル程度の相手」には極めて有効です。
 
元気の弱みを利用して負けるより、強みを伸ばしてあげるべきでしょう。
 
予想外でしたが、その結果やはり次のサウジ戦が天王山になりました。
 
9月7日に掲載した記事を再掲しますので、コーチ、監督の皆さんはぜひお読みください。
昨日のサウジ、UAE戦は3;0でサウジ圧勝でしたが、終盤に2点続けて入れています。
 
日本が初戦ホームゲームで負けたUAEがサウジに負けたのです。
どれだけ日本が弱いかわかります。
 
オランダ人監督のオランダ流サッカーは花開いています。
サウジにいる「ロッペン」にご注意を!
以下、過去記事再掲。
 

続きを読む "サウジアラビアは、10番、19番、12番が要注意(再掲)" »

2016年10月11日 (火)

日本対オーストラリア戦 開始

これは勝って当たり前です。負ければすべてが終わります。
なぜ賞味期限切れの選手を前線に配置するのか、監督の意図がわからない。
負ければ、それが敗因でしょう。
協会やコマーシャル企業の意向なのでしょうか。情けない限りです。
もしこのろーとるで勝ったなら、運がいい。
その場合は、先に2016年9月 7日付け記事「サウジアラビアは、10番、19番、12番が要注意」が生きてきます。
時代が変化していることを指導者陣がまったく気づいていないことを日本の先発陣が見事に物語っています。実に古い!
陳腐でさえあります。

黄金の国ジパング(3)

コロンブスをポルトガルから西への冒険航海に向かわせたのは、「黄金の国ジパング」がインドの先にあるということを信じて、敢えて西回りで乗り込もうとの固い目的意識でした。
 
日本人もなぜ日本が欧州の人が乞い求める黄金の国なのか、よくわかりません。
 
中尊寺金色堂などを見て、昔日本にはたくさん金が採集できたのだろうと思う程度です。
 

Photo_2

図1 福島、桑折間町と事故原発周辺(楢葉町、双葉町)との距離感
 
私が歩いた年の翌年に福島第一原発が周知のメルトダウンと爆発をしました。
その南にある福島第二原発はそれ以降「停止中」です。
さらに南にある広野火力発電所(下図の一番下の赤い丸)は、地震後の点検を経て間もなく再稼働して電力を供給しています。

Fukusimaall

昨年訪問したときも火力発電所の煙突から元気な蒸気が出ていました。
 
地震、津波という巨大な災害に対して、ロバスト(強靭)なシステムはどちらでしょうか?
制御工学の専門家は、この答えを明確に社会に提示する必要があります。
政治家や専門家と呼ばれる人々が、まだそのことに気づいていないからです。
 
さて、今、私は「旧奥州街道」を歩いています。
主として国道4号線に沿って旧道も織り交ぜながら、福島市中心部から桑折町へ向かって歩いています。
 
正確にいえば、「フクシマ第1原発事故の約1年前にここを歩いて通過しました。」
 
当然ですが、セシウムもプルトニウムも、ストロンチウムも降下していない美しい村です。
yahooブログにそのころ掲載した記事を部分的に抜粋しながら、黄金の国ジパングの源流を考えていきます。
 
当時の記事を抜粋しながら説明しますので、「私はいま奥州街道を歩いています」というタッチで記述していきます。
 
黄金の国ジパングは、いつ誕生したのでしょうか。

チェルノブイリ事故を考えることは自分を考えること(14)爆発増加

Photo

図 100万人当たりの小児甲状腺がんの発生数
赤い線はフクシマの事故の前も後も、一貫して専門家が公言している日本の小児発生数です。
 
緑の線は事故後5年を経て行った直近の検診結果を100万人当たりに換算して表示したものです。
青い線は傾斜を見ただけで本件とは関係ありません。
 
一連の表題「チェルノブイリ事故を考えることは自分を考えること」の記事で議論してきたことと、10月6日の国会質疑応答で知った福島県の小児甲状腺がん患者数もしくは疑われているものが38万人県民中、174人であるな、どを用いて、事故前と事故後の発生数の急増を「見える化」してみました。
 
『爆発的増加』であると、私は判断いたしました。
環境大臣と総理大臣の前記予算委員会の回答では、「青森、山形、長崎」などの他県と福島県の調査結果によれば、特段の違いは見られないということでした。
つまり、福島原発より1000㎞余り離れた日本列島全体が一様に、特段の違いを見せずに、小児甲状腺がんと疑わしいとされる事例が「爆発的増加」しているとの理解に達します。
 
本当でしょうか。
 
検診をやめたり、縮小したりしてはいけない時期に来ており、相当額を予算化して来年度には全国都道府県の小児の甲状腺がん検診を行うべき出す。
小児だけが急増するということではありませんし、甲状腺にのみ放射能影響が出るということでもありません。
 
小児甲状腺がんが急増しているのであれば、8000㎞離れたところにあるチェルノブイリ事故以降、日本人が受けている影響と相似の影響が日本でくっきりと表れて来る恐れがあります。これらへの検診、予防体制整備も当然必要になってきます。
 
ドバイで静かに過ごしている暇など、当事者ならないはずです。
 
検診を今後は中止するなどという世迷言をいう科学者の言葉に、決して騙されないように国民はしっかりしなければなりません。
 
日本の政治の力は、テレビの国会討論を視聴する限り、確実に落ちてきています。
今朝のやりとりなどは、高校の生徒会に似た雰囲気を私は感じました。
 
主権者がしっかりするほか、救いはありません。

チェルノブイリ事故を考えることは自分を考えること(8)論理矛盾

福島県の小児の甲状腺がんの検診を国は縮小することを考えているようです。
 
10月6日の国会質疑で山本太郎議員は、縮小するのではなく、全国に範囲を広げて、
関東、西日本まで調査すべきだと提言しました。
 
福島の現場の医師からも、問題ないとするのではなく、「影響はわからない」と考えて、検診は継続すべきという声が多く上がっており、質疑の際にそれらを読み上げて紹介していました。
 
真っ向から姿勢が対立しています。
 
政府は他府県(青森、山梨、長崎を挙げていました)での検査結果と福島県の検診結果と差がないと理解しています。
 
一方、山本議員は、専門家会議の専門家が日本の小児甲状腺がんは100万人に一人の発生でまれであるとするが、福島での事実は38万人に174人甲状腺がん、あるいは疑われるものが判明した。「これはおかしいと思いませんか?」と問いかけています。
 
この質疑の結果を客観的にみますと、
①福島県で38万人県民の中に小児甲状腺がんおよび疑いのある件数は174件あった。
②福島県と他県の結果を比較したが、特段福島県が多いとは考えていないとのこと。
 
①+②からいえることは、
「日本全国で、38万人に174人に相当する小児甲状腺がんおよびその疑いのある子供が発生している」と、理屈上はなります。
 
これを換算して「100万人に対して457人の小児性甲状腺がんの発生」が日本の現状であるとすれば、それは事故以前にも事故以降にも一貫して主張している山下氏の「100万人に1人のまれな発生」という見解に比べると、
「日本全国で事故前の457倍の発生となっている」といえるのではないかと展開できます。

2_2

図 チェルノブイリ事故1986年から16年後の2002年以降、日本全国の男女合計の甲状腺がん罹患数の増加率は明らかに急な変化を生じているように見えます。

 
「我が国のがん登録統計「罹患データ(全国推計値)」の
http://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/dl/index.html#incidence?
「内容:地域がん登録全国推計によるがん罹患データ(1975年~2012年)
ファイル名:cancer_incidence(1975-2012).xls (2,053KB) 」のエクセルデータ表から
全罹患者数推移を図にしました。
 
出典は、国立がん研究センターがん情報サービス「がん登録・統計」です。
 
黄色い直線は適当に私が直感で推定して引いたものですが、さらにもっと大きい傾斜で急増する可能性もあります。
 
8000㎞先で起きたチェルノブイリ事故の影響で赤い直線ですので、神奈川から250㎞ほどのところのフクシマで起きた事故の影響を考える必要があります。
 
首都圏には日本人の人口の相当数が集中して住んでいます。
私を除いて、「安心しながら」生活をしています。

2016年10月10日 (月)

チェルノブイリ事故を考えることは自分を考えること(17)在留米国人

Sh3b0277b_2

今朝、横田基地の傍を通過してきました。
 
米空軍基地だけだと思っていましたが、自衛隊も使っているとのことでした。
アメリカ人が基地内を歩いているかどうか、通過中見ていましたが、広いので見当たりませんでした。
 
日本人の作業者らしいグループが芝生の上を2つ、3つ歩いていました。
計7~8名を見かけました。
 
アメリカ人は基地周辺の自宅に住んでいるのでしょう。
何人いるのか検索して見てみます。
 
「横田飛行場は、日本の東京都多摩地域中部にある軍用飛行場。アメリカ空軍と航空自衛隊の横田基地(英語: Yokota Air Base)が設置されている。
 
東京都調べによる2005年5月時点の基地関係者数は、軍人3,600人、軍属700人、家族4,500人、日本人従業員2,200人の、合計約11,000人である。
 
なお、日米地位協定により、アメリカの海外領土扱いで、米軍人、軍属、家族は出入国の手続きを必要としない。
 
このため、アメリカの高位高官が出入国しても、それが日本側に告知されない限り、日本はその事実を知ることができない。」(横田飛行場-wikipedia)
 
米国人8,800人もいるようですが、もし出国していても日本人にはわからないようです。
 
出国していない人は、お仕事とはいえ、日本を脱出せずに私と同じ関東で水を飲み、パンや野菜を食べ、空気を吸って生活しているのです。
 
ストロンチウムによる内部被ばくなどの対策はどうしているのか、まったく気にしていないのか、気になります。
 
居宅の空調は特別の処置、つまり室内圧力を100Pa(パスカル)以上の正圧にコントロールして、空気は特殊なフィルターで清浄してから室内に吸引しているのでしょうか。
 
基地内で請負工事をしている日本人の大工さんや電気工事屋さんは知っているはずです。
私は残念ながら知りません。
 
ただ、8,800人のアメリカ人の人々の2020年以降の健康をただ心配しています。
 
内部被ばくについて知識を持てば、その分だけお子さんの生活態度(手洗い、うがい、マスク着用など)について、それを徹底すべき理由を教えてあげて作法を変えることも可能となります。
 
お国のために打撃力を磨いていただくとともに、その「打撃力」があと5年後、つまりフクシマ事故から10年後に減退しないよう、適切に管理をお願いいたします。
なので、なるべく屋内で過ごすようにしてください。
かくいう私は全身を暴露しつつバイクで疾走しておりますが、マスクは2重にかけ一応防御はしているつもりです。
下は普通の使い捨てマスクですが、上はバイク専用の輸入マスク(8000円)です。
 
8800人の米国人の皆さんは、私と同じくずっと2020年まで日本に駐留しているのでしょうか。それを調べてみましょう。
平成15年12月28日に、行政が町づくりの参考のために、webを利用して横田基地住民を対象としたアンケートを行っていました。
 
出身地や性別、既婚、未婚などとともに、『横田基地居住年数』の欄がありました。
その回答者数は以下の通り。
 
1年未満  58人
1年以上3年未満 87人
3年以上  43人
その他 無回答 4人
 
かなりの人が3年以内に日本を出国していました。
 
一番興味ある回答が多かったのが、「祭り・風習」であることは面白いと思いました。
2番目が日本語、3番目が人でした。
日本の文化と人に興味が深いようです。
 
その理由は、『日本での滞在期間が短いから』だそうです・・・。
 
なぜ滞在期間が短いのでしょうか?
その答えは書いてありません。
 
「休日にほとんどでかけない」と答えた人に理由を聞いています。
行きたい場所がわからない(10人)、言葉が通じない(6人)という回答が多いですが、それを越えて「その他」(11人)が一番多かったです。
 
フクシマ原発事故は平成23年(2011年)で、このアンケートはその8年前ですので、放射能放出の影響はなかった時期です。
 
私は、今のアメリカ人の外出傾向(比率や行先)を知りたい、と思いました。

ナツメヤシ並木@R16

今朝、国道16号を宮沢湖温泉へ向けて走っているとき、福生(ふっさ)市に入ると、山口県岩国市とよく似た景色に遭遇しました。
 
岩国は昔住んでいた町の近くだったので、若いころ米軍岩国基地に英語の勉強に行ったりして何度も見慣れていた景色でした。
 

Sh3b0278

SH3B0278 英語看板のカラフルな店

Sh3b0281

SH3B0281 反対側が横田米軍基地でした。
別の場所にある門にYokota US.Airforseというような文字が書かれていた。

Sh3b0276

SH3B0276 棕櫚だと思いました、近づいてよく見るとナツメヤシらしい並木が基地の反対側の歩道に並んでいます。
ザビエルが日本へやってきたとき、ナツメヤシは日本では生息しないので、ナツメヤシのことを棕櫚と薩摩のヤジロウに翻訳させてから、日本では棕櫚で祭りごとを行うようになったようです。
先週の国会答弁で稲田防衛大臣が答えに窮しているとき、総理から「打撃力だよ」とアドバイスが飛んだことがありました。
横田基地の米軍の空軍力が敵への打撃力となるのだと体感しながら通過しました。
しかし、自衛隊が米国に不利益となるようなおかしな動きをした場合は、米軍は日本へ対しても打撃力を行使することができるのでしょう。少なくとも1945年に日本を占領して駐留軍を置いたときの目的は日本軍敗残兵の決起へ打撃力を与える目的があったことでしょう。
私は連合軍=実質米軍ですが、それによる占領中の日本で誕生しています。
その後、対ソ連、北朝鮮、中国などを想定して、安保防衛に資する打撃力へと変化していったのでしょう。
 
打撃力という言葉は、私には「用心棒」と等価な言葉に聞こえます。
いつかは「自分のことは自分でする」ようになりたいものです。

Sh3b0279s

SH3B0279 棕櫚の比較して幹が太く、枝がゴツゴツしています。
ナツメヤシ-wikipediaの写真と比較すると、砂漠に生えているナツメヤシの葉はこれより細くて長いところが異なるようです。
 
「(ナツメヤシの)歴史
メソポタミアや古代エジプトでは紀元前6千年紀にはすでに栽培が行われていたと考えられており、またアラビア東部では紀元前4千年紀に栽培されていたことを示す考古学的証拠が存在する。
ウルの遺跡(紀元前4500年代−紀元前400年代)からは、ナツメヤシの種が出土している。
シュメールでは農民の木とも呼ばれ、ハンムラビ法典にもナツメヤシの果樹園に関する条文がある。
 
アッシリアの王宮建築の石材に刻まれたレリーフに、ナツメヤシの人工授粉と考えられる場面が刻まれていることはよく知られている。
 
ナツメヤシはギルガメシュ叙事詩やクルアーンに頻繁に登場し、聖書の「生命の樹」のモデルはナツメヤシであるといわれる。
 
クルアーン第19章「マルヤム」には、マルヤム(聖母マリア)がナツメヤシの木の下でイーサー(イエス)を産み落としたという記述がある。
 
アラブ人の伝承では大天使ジブリール(ガブリエル)が楽園でアダムに「汝と同じ物質より創造されたこの木の実を食べよ」と教えたとされる。
 
またムスリムの間では、ナツメヤシの実は預言者ムハンマドが好んだ食べ物の一つであると広く信じられている。
 
なお、聖書やヨーロッパの文献に登場するナツメヤシは、シュロ以外のヤシ科植物が一般的ではなかった日本で紹介されたときに、しばしば「シュロ」、「棕櫚」と翻訳されている。」
(ナツメヤシ-wikipedia)
 
横田基地を過ぎると、日本人らしい並木に戻りました。
基地の横だけ沿って歩道にナツメヤシを等間隔に植えてあったのです。
 
アッシリアの王宮建築のレリーフに、ナツメヤシの人工授粉のシーンが刻まれているとありましたが、アッシリア人は遺伝子の作用を知っていたようです。

Photo

ジョセフ親子著「隠された十字架の国・日本」(徳間書店)という本に、古代アッシリア語では、「塩」のことを「シオ」と発音し、「水」のことを「ミズ」と発音していたと紹介されていました。
 
「内容(「MARC」データベースより)
日本人のルーツと私のルーツは同じ-。アッシリア人親子が50年にわたり行った日本研究の集大成。日本人とアッシリア人が景教を介してシルクロードでつながる、日本人が知らない「日本」とは。
隠された十字架の国・日本―逆説の古代史 単行本 – 2000/12/31
ケン,シニア ジョセフ (著), ケン,ジュニア ジョセフ (著), Kenny Joseph (原著), Ken,Jr. Joseph (原著) 」(写真も文もアマゾンドットコムより引用)
 
生命維持に必須な大切な要素を呼ぶ言葉が日本に「そのまま」伝来していることを不思議に思いました。
 
ナツメヤシ-wikipediaには、太陽の照る広い砂漠の中に数本ナツメヤシが生えている写真が掲載されていました。
 
砂漠と太陽神、その間で生きる人間とラクダと羊。
 
必要な「ミズ」はナツメヤシのあるところにある・・・。
 
太陽神は、そう教えてくれたのかも知れません。

ゆ・・・宮沢湖温泉 喜楽里別邸

この湯は、首都圏オススメ日帰り温泉 ランキングで1位だそうです。
 
宮沢湖温泉 喜楽里別邸
http://www.yurakirari.com/kirari-net/miyazawako_top.php
【場所】埼玉県飯能市大字宮沢27-49
【営業時間】09:00~24:00(年中無休)
日帰り入浴だけでしたら、大人1000円です。
 
2日間雨で足止めされ、ようやく今朝、首都圏オススメ日帰り1位の湯を確かめに行ってきました。
 
国道16号を北上して、入間ニトリの先の交差点(三叉路)で国道299号へ左折し、飯能警察署の手前の信号で県道(あるいは市道か)30号へ右折し、しばらく進むと、坂の病院を通過してからまもなく左手に広い駐車場が見えてくる。
 
広い喜楽里の駐車場で停めるが、バイクはさらに玄関横の駐輪場(さほど広くはありません)に駐車してもよいです。

Sh3b0292

午前9時の開館までまだ1時間ほどあるので、狭山方面へと市道を転がしていると、品のよい珈琲館を見つけました。

Sh3b0290

看板には、「高倉町珈琲 TAKAKURA MACHI COFFEE」とあります。
http://takakuramachi-coffee.co.jp/

Sh3b0291

館の品の良さに惹かれ入りました。むしろ目立っているかもしれません。
 
ブレンド(高倉ブレンドのようです)珈琲に野菜とパンと卵のセット。
熱して加工した卵で、カップの下の方にはポテトサラダも熱々で敷いてありました。
フレンチの雰囲気を味わいました。
 
極め付けは、本当に新鮮野菜です。
これほどみずみずしい野菜を食べることができるのは、やはり狭山付近だからだと思いました。
レタスを噛むと「パリパリ、ジューッ」という印象が口中に広がります。
 
珈琲は温かさもほどよく、とろみがあり、癖のないやさしい味でした。
お代わりができそうな珈琲でした。
 
エッグスラット 302円
ブレンドコーヒー420円
計       722円でした。
 
モーニングセットとしてはやや高めですが、東京なら高級ホテルで2000円程度に相当するか、それ以上でしょう。
まず東京でこういう新鮮野菜を手ごろな料金で口に入れることはかなり難しいでしょう。
 
しかも、経営者(らしい)人の書いたお店の公式サイトの
「高倉町珈琲の思想 ~ 横川竟のささやき ~」
http://takakuramachi-coffee.co.jp/
 
を読みますと、お客様の健康と満足感をさりげなく徹底追及している店舗運営思想がこの価格と食材調達や管理に含まれていることを知れば、この価格は安いと言えるでしょう。
一部を抜粋します。
「食の安全
2016年09月30日
「食」のビジネス
先日の夕刊に「消費者団体が米国ファーストフードの大手企業に対して、食材からの『抗生物質・人口添加物』の排除を強く要望」という記事がありました。これは大きな時代の変化です。
 
中略。
「抗生物質を与えた鶏肉の使用を中止する」「牛肉や豚肉でも使わないように要求する」「人工着色料や保存料を使用しないようにする」これらの表現はどれも今は使っているということです。抗生物質が体に入ってしまっていると、自分が抗生物質の必要な時にはもう「効かない」という耐性菌になってしまうことがあります。
 
「使わない」ことを続けることは大変です。例えば有機野菜を使うメニューは品切れになることがあります。でも、それは仕方ないこと、「今は品切れです」とはっきりお知らせすることがお客様への約束なのです。
 
安全なものを探して、作って、お客様にお届けする、そうすると安心していただける、それが信頼への道につながる、食のビジネスとは、このことの繰り返しでしかありません。」(抜粋終わり)

Sh3b0289

ホテルロビーのような内装や椅子などに包まれて、ゆったりした時間を過ごしているうちに、つい眠りそうになりました。
 
周囲を見渡すと、早朝ですが書物や雑誌を読んでいるお客さんが多かったように思います。
 
そうそう午前7時からオープンは早朝ドライバーの私にはありがたいです。
 
さて、9時に近づきました。
「首都圏オススメ日帰り温泉 ランキング」の1位の湯に入ってきます。
https://www.rankingshare.jp/rank/dczcntyjyl

Sh3b0284

「1位 宮沢湖温泉 喜楽里 別邸 - 湯楽の里・喜楽里
出典:4travel.jp
「宮沢湖畔の高台に佇む、森に囲まれた閑静な温泉施設です。未就学児お断りの大人の為のスパリゾートとして、静かに温泉に浸かりたい地元の温泉愛好家や、登山客に大人気です。以下略。」(同上より抜粋)
確かに静かでした。祝日なのに。
 
アルカリ単純泉というのは、湯があっさりしている感じがしますが、ぬるぬる感があると温泉HPには書いてあり、私にはよくわかりません。
 
私は硫黄の香りが少して、わずかに白濁、あるいは青みがかった白濁湯が好みですが、箱根や安曇野や別府などでないと日帰り湯で見つけるのは難しいです。
 
アルカリ泉でも二の腕をこすってぬるぬる感があれば、それだけで湯質は満足です。
 
内湯に炭酸気泡の湯があり、そこだけは混んでいましたが、祝日の朝1番で客は多いようですが、ほとんどの湯船に意外にゆったりと浸かれました。
炭酸気泡に当たると確かに肌が赤く変化しますので、刺激効果があるのはわかりますが、私は好んで入りません。
最近は勢いよく泡を吹きだすバブル湯が多いですが、そういう動的なものではなく、昔ながらの静かな平らな湯面と、それに浸かり近くの森の中の小鳥のさえずりなどを聞くのが大好きです。
 
特筆すべきは、宮沢湖畔を見下ろす露天風呂です。
緑に包まれて不思議なくらいゆったりとした時間の流れを楽しめます。
熱すぎず、ぬるすぎず、長時間浸かれます。
 
さらに、私は屋外の露天の横にある寝湯が気に入りました。
湯が5㎝ほど張ってあり、深めの寝湯です。
背中全体をお湯が包みます。
爆睡可能な心地よい寝湯でした。
 
以下は、湯質や内湯や露天風呂とは関係なく、単に「寝湯が爆睡可能かどうか」で私の好みを記載しますが、この喜楽里の寝湯はそれらを越えていました。
しかも、祝日なのにいつもどこかが空いていて、寝たいときにすぐに寝れました。
寝床の数が多いということでしょう。
平日なら楽々寝れるでしょう。
 
これまで私の体験した湯の中の寝湯の上位1,2位は以下の通りですが、今後は1位は喜楽里の寝湯に変更されます。、
 
NO1 さいたま清河寺温泉 (せいがんじおんせん)
http://seiganji-onsen.com/
若竹の葉が風にそよぐ様を眺めながら、少な目で熱い湯を背中に敷きつつよく眠れます。
なかなか床が空かないので、空いたらさっと確保しましょう。
 
NO2 「満天の湯」
相鉄線上星川駅降りてすぐ。『毎日行きたくなるおふろ屋さん』
http://mantennoyu.com/
営業時間 6:00〜25:00(最終受付時間24:30)
寝湯の水位は結構ある方で、浅くはありません。
石の床ではなく、柔道場などにあるような畳でしたので、眠りをいざないます。
畳が数㎝の湯に全部使っていて、その上にあおむけで寝るというものです。
隣の宮沢湖に歩いていきましたが、先着ご夫婦も工事中の立入り禁止柵で通せんぼされていました。
さきほどの露天風呂からもこの程度の水面が樹木の間から見れました。
 
帰路、なんとなく八王子バイパスR16を通らずに、旧R16を走ったので、市内のあちこちで曲がって大変でした。今後はバイパスを走ることにします。

2016年10月 9日 (日)

「横浜点滴殺人事件(15) 臨時立入検査

10月6日付け記事に週刊文春記事をソースに新たな見方が出ていました。
 
大口病院 犯人は?疑惑の看護師に文春が直撃取材成功!
横浜市にある大口病院で起きた、点滴殺人事件。
http://ryo-piro.blog.so-net.ne.jp/2016-10-06-2
 
大口病院点滴事件の捜査対象の・・・[週間文春]
https://newscrap.net/archives/1030
 
私がこれらの記事を目にしたのは、今日の10月9日です。
 
「横浜市神奈川区の大口病院の点滴連続殺人事件で、横浜市は6日、同病院への臨時立ち入り検査を11日に行うことを明らかにした。事件当日の病棟4階の点滴管理や医師、看護師の勤務体制、ナースステーションの運用などについて確認する方針。
 
同日開かれた市会決算特別委員会で竹野内猛氏(公明党)の質問に市側が答えた。」
「大口病院に臨時立ち入り検査へ 点滴連続殺人で横浜市」より)
http://jisin.jp/serial/other/kanaloco/25855
 
先に、2016年10月 6日付けで掲載した拙著ブログ記事
「横浜点滴殺人事件(13)市による臨時立ち入り検査は11日」にて、
私は次のような懸念を示しました。
10月11日に横浜市が臨時立入検査を行うという報道を受けて、
 
「よって、(真犯人が)逮捕されていない限り、(真犯人が)病院内で勤務しているかもしれない中でチェックを行うということになります。」と書きました。
 
また、同じく、2016年10月 7日付けの「横浜点滴殺人事件(14) 縦割り」において、
 
「「今日10月7日も真犯人逮捕の報道はありませんでした。
横浜市は10月11日に立ち入り検査するとしています。
仮に、真犯人が病院内にいても検査できるのだろうか・・・?

よく似た構造にあることに当事者たちが気づいていないのかもしれません。
「縦割りの弊害」などと呼ばれます。

盛土(もりど)がないのに豊洲市場をオープンしようとする。

真犯人が特定できていないのに、病院管理が適正かどうかを査察し是正指示する。」
 
などと、役所の縦割りの弊害などを推測しています。
しかし、10月6日付けの週刊文春記事をソースにした前述の記事2件を本日9日に読んだあとで、別のことが脳裏に浮かびました。
 
捜査開始から2週間が経過してなお、容疑者を明らかにできていません。
直接的証拠、つまり指紋や監視ビデオ記録などを押収できていないから、絞り込みは進んでいるけれど、それでは裁判を維持できないために明らかにできないようです。
 
捜査開始してからは問題となるような患者死亡は4階では起きていない模様です。
つまり、真犯人は、あるいは「真犯人たち」は、「殺人行為を中止している」と考えられます。
 
内部犯行説が有力ですので、真犯人は、あるいは「真犯人たち」が休職や退職をしていないと仮定しますと、拙著ブログで懸念した通り、まさに横浜市は真犯人がいるかも知れない現場に立ち入り、ヒアリングし、検査することになります。
 
横浜市はそのことを承知の上で、敢えて臨時立入をするのではないか・・・。
 
この考え方は、出版社の記者とアルバイトの学生が病院内に無断侵入してスマホ撮影したときの動機と一致します。
 
「中に入って取り合えず写真を撮ったり、取材してみよう。まだ真犯人も院内にいるかもしれないから。」(私が推理したものです)という侵入動機です。
 
直接証拠が取れないから、間接証拠を得ようとしているのではないでしょうか。
 
ヒアリングしたときの回答の内容などに不審な点が見られないか、あるいは検査で指摘したことに対して、そのあとで証拠隠滅行為をする様子を監視カメラで得るなど、コロンボやコナンのシナリオのようなことです。
 
だからこそ、10月17日に立ち入りでもよい臨時立入を、敢えて早めて11日としたのではないか、そう思いました。
 
まもなくそれが始まります。

黄金の国ジパング(2) 銀量産開始と宣教師来日

「博多商人 神屋寿禎(かみやじゅてい)
岩見銀山開発 大陸より新しい銀精錬技術を導入。」(同上放送大学番組より要約)
 

Photo_2

博多発、浙江省寧波(ニンポー)行きに、成功した最澄と、漂流し漂着した空海(福建省)

804年、遣唐使の最澄が無事到着した寧波(上のマーク)、現在の浙江省 寧波市と、空海が漂着した福建省寧徳市霞浦県の赤岸鎮(せきがんちん)(下の赤い丸)、あとの2隻は不明と故障帰国でした。(GOOGLE MAPより)
 
銀の精錬所を岩見に博多商人が造ったことにより、我が国の銀の産出量が増えていったということです。
その時期は既に戦国時代、織田信長、秀吉の時代ですので、「黄金の国」の話に比べれば随分後の時代のことです。
 
熊野古道の塩屋王子に命じて、対馬だけでしか産出していない銀を奉納させたという古代の話を以前述べました。
日本は、黄金の国、どころか熊野古道往還の時代には、銀の生産に難渋していた国でした。
 
奥州街道を歩いているとき、街道筋の至るところで俵藤太(たわらのとうた)と黄金の話を見聞しました。
黄金については、俵藤太つまり藤原秀郷を論じなければ産出時代は推定できませんが、まずは銀について学びます。 
 
銀の国産化ニーズを把握していたのが博多商人神屋寿禎であり、おそらく購買者は博多居住の唐人で、輸出先は中国大陸だったのでしょう。
 
インドまで帆船を駆って紅茶の葉を大量買い付けにきていたのですから、英国の姿がなんとなく中国の港にもに見え隠れする気がしますが、スペイン、ポルトガルなども中国で銀取引をしていた可能性が高いでしょう。
 
銀の国産化のために神屋寿禎彼は妻子を捨てます。
よほどの信仰心か覚悟がなければ、普通の人間にはできないことです。
 
「(1)石見銀山と神屋寿禎の伝承 
大永 6 年(1526)、銀峯山(仙の山)に銀鉱を発見   
天文 2 年(1533)、銀鉱の精錬に成功(灰吹法)
中略。
 
(3)博多の近世地誌に見える神屋寿禎
*『石城志』(1765 年)巻七;
①神屋寿禎が妻子を捨て、明に数十年留まって「銀の吹よう」「錫・鉛より銀を取事」を習
得して帰国し、石見銀山をはじめ諸国に金山(銀山)を起こした。
 
②「近年、石見国かな山の者来りて、博多に神屋寿貞といひし人の子孫有やと問、同処に
波底寺といふ真宗(イ真言宗)の寺あり、是を再造せんとて、棟札をおろし見るに、筑前
博多住神屋寿貞建立と有よし語れり」。
 
中略。
 
(1)「策彦入明記」「御祓賦帳」に見える神屋一族
*小葉田淳(1969);  第十八次遣明船派遣時;総船頭神屋主計・神屋彦左衛門・主計の養子太郎左衛門・神屋加斗・神屋彦八郎・神屋寿禎・主計の子息次郎太郎・主計の婿孫八郎ら。
このうち、総船頭主計・太郎左衛門・彦左衛門らが入明。
第十九次遣明船には神屋新九郎が明に渡航。」
(「石見銀山と博多商人神屋寿禎」(九州大学  佐伯弘次)より)
http://ginzan.city.ohda.lg.jp/files/20110324154524.pdf
 
また、
「*『商人亀鑑 博多三傑伝』;
石見国宅の浦の真言宗寺院波底寺(波啼寺)に伝わった棟札の銘文を記す。
「天文五年丙申五月十五日上棟、筑前国石城府袖之湊博多津之住人神屋寿貞建立」
この棟札は、『石城志』が記す棟札と同一のもの。寿禎と石見地方の直接的な関係を示す
唯一の同時代史料。天文5年は1536年。「石城府」「袖之湊」は博多の異称」(同上)
 
第十八次遣明船派遣時に神屋寿禎は入明していました。
 
「遣明船(けんみんせん)は室町時代の応永11年(1404年)から天文16年(1547年)まで約1世紀半で17次(のべ84隻)に渡り、日明貿易(勘合貿易)に用いられた船のことである。
日明貿易には、両国により正式の渡航船であることを証明する勘合符が用いられたことから、勘合船とも呼ばれた。
 
足利義満は、応永8年(1401年)に僧の祖阿と博多商人の肥富を遣明使として派遣し、明との交易を申し入れ、明の使者から「永楽の勘合符」を得て、勘合貿易が始まる。
遣明船は当初、幕府が直接船主となり運航していたが、幕府の力がしだいに弱まるようになると有力寺社(相国寺、三十三間堂など)や有力守護大名(細川氏、大内氏など)が船主となり、これに博多や堺の商人、瀬戸内海の町、水夫が結びついて貿易を行った。
 
最終的には貿易の主導権を巡り細川氏と大内氏は争い、大永3年(1523年)には寧波で衝突(寧波の乱)し、大内氏は貿易を独占することになる。
 
結果、大内氏の本拠である山口は応仁の乱で荒廃した京都よりはるかに繁栄することとなった。
 
1406年(応永13年)に帰国した第二次遣明船は6~7隻と記録が残っており、1410年(応永17年)に足利義持が中止するまでの初期6回の遣明船の船団規模は同程度であったと推定される。
21年の中断を経て、足利義教が1432年(永享4年)に再開し、1550年(天文19年)までに11次51隻(このうち、幕府所有船は7隻で、朝廷船1隻、残りは守護大名、寺社所有船であった)が渡航している。」(遣明船-wikipedia)
 
「結果、大内氏の本拠である山口は応仁の乱で荒廃した京都よりはるかに繁栄することとなった。」ことは京都勢力からすれば遺憾なことであり、大内氏を滅亡させて、細川氏の時代を再構築すべき課題がはっきりしてきた、という見方もできます。
 
その後の日本史の流れは、天下取りは他者に任せましたが、「大内氏滅亡、細川氏復活、京都勢力回復」の方向で推移しています。
 
織田信長の安土城築城のあたりから、「行き過ぎた揺り戻し」に対して本能寺の変が必然的に起きたようにも見えてきました。
 
初期6回+中断後の再開で11次=計17回となり、神屋寿禎の入明が第18次遣明船となると、回数が合いません。
 
「大永3年(1523年)には寧波(ねいは、ニンポー)で衝突(寧波の乱)し、大内氏は貿易を独占」のニュースは、すでに1523年に寧波の港に出入りする外国人の間で知られていたことでしょう。
 
現在の中華人民共和国 浙江省 寧波市です。
ここの港と博多はもっと昔から行き来していました。
 
「804年(延暦23年)4月9日空海31歳は、東大寺「戒壇院」で唐の僧・泰信(たいしん)律師を戒師として具足戒を授戒し、桓武天皇から入唐の勅(ちょく)を賜(たまわ)り、「大福寺」で航海安全の祈祷をして、5月12日一般の留学僧(るがくそう)になり、遣唐使の橘速勢(たちばなノはやなり)らと四つノ船の第一船に乗って難波津を出航し、
7月6日肥前国(ひぜんノくに)松浦郡(まつうらごおり)田浦(たノうら)から大海へ出て、途中暴風に遭い、舵を取られ34日間漂流の後、
8月10日福州長渓県(ふくしゅうちょうけいけん、現在の福建省霞浦県)赤岸鎮(せきがんちん)に漂着し、
 
最澄らの乗った第二船も50日余り漂流して、明州の寧波(にんぽう)に漂着したが、第三船は孤島に漂着の後、命からがら日本へ戻り、第四船は消息不明です。」
(「真言密教、真言八祖八代の空海、弘法大師」より抜粋)
http://urano.org/kankou/topics/kuukai/
 
最澄らの乗った第二船だけが無事に目的地の「寧波」の港に着いています。
 
のちに遣明船が到着する「寧波」の港です。
 
一方、空海らは、福建省の赤岸鎮(せきがんちん)浜に漂着し、1船は不明、1船は目的を達せずに帰国しています。
 
遣明船-wikipedia記事の中に、第2次遣明船の18番目の派遣に「入明年 1549年(天文18年) 正使:策彦周良 船主;大内氏」(遣明船-wikipedia)とあります。
 
・・・。この年はザビエルが鹿児島に上陸した年です。
 

Photo_3

ザビエルの航程(経路は適当に引きました。ヨットマンでもある私が当時の船乗りなら、安全を重視して陸寄りに取るだろうと考えた線を引いています。そして私なら、寧波の港に着いたらそこの年配の船乗りに会って、最澄以来幾度となく往来している博多への航海方法を聞いて学ぶでしょう。)(GOOGLE MAPより引用)
 
地図にない危険な国、未知の国日本へマラッカから向かったザビエル、と今までは思っていましたが、中国人はその年までにすでに17回も遣明船を往復させていたのです。遣唐使、遣隋使を入れればもっと回数は増えます。
 
マラッカから海上を陸伝いに寧波港まで行けば、寧波から博多までは外洋航海なので難破のリスクはありますが、その間は遣唐使船、遣隋使船が日本との間を何度も往復していたのでした。
 
これも意外な「事実」です・・・。
 
ザビエルの航海は、さほど危険な航海でもなかったのではないか、また日本に鉄砲が伝来し、石見の新しい銀の精錬所が出来たという「事実」も知った上で、ザビエルは満を持して日本へ向かったのではないかと、推測されます。
 
もちろん、いまでさえも危険を伴う外洋航海ですが、『全人未踏の極東へのセーリング』という理解はヨーロッパ人独特のものであって、アジアでは古代、中世から頻繁に行き来していた土地柄だったと言えます。
 
「天文五年丙申五月十五日上棟、筑前国石城府袖之湊博多津之住人神屋寿貞建立」とありました。
 
天文元年は1532年です。
つまり、天文5年1536年に「博多津之住人神屋寿貞」は、岩見で銀精錬所を棟上(むねあげ)げしています。大工による建屋建築の祈願祭です。
 
すると、1536年以前に神屋寿禎は妻子を捨て、明へ入り、10年をかけて新しい銀精錬法を学び、 帰国していなければなりません。
 
1523年(大永3年)に正使;宗設謙道、船主;大内氏、正使;鶯岡瑞佐、船主;細川氏の2グループが派遣されていますので、これに神屋寿貞が乗り込んでいたとすれば、「妻子を捨てて10年間の修行」ということと、1536年の岩見銀山の棟上げがつじつまがあいます。
 
しかし、1540年にも「寧波の遣明正使湖心碩鼎の館」に居たという記録があるので、石見銀山の棟上げをして精錬所が完成したあとに、また入明していることになります。
 
「*神屋寿禎の系譜;
『石城志』巻之九「神屋伝」;神屋氏は本姓菅原氏で、その先祖は神屋永富であり、永富は
「京東八幡宮管領職」。永富以降の系譜は、永富―主計―寿禎―宗浙―紹策―宗湛。

嘉靖十九年(一五四〇)十月十一日、寧波の遣明正使湖心碩鼎の館で、神屋主計の亡父
潤屋永富禅門三十三白諱辰追薦のため懺法が行われた(「初渡集」同日条)。すなわち主計の父潤屋永富の没年は永正五年(一五〇八)。 」

(「石見銀山と博多商人神屋寿禎」(九州大学  佐伯弘次)より)
http://ginzan.city.ohda.lg.jp/files/20110324154524.pdf
 
主計とは寿禎の父のことです。
そして神屋寿禎は、1549年にも、ザビエルの初来日とすれ違うようにして、入明しています。
 
帰りの船で神屋寿禎がザビエルと同乗した可能性はありますが、ザビエルの上陸地は鹿児島であり、神屋寿禎は博多へ帰る必要がありました。
もし、ザビエルを運んだアヴァン船長操る「海賊船」という名の中国船が、そのあとで鹿児島から博多へと回航したとの記録があれば、『同乗説』も成り立ちます。
 
しかし、これらの記事からは両者の搭乗日時の一致まで正確に追い求めることはできませんでした。
 
なお、1549年に神屋寿禎が乗った遣明船は、正使;策彦周良、船主;大内氏となっています。
 
ザビエルの山口初訪問と、大内義隆謁見は、1550年11月上旬でした。
山口での布教許可を得るのは、その翌年のこと、1551年4月下旬の大内義隆に再謁見のあとでした。
 
「1550年8月、ザビエル一行は肥前平戸に入り、宣教活動を行った。
同年10月下旬には、信徒の世話をトーレス神父に託し、ベルナルド、フェルナンデス修道士と共に京を目指し平戸を出立。
 
11月上旬に周防山口に入り、無許可で宣教活動を行う。周防の守護大名・大内義隆にも謁見するが、男色を罪とするキリスト教の教えが大内の怒りを買い、同年12月17日に周防を立つ。
岩国から海路に切り替え、堺に上陸。豪商の日比屋了珪の知遇を得る。
 
失意の京滞在 山口での宣教
1551年1月、日比屋了珪の支援により、一行は念願の京に到着。了珪の紹介で小西隆佐の歓待を受けた。
ザビエルは、全国での宣教の許可を「日本国王」から得るため、インド総督とゴアの司教の親書とともに後奈良天皇および足利義輝への拝謁を請願。しかし、献上の品がなかったためかなわなかった。
また、比叡山延暦寺の僧侶たちとの論戦も試みるが、拒まれた。
これらの失敗は戦乱による室町幕府の権威失墜も背景にあると見られ、当時の御所や京の町はかなり荒廃していたとの記録もある。
京での滞在をあきらめたザビエルは、山口を経て、1551年3月、平戸に戻る。
ザビエルは、平戸に置き残していた献上品を携え、三度山口に入った。
1551年4月下旬、大内義隆に再謁見。
それまでの経験から、貴人との会見時には外観が重視されることを知っていたザビエルは、一行を美服で装い、珍しい文物を義隆に献上した。
 
献上品は、天皇に捧呈しようと用意していたインド総督とゴア司教の親書の他、望遠鏡、洋琴、置時計、ギヤマンの水差し、鏡、眼鏡、書籍、絵画、小銃などであった。
ザビエルは、初めて日本にメガネを持ち込んだといわれる。
 
これらの品々に喜んだ義隆はザビエルに宣教を許可し、信仰の自由を認めた。
また、当時すでに廃寺となっていた大道寺をザビエル一行の住居兼教会として与えた(日本最初の常設の教会堂)。
 
ザビエルはこの大道寺で一日に二度の説教を行い、約2ヵ月間の宣教で獲得した信徒数は約500人にものぼった。」(フランシスコ・ザビエル-wikipedia)
 
1550年前後の日本国は、大変なことになっているようです。
 
「望遠鏡、洋琴、置時計、ギヤマンの水差し、鏡、眼鏡、書籍、絵画、小銃」の輸入、石見銀山の量産体制の整備完了と生産開始、その輸出、など、高価な舶来商品や貴重な国内資源が博多の港から活発に出入りし始めていたことでしょう。
 
「大内氏が小銃を持っているそうな。わしにも取り寄せてくれ」などの、諸大名からの通信販売要請が堺経由で博多の神屋寿禎邸へ多数集まってきたことでしょう。
 
名古屋の清州城(コンクリート製)の中の陳列棚に、織田信長が国内の鉄砲鍛冶に製造させた小銃が飾ってあり、信長オリジナルデザインかと私は思いましたが、ザビエル持参品のレプリカだったのかも知れません。
 
次は黄金について考えてみます。

豊洲・五輪問題 風向き変化は10月6日か。 右目に涙跡のような

今日の豊洲問題のテレビ討論には不思議な風が吹き荒れていました。
タケシのタックルなど。
 
何かが変わったのか・・・。
 
内心それを私は6日(金)夕方に感じていました。
 
その日は下記の会談があった日です。
 
「辛子をきかせることも」二階氏、小池知事と会談へ(2016/10/06 11:48)
http://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000084962.html
より、そのまま抜粋します。
 
「自民党の二階幹事長はまもなく東京都の小池知事と会談します。これに先立って6日朝、安倍政権と対立する沖縄県の翁長知事とも会うなど、存在感を高めています。
 (政治部・中丸徹記者報告)
 
 自民党本部では二階幹事長の音頭で沖縄物産展が開かれています。普天間基地の移設を巡って裁判を抱える政府に代わって、沖縄県との関係改善を図ります。
 
 自民党・二階幹事長:「後ほど、私は東京都の知事と会わないといけないのですが、お土産は沖縄の辛子にしようかと。辛子をきかせることもあるからね」
 
 物産展には翁長知事も出席して、「スピーディーに色々やってくれる」と二階幹事長に感謝の気持ちを表しました。
 
そして、二階幹事長はこちらを出て都庁近くのホテルに向かいます。小池都知事とのランチに出向く形で、選挙の協力やオリンピックの予算問題など意見を交換します。
二階幹事長が活発に安倍政権の課題を解決することには期待する向きもありますが、一方で、官邸主導のバランスが変化することに警戒する声も出始めています。」(抜粋終わり)
 
いま読み返してみると、最後の行に「官邸主導のバランスが変化すること」を記者は予感しているようでした。
 
私はこのニュースはとくに問題視していませんでした。
 
その日の夕方のニュースか特集番組で、小池都知事へのインタビューの映像におやっと思った点がありました。
 
小池都知事の右目の下側に涙が流れたあとのような、化粧の反射率がある幅だけ上下に変化しているように見えたのでした。
 
ちょうど1㎝~2㎝の幅でかつて水が下瞼から下方へ流れ、そして乾燥してもとに戻った、という印象でした。
 
もし、涙であれば、TV取材の前に化粧直しをするはずですが、それすらも失念する状況が二階会談を含めてそれ以降夕方までの間に起きたのだろうか、と。
 
都庁内での会談なら、隣室に関係のないものがいることはできません。
 
が、ホテルの会議室なら、いろいろな人の参加も都庁職員の監視がないので可能だろうと推理できます。
 
小池都知事の態度には何ら変化は見られませんでした。
政治家だけに、さすがにポーカフェースは完璧だと思ったのです。
 
ただ、右目下に見えた涙跡らしいものの「光の微妙な散乱と反射」は気になっていました。
 
カメラの角度のため、左目のそれは確認することは難しかったようですが、右目ははっきりと高精細画像が表示されていましたので、観察が可能でした。
それから3日が経過しています・・・。
 
明らかに豊洲問題の風向きが今朝から変わってきているように感じました。
一方、都議会対応の疲労と寝不足のために、大あくびをして涙が流れた、という可能性も否定できません。

黄金の国ジパング(2) 「真珠の国ジパング」のこと。

「博多の唐人町に住むようになった中国人は、中国から白磁を輸入してきて、博多経由で京都へと普及させていったのです。
その結果、緑釉陶器や須恵器鉢は淘汰されていきました。」(同上放送大学番組より要約)
 
博多の街に唐風の豪商の家々が立ち並ぶのを見て、この国にも「国風」の家屋が必要だと博多の人は感じたのでしょう。
 
こういう陶器などを含む国内文化の廃頽も、唐風から国風を人々が求めるきっかけになっていったのではないか、と思われました。
 
真珠情報の海外発信の時期をまだ特定できていません。
藤原頼道の権力期間が半世紀も続いているからでした。
 
筥崎宮の神官が京都に行ったときに、たまたま物売りから真珠を買って博多へ持ち帰ったとありますので、筥崎宮と京都との関係を見れば、神主の上洛が始まった時期を知ることができるかも知れません。
 
「博多周辺の地は、京都の権門の荘園となっていき、博多周辺の寺社には中央の寺社の末寺や末社となっていきました。
 
永承6年(1051年)には京都の石清水八幡宮の別当が博多の近くの箱崎社の大検校(だいけんぎょう)となって云々。」(同上放送大学番組より)
 
「検校(けんぎょう)は、中世・近世日本の盲官(盲人の役職)の最高位の名称。檢校とも書いた。
 
元々は平安時代・鎌倉時代に置かれた寺院や荘園の事務の監督役職名であったが室町時代以降、盲官の最高位の名称として定着した。
 
江戸時代になると、国の座をまとめる総検校を最高位として京都に置き、江戸には関東の座の取り締まりをする総録検校を置いた。
検校は、専用の頭巾・衣類・杖などの所有が許された。盲官では、位階順に別当、勾当、座頭などがあった。」(検校-wikipediaより)
 
藤原頼道の関白実権掌握の期間は、1009年12月14日~1068年5月22日までの間でしたので、当時の検校とは「荘園の事務の監督役職名」を指すと考えられます。
 
「盲官(盲人の役職)の最高位の名称」に大を付けた人が筥崎宮にやってきたのが永承6年(1051年)だ、ということになります。
 
実際は京都住まいで、官職だけ筥崎宮大検校という場合があったでしょうから、その場合は筥崎宮神主は唐風の高価な土産物をはるばる京都まで持参しなければなりません。
この時期は藤原頼道の実権掌握期間の後半であって、まだ17年を残していますが、「頼道天下の末期」に当たります。
 
真珠の情報の中国への発信時期は、大検校が博多の筥崎宮へ派遣されて以降の、神主の上洛、贈答品の運搬と重なる、と私は推理しました。
 
つまり、1051年~1068年のどこかで、京都の物売りの真珠と値段が博多の中国人豪商の目に留まった、と私は推理しました。
 
「真珠の国ジパング」が中国大陸へ伝わった時期は1050年代頃だと推理できました。
 
果たして「黄金の国ジパング」の情報はそれより早いのか、それより後なのか、あとで考えていきましょう。
 
ところで日本三大八幡とは、「本宮の宇佐神宮、都への勧請以来本宮扱いの石清水、筥崎宮の三社」だということでした。
 
「日本三大八幡(にほんさんだいはちまん)とは、日本で最も多い神社である八幡神を代表する三つの神社の総称である。一般的に、
 
本宮たる宇佐神宮、
都への勧請以来本宮の扱いを受けた石清水八幡宮、
そして古い由緒を持つ筥崎宮の三社。
 
現在では、筥崎宮に換えて、後世になって知名度が高くなった鎌倉の鶴岡八幡宮を入れる場合もある。」(「神社と古事記」より抜粋)2015年06月12日
http://www.buccyake-kojiki.com/archives/1029130822.html
 
知りませんでした・・・。。
 
三大八幡は、宇佐、石清水、鶴岡だとばかり思っていました。
 
武家政権成立以前は、「古い由緒を持つ」ということで筥崎宮が三大八幡の一つだったのでした。この国に最初に出来た八幡宮が筥崎宮、つまり宇佐神宮の元八幡である可能性もその立地から感じられます。
 
朝鮮半島から箱崎の浜で到着、上陸して海上安全をまず祈るのが船乗りの常です。
そのうち、船の雇い主である人物は、シャーマニズム信仰のシンボルである山の上の岩を探して内陸部へと進みます。
 
博多湾から大宰府までは今は高速道路が通っていますが、古代は大宰府に水城(みずき)という長大な防塁が築かれていましたので、水路は九州の奥深くまで流れていた可能性があります。運河や河川として中津方面へ突き抜けていた可能性も感じられますが、地質学や考古学からの検証が必要でしょう。
古代中世の九州は筥崎宮から意外と「水行」が長かったのではないか。
 
私の大学受験のとき、筥崎宮の漆喰塀に沿って、とある小さな旅館の玄関に入り荷物を置きました。
すぐに合格祈願のために裏手の神社にお参りに行きました。
 
旅館の西側、海の方にすぐに神社があったと記憶しています。
そこが筥崎宮でした。
今は箱崎神社と呼びます。
 
昔は鳥居から海が見えましたが、いまはどうでしょうか。
 
結果は一発合格でしたので、さすがに戦いの神の御利益だったのかと、今、気づいた次第です。
 
「筥崎宮 (福岡県福岡市東区)
[社 格]名神 - 筑前国一宮 - 官大 - 別表 - 初詣
[御祭神]応神天皇、神功皇后、玉依姫命
 
「タマヨリビメ(タマヨリヒメ、玉依姫)は霊(たま)の憑(よ)りつく巫女[1]、神。『古事記』は玉依毘売命、『日本書紀』は玉依姫尊と表す。」(タマヨリビメ-wikipedia)
 
「霊(たま)の憑(よ)りつく」はこの国に根付いていたシャーマニズムを連想させてくれます。
 
卑弥呼か、あるいは同種の巫女がこの地に居たことが想像されます。
大国主命と同じ運命を辿ったと想像されます。
 
そういえば、大国主命と同じ方向、西方を筥崎宮本殿は向いて立っていました。
 
西は陽の沈むところ、暗いところ、つまり黄泉(よみ)の国、死の国の方向です。
 
この巫女に「陽」が当たらなくなったのでしょう。

黄金の国ジパング(1) 日本の黄金を求めるコロンブス

放射線晩発性障害の小出し情報に似た、コロンブスの極悪報道。
 
どちらも、聞けば聞くほど新発見の「事実」に驚きつつ、その「事実」と自分との距離が知るほどに近づいてきます。

5

「修道院の近くには、「カラベラ船埠頭」と呼ばれる屋外博物館もあり、コロンブスが第一回目の航海に使用した3隻の船の実物大レプリカが展示されています。
これはコロンブスが乗船した旗艦「サンタ・マリア号」。」(記事より抜粋)
 
PHOTO「コロンブスの出港地 パロス・デ・ラ・フロンテーラ」より引用
2015/01/18 00:00
http://www.tour.ne.jp/blog/myuspain/91686/
 
土曜の朝に、「朝一番 世界をつかむ」という番組をたまたま見ました。
 
マイケル・マカティアという京都で暮らした経験のある京都弁堪能なアメリカ人男性キャスターによる米国ニューヨークからの情報配信です。
 
NHK BS1 ワールドウオッチング
10月8日(土) 午前7時00分
 
その日の話題はコロンブスでした。
ご覧になった人も多かったと思います。
 
私の脳内にあるコロンブスのイメージが粉々に砕け散ることを実感する報告でした。
NHKの同番組紹介サイトから抜粋します。
 
「NYの旬の話題をお届け!  @NYC 
来週月曜日はコロンブス・デー。アメリカ大陸への到達を記念する日ですが、同時に「先住民虐殺が始まった日」として異論も出ています。
果たしてNY市民の意見は?
出演:マイケル・マカティア。以下略」(抜粋終わり)
 
日本国民はその事実を知らされていなかった・・・。
 
それでwikipediaを見てみると、ヒトラーをはるかに超える大悪人だということでした。
 
「1992年の「コロンブス500年祭」に合わせ、ラッセル・ミーンズは、「コロンブスは大西洋を横断した世界初の奴隷商人だ。
 
コロンブスの前では、アドルフ・ヒトラーはまるでただの不良少年だ」、
 
AIMコロラド支局代表のインディアン、グレン・モリスは、コロンブスを
 
「殺人者であり、強姦者であり、今日も続く大量虐殺思想の大立者である」、
 
ウィノナ・ラデュークは、
 
「生物学的、技術的、生態学的な侵入は、500年前のコロンブスの不幸な航海から始まった」
 
とコメントしている。」(クリストファー・コロンブス-wikipedia)
 
注)AIMとは「アメリカインディアン運動」のことです。
 
なぜコロンブスが大陸で収奪と殺人の限りを尽くしたのか、その理由も長いwikipedia記事に書いてありました。
 
正確には4回もアメリカ付近に行きながら、コロンブス自身は諸島の植民地化中心の活動で、メキシコやその北に広がる新大陸のあることに気づかないまま帰国し病死しているようです。
 
読んで驚いのは、なんと日本にあるという黄金を求めてポルトガルから西へ向けて出港したということです。
 
日本へ来たこともないマルコ・ポーロが書いた「東方見聞録」の記述を信じたことがきっかけだったようです。
 
「日本で金が取れるという事実」が新大陸の発見を誘発し、何百万人もの虐殺をコロンブスの指揮下、あるいはその手法を承継した後のスペイン軍によって行われたのでした。
 
日本人が色濃く関わっているはずの「コロンブスの軌跡」を、該当wikipedia記事を参照しつつ、国内情報と重ねて訪ねてみます。
 
なぜ当時の世界で「日本だけが金の宝庫」という話になっていったのか・・・、放射線晩発性障害と同様、私たちに繋がる「事実」を追いかけていきます。

2016年10月 8日 (土)

チェルノブイリ事故を考えることは自分を考えること(16) 無知

ストロンチウム-90 は体内で骨中に蓄積され、骨髄を傷つけ白血病を誘発することがある。
 
半減期が28.8年と比較的短いので、うっかり忘れていました。
 
先の記事と同じIPPNWドイツ支部の2015年12月末の記事を抜粋します。
IPPNW; 核戦争防止国際医師会議
 
「on 2015年12月31日 • by fapfap
IPPNWドイツ支部-Fukushima Newsletter (2015年12月号):         
原文(ドイツ語)へのリンク:Hohe Strontium-Konzentrationen in Zähnen und Knochen
 
高濃度のストロンチウムが歯中と骨中に
新しい研究結果(和訳:グローガー理恵)
 
ストロンチウム-90は、半減期が28.8年のベータ線のみを放出する”向骨性 ”の放射性同位元素であり、核災害における最も危険な放射物の一つである。
ストロンチウム-90 はカルシウムと似ていて、体内に吸収されると骨中に蓄積され、そこで敏感な骨髄を傷つけ白血病を誘発することがある。
 
この非常に測定困難なアイソトープは、仙台の東北大学の一つの博士論文*が示しているように、放射能汚染地域の土壌サンプルの中に検出されたばかりでなく、損壊された福島原発周辺の避難区域の若年牛の歯中にも見つかった ー 検出されたストロンチウム-90の放射能濃度はおよそ【150Bq/kg】である。
 
何よりも警戒すべきことは、放射能汚染度の比較的低い地域からの牛にもストロンチウム-90が検出されたことである。このストロンチウム-90の問題は、これまで想定されてきたよりも、はるかに深刻な問題なのかもしれない。
とりわけストロンチウムはセシウムよりも容易に栽培植物から取り入れられる可能性があり、検査されたサンプルの中には、ストロンチウムの濃度がセシウムよりも高い場合が幾つかあった。
 
また、避難区域のみがストロンチウム-90で汚染されているということは決してない。
例えば、福島原発から北部の40キロ離れた沿岸区域にある相馬市に非常に濃度の高いストロンチウム-90が検出されている。
 
さらに、福島原発から195キロ離れた、東京の北部30キロほどのところに位置する千葉県の柏市や福島から244キロ離れた大都市/横浜で、また東京首都圏でも、土壌に低い濃度のストロンチウムが見つかったのである。
 
放射性ストロンチウムを吸収したのは牛や家畜ばかりでなく、ヒトも、その相当量を空気、水、食べ物を通し吸収したという懸念が大きい。
それゆえに、フクシマ問題に真剣に取り組んでいる日本の科学者たちは、ストロンチウムを検出調査するために、日本中の子どもたちの乳歯を集める活動を開始した。
 
1960年代に米国で類似した研究調査が実施されたが、その結果、アメリカの子どもたちの乳歯中に非常に高い濃度のストロンチウムが検出され、この調査結果は、世界中の地上核兵器実験を禁止することに寄与したのだった。」
(「如何に福島医大が彼ら自身の調査をサボタージュしているか」より抜粋)
http://fukushimaaction.com/?tag=ippnw%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E6%94%AF%E9%83%A8
 
また、一つ知識が増えました。
 
ストロンチウム90が降下した関東に住む私ができることは、毎度の血液検査のとき、白血球の個数に注意し、急激な減少があった場合は「骨髄の異変と関連があるかもしれない」、と今後思うようすることです。
 
学んだことによって、できなかったことが、できるようになりました。
これまでは、白血球の数の増減など、私には関係ないことだと思っていたのでした。
 
「ストロンチウム90の無知」から一歩前進です。

チェルノブイリ事故を考えることは自分を考えること(15) 後代

私はがん遺伝子については無知です。
 
しかしながら、放射線取扱主任者試験(第 1種 - 原子力安全技術センター)を2回受験し、2回落ちていますが、合格を目指して20歳代に「ある程度勉強した」経験はあります。
 
落第者ですので、偉そうには言えませんが、「ずぶの素人」だから「無知のまま過ごす」ことはいけないと思っています。
 
先に紹介した下記の記事に世代を超えて続く可能性のある内部被ばくのことが若干触れていました。
 
「放射線による被曝には、体の外の放射線源から受ける「外部被曝」と放射性物質を含むチリなどを呼吸で吸い込んだり、放射能汚染された植物を食べたりして体内に取り込んでしまい、体の内から放射線の影響を受ける「内部被曝」がある。
 
この内部被曝は、放射性物質が体内に残存すると、放射線を出し続けて細胞を照射するため、影響が後々まで尾を引くことになる。」
(「市民と科学者の内部被曝問題研究会」会見リポート 日本記者クラブより抜粋)
http://www.jnpc.or.jp/activities/news/report/2013/03/r00025475/
2013年3月11日    15:00〜 16:30
 
「影響が後々まで尾を引くことになる。」とは、例えば直接内部被ばくを受けた人が10年後やそれ以上あとで例えばがん化するなどを指していますが、別の記事(見たことはあるのですが、いますぐに出典を示せません、探していますが)によれば最大4世代あとまで影響が残る場合もある、とのことです。
 
おそらく生殖細胞の遺伝子に何らかの障害を受けた場合、それが子や孫へと承継されて、晩発性障害が世代を超えて「ずっとあと」で出て来る可能性を言っているのではないかと思います。
 
チェルノブイリ事故(1986年)から30年が経過し、チェルノブイリ事故の被爆者は、現在被爆者(1世代)の子の2世代が3世代の子を産む時期に当たります。
2世代には出なかった障害が3世代や4世代に突然発症するリスクのあることを、知識として理解しておく必要があります。
 
とくに、2011年3月にフクシマから関東一円まで到達した放射能雲(プルーム)が体内に到達した可能性のある私たち日本人にとって、「知識すら知らなかった」という過ちは許されません。
 
親が知らなければ、子は知ることができなくなり、孫も知ることもできません。
そして知らないままで、ひ孫に障害が出た場合、それが120年後であれば1世代は生存していません。
 
ひ孫の健康障害に対して、いったい誰が責任を負うのでしょう。
 
先の記事「チェルノブイリ事故を考えることは自分を考えること(13)健康被害の責任」ですでに述べたように、10月6日の国家答弁で、世耕経済産業大臣は、「福島第一原発の事故の健康責任は東電が負い、国は適切に対処する」と答えています。
 
そういう重要な事柄を知る機会も得ないまま、第4世代のひ孫はどうやって治療を受け、人生を全うすればよいか、路頭に迷います。
 
直接内部被ばくを受けた可能性の高い、今の「大人」である私たち1世代が、大切な情報を後世代に引き継いでいく責任と義務があります。
 
「専門家・研究者による会見・シンポジウム 政府は被ばく被害を過小評価せず被ばく回避に努めよ」
2014 年 8 月 17 日付「政府広報」に対する批判
2014 年 9 月 15 日 上智大学 12 号館 203 教室
http://acsir.org/data/20140915_acsir_symposiumstatement.pdf
 
この資料の中に、「後世代への影響」を記述している下りがありました。
遺伝的影響に関する意見だと思いますので、抜粋します。
 
このIPPNW ドイツ支部文中に、「被ばくによる遺伝子損傷の9割は第二世代以後に発現」と書いていますが、「以降」何世代あとまでその影響が存続するのかについては記載がありませんでした。
IPPNW;核戦争防止国際医師会議
 
「すでに死産率と甲状腺がんの増加が観察されています。」と2012年に認めています。
先の国会答弁との違いが甚だしいことに驚きました。
 
「被ばくによる遺伝子損傷の9割は第二世代以後に発現します(『チェルノブイリ原発 事故がもたらしたこれだけの人体被害:科学的データは何を示している』( IPPNW ドイツ支部著、松崎道幸監訳、合同出版、2012)より抜粋します。
 
「中略。
 
放射線被ばくは、がんだけでなく、脳卒中、心臓病をはじめとした全身の様々な 病気および次世代への遺伝的影響を増やすことが、多くの調査で発表されています。
 
現在、福島などで事故前の 10 倍以上の空間線量の地域に住んでおられる地域の方々 には、がんだけでなく、心臓病・脳卒中・呼吸器疾患など全身の様々な病気が増える心配があると考えなければなりません。
 
すでに死産率と甲状腺がんの増加が観察されています。
 
加えて、放射線被ばくの健康リスクをとても小さく見積もる誤った 政策のために、線量の高い地域で暮らし続けるあるいは、線量の高い地域に帰還するなどの政策がすすめられています。

福島事故の放射線被ばくによる健康被害は決して「わずか」に留まるとは考えら れません。 
3. で示したように、福島の中通りなど高線量地域に住み続けた場合 の健康リスクは大きくなるおそれがあります。

まとめ
2014 年8月 17 日付各紙に掲載された政府広報(復興庁、内閣官房、外務省、環境省)の『放射線についての正しい知識を。』は、IAEA(国際原子力機関)保健部長のレティ・キース・チェム氏と東大医学部准教授の中川恵一氏の講演概要を大々 的に報じました。

中川氏の講演には、現代の放射線科学の諸成果を無視した誤りが目立ちます。
 
日 本では、被ばくの影響を小さく見せようとする「専門家」だけを重用する役所と政治家が、福島原発事故による放射線被ばくの人体や環境に及ぼすリスクを過小評価した被ばく対策を作り、回避できる被ばくを逆に増大させています。

安倍晋三内閣は、人権擁護と予防原則に則り、放射線被ばくの健康被害を隠したり過小評価したりする一部の「専門家」の意見だけを重用することを直ちにやめ、 今日の研究成果に基づき、被ばく回避と緻密な長期的検診体制の構築を喫緊の重要課題として直ちに取り組むべきで、高線量地域への帰還施策をやめるべきです。 」(抜粋終わり)
 
「被ばくの影響を小さく見せようとする「専門家」だけを重用する役所と政治家」という厳し指弾を海外から受けていることにも驚きました。
 
IPPNWドイツ支部 – アレックス・ローゼン(Alex Rosen) 小児科医は次のような記事を書いていますので、その指摘をしたのもこのドイツ人小児科医である可能性を感じます。
 
この記事は今年の8月の掲載です。
 
「如何に福島医大が彼ら自身の調査をサボタージュしているか」です。
http://fukushimaaction.com/?tag=ippnw%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E6%94%AF%E9%83%A8
2016年8月29日 • by fapfap
「IPPNWドイツ支部 – アレックス・ローゼン(Alex Rosen) 小児科医による批判:如何に福島医大が彼ら自身の調査をサボタージュしているか
 
ご紹介させていただきますアレックス・ローゼン医師の論評は、2016年6月15日に福島民友オンラインに掲載された「甲状腺検査の在り方は 受けない意思も尊重』」と題された記事に基づいたものです。
 
福島民友の記事は、甲状腺検査を巡るコミュニケーションを担当する福島医大の緑川早苗准教授が、昨年から学校を訪れ、子ども向けの出前授業を始め、そこで緑川氏が「がんが見つかったら嫌だと思う人は、甲状腺検査を受けない意思も尊重されます」と、子どもたちに話しているという事について触れています。その他の詳しい内容については下記のリンクをご覧になって下さい:
http://www.minyu-net.com/news/sinsai/michishirube/FM20160615-084642.php
」(抜粋終わり)
 
私たちも学ぶ必要がありますが、子や孫やひ孫のために、学んだことを伝えていく必要の方がずっと大きな責任です。
 
第1世代(自分たち大人)のがん遺伝子検査をして、先端科学技術の分析結果に安心する・・・、などという単純な問題ではありません。
 
ドイツ人さえ怒っている内容を当事者の日本人として冷静に理解し、そして単純な行動をとるということに尽きます。
 
学んだことを記録し、後世代に伝えること。
そして、今できることを行うこと。
日々の暮らしでは免疫力を高めリンパ球の活性力を増すように配慮すること。
 
主権者としては選挙権の行使です。
まともな政治を行う人物を国会に送ることです。
 
東京都都議会でこれから行われる議員選別と同じことを、もっと明確に意思表示することです。五輪や築地移転などの「小さな問題」に目を奪われないことです。
 
昔、浅間山荘事件のテレビ中継を数日間国民が見ている間に、北京空港にアメリカ大統領が降り立ち、日本より先に対中外交を開始したことは、数十年経過した後に報道で知りました。
 
「浅間山荘事件」という少数の日本の若者が演じた鉄砲発砲事件という「小さな事件」と、米国の対中貿易開始時期を知らなかったということがその後の日本の発展にどれだけ影響を及ぼしたか、考えればわかることです。
 
昔、テレビの普及によって国民がすべて無知になるといった人がいました。
この警鐘をネット社会の今、思い起こす必要があるようです。
個々人から発信されるジャーナリズムに力がつくのはいつか、問われています。
 
「テレビに至っては、紙芝居同様、否、紙芝居以下の白痴組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって、『一億白痴化運動』が展開されていると言って好い。
— 「週刊東京」1957年2月2日号 - 大宅壮一」(一億総白痴化-wikipediaより)
「日本のジャーナリスト、ノンフィクション作家、評論家。 」(大宅壮一-wikipedia)

寝ること!

チェルノブイリ事故を考えることは自分を考えること(14) 
「もうがんにならない」というテレビ番組を見ました。
がんに罹ったことのある医師が多数参加して、がん予防や告知受け体験や治療体験などについて語っていました。
 
一人の医師がある予防策を述べると、別の漢方医はそれを否定するなどあり、医師の間でも統一されていない難しい問題だとわかりました。
 
面白かったのは、船戸クリニック院長の船戸祟史の提案する生活改善法でした。
(消化器外科医、在宅診療、岐阜県養老郡)
 
船戸院長はがんになって、開腹手術で左の腎臓を摘出したことがあり、まずい生活習慣を改善しようと決めたようです。
 
「1)毎日食べる・・・納豆メカブ、ニンジンジュース(リンゴで甘み加える)御飯を食べる時間がなくても、これらだけを食べる。
 
2)夏でも靴下をはく(くるぶしを隠す)・・・血管の太い足首から冷える、冷えるとリンパ球の活性が下がるから、体温を上げる。
 
3)往診時に少しでも歩き体温を上げる。(筋力アップ、体温アップ、免疫力アップ)
 
4)家族と笑う(リンパ球活性化)
免疫細胞活性化に効果。
「ハハハハハ」と大きく笑う。
一人の時は鏡に向かって無理に笑うと、鏡の像のおかしさに脳が反応して本当におかしくなる。
 
5)最低6時間の睡眠
早い人で3秒に1個がん細胞ができる。
遅い人で30秒に1個できる。
(計算は紹介しなかったが・・・)毎日5000~6000個できる。
リンパ球ががんを消してくれるのは夜⇒6時間寝ることが必要。」
(番組紹介終わり)
 
 全体に通じているのはリンパ球の活性化条件を整えるということのようです。
がん細胞をやっつけてくれるのは、主に夜寝ているときだから、十分な睡眠をとるということのようです。
 
放射線障害はリンパ球や血球にも生じますので、免疫力が低下した場合、発生したがん細胞数千個/日の中の「いくつか」が消滅せずに、活性化してしまうのかもしれません。(素人感想です。)
 
この中に、「ウォーキングは有効」との意見が含まれていて、4㎞程度歩く努力をしている私は勇気づけられました。
 
なお、毎日勤務している若い人々は、だいたい4㎞くらいは通勤時間帯に歩いていると思われます。少ないと思う人は、一駅手前から歩くなどの工夫をしたらよいでしょう。
 
私が日勤していたときは、新宿から市ヶ谷まで、甲州街道約2㎞を片道だけ毎日歩いていました。
 
帰りになぜ歩かないのか?やってみればわかります。
 
東京の異常な通勤電車混雑事情によるので、地方では復路もあるけると思います。
会社から自宅まで歩ける距離の人は、一気に自宅へ歩いていけばよいでしょう。
 
途中で電車で帰宅する必要がある場合、下記の問題がありました。
 
夏場は汗を一杯かきます。
新宿で満員電車に乗ります。
匂います。
嫌がられます・・・。
それで往路のみ歩くようにしました。

チェルノブイリ事故を考えることは自分を考えること(13) 責任

10月6日の参議院予算委員会での質疑応答の一部です。
 
10月7日付け記事「チェルノブイリ事故を考えることは自分を考えること(9) 宝くじ」に関連した続報です。
 
山本太郎議員の質問は、次の通り。
 
「原発の安全に対して国が責任を持つとのことだが、事故によって健康を害した人や健康を害すると怖れを抱く人に対する責任も国は持つのか?」
 
世耕経済産業大臣の回答です。
「福島第1原発の事故の補償は東電が責任を持つ、国は適切に対処する。
今後の稼働開始した原発において、あってはならないことだが、万万が一事故があった場合の責任の取り方は、現在原子力安全委員会で議論をしているところ。
両者を分けて考える必要がある。」
 
次に甲状腺がん検査の実態を質問しました。
「現在甲状腺がん、もしくは甲状腺がんと疑われている子供たちの数をご存じでしょうか。知らなければ知らないとお答えください。」
 
山本公一環境大臣が回答。
「環境庁が開催した専門家会議中間とりまとめでは、センコウ検査で発見された甲状腺がんについては、原発事故由来であることを積極的に示唆する根拠は現時点で認められないということに、されています。
福島県が開催した検討委員会の中間とりまとめでも、これまでに発見された甲状腺がんについて放射線の影響とは考えにくいと評価されています。」
 
同じ質問を安倍総理にも行ないました。
 
安倍総理
「数については事前質問をしていただかないと答えられない。また他県でも甲状腺がんは発生しているので、それらとの比較において考えねばならないが、特段に障害が多くなっていないということは承知している。」
 
山本太郎議員
「今年9月の最新情報によりますと、(福島県で)甲状腺がん、またその疑い(のある子どもは)174人、病気を除いて174人です。
中略。
 
もともと何人に一人の確率で甲状腺がんが存在すると言われていたか、これ、官邸に対してね、助言を行う方がおっしゃってます。
 
原子力災害専門家会議の一員、県民健康調査委員会の初代座長、ミスター100mSv.
山下俊一さん。
 
2009年日本臨床内科医会の会誌でこうおっしゃっている。
 
『日本では思春期を越えた子供の甲状腺がんをまれにみるくらいです。
その頻度は年間100万人に一人と言われています。
これは欧米、日本、ほぼ変わりありません。』
 
東電原発事故のあと2011年11月にもおっしゃっている。
日本原子力学会誌においても、
 
『100万人に一人という、まれな小児甲状腺がん』
 
こうおっしゃっているんですよ。
 
あの山下俊一さんぐらいの方でもそうおっしゃっているぐらい、レアケースなもの。
 
総理、100万人に一人と言われるところが、38万人に174人。
この状況っておかしくないですか?」
 
詳細は質疑応答の録画やNHKオンデマンド、動画サイトなどをご覧ください。

2016年10月 7日 (金)

チェルノブイリ事故を考えることは自分を考えること(12) チラシ

埼玉県北本市にある北本共立診療所が発行しているチラシに、「青森・岩手・秋田・山形・茨城・新潟の死亡者が1996年、97年、98年と急上昇し2000年には急減している。」ことが掲載されていました。
 
「チラシ」とありますので、近隣の住民あてに診療所が配布したものと思われます。
 
信憑性はわかりませんが、この人は死亡者数の増減を調べたようです。
 
このブログに示したグラフはがんに罹った人の人数の増減を示していますが、チェルノブイリ事故から10年後に何らかの変化点を見出している点は、私のがん罹患数推移グラフ分析とほぼ一致しています。
 
チェルノブイリについて考えることは、すなわち自分自身について考えることと同じだと実感しました。

2_2

彼我の距離感がわかる地図を再掲します。(google mapより引用)
 
【注目】乳がんと放射能 その因果関係について
2012/1/22 2013/10/21 放射能による環境汚染
http://after311.info/radioactivity/post-743/
 
より、「チラシ」の内容を抜粋します。
 
「チェルノブイリの原発事故の1986年にセシウム137降下量が秋田県で急増し、その後急減している。放射性物質が体内に入り内部被曝により乳がんが発症し死亡するまでに11年程度かかるといわれているが、
青森・岩手・秋田・山形・茨城・新潟の死亡者が1996年、97年、98年と急上昇し2000年には急減している。チェルノブイリの事故から10-12年であり、乳がんの潜伏期間に相当している。
内部被曝が乳がんの発症原因に濃厚な関係である証左と考える。
 
上記の事実を考え合わせると、福島原発の事故による放射線の放出による影響は10から12年後に、乳がんの死亡率の高騰を招く可能性は高い。
 
前回のニュースで小生が指摘した乳がん死亡率の急上昇に、この福島原発の事故による放射能の汚染が、さらに拍車をかけることは疑いの余地はないと思われる。(所長:青山邦夫) 北本共立診療所 診療所ニュース第105号より転載」(抜粋終わり)

チェルノブイリ事故を考えることは自分を考えること(11) 基本

がん遺伝子-wikipediaを読みましたが、難しくてわかりません。
 
今の議論には、この手の先端技術の理解は必要ないでしょう。
 
もっと基本、基礎的なことの順守の是非論です。
例えば、「風邪をひかないようにうがいをしましょう!」などと同類の話です。
 
このサイトの中にある下段のレジュメが内部被ばくのことを理解しやすかったです。
「市民と科学者の内部被曝問題研究会」会見リポート 日本記者クラブ
http://www.jnpc.or.jp/activities/news/report/2013/03/r00025475/
2013年3月11日    15:00〜 16:30
 
⇒[レジュメ]
「日本政府はチェルノブイリ周辺住民と同様な基準で住民を保護する義務がある 被曝に関する人権宣言(趣旨)」矢ヶ﨑克馬氏 資料 追加修正版(3/25 UP)
http://www.jnpc.or.jp/files/2013/03/b2b8fc9c18fd37eaa900753238dc77c1.pdf
 
このレジュメの中の図3を見て、名古屋市に住んでいた外国人の知人家族がスエーデンへ移住した意味が理解できました。
 
彼らが母の故郷でさえある日本を脱出した理由が、「今にしてようやくわかった」という感じです。
 
また、下記のサイトにある講演動画も理解に役立ちました。
「放射線に関する政府の全面広告・安全キャンペーンに科学者や医師が真っ向から批判」
http://iwj.co.jp/wj/open/archives/169142
2014.9.15
場所 上智大学四谷キャンパス12号館203教室
主催 市民と科学者の内部被曝問題研究会(告知)
 
「『放射線についての正しい知識を』――8月17日付の全国紙に、政府広報・復興庁が全面広告を掲載した。これに対し、9月15日、「市民と科学者の内部被曝研究会」や賛同者11名が集い、政府広告の批判文書を作成したことに関する緊急記者会見とシンポジウムを上智大学で行なった。 以下略、」(上記サイトより抜粋)
 
今から2年前に上智大学で行われた議論です。

横浜点滴殺人事件(14) 縦割り

今日10月7日も真犯人逮捕の報道はありませんでした。
横浜市は10月11日に立ち入り検査するとしています。
 
仮に、真犯人が病院内にいても検査できるのだろうか・・・?
 
よく似た構造にあることに当事者たちが気づいていないのかもしれません。
「縦割りの弊害」などと呼ばれます。
 
盛土(もりど)がないのに豊洲市場をオープンしようとする。
 
真犯人が特定できていないのに、病院管理が適正かどうかを査察し是正指示する。
 
盛土は土木技術の仕事だから、建築技術は建築の常識に従って地下空洞を設計するのだ。
建築がああ言うのだから、ビルの下は盛土は不要だと考えてよいのだろう。
同じ構図で想像してみます。
 
真犯人逮捕は警察、検察の仕事だから、つかまっていないけど、病院の営業可否を審査しよう。
真犯人逮捕はされていないけど、立入検査をして是正処置をしてもらい営業可能な体制整備を早く進めよう。
 
前者は、土壌安全確認ができない状態で、生鮮魚類市場の開業を行う寸前まで行きました。
「寸前まで行った」という事実に驚かざるを得ません。
 
後者は、真犯人がどこで何をいましているのか、まったく断定できていない状態で、病院経営の監督官庁の査察を受け、適切な改善策を講じて外来営業、新規入院患者受け入れのための改造工事に着手しようとしています。
 
豊洲問題と同じに考えれば、百歩譲って工事実施までは許せますが、不安全なままの営業開始は許されませんでした。
 
グリーン女神が降臨しなければやっちゃってましたが・・・。
 
つまり、百歩譲って病院内の施設改造工事着手までは許されますが、真犯人がどうやって犯行を実行したのかが不明なままで、外来と新規入院、4階での休日深夜の点滴を実施することは許されません。
 
そういう停止条件付の立ち入り検査であると公言してくれていれば、私は心配はしないのですが、記事などを見る限りは「管理監督のための立ち入り」としか書いていないようです。
 
通常は管理者として問題点を抽出し、期限を示し是正指示をするのでしょう。
 
「是正完了」で営業OKとなります。
 
そのときに真犯人はどこにいて、何をしているのかを明らかにしなければなりません。
 
点滴を受ける患者さんの身になればわかる話です。
 
病院の公式サイトにも太字で断りが書いてありましたが、意識がないような重篤な患者さんが多い4階のようですが、
意識がなくても守ってあげる必要はあります。

チェルノブイリ事故を考えることは自分を考えること(10) もしも

もしも私が著名人であったならば、そして同時にがん治療中の患者であると仮定して空想してみます。
 
これまでの記事から一定の知識を得て、あるべき国の姿を描きます。
 
まずは闘病を優先しますが、快癒後の活動の準備も並行して進めます。
 
そして、ある程度活動が可能になったら、ベッドの上から衆議院選挙に立候補します。
 
著名人なのですから、100万人が私のこのブログを読んでいることでしょう。
私の立候補の目的も公開していますので周知の事実となっています。
 
当選したら、車いすで国会へ行き、自分や子や孫のそのあとの代までリスクを負わせるという晩発性放射能障害の徹底調査と適切な生活対策を講じるよう政府に求めます。
 
よしんば、総理大臣となって、自らその政策を実行することまで考えることでしょう。
 
私は著名人ではありません。
よって、15名程度の人にこの記事を読んでもらうだけで、私の考え方や目的などは、いずれ土中に埋葬されます。
 
著名人であることは、病になったとはいえ、絶大なパワーを保有しているのです。
 
使うか、使わないか、それはその人の自由です。
 
訂正)今日だけは35人の方が見てくれていました。

チェルノブイリ事故を考えることは自分を考えること(9) 宝くじ

総理大臣や環境大臣の質問回答の中に、「確定的」という言葉と、「確率的」という言葉が国会参議院予算委員会(10月6日)の答弁で使用されていて、私は煙に巻かれてしまいました。
 
検索すると、下記が見つかりました。
偶然ですが、先に報告した研究会の理事長による公開資料です。
参考までにサイトアドレスをご紹介しますので、確定的、確率的を理解したい場合は熟読をお勧めします。
 
『「直ちに健康に影響しない」が晩発性障害は確率的に発症する-福島原発事故による被曝
テーマ:原発問題』
http://ameblo.jp/kokkoippan/entry-10846760927.html
2011-03-31 11:47:46
 
「※ポスドク(高学歴ワーキングプア)問題を解消する取り組みなどで、お世話になっている日本科学者会議のみなさんから、「転送・転載で出来るだけ広く周知してください」とのことでメールをいただきましたので、転載させていただきます。(byノックオン。ツイッターアカウントはanti_poverty)
 
 福島原発事故による被曝について
 (沢田昭二・名古屋大学名誉教授 物理学)」(題名、注釈のみ抜粋終わり)
 
内容は省略します。サイトをご覧ください。
 
確率的現象だからこそ、低線量でも長期間経過後に生じ得ると理解しました。
 
宝くじに当たる確率は確率的です。
 
くじを買わねば当たりません。
放射線物質を体内に入れなければ障害は起きません。
 
しかし、くじを買えば、確率によって当たることもあります。
同じく、低線量といえども体内に被ばくすれば、長期間細胞が放射能に暴露されるので、ある確率でがん化する可能性が生じます。
 
日本人、とりわけ関東を含めた東日本全体の日本人は、この確率論の中にあります。
 
東京に住み、九州産の野菜を購入して生活しているから私は大丈夫という人もいるでしょう。しかし、産地偽装を行っていれば、いつかは少量の放射能汚染物質を体内に取り入れている可能性、つまり晩発障害の確率は生じます。
 
運がいい人は、確率のお陰で、たった1枚の宝くじを買って1億円を当てる人もいます・・・。
宝くじを買ったから当たったのです。
 
関東に住んでいるから、私は晩発性放射性障害を生じるある確率を得ていますが、もしドバイやスエーデンに住めば、その確率は限りなく小さくなります。
 
発がん遺伝子が自分にあるかどうかの議論は、ここでは無意味です。
 
正常な遺伝子であっても、長期間ののちに、細胞にくっついている小さな放射線物質が遺伝子の構造を変え、或いは部分的に破壊し、原発事故の数年後あるいは10年後に突然がん化させることを晩発性放射線障害といい、内部被ばく(体内に取り込んで定着した放射能汚染物質)を原因とするものです。
 
既に記載しましたが、内部被ばくによる晩発性障害は、低濃度ほど長期間のちに生じる傾向になるとのことです。
 
線量が閾値以下だから、ただちに健康に影響はないという説明を繰り返しききましたが、それは確定的に生じる対内外被ばくによる急性障害のことです。
 
ただちに生じる障害は晩発性障害ではありませんので、ただちに生じないことは当たり前のことです。
 
「当たり前の言葉」に私は安心してしまい、この5年間安心して関東で暮らし関東の食物を摂取し、ウォーキングで大きく外気を吸いこんで生きてきたのです。
 
これらの知識を正確に5年前に得ていたら、私の生活のスタイルは相当変わっただろうと思われます。
 
知らせなかったことの責任は、「施設の下に盛土がなかった過失」に比べて格段に大きいのですが、メディアは今日も、過大な時間を盛土問題に当てています。
 
国民が学び賢くならない限り、視聴率の高くなる楽しい報道に振り回されることになります。
 
それは自業自得です・・・。

チェルノブイリ事故を考えることは自分を考えること(8) 科学者の目

「小児甲状腺がんの発生率は、すでにチェルノブイリかそれ以上の可能性」
 
福島の事故後2年目の科学者の見解がありました。
研究会の設立は事故の1年後です。
 
日本記者クラブのトップページ
http://www.jnpc.or.jp/
から、下記記事を閲覧できますので、現時点でも公開している会見レポートです。
 
「市民と科学者の内部被曝問題研究会」会見リポート 日本記者クラブ
http://www.jnpc.or.jp/activities/news/report/2013/03/r00025475/
2013年3月11日    15:00〜 16:30
「市民と科学者の内部被曝問題研究会」沢田昭二・理事長(名古屋大学名誉教授)、矢ヶ﨑克馬・副理事長(琉球大学名誉教授)、生井兵治・常任理事(筑波大学名誉教授)、同研究会会員の松崎道幸・北海道深川市立病院医師    10階ホール
 
より一部抜粋します。
「研究テーマ
シリーズ企画「3.11大震災」
 
会見メモ
2012年1月に発足した、「市民と科学者の内部被爆問題研究会」の沢田昭二理事長(名大名誉教授)、矢ヶ﨑克馬副理事長(琉球大名誉教授)、生井兵治常任理事(元筑波大教授)、松崎道幸・北海道深川市立病院内科部長が、福島原発事故での内部被爆問題の現状を踏まえ、会見した。
沢田理事長は、福島の小児甲状腺がんの発生率は、すでにチェルノブイリかそれ以上の可能性があり、これ以上放射線被爆をさせないために、速やかに移住・疎開対策を進めるべきだと、うながした。
 
福島の土壌汚染面積はチェルノブイリ事故とほぼ同じ範囲だが、人口密度が高い分、甲状腺がんのリスクが増す。国は、除染で取り除いた土壌の最終処分場をどこに置くかを決めなければならない。
 
科学的なデータを基に、住めない、帰れない地域が出てくることを国民に説明する必要がある、とも。
 
司会 泉宏 日本記者クラブ企画委員」(抜粋終わり)
 
このサイトの下段に、会見に同席した記者のレポートが掲載されています。
該当部をすべて抜粋します。
 
「放射線による被曝には、体の外の放射線源から受ける「外部被曝」と放射性物質を含むチリなどを呼吸で吸い込んだり、放射能汚染された植物を食べたりして体内に取り込んでしまい、体の内から放射線の影響を受ける「内部被曝」がある。
 
この内部被曝は、放射性物質が体内に残存すると、放射線を出し続けて細胞を照射するため、影響が後々まで尾を引くことになる。
 
事故から2年目となった3月11日の記者会見では、沢田理事長ら4人が、「放射性物質に汚染された地域の住民の内部被曝は、軽視・無視されている」と政府、自治体の無為無策を告発した。
 

放射線量が積算で100・シーベルトを下回った場合、発がんにどの程度影響を及ぼすかについては、科学的に信頼できるデータは存在しないとされている。

 

しかし、松崎道幸・北海道深川市立病院医師は、最近10年ほどの研究成果によって低線量でも発がんリスクが有意に増加していることがわかってきたと説明。

 

一例として、10・シーベルトで発がん確率が3%増加するとした、原発労働者の疫学調査を挙げた。

 

そのうえで、福島の土壌汚染度は、甲状腺検診地域として選ばれたチェルノブイリ周辺と同じであると指摘し、「福島の小児甲状腺がんの発生率はすでにチェルノブイリと同じかそれ以上である恐れがあり、(子どもたちの)速やかな移住・疎開の必要がある」と訴えた。

 

こうした指摘に政府、自治体はどう応えるのだろう。まずは正確な科学的データによる冷静な論議を期待したい。

 

読売新聞調査研究本部主任研究員 三島 勇 」(抜粋終わり)

 

3年前のこの記者の考えに、私も全く同感です。

 

その後の「正確な科学的データによる冷静な論議」はどうなっているのか。

気になりましたので、昨日の国会参議院予算審議をテレビ録画してみました。

 

その感想もこのブログに掲載しましたが、おおいに不安を感じる質疑応答の様子でした。

 

詳細は、10月7日付け、「チェルノブイリ事故を考えることは自分を考えること(5) 国会」を参照してください。

 

事故から5年後になったいまでも、「正確な科学的データ」などは存在しないかのような雰囲気でした。

チェルノブイリ事故を考えることは自分を考えること(7) 低線量被曝ほど、潜伏期間が長い

「低線量被曝ほど、潜伏期間が長いという。」(下記より)
 
「晩発性放射線障害 チェルノブイリと福島の事故後 NO4」
2013年06月08日 | 国際・政治 林 俊嶺
http://blog.goo.ne.jp/yshide2004/e/5e01cee2126bf227f72a069cf8471cc0
 
これは今から約3年前の記事ですが、「10年後の晩発障害発生」の記述がありました。
 
私がいくつかのデータをグラフ化したとき、増加率の変曲点が1996年、つまりチェルノブイリ事故の10年後にあると感じたことと通じます。
 
資料の中身はいま読んでいるところですので、取りあえずそのくだりを抜粋します。
 
「中略。
 下記は、「チェルノブイリ事故による放射能災害-国際共同研究報告書」今中哲二編(技術と人間)の中の「ウクライナにおける事故影響の概要」(ドミトロ・M・グロジンスキー:ウクライナ科学アカデミー・ウクライナ細胞生物学遺伝子工学研究所)の論文から抜粋したものであるが、その中に、「被曝からガンが発現するまでの潜伏期間は、平均約8年から10年の付近でばらついている」という文章があり、表16からは、確かにそのことが読み取れる。
 
そして、10年が経過しても「現在まだその発生率のピークに至っていない」というのである。
 
 それは、「晩発性放射線障害 原子力村 国際組織?」で取り上げたベラルーシ科学アカデミー・物理化学放射線問題研究所のミハイル・V・マリコの論文に添付されていた「ベラルーシにおける甲状腺ガン発生数(大人と子供)」の表を見ても分かる。
 
1986年から1995年まで一貫して増加を続けているのである。
 
 国際放射線防護委員会(ICRP)が、線量とがんや白血病などの発生確率は比例するとし、「しきい値」はないとしている。その考え方に基づけば、たとえ低線量の放射線による被曝であっても、人体・生体への影響および健康被害の可能性はあると考えるべきであろう。
 
低線量被曝ほど、潜伏期間が長いという
 
したがって、今の段階で「被曝による影響の可能性はほとんどない」と言う根拠は何なのか、と疑問に思う。」(抜粋終わり)

チェルノブイリ事故を考えることは自分を考えること(6) ZARD

Zard

「ハートに火をつけて ZARD - 歌詞タイム」より引用。
http://www.kasi-time.com/item-5149.html
 
ボーカルの坂井泉水さんが罹患した「子宮頸がん」の罹患数推移については、拙著ブログ、2016年10月 6日付け記事
「チェルノブイリ事故を考えることは自分を考えること(2)」に掲載しています。
 
ZARDとチェルノブイリについて考えます。
 
2016年9月13日付けの私の記事「Baby Grandの意味」の中で、坂井泉水さんの最後のシングル曲についてこう感想していました。
 
「ちなみに、最後のシングルB面だと思われますが、「君へのブルース♪」(A面はハートに火をつけて)の曲はロックンロールそのもので、坂井さんの真骨頂がよく表現されています。

「ブルース」と歌うべきところを、「ブルーズ」と濁って発音したままレコーディングされていました。体調不良もあって一回切りで録音したことによるのかもしれません。
あるいはあえて歌詞と違えて「ズ」と濁らせた遊び心かもしれません。」
 
2006年5月10日リリースのその”最後のシングル版”に関する関連記事を抜粋します。
A面が「ハートに火をつけて」でした。
 
「「ハートに火をつけて」は、ZARDの42枚目のシングル。
2007年の坂井の死去により、生前に発売されたシングルとしてはこの作品が最後となった。
中略。
 
君へのブルース(B面)
作詞・作曲:坂井泉水 編曲:葉山たけし
「眠り」以来11年ぶりの坂井泉水作曲。ブルースハープの音が始まり、エフェクトのかかったボイスからはじまる。コーラスは石黒洋子。
 
歌詞カードと実際の歌唱が微妙に異なっており、「ブルース」が「ブルーズ」と歌われていたり、「埋もれていたい」が「埋もれたい」と歌われている。坂井が生前に発表した最後の楽曲となる。」(ハートに火をつけて (ZARDの曲)-wikipedia)
 
私の最も好んで聞く音楽はZARDです。
 
ボーカルの坂井泉水さんは子宮頸がんで治療中に、2007年に事故死しました。
このシングル版のレコーディング中の2006年4月に病状悪化したことが推測できます。
 
坂井さんの場合も、チェルノブイリ事故のあとの罹患でした・・・。
チェルノブイリ事故の「10年後」が1996年です。
 
「闘病生活
2000年以降、子宮筋腫、卵巣のう腫、子宮内膜症と次々に病気を患い、通院の日々が続いた。
2000年に自曲「Get U're Dream」がNHKのシドニーオリンピック放送時のテーマ曲になった縁から2000年のNHK紅白歌合戦の出演に前向きだったと報じられたが、その後「体調がすぐれないため」として出場を辞退した。
 
2006年4月、仕事中に体調が悪化したため、病院で検査をうけたところ子宮頸癌が発見される。6月1日に慶應義塾大学病院で病巣の摘出手術を受けて、7月に退院。
 
2007年4月、肺への転移が見つかり、再入院。入院中は抗がん剤による治療を受け、治療後のアルバム製作とコンサートツアーに向けて作詞を行うなど、再始動を目指していた。
 
死去とその後
2007年(平成19年) 5月26日朝5時40分頃、入院先の病院内のスロープから3メートル下に転落し、駐車場で仰向けに倒れているところを通行人に発見される。
 
集中治療室で緊急処置を受けるも、翌5月27日午後3時10分、後頭部強打による脳挫傷で急逝する。40歳没。」(坂井泉水-wikipedia)

チェルノブイリ事故を考えることは自分を考えること(5) ドバイ移住

昨日(10月6日)の午後、国会参議院予算委員会で福島の児童の甲状腺がんの疑いのある人の数は100人(170人程度の数字だったようです)を超えるということについて、質問者と総理大臣や環境大臣、経済産業大臣とのやり取りがありました。
 
私はその番組を見るにあたり、どちらの側にも組しませんでしたが、ただ「がん患者の側にたって」その議論を聞きました。
 
録画保存もしました。
 
ぜひ、みなさまも一度この議論をお聞きください。
 
国が国民の放射線障害をどのように今考えているかが、はっきりと表れていました。
 
質問者は希望の会(生活、社民)で山本太郎議員でした。
 
私は政党支持は特にありません。無党派です。
よい仕事をする議員の味方です。
与党、野党などは無視します。
 
質問者の所属政党は下記です。
 
「山本太郎となかまたち  政党」
http://yamamototaro.org/about-us/
 
このサイトにはこう書かれています。
 
「被曝、させません。原発即ゼロ。
中略。
 
東電福島原発からは今も放射性物質が放出され、汚染水は海洋に垂れ流されています。
東日本全体、さらに広範囲の被曝の実態を明らかにするために、土壌・海洋・食品の調査、生涯にわたる健康調査を求めます。
 
被曝者の避難の権利を認めさせ、国の責任で損害賠償・被災者支援を実現させます。
以下略。」(抜粋終わり)
 
 日本人は北海道から鹿児島、沖縄に至るまで、フクシマの影響から完全に逃れることはできません。
 
知人の外国人家族はフクシマ事故から2~3年以内に名古屋市からスエーデンへ移住してしまいました。
詳しくは、2016年10月 4日付け拙著記事
「スエーデンとチェルノブイリ、名古屋と福島」を参照してください。
 
もし中東のドバイへ引っ越したならば、日本人であってもフクシマ原発の影響を受けないことでしょう。
 
私はスエーデンへも、ドバイへも引っ越せません・・・。
 
この国会答弁を聞いて、ジャーナリズムの健全さが、私たち国民生命の安全のための最後の砦だと思いました。
 
それが失われたとき、すべてが闇に葬られてしまう不安を感じました。
 
日本に住み続けるしかない私たちは、「そこ」に救いを求めるほかないと思った次第です。
 
「勝俣 恒久(かつまた つねひさ)は、東京電力の第10代代表取締役社長、福島第一原発事故当時の代表取締役会長である。
中略。
 
2013年には、アラブ首長国連邦のドバイの高級マンションで暮らしていると報じられた。」(勝俣恒久-wikipediaより抜粋)

2016年10月 6日 (木)

イラク対日本 FIFA男子アジア予選

「言わんこっちゃな~い!」
 
こう記事を書き始めていたときに、蛍が救った。
 
イラクはアジアでは弱いチームです。
 
以前、掲載した今後への備えに関する記事を再掲載します。
 
サウジアラビア戦が重要性を増してきたと思います。
 
オーストラリアに勝つしかないので、そこで負ければ終わりです。
勝ったとしての次の策が以下です。
 
イラクに今日負けていたら、「言わんこっちゃな~い!」の1行で記事は終えるつもりでした。
------------------------------------------------------------------
「サウジアラビアは、10番、19番、12番が要注意」
2016年9月 7日 (水)掲載済み
 
8月6日、ワールドカップアジア最終予選第2節の日本対タイ戦を見ました。
大量得点で勝てる試合でしたが、わずか2点しか取れないという相変わらずの決定力のなさが露呈していました。試合は2;0で日本の勝利。
 
原口元気のヘッディングゴールは見事でした。
2014年6月から4年間契約でドイツ・ブンデスリーガのヘルタ・ベルリンへ移籍したことの成果を披露したと言ってもいいでしょう。
 
それに比較して、浅野拓磨のゴールは格好悪かった。
相手のキーパーは一次予選無敗の腕利きだとはいえ、1対1での仕掛けでした。Jリーガーのままでは一流であっても国際試合に通用しないということでしょう。Jリーグでは一流選手ですが・・・。
 
浅野は、最近(2016年8月26日)、ドイツ・ブンデスリーガのシュトゥットガルトへの1年間移籍が発表されましたので、今後は国際試合で恰好いいゴールを決めきれる選手に成長することを期待します。
 
録画して同じ日にあったイラク対サウジアラビア戦を見ました。
 
これで2敗し戦意喪失したイラクと10月6日に日本は当たりますが、これは楽に勝てるはずですが、これを引き分けるとなるとワールドカップの道は閉じてしまうことでしょう。
 
11月に戦うサウジアラビアはオランダ人監督の戦術が侮れません。
ファンマルバイク監督(オランダ)は2010年南アフリカワールドカップ大会でオランダ代表を準優勝へ導いた監督です。
 
相手が疲労した後半の15分くらいに仕掛けてきます。
 
サウジアラビアは、10番、19番、12番が要注意です。
互角の試合になるものと予想しています。
これに勝った方がワールドカップへ行く最後の1枚の切符を手にする可能性が高いでしょう。
 
サウジアラビアの要注意人物を若干ご紹介しておきます。
10番、19番、12番が要注意です。
 
DF12番 ハッサン ムアズ・ファッラータ(アル・シャバブ所属)
2006年のウクライナ戦ではFW登録して出場している選手。昨日のイラク戦でも後半30分過ぎに相手ゴール前までドリブルで切り込み、PKを得ている。後半にDFがFWに変身するということだ。
 
MF10番 ナワフ・アラービド (アル・ヒラル所属)
2014年ガルフカップMVP
今大会、いずれもPKで3得点を挙げている。
業師(ワザシ)である。
 
FW19番 ファハド・アル・ムワッラド 
サウジアラビアのアル・イテハド所属、2011年以来69試合に出場し、19得点を挙げている。
元U-20同代表の21歳
途中投入されて、日本代表の浅野拓磨のような働きをするギアチェンジャー。浅野よりも数段切れる。

サウジアラビア代表メンバー発表(2016.8.15発表)の中に、
「大会最高得点14ゴール中のアルファ・ファラウィは怪我のため外れている。」と付記がありました。もしこの人物の怪我が快復して代表入りすればかなりやっかいなチームへと変わりそうです。詳細は不明です。
 
最後に、サウジアラビア代表監督の7年前の発言を紹介しておきます。
日本代表の得手不得手もよくご存じのようですので、戦術もすでに決まっていることでしょう。
 
「オランダ代表監督・ファンマルバイク 「我々にとって日本はやりやすい相手だ」 ~南アW杯対戦国研究~」より抜粋します。
http://number.bunshun.jp/articles/-/12445
 
「日本とは9月に対戦したが見た目ほど簡単な試合ではなかった。3-0で勝利したが内容にそれほど差はなかったと思う。日本は得点力に少し問題があるが、危険な相手だ。過小評価してはいけない」
 
 W杯抽選後のファンマルバイク監督の言葉だ。油断してはいけないという意味では多少は本音の部分もあるかもしれないが、こういう場での模範的回答だろう。
 
 実際は日本と同じグループに入り、ほくそ笑んでいるに違いない。日本と親善試合を組んだのもW杯前にオランダにとっては未知なアジアのサッカーを経験しておくためだった。それが幸運にも、わずか数カ月前に戦力を丸裸にし、既に分析が終わっている国と再戦することになったのだ。喜ばないわけがない。」(抜粋終わり)
 
日本は・・・、今でも得点力に大いに問題がある、のである。
 
ファンマルバイク監督は、日本に対しては「 1:0 」でも勝てる、と思っているかも知れません。
 
であるならば、例えばサウジは全員自陣に下がって完全守備に徹することで失点ゼロをつくる。
80分経過後に19番ファハドを投入してチームのギアチェンジをして、残り10分間で1点をもぎ取りに行く、という日本向けの作戦を私なら思いつきます。
 
「公式FIFAランク(更新日:2016年08月11日)によれば、 
http://soccer-foot.com/fifaranking/
2次予選第1節で日本が負けたUAEは世界70位です。
 
10月6日に日本が第3節で当たるイラクは85位です。
 
「次はイラクに勝って当たり前」との前提でいえば、ロシアW杯行き決定の天王山になるサウジアラビアは93位、世界61位のオーストラリアにも勝たねばならないので、なかなか大変な道でしょう。
 
で~、9月6日のサウジアラビア対イラクは2:1で下位のサウジアラビアの勝利となりました。
イラクはFWアブデゥルサハドのゴール前での切り返しによる技ありの1点で、サウジは10番ナワフのPKゴールによる2得点でした。
 
ところでわが日本代表はというと、世界56位です。
ランキング通りなら全戦全勝してもおかしくはないのですが・・・。
 
リオ五輪で金メダルのブラジルが世界5位というところを見ても、ランキングはさほど当てにならないようです。(以上、過去記事再掲載終わり)

横浜点滴殺人事件(13) 市による臨時立ち入り検査は11日

「点滴中毒死、臨時立ち入り検査へ 横浜市、院長ら聴取」によれば、
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016100601001274.html
2016年10月6日 16時49分

「横浜市は6日、大口病院(同市神奈川区)への臨時立ち入り検査を11日に実施すると明らかにした。2人が亡くなった4階病棟での点滴の管理や勤務体制に問題がなかったか確認する。」とのことです。
 
もし、真犯人が10月7日、明日逮捕されるのであれば、、真犯人のいない病院の、それ以外の問題点をチェックすることになります。
しかし、もしまだ捜査中で、10月11日朝までに真犯人特定をできていない場合、10月11日は真犯人が勤務しているかもしれない病院のチェックをするという塩梅になります。
 
真犯人が間違いなくこの病院を退職したことが明らかであれば、たとえまだ捜査中で泳がしているとしても、病院内にはいないわけですので、チェックに意味はあるでしょうが、それを証明することはかなり難しいのではないかと思います。
 
よって、逮捕されていない限り、病院内で勤務しているかもしれない中でチェックを行うということになります。
 
また、真犯人以外の人物を誤認逮捕したり、自白強要で無実の人に自白させて逮捕させた場合も、「それ」と同じ状態になります。
 
つまり、10月中旬と予報していた立入検査を11日に実施することを決心させ得る重要な情報を市長は得たのではないかと推理いたします。
 
すると、明日重要な報道がなされる可能性があるのかもしれません。

KOHECHI A-86 (3rd of May in 2015)

Sh3b0967

SH3B0967 Hatenashi-toge pass⇒

Sh3b0968

SH3B0968 It was this scene before a human being lived in the Japanese islands.

Sh3b0969

SH3B0969 Well, let's cheer up, and go up.

Sh3b0970

SH3B0970 Hinoki and fern are good friends.
I didn't know that Hinoki grew wild only in Japan.

Sh3b0971

SH3B0971

Sh3b0972

SH3B0972

Sh3b0973

SH3B0973 It is wonderful vital force.

Sh3b0974

SH3B0974 I came from Tsugawa hot spring.
I go to Hatenashi village from now.

Sh3b0975

SH3B0975

Sh3b0976

SH3B0976 An old person pushed through the inside of the group of fern, and the seedling of Hinoki was planted.

Sh3b0977

SH3B0977 Inclination is a big slope.
It is made a stone pavement, and it walks easily, and a way is prepared.

チェルノブイリ事故を考えることは自分を考えること(4) 日本共通

市民ジャーナリズムを知ろう「ジャーナリズムとは何か」
http://www.janjan.jp/Journalism/What_Is.html
より一部抜粋します。
 
「相反する、新たな可能性
 
ジャーナリズムをする上で求められる客観的であり、そして中立としての意見は現在でも主流となっているが、中にはニュー・ジャーナリズムとして取材対象と深く関わることで、その本質を物語調に読み解こうとしているジャーナリストや記者もいる。
 
それらの手段も一つだが、生々しく伝える手段も当然ある。カメラや録音機といった録音・録画機能を使用することで事実だけをそのまま情報として発信することが出来る。
 
その映像は従来のマスコミでは出来ない部分でもあり、被害者となった人間が行うことが出来る手段だ。
 
そういうことを考えると事件当時の状況を知るという意味で、こうした録音・録画機能を有している機器を最近では当然のように使用しているが、音声としてもだがやはり映像から来るインパクトは衝撃を受けることもあるだろう。
 
そういう意味で筆者が事件、というには少しばかり違うが『東日本大震災』の当日、地震が発生して町を津波が飲み込んでいく様子を撮影した、市民の動画などを閲覧すると言葉では受けられない暴力的なまでの真実を、当時の状況を鮮明に眼球へと焼き付けていく。
 
ジャーナリストが追いかけて撮影したのではなく、本当に街に住んでいる市民が何とか高台で被害をやり過ごしている様子を、近場で撮影している様を見るたび、その恐ろしさを実感するところ。これもまた一重にニュージャーナリズムの1つといえる報道手段と言えるだろう。」(抜粋終わり)
 
ある人がブログで「こころからわが子の健康を案じ、なすべきことの理由を教え、気を付けることを子にやさしく教え諭す。」
そういう事例を考えましょう。
 
その記事は何十年もそのままの新鮮さで残り、アルバムや日記のように色あせて棄損することはありません。
 
あなたの子、その子、またその子も、あなたの書いた記事を新しい気持ちで読み、学び、実践して生きていけることでしょう。
 
そのころまでも晩発性放射能障害のリスクは続いています・・・。
ここでは個人的な「遺伝的な発がん」については論じていません。
日本人全員に共通のリスクです。
 
日本人全員に関わる体内での被ばく結果の及ぼす影響を少なくする行為は、つまりは個人個人の対策であり、家族という小集団内での対策であり、それらが集合体となって市町村規模の対策となります。
 
あなたの記事が、ブログを通じて子や孫にそのまま伝わっていくことが可能です。
 
それは見かけ上「あなたの家庭一つだけの情報通信」の利用に過ぎません。
 
私のこのブログには1日に15名程度しか閲覧に来ませんので、私が同じことをこころを込めて書いたとしても、影響力はさほどありません。
 
しかし、芸能人やニュースキャスターなど視聴者が多く見聞している人物が、ネットメディア、つまりブログやホームページなどを活用した場合、家庭向けにこころからやさしく語りかけた記事を何十万人もの人が読み、また英語で発信すれば、外国の人までが読み知ることになります。
 
それを意識する必要もなく、ただ淡々と学習しそれをまじめにわが子に教えることが、そのまま拡散して多くの人々へ影響を与えます。
 
細工をせずに、素直にそのままの「こころ」を書くことで、多くの人へ影響を及ぼすことができるのは、著名人だけの特権です。
 
チェルノブイリを考えることはあなた自身の問題を考えることであり、そのままフクシマとあなたの関係を考えることになります。そして私たち共通の問題です。
 
それは、そのままあなたの子や孫にもつながる問題でもあります。
また、私やそのほかの日本人の子や孫に面々とつながる問題でもあるのです。
 
一説には、もし今、私が放射線内部被ばくにより遺伝的障害を受けた場合、その顕在化は4世代後まで続く、とどこかの記事で読みました。(出典がわかれば後日追記します。)
 
よって、日本人全員に共通の問題でもあります。
 
私もそう考え、こういう記事を挙げていますが、著名ではないのでほとんどの人は読みません。
ましてや、いまから著名人になるのは無理です。
 
もう一つ、参考になった関連記事を抜粋しておきます。
 
「ジャーナリズムとは何か。もう一度、根本からとらえ直す時だと思う。〜ジャーナリズムイノベーションアワードについて〜」
http://sakaiosamu.com/2015/0109080045/
2015/01/09 消費とメディアの次を考える
 
『「正義感なんか忘れて、純粋に事実を調べて伝えることに徹した方がいいのだとぼくは思う。」というようなことを書いたのだ。
 
ジャーナリズムの権力監視機能を重要視するのは、20世紀的なのではないだろうか。
もっと重要なことを模索してもいいのではないか。それよりも大事なことを、ジャーナリズムは持てるんじゃないか。そういうことを考えるタイミングなのだと思う。』(抜粋終わり)

チェルノブイリ事故を考えることは自分を考えること(3) 呼気

久しぶりの晴天です。
今朝6㎞ほど歩いてきました。
あるくと血圧が正常化するので、できるだけ歩くことにしています。
 
仕事が入りストレスがかかりますと、やはり血圧は上がります。
 
歩きながら、呼気を感じ、男性の胃がん罹患数が急増化しているグラフが思い起こされました。
帰宅して、肺をグラフ化してみようと思いました。
肺は胃よりもずっと呼気と関連性が強いからです。
 
NHK人気キャスター黒木奈々さんの「早すぎる死」も記憶に新しい。
 
「2014年(平成26年)7月27日、急性胃潰瘍でレストランで倒れ緊急入院。
その時は、早めの夏休みの名目で同年8月18日に復帰したが、検査の結果、悪性細胞が見つかり同年8月27日放送分以降休養[20]。
同年9月10日に胃癌を患っていることを公表した。」(黒木奈々-wikipedia)
 
胃も気になります。
 
外へ出て働くことが多い勤労年齢の男性は、外気を吸う機会が多いはずです。
屋内で多くの作業を行う主婦などは、直接外気を吸いこむ確率は低くはなります。
 
男女の罹患数の違いは、会社で健診している男性に比べて、家庭にいる女性の数の分だけ罹患数が少ないのでしょう。(検査を受けない人は数字に顕在化しない。)
 
私が関心を持ったのは、年ごとの増加率です。
確か胃がんの男性罹患数の増加カーブは女性に比べて急激に増加していたように記憶していたのです。
ここで再確認してみましょう。

Photo_8

図1 胃がん罹患数推移(再掲載)
 
確かに男性の増加の度合いは女性に勝(まさ)っていました。
 
男性のグラフだけを書いてチェルノブイリ事故との関係を見てみましょう。

Photo_9

図2 胃がん男性
 
チェルノブイリ(1986年)から5年後になぜか増加が止まっています。
同じく14年後の2000年から再びチェルノブイリ前の傾斜で増加しています。
全体的な増加率はチェルノブイリ前後で変わっていません。
 
がん発生部位によって晩発性が異なることは、私のような素人にもわかるような気がします。
つまり、一粒の放射能汚染ゴミが軟着陸した臓器や場所によって、その組織ががん化されやすさはそれぞれ異なるだろうから、同様に発症遅延時期もそれぞれに異なるのでしょう。
 
以下、呼気に触れる口腔・咽頭、食道や、ついでに肝臓なども描いておきます。
 
次回のウォーキングの中ではっと気づくことがあれば、また帰宅して詳細な考察を加えてみたいと思います。

Photo_17

Photo_10

図3 肺
 
歩いているとき心配していた肺ですが、それほど大きな増加率の変化はありません。
しかし、よく見ますと2000年を境にやや増加傾向にあります。
 
そのほかの部位もいくつか掲載します。

Photo_11

Photo_12

Photo_13

Photo_14

外気に最も近い口腔・咽頭のとくに男性は要注意です。防衛策は外出先から帰宅したときのうがいくらいしか素人には思いつきません。

チェルノブイリ以降、とりわけフクシマ以降、子や孫の将来を思うに、こういう対策をどうすればよいのか、医学的知見を踏まえて国民に教示し指導していく必要があると思います。

口に手をもっていくことの多い児童の場合は、手洗いの励行が重要な対策となるのではないかと思われます。

Photo_15

Photo_16

男性の食道もリスク急増中です。

口腔・咽頭、食道などは、早ければフクシマ原発事故5年後の2016年以降、とりわけ2021年以降はほとんど垂直になるほど増加するのではないかと危惧されます。

だから2013年以降のデータはあるものの公開できないのでしょうか。

2013年~2015年のデータを公開するのに、「なんらかの障害」があるのでしょうか。

「都合が悪いデータは隠す」というのが豊洲市場問題で明らかになった日本人の特徴です。

市場の移転中止と対策不備による発がんでは、危害の程度が異なります。

市場関係者「馬鹿野郎」

都職員「すみません」

健康被害はそれでは済まないことは、過去の公害病問題が教えてくれています。

やはり、胃がんと同様、外気に近いところにある臓器のリスク管理が必要になるように思いました。

歩きながら、呼気を感じつつ、ドキッとした直感は、ある程度当たっていたようです。

マスクをして歩くかどうか、考えてもみなかったことですが、今後検討します・・・。

横浜点滴殺人事件(12)

捜査の長期化は「大口病院への立入検査を10月中旬」と予定した横浜市が予想していたとおり、長期化してきました。
 
昨日、今日はほとんど本件記事が発信されなくなりました・・・。
 
ほとんど見当たらない中で、私の知らないことや疑問点を解決してくれる内容が下記に記載されていましたので、抜粋します。
 
「横浜点滴連続殺人 内部関係者関与なら病院への不満原因か」
DATE:2016.10.06 07:00 NEWSポストセブン
http://getnews.jp/archives/1533396
 
より部分抜粋します。
 
抜粋1)
「強い殺菌効果がある界面活性剤が含まれた消毒液『ヂアミトール』が点滴に混入された疑いが強い。
通常は0.001%~0.025%ほどに薄めて消毒などに使われるものが、高濃度のまま混入されていたようだ。亡くなった2人はともに点滴の投与後5~8時間ほどで容体が急変しているから、犯人は滴下速度を調整するなどの医療知識と技術を持っていた可能性が高い」(捜査関係者)
 
⇒やはり薄めた消毒液の混入では無理があったのです。
「高濃度のまま混入されたようだ」と推理しています。
これなら短時間の間に点滴袋の容積増加も目立たないまま犯行が行われます。
 
抜粋2)
「それまで亡くなる人は多くても月に10人はいませんでした。それが、7月からのたった3か月弱の間に48人も亡くなったんです。
1日に5人が亡くなったこともありました。異常な数です。“呪われてるんじゃないか”なんて声も出ました」(病院関係者)
 
⇒7月以降9月20日までは50人が4階で死亡。(うち2名は連続中毒死と断定)
そして捜査着手の9月20日以降は、4階の死亡者数は0人である。
 
ここまではわかっていましたが、この記事により、7月以前は「多くても月に10人はいませんでした。」ということがわかりました。
 
つまり、患者の点滴リスクポテンシャルは、7月に入って急激に上昇し、9月20日をもってゼロ化していることがわかります。
 
「月に10人の死亡」が通常なのか、それでも多すぎるのか、或いは少ないのか、ということは、同じ診療条件、環境条件の病院の実績と比較すればある程度はわかることでしょう。
 
抜粋3)
 「ヒガノクリニック院長で精神科医の日向野春総氏はこう推測する。
「犯人は入院患者を無差別に殺害しようとした可能性が高い。ターゲットは患者というよりは病院全体で、病院や経営者の信用を失墜させ、ダメージを与えることが目的だったのでは。病院での待遇や人間関係への不満がその背景にあると考えられます」
 
 思い起こされるのが、2000年10月に宮城・仙台市の北陵クリニックで起きた点滴による殺人未遂事件だ。
 准看護師の男性(当時29才)が小学6年生の女児に筋弛緩剤を点滴し、殺害しようとした事件で、他にも男性の勤務時間には高齢者を中心に10人が死亡し、2000年9月には5才男児も亡くなっていた。男性は日頃から病院での待遇などに対する不満を漏らしていたという。」(冒頭記事より抜粋終わり)
 
⇒この精神科医の推理では、「病院関係者が待遇や人間関係への不満のため、病院へダメージを与えるための無差別殺人」となっている。
 
これを受けて、記者は仙台の点滴殺人未遂を想起し、男性准看護師の待遇不満と殺人の関係を指摘している。
 
病院全体へのダメージ付与が目的の場合、自らの職種に直接被害がなく病院がダメージを受けるには他の階で大量死が出ることが好ましいのでしょう。
 
複数の女性看護師に最近は焦点があたっていますが、「他の階の男性の医療従事者」の可能性も私の中には浮かんできました。
 
目立っている男性は1名いますが、他にも待遇不満があった男性の関係者がいたかどうか、気になります。
 
点滴への高濃度消毒液混入方法は、自分にその知識はなくても、点滴や注射に詳しい医者や看護師に親しい人がいれば、教えてもらえばわかるはずです。
 
よって、必ずしも知識があって習熟しているものに限定はされなくなります。
 
盛土問題など「なるようにしかならないような軽度なニュース」に長時間をさく報道機関の姿勢には疑問を感じます。
 
犯人が17日間も確定されていない無差別殺人事件については、不思議に報道が静まり返ってしまいました。
 
フクシマ原発事故と関東一円の人々の内部被ばくによる晩発放射線障害が顕著化する5年後の今年、つまり2016年になってもこの重大時を報道は触れません。
 
豊洲の地下水にヒ素が環境基準を少し超えただけで神経質になる視聴者が、放射線障害については無知であるから、視聴率が取れない、と考えているのであれば、国民自身の無知による問題です。
 
最低限、税金で経営支援を受けているNHKは厳しく追及をするべきです。
 
ある市議会議員に無知無能なものが多いことを見て、選挙民である市民の政治意識の低さを思うことがありますが、それに似た「視聴率と報道姿勢」の関係です。
 
豊洲市場問題では、ここまで露骨な談合疑惑が浮上したのですから、テレビ、新聞雑誌販売促進でいつまでも遊ぶのではなく、検察は一気に検挙に動くべきです。
 
この国に正義はあることを示してください。

大口病院の公式hpがページ全体が更新されていました。

大口病院
http://www.jikei-o.or.jp/oguchi/index.html
 
の中に、
亜急性期から慢性期にかけての、整形外科の疾病、および内科・神経内科の疾病を
治療対象とする病院です。」
と、太文字の部分は橙色か赤色で強調表示されていました。
 
近所の皆さんへのお詫びのあとで患者さんと家族にお詫びしています。
今入院している患者さんと家族へのお詫びだと思います。
 
私の拙い常識で考えれば、まずは点滴への消毒液混入により殺害された被害者と遺族への謝罪があり、その下の欄に近隣の皆さまと入院患者と家族へのお詫びを書く、と思います。
 
いえ、そうではありません。
私の常識では、こうなることでしょう。
 
①殺害被害者と遺族への謝罪(管理監督責任の未達成へのお詫び)
②入院患者と家族へのお詫び
③近隣の皆さまへのお詫び
 
「顧客満足」を最優先に考えて、公式hpに謝罪文を掲載する場合、当然に重要顧客から優先してお詫びするはずです。
 
病院サービスの場合、「顧客」とは主には「患者と家族」になります。
近隣住民も広義の顧客であり、ステークホルダーなので大事ですが、重要度は患者と家族、とりわけ期待してもいない危害を加えられた患者さんと遺族が大きい。
 
10月4日にこのページは更新されていますが、私はそれ以前のページを閲覧しています。
 
それ以前の当該ページには、
院長   (内 科 ― 老年科・神経内科)のほかに外来担当だと思われますが、
女性医師(内 科 ― 老年科・神経内科)と、
 
男性医師(整形外科・リハビリ科)と,の、
 
合計3名の写真が大きく掲載されていました。
 
今回、その写真は削除されていました。
 
私は別の謝罪を意図する写真でもよいけど、その3名の医師の登場する写真は継続掲載すべきだと思います。
 
私には、写真を削除することの「意味」が理解不能です。
 
10月4日に更新された公式HPの最後の項にある、
 
「入院を希望する患者さんは、当院の医療相談室までご相談ください。」
の意味を深く考えてしまいました。
 
内部犯行説が最有力な連続殺人事件の真犯人が逮捕されていない現時点で、「入院を希望する患者さん」がいる、という前提で書いたものなのでしょうが、その家族はどういう心境で患者を預けるのでしょうか、気になりました。
 
多い日は1日に3人、あるいは4人、5人と亡くなったことがあったという4階の重症患者病床ですが、捜査着手の9月20日以降の死亡者は0人だそうです。
 
もう17日間が経過しています。
 
ひょっとして、日本一安全な病床に変化しているのかもしれません。
 
しかし、もし捜査陣が真犯人ではない人物を重要な容疑者として追いつめているとしたら、真犯人は逃げているか、勤務しているか、のどちらかになります。
 
その場合は、4階での点滴リスクは相当に高くなります。
 
つまり、このサイトを見て「入院を希望する患者さん」の生命の安全は、医師や看護婦にのみに依存するのではなく、捜査陣の実力にも左右されるということになります。

チェルノブイリ事故を考えることは自分を考えること(2) 子宮、腸

出典は前の記事に同じです。
 
我が国のがん登録統計「罹患データ(全国推計値)」の中にある、
http://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/dl/index.html#incidence

「内容:地域がん登録全国推計によるがん罹患データ(1975年~2012年)
ファイル名:cancer_incidence(1975-2012).xls (2,053KB) 」
出典:、国立がん研究センターがん情報サービス「がん登録・統計」
 
これをエクセルでグラフ化して追加しました。
 
2011年以降、同様の、或いはこれよりも顕著な影響が現れるかもしれないので、チェルノブ
イリの日本への影響を考えることは、フクシマの私たちへの影響を考えることになります。
 
2013年以降のデータはあるはずですが、まだこのサイトには掲載されていません。
 
ジャーナリストや元ジャーナリストの強い意思が作用すれば、私たち自身の、つまり国民の生命の、危機に関する情報開示を可能とすることができると思われます。
 
ただし、検査機器(MRI,CT)の普及などの患者発見数増加や、加工食品の影響など、さまざまなリスクや要因がデータには含まれているものと思われます。
 
チェルノブイリ事故による影響はどれなのか、果たして受けているのか、それを知りたいと思います。
 
識者による正確な分析と情報公開をお願いいたします。

Photo

Photo_2

Photo_3

Photo_4

Photo_5

Photo_6

Photo_7

私の最も好んで聞く音楽はZARDです。
ボーカルの坂井泉水さんは子宮頸がんで治療中に、2007年に事故死しました。

「闘病生活
2000年以降、子宮筋腫、卵巣のう腫、子宮内膜症と次々に病気を患い、通院の日々が続いた。2000年に自曲「Get U're Dream」がNHKのシドニーオリンピック放送時のテーマ曲になった縁から2000年のNHK紅白歌合戦の出演に前向きだったと報じられたが、その後「体調がすぐれないため」として出場を辞退した。

2006年4月、仕事中に体調が悪化したため、病院で検査をうけたところ子宮頸癌が発見される。6月1日に慶應義塾大学病院で病巣の摘出手術を受けて、7月に退院。

2007年4月、肺への転移が見つかり、再入院。入院中は抗がん剤による治療を受け、治療後のアルバム製作とコンサートツアーに向けて作詞を行うなど、再始動を目指していた。
死去とその後
2007年(平成19年)
5月26日朝5時40分頃、入院先の病院内のスロープから3メートル下に転落し、駐車場で仰向けに倒れているところを通行人に発見される。集中治療室で緊急処置を受けるも、翌5月27日午後3時10分、後頭部強打による脳挫傷で急逝する。40歳没。」(坂井泉水-wikipedia)

2016年10月 5日 (水)

チェルノブイリ事故を考えることは自分を考えること(1) 男の癌

我が国のがん登録統計「罹患データ(全国推計値)」の中にある、
http://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/dl/index.html#incidence

「内容:地域がん登録全国推計によるがん罹患データ(1975年~2012年)
ファイル名:cancer_incidence(1975-2012).xls (2,053KB) 」のエクセルデータ表から
全罹患者数推移を図にして見ました。

出典は、国立がん研究センターがん情報サービス「がん登録・統計」です。
 
乳がんについては先日報告しました。
 
「乳がんの罹患率推移(1976年~2012年)」
16/10/04
の記事を参照してください。
 

Photo

図1

ここでは、男の私に関連深いがんの罹患数推移をチェルノブイリ原発事故の起きた1986年の日本人のがん罹患数への影響を考えてみます。
 
乳がんのデータで、1996年、つまりチェルノブイリ事故から10年後に変曲点があったので、同じように1996年を境に「傾斜角の変化」を「見える化」しました。
 
病気種類によって1996年で変化しないものもあり、晩発性放射線障害の特徴をもっと調べてみる必要があります。

Fukusima

フクシマ原発事故と私たちの距離(google mapより)

8000㎞離れたチェルノブイリ事故の影響らしき変化が日本人の発がんに影響を及ぼしているとすれば、250㎞程度しか離れていないフクシマ原発事故による影響はもっと大きく変化を与えると推理することが可能となります。
医療専門家による適切な分析と国民への早めの警鐘と必要な処置を示していただきたいと思います。
上記の理解に間違いが含まれている場合は、なおさらのこと、正しい情報を国は国民へいち早く教える必要があります。

Photo_2

図2

Photo_3

図3 男の方が女より変化が激しいし、数も多い。

2021年以降の男の腎・尿路の罹患数急増予想は、おおいに脅威です!

Photo_4

図4 1996年を境に傾斜角を変えて表現しました。

Photo_5

図5 上の図4と同じデータですが、直線性のよい部分だけ傾斜線を描きました。

1996年以降はやはり増加率は大きくなっているように見えます。

Photo_6

図6

Photo_7

図7 男の膀胱がんはチェルノブイリ事故の影響が出ていないように見えます。

いくつか他のがんについて、上に図示してみました。
 
2011年の10年後、あるいはフクシマはもっと関東に近いからもっと早めの影響があるかもしれません。
私たちとフクシマの間の関係は、これらのグラフの中でどのような傾斜角を見せてくるのでしょうか。
 
それを知るためにも、私たちとチェルノブイリの関係を学ぶ必要があります。
 
多くの方は、2021年以降、「増加率はもっと悪化するだろう」ことを容易に想像できると思います。
ただし、罹患数データには、検査機器(MRI,CT)の普及などによる患者発見数の増加や、加工食品の影響など、さまざまな発がんリスクや要因が含まれているものと思われます。
 
チェルノブイリ事故による日本人への影響はどれほどなのか、果たして受けているのか、それを知りたいと思います。
 
識者による正確な分析と早めの情報公開をお願いいたします。

横浜点滴殺人事件(11)

「点滴死亡事件と長谷川発言の接点」
石蔵文信  循環器、心療内科医/家族・夫婦問題専門/大阪樟蔭女子大学教授
2016年10月4日 1時15分配信
http://bylines.news.yahoo.co.jp/ishikurafuminobu/20161004-00062855/
 
医師による提言は重いものがありました。
 
真犯人像を特定することにおいて、「注射針の太さの選定」は医療知識の欠如、もしくはずさんささえ感じられました。
 
また、著者の発刊している書籍名にさまざまな感慨を受けた次第です。

横浜点滴殺人事件(10) 冤罪防止と被疑者の身柄保護を。

「横浜市が院長らから聞き取り調査へ 横浜点滴殺人」

2016/09/28 05:00

http://www.oricon.co.jp/article/16183/

 

によれば、この時点で、

市は近く院長ら病院関係者から聞き取り調査を行う方針を固めた。市などによると、10月中旬から下旬ごろに臨時の立ち入り検査を...」(抜粋)と、長期捜査を念頭に置いていたようです。

 

神奈川県警と相談しての「中旬ヒア」でしょうから、「3週間~4週間証拠固めに時間が必要」と28日時点で横浜市当局は把握していたように思えます。

 

すべての捜査状況をビデオ撮影して保管するべきことは自明です。

今の時代、冤罪は絶対に防ぐ責任があります。

 

それ以上に重要なことは、3~4週間もの間、被疑者扱いされている人の身体の安全確保でしょう。

 

冤罪であれ、被疑者の自殺であれ、それらの失態は「真犯人」を永遠に隠すことに貢献してしまうので、捜査当局の頑張りに期待します。 

2016年10月 4日 (火)

スエーデンとチェルノブイリ、名古屋と福島 「チェルノブイリ事故を考えることは自分を考えること」のプロローグ

2

google mapより引用。

2012年、2013年にかけて、名古屋に住む知人家族5人(外国人)がスエーデンへ移住しましたが、私は「スエーデンでもチェルノブイリ原発事故の影響を受けるので、名古屋に住んで福島原発の影響を娘さんたちが受けるのは変わりないのに・・・」と内心思いつつ、40年の知り合いをスエーデンへと見送りました。
 
今朝、スエーデンとチェルノブイリ、名古屋と福島のそれぞれの距離を図示してみました。
・・・。
 
これならスエーデンの方がよい。
 
私はこのままぼーっと神奈川県の水を飲み野菜を食べていてもいいのだろうか。
さりとて、スエーデンで生計を立てる能力もありません。
 
この地図を見る限り、神奈川の野菜を関西の野菜に替えても大差ないようにも見えます。
 
2011年+10年=2021年あたりで、晩発性障害の影響がピークを迎えると仮定すれば、健康なままで2020年の東京オリンピックを見ることができれば、それ以降はかなり安心だと言えるのでしょう。
 
「復興五輪」という言葉の持つ意味は、「意外に深いもの」を内包しているのかもしれません。
 
ひょっとして小池都知事はそのことを環境大臣経験者としての鋭い直感によってすでに気づいており、敢えて「復興五輪」を前面に押し出した政策決定を実行しようとしているのではないか、と思いました、
 
ボート競技会場やバレーボール会場も、ぜひ福島県内に設置することも選択肢に入れていただきたいものです。

乳がんの罹患率推移(1976年~2012年) 「チェルノブイリ事故を考えることは自分を考えること」の原点

Photo

日本の乳がん患者の罹患データ推移
 
我が国のがん登録統計「罹患データ(全国推計値)」の中にある、
http://ganjoho.jp/reg_stat/statistics/dl/index.html#incidence
 
「内容:地域がん登録全国推計によるがん罹患データ(1975年~2012年)
ファイル名:cancer_incidence(1975-2012).xls (2,053KB) 」のエクセルデータ表から
「乳房(上皮内がん含む)」について全罹患者数推移を上図にして見ました。
 
出典は、国立がん研究センターがん情報サービス「がん登録・統計」です。
小林麻央さんの闘病日記ブログが盛んにテレビニュースで報じられたので、乳がんについて罹患傾向の変化を調べてみました。
 
チェルノブイリ原発事故(1986年)の影響は10年後に我が国へも生じているのではないでしょうか。それがグラフの『傾きの変化』によって素人の私にも感じ取れます。
 
従来の傾斜に比較して増加した部分は、1996年頃に生じた「何か」あるいは、「複数の何か」の要因による罹患数増加です。(赤の細線と太線の間の空間のことです)
 
記事「放射線の晩発性影響 (09-02-03-02) - ATOMICA -」
http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_No=09-02-03-02
 
の中に、数年ほど遅れてがんを発症することの説明が書かれていました。
被ばく線量や病名によってさまざまなので、乳がんの場合「10年後かどうか」、まではわかりません。
 
東京オリンピック招致の際に、フクシマはコントロールされていると・・・。

このグラフが、2011年+10年=2021年(東京オリンピックの翌年)を境に想像を超えるような大きな傾斜カーブにならないように、それをコントロールする責任は、日本政府にあります。
 
「<概要>
 放射線影響には潜伏期間、即ち、放射線被ばくから臨床症状としての影響が出現するまでにある期間が存在する。
この潜伏期間が数週間以内の影響を急性影響、数ヶ月以上のものを晩発性影響と呼ぶ。
 
急性影響は、被ばくした器官や組織の細胞が死ぬことによって起こる。
一方、晩発性影響は、被ばく後生き残った細胞内に修復不可能な“傷”(突然変異)が残ることによって起こる。
 
晩発性影響の代表的なものとして、がんの誘発、白内障、寿命の短縮等が上げられる。放射線誘発性がんの潜伏期間は特に長く、数年(白血病)から数十年におよぶ。」(抜粋終わり)
 
2013年以降の「日本国内の貴重なデータ」はまだここでは公開されていません。
 
乳がんの場合、2011年3月15日以降の福島原発事故からの継続的な放射能放出による影響は、2021年3月以降から顕著になってくると思われますので、その時点での「グラフの傾斜」を見てみる必要があります。
 
チェルノブイリ原発事故による影響よりも、はるかに大きな影響がでることが想像できます。
 
チェルノブイリは8000㎞も離れているのです。

日本の多くの女性ががんとの闘いで苦しんでいることを小林麻央さんのブログのコメントを読み知りました。
テレビで小林さんのことを報じていて、そのブログを知りました。
 
「自分のせいで病気になった」と苦しむ人の「こころ」が少しでも和らいで、そして自己免疫力が少しでも強くなりますように・・・。

横浜点滴殺人事件(9)  病院侵入の2人を釈放

「大口病院侵入の2人を釈放 神奈川署」 (日経)
2016/10/1 12:43
http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG01H10_R01C16A0000000/
 
10月1日までに2人を釈放し、今後は任意取り調べを行うと日経ネットに出ていました。
逮捕されたのが、9月30日午後5時過ぎですので、一晩くらい警察署に拘束されていたようです。
 
事件発覚以前には、同病院内にはホームレスらしい人物が雨宿りにきていたと外来の患者らしい人のインタビュー記事がありましたので、事件発覚後に不法侵入者への警戒を合法的な限界レベルにまで高めたことがわかります。
 
いま、かのホームレス氏が雨宿りのために大口病院へ侵入するとすれば、彼は少なくともその日の夕食と、翌日の朝食を、管轄の警察署で食べることができるはずです。
 
ネットもテレビもなぜかこの事件に触れなくなりました。
 
実に不思議な時間、空間が日本国内に流れています・・・。

2016年10月 3日 (月)

横浜点滴殺人(8) 捜査以後は、13日間に死亡0人

捜査以前は、82日間に48人死亡。
捜査以後は、13日間に死亡0人。
 
病院事務局に相談した看護師はあっぱれであり、それを受けて9月20日10時45分に警察へ連絡した事務職員の手柄も大きいと言えます。
 
二人のどちらかが隠蔽していれば、まだ捜査以前のペースで患者死亡が続いていたことが十分予想されます。
 
【横浜患者殺害】捜査開始後は死亡ゼロ 現場の病院4階、7月からの約3カ月で48人死亡
2016年10月3日 2時0分 産経新聞
http://news.livedoor.com/article/detail/12095059/
 
今日、未明発信のこの記事によれば、
 
「 横浜市神奈川区の「大口病院」で点滴を受けた男性入院患者2人が中毒死した連続殺人事件で、男性らが入院していた病院4階では警察の捜査が入った9月20日以降は誰も亡くなっていないことが2日、捜査関係者への取材で分かった。」(抜粋終わり)
 
→13日間に死亡ゼロ人
 
「捜査本部などによると、大口病院では7月1日~9月20日の間に48人が死亡。8月には1日で5人、9月に入ってからも1日で4人が亡くなったことがあったという。」(同上)
 
→31日+31日+20日=82日間に48人死亡。
 
人物は絞られてきている模様ですが、証拠固めに時間がかかっているようです。
 
恐れるのは、被疑者が自白する前に自殺してしまうことです。
 
被疑者の身柄の保護にも十分気を使っていただき、早めの身柄保護策が望まれます。
 
被疑者がかなり絞り込まれてきており、被疑者の心理に与える圧力も日増しに増加していることは容易に想像できます。

2016年10月 2日 (日)

横浜点滴殺人事件(7) 素人が犯人だと仮定した場合・・・ムリ。

医薬品インタビューフォーム

外用殺菌消毒剤
『0.025w/v%ヂアミトール水「ベンザルコニウム塩化物液」」
2016年3月改定(第8版)
丸石製薬株式会社
http://www.maruishi-pharm.co.jp/med2/files/item/207/other/interview.pdf?1461202391
・・・。

全14ページの上記pdfファイルの11ページにヂアミトールの毒性試験の結果が掲載されていました。

GOOGLEに聞いてみると、
「医薬品インタビューフォーム(IF)は、「添付文書などの情報を補完し、薬剤師などの医療従事者にとって日常業務に必要ない薬品(記載ママ)の適性使用や評価のための情報、あるいは薬剤情報提供の裏づけとなる情報などが集約された総合的な医薬品解説書」であり~」と書いてありました。
注)「日常業務に必要な医薬品」が正しい漢字表記だと思いました。
素人の私が果たしてこの医薬品解説書を知ったことによって、人間への体内投与における死亡予定時間や必要な濃度推定ができるものかどうか、ちょっとやってみました。

このpdfは、2016年3月に改訂されてインターネットで一般に公開されているものです。
以下は素人が犯人の場合、点滴混入方法がこれらの解説書からわかるかどうかのシミュレーションです。

同上pdfのp11を読むと、
「外用殺菌消毒剤」によって、ラット、マウス、犬が、経口や腹腔への投与により「死ぬ」ことが予見できます。
なぜならば「胃腸粘膜などの壊死」との記載が中にあるからです。
生き物は、胃腸がなくては生きてはいけません。

また以下の表が掲載されています。

「(1)単回投与毒性試験
ベンザルコニウム塩化物として:LD50(実際の表記は数字のみ下側小文字です)
ラットー経口 LD50:400mg/kg
ラットー腹腔 LD50:100mg/kg
マウスー経口 LD50:340mg/kg
マウス静脈  LD50:10mg/kg 」

私は素人ですので、まずLD50の意味を調べます。

googleに「LD50とは」と聞くと、

『LD50(半数致死量)
化学物質の急性毒性の指標で、実験動物集団に経口投与などにより投与した場合に、統計学的に、ある日数のうちに半数(50%)を死亡させると推定される量(通常は物質量[mg/kg体重]で示す)のことです。
LD50の値が小さいほど致死毒性が強いことを示します。』との答えが返ってきました。

検索結果のその次の記事には、
「投与した動物の半数が死亡する用量をいう。"Lethal Dose, 50%"を略してLD50と書く。」(半数致死量-wikipedia)とありました。

「ある日数のうちに半数を死亡させる」とありますが、「ある日数」の数は不明です。
また、LD50は数字が小さいほど致死毒性が強いとありますので、前述の表から「マウス静脈注入の場合が最も毒性が強い」ことがわかります。

当然に、犬や人の場合も、静脈注入による毒性が最大であることが予見できます。
漂白剤のようなものをペットボトルに混入させ、ある看護師はそれを飲んで口内炎をおこし、看護師の夫であるFUSHICHOU氏が横浜市へツイッターで大口病院4階のトラブルを警告発信したことがありました。
”不”市長、”婦”市長などの漢字列が、FUSHICHOUと重なって私には自然に思い起こされます。

これは経口投与では人は死なないことの確認実験であった可能性もあります。
その結果、最適手段はやはり静脈注入だ、と確信を得た可能性があります。
「漂白剤のようなもの」と報じられていますので、単なる悪質ないたずらの可能性ももちろんあります。
既存の情報データにはヂアミトールの静脈注入による殺人ノウハウは書かれていないはずだと私は思っていました。その思い込みで先の記事を書きましたが、どうやらそれは訂正する必要があるようです。

素人でも、ネット調査によりある程度以下のようなことがわかったのです。

静脈に注入する点滴液に体重1㎏当たり10mgのわずかなベンザルコニウム塩化物(商品名ヂアミトールの主成分)を単回(一回だけ)混入させれば、胃腸などの粘膜壊死を誘発し、半数がその結果死に至るであろう。

ベンザルコニウム塩化物は、医療関係者の間では「塩ベコ」と略称し日常的に使用する消毒液ですので、病院内の医療関係者なら誰でもその存在は知っているものです。

その名で検索すれば、さほど医療に詳しい知識がなくとも、上記の知識は得られます。

しかし、6~7時間の勤務番交代のタイミングにおいて、脈拍低下などのバイタルサイン(生体計測情報)に急変が生じるという知識は、こういう公開情報からは得られそうにありません。

以上は「単回投与」の場合の毒性でした。

このページには「反復投与毒性試験」の結果も掲載されていました。
つまり、上記濃度の投与を何回も継続した場合の試験結果です。

やられた側のラットやマウスや犬の気持ちを思うと、申し訳ない気持ちでいっぱいです。
「(2)反復投与毒性試験
マウスおよびラットの経口投与により体重増加の抑制、食欲不振、急性胃炎、粘膜壊死の報告がある。
イヌの経口投与では食欲不振、体重減少、胃粘膜の充血、小腸粘膜の壊死が認められた。」と、書いてありました。

ここで注目すべきは「イヌ」です。
犬は比較的大型の哺乳類動物ですので、この数倍あれば人にも同じ作用が生じることが容易に想像できます。

先ほどのマウスの経口投与とマウスの静脈投与の結果を比較すると、LD50の作用を得るには静脈投与によれば経口投与の34倍(つまり340mg/kg÷10mg/kg=34倍)の作用効果があるので、イヌや人の場合もやはり静脈投与が効果的である、ことがわかります。

単純に考えれば単回投与で半数が死ぬのですから、10mg/kg×2倍=20mg/kgを投与すれば確実に全員死ぬことが期待されます。

体重65㎏の成人男性の場合、目標濃度20mg/kg×体重65㎏/人=1300mgのベンザルコニウム塩化物を静脈から注入する必要がある、と計算されます。(間違っているかも)

つまり、一人に1.3gのベンザルコニウム塩化物を単回注入することで、人は死ぬだろうと推測されます。

前述のpdfのp3に、「製剤に関する項目」があり、
「2)規格 100mL中 ベンザルコニウム塩化物 0.025g(0.025w/v%)含有。」と書いてあります。

つまり、この水溶液製剤を点滴に1.3g加えるためには、(1.3g÷0.025g)×100mL=5200mLとなります。

5Lもの水溶液を添加するのはあまりに多すぎるようです。

全数致死を狙って10mg/kgの2倍に設定したのが間違いだったかもしれません。

イヌのLD50の10mg/kgをそのまま用いてヒトの場合を計算したら、5200mL÷2=2600mLとなります。
これでも結構な容積になります。
点滴液を一度全放出して流しに流したあとで注入するか、すでに使用済みの空の袋にベンザルコニウム塩化物水溶液だけを充填したあとで密封処理するのでしょうか。

しかし、各紙取材記事によれば、点滴液の袋は未開封のままに、小型注射器(普通の注射器ではさせないような微妙な空間のようです)によりシールに見えないほどの小さな穴をあけてベンザルコニウム塩化物水溶液を注入しているようです。

小型注射器の廃棄物は捜査本部は押収して調査しているようですが、医療用手袋をつけて作業すれば指紋は検出されないでしょう。そういう行為をしているものを目撃したものがいるかどうかが次の捜査対象となります。

すると、市販の消毒液ではなく濃縮したベンザルコニウム塩化物水溶液を別の場所で用意して持ち込む、というような「器用な芸当」をした可能性も私は感じます。

以上のごとく、まったく医療関係において素人の私が、ネット情報などからヒト致死量を点滴袋へ注入する作業を確実に行って患者を死に至らしめることは、到底無理なことだとわかります。

よって、高等な医学知識を備え、類似の毒性実験や治験などの経験を豊富に持つ人物による行為であるように私には思われます。

駆け出しの若い看護婦が、「切れた」だけで実行できるような「やわな」行為ではないように見受けられます。

他の書籍やネット情報により、簡単なベンザルコニウム塩化物によるヒトの致死に関する方法を若い看護師でも学べることが可能であると示されれば、必ずしも高等な医学知識を有することは必須要件にはならなくなります。

今のところ、上記のような情報だけで、素人が他者に気づかれることなく、静かに必要量の消毒液混入を実行することは不可能に思われます。
48名の死因調査に関して今後注目すべきは、『葬儀屋の噂』だと私は思っています。

「点滴連続殺人 葬儀社の人間が「大口病院の遺体はおかしい」と噂か」
http://news.livedoor.com/article/detail/12089855/

まだ「噂のレベル」ですので、詳しい情報はわかっていません。

しかし、もしヒトにもイヌと同様に「胃腸粘膜への壊死」が投与後6~7時間後に生じるのであれば、目や鼻、口、耳、肛門、尿道などの体の各部の粘膜にも「壊死に近い炎症」などが共通して生じているのではないか、ということが疑われます。

私も作業をしたことはないのでこれは想像ですが、数日間~1週間程度、通夜や葬儀のために遺体を棺に納めておくので、遺体から間違っても腐敗した液が漏れ出して周囲に臭気を放たないように「止水処置」を施しているはずです。

体表面にの開口部には、脱脂綿などを詰めて「止水処理」をしているはずです。
 
ちなみに私は親戚の女性の遺体が入った棺を数名で担いだとき、右手で持っている棺桶のシーツがねっとりと濡れているのに気づきましたが、手を放すわけにも行かずに、仕方なく気持ち悪い思いを抱きつつ、かつ遺体への感謝の気持ちを優先しつつ運んだことがありました。
 
遺体を消毒して汚れをふき取る作業のとき、体表面や開口部周囲に炎症の痕跡を認めたかどうか、そして48人の遺体の中に共通したものがあったのかどうか、重要な聞き込み捜査項目であろうと推測いたします。

顔の表面や手足、胸部や腹部の表面などに「特徴のある皮膚炎症痕跡」が見られる場合、葬儀屋は遺体を裸にして洗ってから死装束を着せるという「嫌な」仕事もしますので、ひょっとしたら複数名の作業者が多くの遺体の肌の上に「共通の痕跡」を目にしていた可能性もあります。

捜査本部は私のような素人集団ではありませんので、7月末以降の48名の死亡者カルテの調査と同時に、葬儀屋への聞き込みは当然に実施しているものと推測します。

一日も早い事件の解決を望みますが、「あっぱれ相談看護士」の偉大なる殺人抑止功績に対し、国民栄誉賞を贈呈してあげてはいかがか、と私は思います。

そうすることによって、偉大な功績者が職場でいじめや冷遇に合わないように応援したいものです。ただし、真犯人ではないことが条件です。

横浜点滴殺人事件(6) 「泡」発見看護師は偉い!

10月2日今朝のニュースを読みました。
 
【横浜患者殺害】浮かび上がる犯人像とは…複数の未使用点滴にも穴、勤務実態を熟知 「素人の芸当ではない」 
2016年10月2日 6時55分 産経新聞
 
これによれば、
「八巻さんの死後、泡立った点滴を不審に思った看護師が病院側に相談したのが端緒だった。」
 
警察へは、おそらく院内医療安全管理ルールに則り病院事務局職員が通報したのだと思いますが、「発端」は点滴袋内の「泡」を発見した看護師からの相談であった、ということです。
 
この看護師は偉大な手柄を立てたのですが、果たして現在の院内での扱われ方はどうなっているのか、無断侵入記者らのみならず、私も見てみたいところです。
 
これ以降、4階での患者の死亡がゼロ化しているので、この「相談した看護師」による救命効果は絶大なものがあります。
 
1日に1名程度の死亡があり、多い日は8月に1日5名の死亡、9月に1日に4名の死亡があった4階の実態を劇的に変えてしまったのは、この「相談看護師」の大手柄です。
 
常識ある経営者であれば、企業の場合すぐに業務表彰すべき対象者です・・・。
 
院内における「今の、この看護師の、処遇」や、院長ほかの上司や上長がこの「相談あっぱれ看護師」に向けて発した「言動」や「態度」にこそ、『真実のかけら』が垣間見えるのではないかと思います。
 
その様子をスマホで撮影したい・・・。
 
たとえ無断侵入で逮捕されても撮影したい・・・。
 
そう、「かの記者ら」は考えたのかもしれません。
 
前述の記事の中に、
 
「 点滴は17日午前に1階の薬剤部から4階ナースステーションに搬入された。同階を担当する看護師は、平日の日勤で5~6人、休日の日勤で3人。夜勤は平日休日ともに2人だった。17日は休日で、搬入当時は看護師が3人しかおらず、人手が少なかった。
 
 一方、八巻さんらは最後に点滴が交換されてから5~8時間後に容体が悪化した。滴下の速度を調整した可能性があり、捜査関係者は「素人の芸当ではない」と指摘する。」(前掲記事より抜粋)
 
とあり、捜査当局は、「相当に深い医学知識を有する人物の犯行である」ことを把握している模様です。

横浜点滴殺人事件(5) 点滴投入速度を微調整。

「横浜の患者中毒死、医療知識持つ人物が混入か」
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2880704.html
10月01日00:35 TBSニュースWEB記事
 
によれば、
 
『男性患者2人は最後の点滴を交換してから容態の悪化が分かるまでに、6時間以上経っていた。』
 
つまり、死亡した2人は、いずれも最後の点滴を交換した後に心拍数が低下し、容体の悪化が分かるようになるまで、6時間以上経っていた、ということです。
 
「界面活性剤は、体内に入ると血液の循環に異常をきたすおそれがあり、」ということですので、血中濃度が濃過ぎると犯人が勤務している間に患者の容体異常が発見されるので、点滴投入速度を微調整してゆっくりと時間をかけて静脈内に毒が入って行くように制御した可能性が指摘されています。
 
1勤務シフトが6~7時間程度であるので、勤務番が交代するまでは患者の容体に変化が目立たないように配慮したものと思われます。
 
犯人は所定濃度のヂアミトールが人間の体内に一定速度で侵入していった場合に、時限スイッチのような塩梅で患者の容体が急変することを医学知識として十分認知していた可能性が高いものと私は推測しています。
 
それはおそらく、治験や同病院内での大量の連続殺人の体験などを通じて、人間の体内におけるヂアミトール毒素の平均的な挙動を十分知っていたのではないかと、疑われます。
 
なぜならば、そういう知識、つまり「消毒液を体内混入させて人間が死に至る時間と濃度の関係」を既存の情報データベースや教科書で学ぶことはできないからです。おそらくどこにも書いていない新規な殺害手法の開発ともいえる「高度医療専門知識」を個人的に密かに保有するものだけができる犯罪行為だと思われます。
 
今後は、この事件の模倣犯の発生を防ぐ手立ての確立が必要となります・・・。
今後といっても、今日から、明日から必要だということです!
 
今日の「今の時点」でも、全国の病院で寝たきりの88歳の老人の腕の静脈に点滴が投入されているのですから・・・。
 
「病院の点滴袋の管理がずさんだった」などと、のんきなインタビュー記事を書いたり読んだりしている暇はないはずです。
 
骨折で動けなくなった方の88歳の患者さんは、整形外科へ入院し4階病床へ入ったものですが、そこは内科、神経科などの意思疎通も困難な終末期医療の床でした。
 
うっかり骨折で動けない患者さんにまで、無差別殺人のための点滴をしてしまったということで、初めて遺族が望まない患者の「入院2週間以内の死」が生じたのではないかとさえ疑ってしまいます。
 
最近の医療保険は2週間以上の入院は想定していないそうですので、それ以上の入院はさせずに自宅へ送り返す仕組みへと変わりつつあるようです。
 
送り返す自宅さえない人々の行先は、国がきちんと面倒を見るべきでしょう。
 
アフリカのテロ対策支援や難民支援と同様に、自国内の救われない人々への思いやり支援も手厚くお願いしたいものです。

横浜点滴殺人事件(4) 犯人逮捕か?

「横浜点滴殺人犯激写のはずが 大口病院“侵入騒ぎ”のてん末」
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/newsx/190981
2016年10月1日 日刊現代
 
の記事を抜粋します。
 
現場の雰囲気が伝わります。
 
「 すわ、犯人逮捕か。30日午後6時ごろ、点滴殺人事件現場の横浜・大口病院内に突如、パトカーで現れた警察官数人が侵入。病院前に詰めていた報道陣は色めき立った。
 
中略。
 
さらに1人が正面玄関から警官に連れられ、パトカーに乗り込んだ。居合わせた日刊ゲンダイ本紙記者が「逮捕の瞬間を撮ったぞ」と喜び勇んだのも束の間、実はこの2人、別の容疑で逮捕されたことが分かった。」(抜粋終わり)
 
真犯人逮捕の瞬間を記者の皆さんは病院の前に張り込んで待っているのです。
 
そして、逮捕された記者と学生(スタッフかも)の2人も院内撮影班として無断潜入し逮捕されたのです。これは私の勝手な推理ですが、運が良ければまだ判明していない真犯人の顔写真も撮れた可能性さえあります。
 
もし警察が、自白強要により誤認逮捕したならば、真犯人は病院内で勤務を継続することとなりますので、そういう場合は、この潜入記者らは、「本当の真犯人」の勤務状態を撮影することとなります。
 
逆に、警察が正しく真犯人を逮捕した場合は、逮捕前の真犯人の姿を院内で撮影することに成功することになるでしょう。
 
つまり、捜査途中の現在だからこそ、院内の撮影写真にはさまざまな価値が内在すると考えて、無断侵入したことが予想されます。
 
それを逮捕し、犯人の頭に上着をかけて玄関から連行するものですから、外でまじめに潜入などせずに取材している記者諸氏に「真犯人逮捕される!」と誤解されたのでしょう。
 
それほど、皆が真犯人逮捕を待ち望んでいるということでしょう。
 
情報があふれてしまったあとでは、「その情報の持つ価値」も下がります。
 
まったく捜査の情況が見えなくなった2週間目、ますます院内のさまざまなデータ(画像、音声、カルテ、患者のバイタルサインなど)に価値が高まってくるのはやむを得ないことでしょう。
 
焦って誤認逮捕というケースが、社会、とりわけ、いま入院している患者さんにとって最悪の決着になります。
どうか、徹底的な捜査により、真実を明らかにしてください。

2016年10月 1日 (土)

横浜点滴殺人事件(3) FUMIKOSHICHOU謝罪。

「横浜市 臨時立ち入りへ 病院中毒死事件 今月中旬までに 管理態勢など確認」
http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/list/201610/CK2016100102000154.html
2016年10月1日 東京新聞
 
この記事の中に、
 
「会見で「早く対応すべきだった」と話した林文子市長=横浜市役所で」と市長の写真が掲載されていました。
 
この写真とコメントを眺めていて、「文子市長」"FUMIKOSHICHOU""FUSHICHOU"と連想が浮かびました。
 
このツイッター記事送信の男性は、日テレニュースにモザイク顔で登場しているので、氏名も職業も明らかなようですが、若い男性で、話声から判断すると日本人男性です。
 
FUSHICHOUは「不市長」という漢字も想定していましたが、市長にあらずという意味で「不」を用いる発想は外人だと思っていました。
 
市長の責務を果たしていないという場合は、日本人なら非市長と書くでしょうから。
 
ともあれ、文子市長もFUSHICHOUとなりえることを今日の東京新聞記事で教えられました。
 
病院内部の情報が遮断されてしまったために、本日は院内を撮影しようとした記者と学生が病院侵入で逮捕されています。
 
主要4紙も仕方なく、病院の外の情報を取材して報道しています。
 
警察署の取調室のビデオ記録はこの事件では必須です。
 
披露した被疑者を痛めつけて、そのあとで「かつ丼+親切刑事交代」により涙の自白強要で決着・・・、となったりして、
真犯人が潜伏したまま医療行為を継続する社会にはならないことを祈ります。
 

« 2016年9月 | トップページ | 2016年11月 »

最近のトラックバック

最近のコメント

2017年11月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30    
無料ブログはココログ