フランス軍人付き旧幕府脱走軍とイギリス式装備の官軍~北海道(50)
5681(函館山に車で登ろうとしたが、22時以降でなければいけないと止められた)
旧幕府脱走軍にはフランス軍人10名が自らの意思(という建前)で従軍していた。
五稜郭陥落直前まで軍人指導や訓練を指導していたようだ。
では、官軍側の西洋式軍備は誰が指導したのだろうか?
「日本は明治維新の際、なぜ外国からの借款を必要としなかったのですか?」というサイトから、英仏の関わり方を部分的に抜粋する。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3563173.html
『フランスは幕府を味方し、軍事顧問などを送り込み、軍隊の近代化を促進させます
フランスが味方をすれば、イギリスが新政府に味方するはずですが、
生麦事件や下関砲撃など、薩長の狼藉には目に余る物があります。
海援隊は、グラバー商会(イギリス人)を仲介して武器を輸入しますが、個人対個人でしかありません。
明治2年には鉄道建設などでイギリスなどに借款に奔走します。
見習うのもイギリスと決めたようです。』(抜粋終わり)
官軍側はイギリスの軍事的援助があったようだ。
今の道路がイギリス式の「人は右、車は左」であるのも明治2年のイギリス借款から生じたものだろうか。
明治維新とは英仏の植民地戦争だったのか?
徳川将軍の奥詰め医師である高松凌雲はフランス留学で医学の知識や技術を習得している。
更に赤十字精神が旺盛であったという。
キリスト教徒になっていた可能性もあるだろう。
高松凌雲(ウィキペディア(Wikipedia))より抜粋する。
『高松 凌雲は、幕末~明治期の医師。現在の福岡県小郡市出身。
函館戦争においては函館病院を開院。
その後、民間救護団体の前身と言われる同愛社を創設。日本における赤十字運動の先駆者とされる。』とある。
あの五稜郭の戦いで、病院を捜索に来た薩摩兵士に向かって両手を大きく広げていたのは、この人物であったかもしれない。
薩摩にもザビエル以降、キリシタンが多くなっていたようだから、以心伝心であのような美談(過去の記事に掲載済み)になったのだろう。
「日本における赤十字運動の先駆者」であったのだ。
だからあのとき外国のご婦人が熱心に両手を広げて官軍を押しとどめる医師の姿の傍を離れなかったのだろう。
英文の説明書にはそういうことが書かれていたのかもしれない。
高松凌雲は、福岡県で庄屋の子として生まれている。
20歳の時、久留米藩家臣の川原家の養子となっっている。
久留米藩は毛利氏であるが、戦国時代はその奥方が筋金入りのキリシタンであった。
大友宗麟の娘なのである。
久留米出身の医者でフランス留学となれば、幼児のときに洗礼を受けている可能性さえ感じられるのである。
後に大阪に出て適塾に入塾し、緒方洪庵の指導を受けている。
凌雲の学才を知った一橋家が、凌雲を一橋家の専属医師として抜擢し、ほどなく一橋慶喜が将軍となったため、凌雲は幕府から奥詰医師として登用されている。
このあたりもNHK総合(日曜日20時~)の篤姫の現在の舞台と同期するが、篤姫を大奥に送り込むと同時に、丸に十字のイエスキリストマークに似た家紋を有する島津斉彬が高松凌雲をも大奥へ送り込んだ可能性もあるかもしれない。
しかし、高松凌雲は官軍へつかずに旧幕府軍についていき函館戦争では函館病院を建設している。
キリシタンかもしれないが、島津側のスパイではなかったようだ。
しかし、もっと穿って考えれば、旧幕府軍の内情を探るためのスパイ役であるという味方もできようか。
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