静岡金谷原の茶畑
半藤一利著、それからの海舟を読んでいると、金谷の茶畑は江戸を一橋慶喜に従い無禄承知で静岡に移住した家臣たちが、水の便が悪い金谷原を開墾して作り上げたものだと書いてあった。
私が東海道を日本橋から京都までつなぎながらであるが、通しであるいたとき、金谷で広大な茶畑を見た。
昭和30年代に既に風力発電を導入し冬の霜を温風で溶かすということをしていると、土地のおばあさんから聞いた。
随分先進的地域だとそのとき感じていた。
今のような大型の風車ではない。
扇風機くらいの羽根がカラカラと鳴りながら、10メートルおきに並んで発電し蓄電したものを早朝に温風に変えて、茶葉の上に送るのである。
江戸市中にあった頭脳がすべて静岡へ移住したことだろう。
開墾を謹慎中の慶喜に願い出た家臣たちを応接したのは、同じく静岡の田舎に引き込んでいた海舟であった。
海舟は開墾を許可すると同時に食い扶持はこちらから届けると言ったそうだ。
食うにも困る状況下での発言だった。
それを実現するために、海舟は普代大名から20万両を集めた。
「お前達は、徳川が無禄になってるを、ただ見てるのか」といってやったら、あちこちから持って来たという。
静岡で内乱が起きなかったのも、海舟の智慧によるところが大きいだろう。
| 固定リンク
トラックバック
この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1054607/23084085
この記事へのトラックバック一覧です: 静岡金谷原の茶畑:

コメント