石神井城跡(1)~豊島氏史跡
7487(氷川神社大祭の幟(のぼり))
7376(獅子寺?!)
午後一時に出発した。
JR東中野駅から東中野銀座商店街を通り抜けたところで直交する早稲田通りを西へ歩く。
およそ10キロの旅である。
銀座商店街と言っても、こじんまりとした生活色豊かな細い路地脇に並ぶ商店街である。
駅周辺で一番賑やかな場所と言う意味だろう。
銀座 (ウィキペディア(Wikipedia))より由来を抜粋する。
『銀座(ぎんざ)とは、中近世の日本の政権において貨幣の鋳造および銀地金の買入を担った場所に与えられた呼称である。
主に徳川家康が開いた江戸幕府の銀座が知られる。当時の主な流通貨幣のうちの銀貨の鋳造が行われたこと、この場所以外での貨幣鋳造が厳しく取り締まられたこと、などにより「銀・座」の名が付けられたと思われる。』(抜粋終わり)
家康以前にも銀を鋳造する特殊な場所はあっただろうし、そこを支配していた民族は日本人ではなかっただろう。
古代の歴史によれば、スキタイ人が金属の鋳造技術を発明している。
スキタイ人は後にユダヤ人と混血していったか、あるいはユダヤ教に帰依したかして、ユダヤ人となっているようだ。
つまり金属の製造は渡来ユダヤ人の専売特許であったはずで、それは古代より世襲の秘伝技術とされてきた。
製鉄といえば出雲であり、スサノウノミコトであろう。
以前、早稲田地区の早稲田通りを散歩したが、早稲田通り沿いには牛込氏の居城跡があり、見事なシュロが沢山あった。
豊島氏の居城を訪ねるのは、14葉の菊の紋章を家紋にもつ珍しい氏族であるからだ。
周防若山城(山口県新南陽市)の跡にも14葉の菊の紋章があった。
だから豊島氏の居城である石神井城にも同じ文様が残っているのではないかと思い訪ねることにした。
家康以前の関東の領主である豊島氏の居城であった石神井城もまたシュロの木に出会えるはずだ。
早稲田通りに出てすぐ、氷川神社大祭の幟が歩道に立っていた。
この近くに氷川神社があるのだろう。
スサノウノミコトを祭る神社で、全国に多数あるが、総社は大宮の武蔵一ノ宮である。
まもなく珍しいお寺の門に出会った。
獅子寺といい、ライオンの像が門前にある。
三越デパートの待ち合わせでは、「ライオン像の前」が良く利用されるが、ライオンを祭る寺は珍しいのではないか。
1kmほど歩いただろうか、JR中野駅を過ぎてから、道沿いに祭の準備をしている人達をみかけた。
看板には「氷川神社」と書かれていた。
この辺りにも別の氷川神社があるのだろう。
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